主の働きはつねに差し迫っています。決して遅延されてはなりません。そのほとんどが明日永遠の世界に入るかもしれないが、もしその場ですぐになされないなら永久にその機会が去ってしまう魂に関わっているからです。今日以外にそれにうってつけの時はありません。
聖なる急ぎの心にあってなされないため、まことにそのことが全くなされない場合が多いのです。私たちは何度も何度も回心していない友に会い、さぐりを入れては、穏やかな影響力を獲得することを考え、徐々に道を備え、急がせないで賢明に呼びかけようとします。
そのほんとうの理由は私たちがその魂のために王の真実な仕事をするには聖なる熱心さと勇気が求められているということです。10人がいやされたがそのうちの9人が出て行ったままの場合のようにならないで。「しもべが何やかやしているうちに、その者はいなくなってしまいました。」(1列王紀20・40)私たちはそのように探したことはなかったですか。
主の御用のための使い走りに遅れることは不従順と隣り合わせです。そして概して遅延は不従順に端を発するものです。「神は、早く行けと命じておられます。」(2歴代誌35・21)「私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました。」(詩篇119・60)と言うことができますように。
あなたはイエス様のために言うひとことばも持っていませんか
何人もの人がおそらくあなたが押し黙っている時
あなたのメッセージを待ちくたびれていることでしょう
あなたが彼らに来なさいと誘ってくれるのを期待しながら
隠された悲しみを決して告げないで
戸の外でぐずぐずしながら
あなたの手が自分たちを永久の安息に導かれることを
待ち焦がれているのです
何人もの人がおそらくあなたが押し黙っている時
あなたのメッセージを待ちくたびれていることでしょう
あなたが彼らに来なさいと誘ってくれるのを期待しながら
隠された悲しみを決して告げないで
戸の外でぐずぐずしながら
あなたの手が自分たちを永久の安息に導かれることを
待ち焦がれているのです
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/may-10-no-convenient-season/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97295です。今日の詩はまさしく彼女の体験に基づくものである。3月1日のブログで紹介した内容がその体験ではないかと思う。くわしくお知りになりたい方はhttp://straysheep-vine-branches.blogspot.jp/2016/03/blog-post.html をあわせてご覧ください。)
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