2016年2月26日金曜日

主はやさしく導かれなかった

主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。(イザヤ40・11)

 人は一瞥して、つまり語句索引を引照することによって、私たちの導き手である方ご自身はこれとは非常に異なった導きを経験されたという感動的な事実を知ります。彼はかつてやさしく導かれたことは決してありませんでした。

 主は悪魔の誘惑を受けるために荒野に導かれました(マタイ4・1)主はまた丘のがけのふちまで復讐の思いで一杯になった人たちによって真っ逆さまに投げ落とそうとされるように導かれました(ルカ4・29)。アンナスのところに連れていかれ、さらにカヤパのところへ(ヨハネ18・13、マタイ26・57)続いて長老、祭司長、律法学者の議会に連れ出され(ルカ22・66)、ポンテオ・ピラト(マタイ27・2)のところに導かれ総督官邸に連れて行かれました(ヨハネ18・28)。

 そしてそれから私たちの主イエス・キリストは小羊として虐殺へと導かれました(使徒8・32)十字架につけられるために引き渡されたのです(ヨハネ19・16)。まことに「彼の道は私の道よりははるかにひどく暗いものでした」。それがイエス様が導かれた方法です。しかし、主の民に関しては主は「ご自分の民を、家畜の群れのように荒野の中を連れて行かれた。 彼らを安らかに導かれたので、彼らは恐れなかった。」(詩篇78・52〜53)のです。

主イエス様、あなた様はかつてすべての者のために歩かれたのです
ヴィア・ドロローサ—それは私たちのためでした
どんな芸術家の力、吟遊詩人の才能をもってしても語ることができないでしょう
あなたにとってひとつひとつが揺るぎない歩みであるその犠牲ですから
知識を知悉した愛があなたを信仰に立たせ神様への真実と私たちへの真実へと導く
あなたの道は喜びの道、そしてすべてのあなたの道は平和であり、
あなたの完全な義の衣を着る者の道は
完全な日に向かって段々光り輝く光のようだ
そしてあなたは、今ではめったに引用されない昔の約束を与えられた
なぜなら、それは私たちの弱い信仰にとってはあまりにも明る過ぎるからである。
「もし彼らが聞き入れて仕えるなら、彼らはその日々をしあわせのうちに全うし、その年々を楽しく過ごす。」(ヨブ36・11)
それにくらべ、あなたの日々は悲しみで満ち、あなたの孤独な年々は嘆きを知ることで費やされた
すべては私たちのためであった

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-26-he-was-led-not-gently/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97221です。

第2章 光彩(3)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 1853年※の夏、オーベルカッセルでフランシスはシュルツ・ベルグ牧師夫妻の家に寄宿した。彼は以前彼女の家庭教師であった。彼のもとでフランシスはフランス語やドイツ文学、詩、世界歴史を学んだ。彼女はこのすばらしい牧師と「frau pastorin〈女性牧師?〉」と一緒に過ごし、幸せこの上なかった。輝ける才能を持ち、魅力一杯の若いイギリス少女はしばしばオーベルカッセルに居館を持つドイツ貴族一家の一員としてその「邸宅」に招待された。彼女はこの機会にドイツ貴族社会の多くの人々と知己になった。
 後年、シュルツ・ベルグ牧師が自分のお気に入りの生徒について、フランシスの姉に書いたレポートによると次のようである。「彼女は最初から大変勤勉で、また大変希有な才能を示し、理解力は抜群であることを示したので、私は彼女の進み具合を非凡なものとして話しうるだけである。彼女の存在の上に気高さが刻印され、彼女の考え方すべてを導いたものは真の敬虔さであり、彼女が自らの主、救い主に対して持っていた深い畏敬の念があった。その証しは彼女の若い生活の隅々にまで浸透していた。」

※註1853年と言えばペリーが浦賀沖に来航した年である。昔1982年であったか私の家に一人の若いアメリカ人女性〈日系二世〉が 一夏過ごしたことがある。その時、私は彼女の全生活を見て、この一人の女性を育てた家庭、母国はいったいどんなところなのだろうかと驚異の目をもって日々過ごしたことを覚えている。彼女が置き土産として置いて行ってくれた"Search the Scriptures a three-year Bible study course"は今も大切にしている。ハヴァガルのこの伝記を訳している間にふとこのことを思い出したので書き添えた。 

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