なぜ、神はこんな約束をなさるのでしょうか。私たちの古い心が全く邪悪でもはや何ら良いものをこれ以上生み出すことができないからです。その上、私たちに新しい心を与える以外にはどんなものも良くし得ないからです。なぜなら私たちは自分自身で新しい心を作り出すことができません。私たちが試みれば試みるほど、ますます私たちはそれができないことを知るのです。それですから、神はその偉大なあわれみとやさしさをもって「わたしはあなたがたに新しい心を与える」と言われるのです。
なぜなら、もし私たちが新しい心を持っていなければ、私たちは神の国にはいることができません。もちろん見ることさえできません。この賜物がなければ私たちは天の扉が閉められるとき、恐ろしい暗やみの中に放り出されたままでいなければならないのです。古い心と新しい心には大きな違いがあります。古い心は神を恐れ、神を愛しません。そして主がつねに私たちを見ようとされなかったことにはるかにまさって、古い心は主を見ようとはしないのです。
新しい心は神を愛し、神が言われることに信頼し、神がいつも見守っていてくださることを考えるのが大好きです。こんな新しい心を持つとはどんなに幸せで祝福あることでしょうか。すべての神の子どもはそれを受け取ります。なぜなら主がすでに「わたしは彼らに一つの心を与える」(エレミヤ32・39)とおっしゃっていたからです。すなわち全く同じ新しい心です。あなたも新しい心を持ちたくないですか。あなたはそれを得るために主のところに来なければなりません。主は「あなたがたに新しい心を与える」(エゼキエル36・26)と仰りました。
私の心を
あなたに
私の読むことのできない心
それはまことに
不信仰
定まらない
邪悪な心
私は
救い主であるあなたに
今ささげます
落ち着きと
信仰を下さい
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/may-5-not-of-ourselves/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97290です。
※昨日に引き続き、「天と地の二人展」の案内。今日の作品は小早川順子さんの8年前召された夫君宏さんの作品。宏さんはそれよりも何年か前、次男のパリの止宿先で一夏過ごし、セーヌ川をはじめ様々な作品を物されたことがある。
宏さんが皆さんの前で証しされた時があるが、全くユニークで、「聖書は寝転がって昼寝する時に格好の枕として有用であった」とか、その時、殴り書きされた草稿であろうか、それをふところから出そうとされるのだが、行方が知れず「カンぺー」がどうのこうのと証しの中で盛んにモノ探しされる言葉が今も耳朶に残っている。ちなみに「カンぺー」とはカンニングペーパーのことらしかった。
召されてから、順子さんに机を見せてもらったが、秘密の引き出しがあった。幼子のような心を、たいせつにたいせつにされた方だったと思う。今日のハヴァガルの霊想とどこか通ずるものがあるような気がしてならない。
そうだ、今日は「こどもの日」だった。)
私の読むことのできない心
それはまことに
不信仰
定まらない
邪悪な心
私は
救い主であるあなたに
今ささげます
落ち着きと
信仰を下さい
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/may-5-not-of-ourselves/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97290です。
※昨日に引き続き、「天と地の二人展」の案内。今日の作品は小早川順子さんの8年前召された夫君宏さんの作品。宏さんはそれよりも何年か前、次男のパリの止宿先で一夏過ごし、セーヌ川をはじめ様々な作品を物されたことがある。
宏さんが皆さんの前で証しされた時があるが、全くユニークで、「聖書は寝転がって昼寝する時に格好の枕として有用であった」とか、その時、殴り書きされた草稿であろうか、それをふところから出そうとされるのだが、行方が知れず「カンぺー」がどうのこうのと証しの中で盛んにモノ探しされる言葉が今も耳朶に残っている。ちなみに「カンぺー」とはカンニングペーパーのことらしかった。
召されてから、順子さんに机を見せてもらったが、秘密の引き出しがあった。幼子のような心を、たいせつにたいせつにされた方だったと思う。今日のハヴァガルの霊想とどこか通ずるものがあるような気がしてならない。
そうだ、今日は「こどもの日」だった。)
0 件のコメント:
コメントを投稿