2016年5月20日金曜日

主に仕えるのに終りはない


その者が、あなたとあなたの家族を愛し、あなたのもとにいてしあわせなので、「あなたのところから出て行きたくありません。」(申命記15・16)

 ヘブル人の奴隷は六年間主人に仕え、七年目には、もし彼が望むなら自由に出て行くことができました。けれどもその時、その者が、「私は主人を愛しているので・・・あなたのところから出て行きたくありません。」と言うなら、それからは公的にまた合法的に彼は永遠に奴隷としてのしるしを受けました。すべて愛によったのです。彼は言いたいのです。「あなたとあなたの家族を愛し、あなたのもとにいてしあわせなので、『あなたのところから出て行きたくありません。』」

 親愛なる主のしもべである皆さん、このことは私たちの場合にはどのようにあてはめることができるでしょうか。私たちはイエス様から離れたくないのです。なぜなら、私たちは主を愛し、また主の家、霊的な家、信仰の祝福された仲間を愛しているからです。そして私たちは主にあってしあわせではないでしょうか。ほかにどこか幸せなところがありますか。どこに苦しみがともなうでしょうか。主は主のしもべを優遇されなかったですか。もし私たち全部が一斉に声に出して「私は主を愛しています。主とともにいて幸せです。」と言うとすればどんな合唱となることでしょうか。
 
 なぜ私たちは声に出して、人々に主がどんな主人であるか、主のものとされた者が仕えることはどんなに幸せななのか、言わないのですか。もし私たちがそのことを言う一言葉も持っていないなら誰が口に出すでしょうか。私たちの誰もがイエス様とその奉仕のために立ち上がりましょう。恐らく私たちが声に出すとき、私たちは今までにない主の約束の喜びを悟ることでしょう。

 「彼はいつまでもあなたの奴隷となる」(申命記15・17)ということばが話されるのは、しもべが主を愛し、「地上の残された時を、もはや人間の欲望のためで」(1ペテロ4・2)あることをやめ、耳にきりが刺し通されるまではないのです。ただ天国をはるかに見て喜びに躍り上がる愛の心、献身の心にあってなのです。「そのしもべたちは神に仕える」(黙示22・3)とあります。

どれだけ唇は黙り込み
手はことごとく動かず萎えることが
できましょうか
心があなたを見、
あなたを認めるとき 
あなただけが主であり神なのです 

あなた御自身のための歌
私の生涯の音楽
私があなたへ讃美を示すことができるように
私の唇を開いてください
 
そうです
私の全生涯をして
あなたへの一つの讃歌を
ささげさせてください 
そして
唇といのちの讃美を
あらゆる罪と争いの上に
鳴り響かせましょう
 

おお
イエス様、主なるお方
あなたの卓越せるお名前は
天と地にとって
一つの
大きな永遠の主題なのです 

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/may-20-no-retirement-from-his-service/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97305です。今日の詩も難解そのものでした。上掲の絵はがきはハヴァガルの別の詩を載せたもの。そこに語られている語句は簡潔明瞭だが・・・)

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