2016年5月7日土曜日

聖別が必要だ

母の日 紫陽花に寄せる 子のこころ

彼らに油をそそぎ、彼らを祭司職に任命し、彼らを聖別して祭司としてわたしに仕えさせよ。(出エジプト28・41)

 もし、祭司職に関しての旧約聖書の何ヵ所かを見るなら、そのみことばの欄外註が「手を満たし」であることに気づくでしょう。仮にもし私たちの手が「世のこと」で満たされているなら、「イエス・キリストのこと 」(ピリピ2・21)では満たされ得ません。真実なもので満たされるにはそれ以前に空っぽである必要があります。そのように、もし私たちの両手がイエス様のために確保されて来なかったことを悲しく思うなら、先ず最初にへりくだって始め、主に完全に空っぽにしていただくように求めましょう。すると主は完全に満たしてくださいます。なぜなら、空っぽにされていなければならないからです。

 私たちは主のところに喜んで来て、主にその留め金をはずしてもらい、持ち込みつつあった輝かしい重要なものを喜んで捨てるか、それともまさしく愛のうちに主が力づくで手を開かせ、しぶしぶ「この世のもの」をもぎとられるかです。それがあまりにも彼らを支配しているので主はご自身で正当な使用ができないのでそうされるのですが。

 唯一の他の置き換わり得るもの、恐ろしいものがあります。それはやさしい主人でなく容赦しない怒りの王がふるえる両手を空にされる日が来るまで一人で放って置かれることです。私たちの足が忙しい世から出て暗い谷間に踏み出す時にです。なぜなら「何一つ持って出ることもできません。(1テモテ6・7)」ですからです。

すべてのあなたの器を
取り上げてください
おお、栄光の聖め主よ
ことごとく金かすを取り除いてください

それぞれの杯が
あなたの思うように聖くされますように
さらに完全に
さらに神のものとされ
あなたの栄光で満たされ
あなたのために輝きますように

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/may-7-purging-must-come/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97292です。)

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