2016年2月2日火曜日

今とこれから

私の栄光は私とともに新しくなり、私の弓は私の手で次々に矢を放つ。(ヨブ29・20)

 誰か新たなるものを求める思いを知らない人がいるでしょうか。新鮮な空気、新鮮な水、新鮮な花、生まれたばかりのこども、そして何人かの人々の話や書き物をとおして提供される新しさ—これらすべては喜びと力を兼ね備えた霊的な新しさを例証したり、またそれに通ずるものであります。なぜならヨブの栄光は彼が新しくなった時であり、彼の手により彼の弓が新しくされたことであったからです。

 新しくなることと栄光。しかし、そのようなことばの輝かしい調べはほんの小さな一触れによって、短音階の旋律にまで下げられるのです。「でした」であって、「である」のではありません。輝かしい現在に代わり憂鬱な過去があります。私たちは「ああ、そうです。それがいつもの道です」とうめいて、不必要に悲しむかわりに、いつもそうとは限らないし、またヨブの自白による並外れた体験が私たちのものである必要はないし、そうならなければならないものでもないということが、どのように自分に明らかになるかを知りましょう。

 もし私たちの栄光が私たちの内の新たなものであるなら、すべては私たちの栄光に依存します。もし私たち自身のいかなるものであれ、—私たちのうちにある腐敗して古びていくものであれ、まわりの消えゆくものであれ—もちろんつねに新たなることはできず、夜明けや春の季節の新しさが続くのにくらべはるかに新しくなることはあり得ません。

 物質的な状態も精神的な状態も美しく微妙な魅力を維持できず、霊的状態もよりよくなることはありません。「体格と感覚」は活力がなくなり、鈍感になり、その他、新しさの欠如を表現するどんなことでも本来的に低下する傾向を持っています。尽きることのない新しさの唯一の無尽蔵の源泉があります。それはキリスト御自身です。「あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。」(詩篇110・3)いかなる熱やほこりによっても乾ききることのない唯一の露。「あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」(コロサイ1・27)がそうなのです。

あなたの支配はなお増し加わるでしょう

私はあなたのみことばを握ります

正義と平和

そして聖霊のうちにある喜びが見出されますように

もっともっと豊かに

私のうちに、あなた様、ああキリスト様、私の主よ。

あなたにあなたの御力を帰しましょう

私の主権者であり、多くの冠をかぶせられるお方。

私の心のうちにあなたの王国を確かなものとしてください。

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-2-now-and-afterward/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97197です。例により二段落目の文章は私にとり極めて難解でした。英文を併記する必要も覚えたくらいですので、二段落目は飛ばしてお読みください。その前後のハヴァガルの文章を通して彼女の言わんとすることが何となくわかるような気がします。

 フランシス・ハヴァガルは二様の能力を持っていた。彼女の詩作はよく知られているが、音楽にあっても高い技倆を備えていた。音楽は彼女に言わせると「天国の唯一の普遍性を持った言語であり、一種のアルファベットのようなもの」であった。彼女は熟練したピアニストであり、バッハ、ヘンデル、メンデルスゾーン、ベートーベン、ハイドン、シューマン、それにシューベルトが堪能であった。彼女はコントラルトのソリストであったが、後年、「音楽会で独唱して観衆の拍手喝采を浴びる喜び」を捨てて、自らの賜物を聖歌をひとりで讃美するのに用いた。和音や対位法を身に付け、自らの賛美歌を作曲し、父親の死後には彼の賛美歌集一巻を編纂した。)

0 件のコメント:

コメントを投稿