2016年2月13日土曜日

あなたは買い出された主の持ち物

わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。(イザヤ43・1)
 
 主の贖いは人を束縛と死から買い出すだけではなかった。それはちょうど人が冬の夕べに捕えられたツグミを買って来て、わなをほどいて自由ににしてやるが、あとは食べるために殺して冷えた空きっ腹に入れて、もうすっかり自由にしてやったことを忘れているというものではなかった。

 主は人をご自身のために贖われたが、それはご自身を分与することであり、宝物とすることであり、喜びとすることであった。また、「人々を主の近くに」おらせ、あらゆるご自身の神の愛が喜びの良き機会として注がれる対象とすることであった。

 主のご栄光と私たちの幸せは分かち難く、贖いのうちに結び合わされている。主は「ご自分と一つの同じ名前とするため」に贖われた。私たちはうやうやしく次のように言うことができる。 すべての名にまさるお名前そのものも、このため以外には神の子の昇天の冠とはなり得なかっただろう、と。

ああ、恵みの不思議さよ 
私たちをあなたの御顔の前に立たせるために選ばれ
あなたの特別な宝物とするために
あなたの割り当て、あなたの喜び、あなたのものとするために 
喜びが与えられる 
唯一の望みであるあなたのお名前を恐れる人のうちに 
あなたのやさしいあわれみという限りない方法をとおして

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-13-you-a-purchased-possession/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97208です。

第1章 表面上の明るさと内面の暗さ(6)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 フランシスのつくった歌(英詩として韻が踏んであるはずだが訳は無視してある

 ♪日曜日は楽しい日よ
    教会へ行く日だもの
     だって、歌を歌い、聖書を読み、お祈りするのよ
      そしてお話も聞くのよ

  日曜日には鐘が聞こえてくる
    まるでこんなふうに言っているようよ
     教会へ行きなさい、牧師さんが話すのよ
      キリストが人のためにどのように血を流されたかを

  もしも祈り、聖書を読むことが好きなら
    幼い私たちもつねに助けられ
      キリストはいのちにかけて
       私たちを守ってくださるのよ     ) 

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