2016年2月24日水曜日

あなたがなすどんなことであれ大きな喜びだ

こうして、民は自分たちのみずから進んでささげた物について喜んだ。(1歴代29・9)

 この章節で、主にみずからささげた物の結果がどんなことであったかを考えてご覧なさい。民は喜びました。そして何でも行なったのです。それは食べることであれ飲むことであれ大きな喜びをともないました。みずから主に自分自身をささげる人ほど幸せな人は決しておりません。 

 主は民に価値のない小さな自己や主にささげた弱くも小さないけにえに対して千倍の報いをお与えになります。主は彼らに彼らがかつて持ちたいと願っていたものを越える平安と喜び、祝福をお与えになります。しかしこれが全てではありませんでした。そのような喜びの日を経験した人々だけでなく、ダビデ王もまた大いなる喜びをもって喜んだのでした。

 王を愛し、王がどれだけの悲しみを経てきたことか、そしてどれだけたくさんの戦いを戦ってきたことかを、思い出し、民は自分たちが進んでささげたのを、ダビデが喜んでいるのをみて、ほんとうに喜んだに違いありません。

 だから、私は私たちの王である神が私たちに進んでささげることができるようにしてくださった時(14節※)王は私たちを喜ばれると思います。これが何よりも最善ではないでしょうか。私たちのために苦しまれ、私たちの救いの大きな戦いを戦われた主イエス様、私たちの愛する王なるお方は、喜びをもってあなたがたのことを喜ばれるでしょう。主は主の愛のうちに憩われ、主は歌声をもってあなたがたのことを喜んでくださいます。

全き明け渡し、喜びの明け渡しをもって私はあなたに自分自身をおささげします、
全くあなたのもの、またあなただけのもの、それはとこしえなるものですから。 
おお、神の御子、あなたは私を愛してくださいます、私はあなただけのものです。 
それゆえ、私が持っているすべて、また私の全存在はこれからもあなたのものです 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-24-great-gladness-in-whatsoever-you-do/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97219です。※14節まことに、私は何者なのでしょう。私の民は何者なのでしょう。このようにみずから進んでささげる力を保っていたとしても。すべてはあなたから出たのであり、私たちは、御手から出たものをあなたにささげたにすぎません。

第2章 光彩(1)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 1852年11月にハヴァガル氏はいつの間にか低下してしまった視力がますます悪くなる一方だったので、有名な眼科医を求めてドイツを訪れた。新しく迎えた妻と娘フランシスも一緒だった。
 かなりの期間海外に留まることに決めたので、ハヴァガル夫妻が出かけている間、この幼い少女はデュッセルドルフにある「Louisenschule」に在籍するように手はずがとられた。
 その学校の110人の学生の間にあってフランシスは自分だけが信仰を求めていると信ずるにたる理由を持っていた。ベルモントの福音がしみこんでいた雰囲気とは全くちがったのだ。けれども彼女は「大変すがすがしく」決心していた。彼女は熱心にキリストの証しをし、他の人たちの魂を勝ち取ろうとした。かなりの迫害が続き、仲間たちの間に何ら評判の良い結果も得られなかったのだが。) 

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