私は雪よりも白くなりましょう。(詩篇51・7)
しかし、雪はほかのすべてのものにまさって白いのです。特に、もしあなたが、ちり一つ到達できない高い山の頂上で陽光に光り輝く雪を見たら、そう確信するでしょう。かつて人間の目が雪のように白いものを見たことがあります。聖書には、よみがえりの主を知らせる天使の衣は「雪のように白かった」そして変貌山上の主イエス様の輝くばかりの衣は「非常に白く光って」(マルコ9・3)いた、とあります。
けれども、いったい何が「雪よりも白く」されるのでしょうか。「私を洗ってください。そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。」もし神様が私を洗ってくださるならばです、決して水はこのことをなしません、たくさんの涙もなせません。唯一、一つのことだけができるのであります。そしてそれは確実に、しかも徹底的にそのことをなすのです。
「御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」(1ヨハネ1・7)これが罪のために、汚れのために、開かれた泉です。そして、かつて宝血が流されて以来、つねにこの泉は開かれてきたのです。
そうです。「今もなおです」
自由で闊達な足を印しましょう
きよさを持つ王なる方の路に添い
私たちが都の大通りに達するまで
おお、敷かれた金色の水晶、その時を純粋にほめあげます
私たちは私たちを赦す主を見ます。主とお会いするその時まで。
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-27-wonder-working-power-in-the-blood/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97222です。
第2章 光彩(4)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
フランシスは18歳の時、堅信礼を受けた。彼女はこの厳粛な時をずっと考えもし、心の備えをしてきた。その儀式と彼女自身の思いについては詳細に書かれた記録が彼女の死後、封印されていた書類の間から、姉によって開かれ見つかった。彼女の詩の手書きの原稿の本の中に、記念すべき日付で次のように書かれていたのだ。
「おお、「(私は)とこしえにあなたのものです」何という祝福でしょうか
とこしえに、私のために死なれたお方のものであるとは!
To be for ever His who died for me !
私の救い主、私は全生涯をあげてあなたの讃美を歌います
また、私の歌はとこしえにやむことがないでしょう」
ノートと聖句が彼女の書類の間に見つかったことはこの献身、すなわち、彼女にとって大変深いまた真の献身の行為を、彼女が死ぬまで毎年、新たに覚えるためにその原点に帰ることを習慣としていたことを証している。)
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