2016年5月27日金曜日

とこしえに満たされる

メフィボシェテはいつも王の食卓で食事をした。(2サムエル9・13)
彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。(2列王紀25・30)

 キリストにあって、求める魂をほんとうに満足させ、餓える魂が良いもので満たされるのは一時的な供給でなく永続的なものである。「  メフィボシェテはいつも王の食卓で食事をした。」「わたしに来る者」(ヨハネ6・35)は「決して渇くことがない」であって「(過去に)来た者」ではない。「主のもとに来なさい」(1ペテロ2・4)つねに近づき、決して離れないようにということである。なぜなら私たちは「主がいつくしみ深い方であることを味わって」(同2・3)おり、「築き上げられる」(同2・5)者であるからだ。

 もし私たちがほんとうにもっとも完全な意味で王の食卓につく賓客であるなら、すなわち、私たちがキリスト御自身から養われ、真実な本体のいかなる影によっても養われるということがないなら、私たちは満足させられるに違いない。ここに強力な厳しい試練がある。キリストは満足されねばならない。その時、もし私たちが満足していないのなら、それは私たちが全面的にキリストから、またキリストだけで養われていないからである。責任はなされる供給にあるのではない。「守護たちは、ソロモン王の食事の席に連なるすべての者たちのために、食糧を納め、不足させなかった。」(1列王4・27)とあるとおりである。

神はあなたを最後は失望させるために
待ちなさいとは
告げられなかった
黄金の約束、それは完全で偉大なものだ
すぐに朝が暗黒の地平線をふちどり金色に輝くように
あなたの心の願いは実現される
「耐え忍んで主を待て」(詩篇37・7) 

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