あなたはいつまでも続く喜びを持ったことがない。あなたは大きな喜びを期待して待っている。そしてその時が来る。ところが 、すぐその時は過ぎ去り、あなたは振り返ることができるのみだ。あなたがかつて経験した中でもっとも長く、もっとも楽しい日が終った。それにくらべて神の右にある楽しみはどんなに違っていることか。
その楽しみは永遠に続き、終わったり、その終りを見たりすることはできない。なぜなら、終りがないからである。しかもそれは一つの喜びだけではなく、終ることのない多種多様な喜びである。私たちがその喜びについて話すことができるのはわずかなことに過ぎない。その喜びは聖なる喜びで、決してどんな罪も混在していないものだ。駄目になるものは何一つない完全な喜びだ。
テキストが言っているように持続する喜びである。「彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。」(詩篇36・8)とダビデが言っている豊かな喜びである。その喜びは水たまりではなく川となって流れる喜びであるので、つねに新しくあふれる喜びである。「彼らが飲む」と言われずに、「あなたの楽しみの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。」と言われるから、その喜びは神様ご自身によって与えられる喜びである。
限りない大洋のような喜び
神の子たちの目を見晴らせる
無限にして多様な宝物
人間の尺度では測れないほどの
聖なる知識、聖なる喜び
永遠なるお方の大きな自由の中に憩う
その讃美のようにとこしえに新しい
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-7-manifold-pleasures-unending/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/print-friendly/lxpf-la-97202です。
彼女について次のように言われた。「フランシス・リドレー・ハヴァガルはその名を馳せる通常の称号は何一つ持たなかった。彼女が抜きん出ていたことは霊的な体験が完全に身に記されていることだった。彼女の献身には限界がなく、一切の留保もなかった。彼女は自己放棄の秘訣を体得していて、完全に神様にささげ切っていた。この特質ゆえに彼女の書き物はたくさんの人々の魂に届き、不思議な刺し貫く力をもって人々を感動させた。」
※今朝、庭の草花のあちらこちらが銀色にキラキラ輝いていた。昨晩うっすらと雪も降ったようだが、それもいつの間にか消えて、輝かせていた。引用したことばは日々の歌34番の一番の歌詞である。続いて「天地を造られた主を讃え歌おう♪」とある。「露のごと 我が生涯 光る主」。 )
彼女について次のように言われた。「フランシス・リドレー・ハヴァガルはその名を馳せる通常の称号は何一つ持たなかった。彼女が抜きん出ていたことは霊的な体験が完全に身に記されていることだった。彼女の献身には限界がなく、一切の留保もなかった。彼女は自己放棄の秘訣を体得していて、完全に神様にささげ切っていた。この特質ゆえに彼女の書き物はたくさんの人々の魂に届き、不思議な刺し貫く力をもって人々を感動させた。」
※今朝、庭の草花のあちらこちらが銀色にキラキラ輝いていた。昨晩うっすらと雪も降ったようだが、それもいつの間にか消えて、輝かせていた。引用したことばは日々の歌34番の一番の歌詞である。続いて「天地を造られた主を讃え歌おう♪」とある。「露のごと 我が生涯 光る主」。 )
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