馬酔う木の アセビ使うは 民の知恵※ |
主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。(2歴代誌25・9)
ユダの王であるアマジヤはエドム人と戦うために出陣しようとしていた。王はイスラエルの王から10万人の兵士を雇うことにより勝利は確実だろうと考え、今日のお金でほぼ20万ドルに相当する百タラントを支払った。けれども神の人は王にイスラエルの軍隊を連れて行かないように警告した。なぜならイスラエルは主を捨てていたので主はイスラエル人とともにはおられなかったからである。
そのお金を全部無駄にすることは大変遺憾に思えたのでアマジヤは言った「『では、イスラエルの軍勢に与えた百タラントはどうしたらよいのか。』神の人は答えた。『主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。』」
そこでアマジヤはそのことばに単純に従い、兵士たちを去らせ、神様が兵士なしに助けてくださることを信じた。その結果、彼がエドム人に対して偉大な勝利を獲得したことはいかなる不思議であったことか。このことは私たちに私たちは正しいことを単純になし、いかなる犠牲を払っても神に信頼すべきことを教えていないだろうか。
あなたがこのことをなす時、あなたは今まで考えたことのない何百ものやり方で、「主はそれよりも多くのものをあなたに与えることがおできになります。」を経験することだろう。
試みは多くの様々な方法でやってくる。ある人は急いで祈り、聖書を読むようにと誘惑されるかも知れない。なぜなら、朝食前に済ませたい他のことがあり、十分な時間を取れないことを恐れているからである。別の人は神様のはたらきのために何かをささげる要請がある時、財布を閉ざしている。なぜなら、彼女は別の目的のために十分お金を残しておかないことに恐れを感じているからである。別の人は正確な事実を話さないように、または話さねばならないことを隠すように誘惑されている。なぜなら彼はそれによって何かを失うかもしれないからである。
おお、悪魔に抵抗せよ。そしてあなたが正しいと知っていることを行ない、あとは神に信頼せよ。なぜなら、あなたのそのことがどんなことであろうとも、主ははるかにまさるものを与えることのできるお方だからだ。そして主の恵みと祝福はそれにまさり、ほかのどんなことよりもまさる。
おお、あなたは私にはるかにまさることをなされた
私が求めたり考えたりすることよりも
私は見て驚くばかりだ
私の主であるあなたが、これまでなされたことを
その上、毎日のようにどんな嬉しい教訓を
教えられることだろうか
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-20-whatever-your-this-may-be/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97215です。
私は見て驚くばかりだ
私の主であるあなたが、これまでなされたことを
その上、毎日のようにどんな嬉しい教訓を
教えられることだろうか
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/february-20-whatever-your-this-may-be/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97215です。
第1章 表面上の明るさと内面の暗さ(13)The Life Story of F.R.Havergal by Jennie Chappellより
そんなふうにして子ども時代の年月が過ぎ去っていった。フランシスは聖書を個人的に読み、規則的に熱心に祈っていたし、自らの大きな心の醜さという絶望的な有罪宣告を克服して夜寝るために叫んでいたこともまれではなかった。それは22歳になっても彼女が特別な感謝の心をもって、自分は「他の人と同じ善人」だとあえて思う「致命的な罪」から守られて来た証拠だとして記録しているものだ。
こういう隠された悲しみの兆候は、1850年の春にはほとんど憂鬱症に変じたように見える。ちょうど10代に突入する幼い少女の魂の上に「一つのこと」を除いていのちと地上と万物の空しさという奇妙な新しい感覚がやってきては、ひとりでいる時、座ってはそのことをすっかり考えては嘆き悲しむのであった。ベットの中でまんじりともせず、彼女は多くの時間を真剣に過ごしたが、彼女のかわいそうな悩める小さな心にとっては「信仰」の賜物を求めて祈ることは無駄のように見えたし、それと同程度の漠然とした信仰に対する理解があった。すなわち、救いは信仰なしには不可能であると信ずるように教えられてきたのだ。
※庭師の方により何本かの樹木が剪定された結果、伸び放題であった樹木はすっかりきれいになったが、半面寂しくもなった。ただ、こうして春、夏の若葉の季節に備えると思えばまた愉しからずやである。そして庭師の方のさわやかな仕事ぶりは今も余韻となって私の心を支配している。彼のことばを書き残しておこう。「見ず知らずの人間を信用して大枚をはたいて仕事を依頼した人には、自分もその信頼を裏切らないように仕事をしたい」「職人にとって大切なのはまず道具です、いかにいい道具を揃えるか、それによって仕事の出来具合は半ば決まるものです」
政治家にこのモラルを求めるのはもはや無理なのだろうか。政治家の武器は「言論」と選挙民の負託に応える「信用」である。憲法の根幹をないがしろにする政治が、「電波停止」をちらつかせたり、あげくには「言論統制」とやじったりする今日の言論の混乱を招いていると私には思えてならない。「憲法改正」を主張するなら、「言論の自由」を守りながら与野党が切磋琢磨して討論を戦わせながら行なうのが本来の筋ではないか。)
0 件のコメント:
コメントを投稿