2016年2月28日日曜日

満ち足りて

紅梅の 路迷いしが 暖かし※

こうして、メフィボシェテは王の息子たちのひとりのように、王の食卓で食事をすることになった。(2サムエル9・11)
 
 王の食卓との結びつきですべて考えられることはイエス様だけを見ることです。イエス様はごちそうを用意しておられます。「あなたは私のために食事をととのえ」(詩篇23・5)とあります。主が招待してくださるのです。

 「私といっしょに渡って行ってください。エルサレムで私のもとであなたを養いたいのです。」(2サムエル19・33)主は私たちを王子として受け入れ、養うようにその地位をくださるのです。

 主は私たちを主の宴会場へと連れて行ってくださるのです。主は私たちに食べるように命令され、言われます。「友よ、食べよ。飲め。愛する人たちよ。大いに飲め。」(雅歌5・1)主は私たちとともに宴に着かれるのです。なぜなら王が食卓の主(あるじ)ですから。

 主ご自身が天からの食べ物、王の食卓のパンや肉であります。「わたしが与えようとするパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6・51)「わたしの肉はまことの食物」(ヨハネ6・55)まさしく主ご自身なのです。私たちにはそれ以外のものは提供されていないのです。なぜなら、それ以外のものでは真に満足できないからです。

主の義、あらゆる栄光に富んだ、主の祝祭の衣だ 
知識をきわめる愛、あなたの上にひるがえる主の軍旗だ
ほんのしばらく別れていても、覚えよ、待ち望め、愛せよ 
主は栄光のうちに来られるのだ、私たちは空中で主とお会いする 
父の御国で天の宴が開かれるときまで 
見よ、主の麗しさを、主の血潮は私たちのために流された

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-28-satisfied/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97223です。

第2章 光彩(5)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
 フランシスは本国に戻り、衰えない勢力で勉学を続けるだけでなく、「ポケットブックス」や「キープセイクス」と言う小さな期間発行物に詩的な文章〈謎解き〉を寄稿し始めた。過去前世紀の半ばごろまでこういう年報は文学賞を求める若い野心のある人々にとってほとんど唯一の登竜門であったが、フランシスは「サブリナ」とか「ゾイデ」というペンネームのもとしばしば賞を獲得した。当時のおしとやかな時代にあってはどの新進気鋭の詩人も自らの名前を出して目立つことは夢考えなかったからである。もし賞をお金で受け取ったら、フランシスは父親が作曲の報酬を神様の働きのためにささげたのにならって、教会宣教団体〈Church Missionary Society〉に送った。
 1856年の春になって、結婚して今ではショー夫人となっているフランシスの姉エレンの家を、アイルランドのキルダーレ地方のセルブリッジ・ロッジに初めて訪れた。当地でフランシスは大変な歓迎を受けた。〈Here she took all hearts by storm.〉最後の訳は誤訳の恐れがあるので念のため原文を掲げた。ただし明日以降の記述を見ると、この訳もあながち間違っていないのかも知れない。

 ※先週の金曜日、友人とALS病臥中の友を訪ねた。入所以来ほぼ一年経過した。友は祈る。「このすばらしい天候のもと、こうして友を加えて親しいお交わりをいただき感謝します。また聖書のことばをとおして心をきよめていただき感謝します。今まで知らなかった方々とこのような素晴らしいお交わりが与えられた恵みに心から感謝します」発病以来寿命は5年と言われていたが、7年経過したと言われる。真綿で首をしめるように、徐々に体の機能が衰えていく、「今日できたことが明日はできない」という厳しくも不安な生活の中での信じられない平安な祈りのことばであった。お訪ねするたびに、こちらが元気をちょうだいして帰ってくる。) 

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