2016年5月19日木曜日

度を超える豊かなつぐない

主の御手は、そのしもべたちに知られ(イザヤ66・14)

 「彼らを見る者はみな、彼らが主に祝福された子孫であることを認める。」(イザヤ61・9)それよりももっと多くのことがある。全世界は「あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛されたことを知る」(ヨハネ17・23)「わたしはこうする。・・・わたしがあなたを愛していることを知らせる。」(黙示3・9)。

 このことは私たちが今私たちの父の英知と救い主の愛について世界中が誤解しあっている小さなことに対してもなされる度を超える豊かなつぐないではないか。「彼らは、わたしが主であることを知ろう。」(エゼキエル25・11他)とは全然知らない人に対してだけでない。なぜなら、「その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。」(ヨハネ14・20)とあるからである。

 神の奥義と主の民とキリストとの結びつきの啓示、それはまさにことばで十分言い表わし得ないもので、私たちの心に思い浮かばなかったことである。「私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。」(ホセア6・3)「今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」(1コリント13・12)とパウロも言っている。

そう、信仰によって働き
見えるものによってでなく
わたしの手にしっかりくっつくことです

わたしの愛と力を体験して
満足しなさい
決して頭で理解するのでなく

しばらくあなたの道は続きます
恵みが栄光に成長するまで

そうすれば
わたしが誰であるか
わたしが何をするか
あなたはこれから先知ることでしょう
 

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