そのとき、主の使いハガイは、主から使命を受けて、民にこう言った。「わたしは、あなたがたとともにいる。――主の御告げ。――」(ハガイ1・13)
忠実な使者はこれを遣わす者にとって、夏の暑い日の冷たい雪のようだ。彼は主人の心を生き返らせる。(箴言25・13)
私たちは全員が王様の大使であるようには召されてはいません。しかし、救いのメッセージを聞いた者はどんな者も主の使者であるように召されています。主が私たちに日々機会を与えてくださる時、私たちは人々に主のメッセージをお伝えするのです。
そのメッセージとは、ハガイに約束されたように「わたしは、あなたがたとともにいる」でした。ご自身の民に対するこの一つの使信を述べ伝え分かち合うことは、いかなる人生にあっても十分な働きではないでしょうか。ですから、依然として遠く離れている人々にとっても私たちは主からゆだねられているその公平でかつ完全な使信を携えているのです。主はその使信を一語で「来なさい」と言うことば※に要約されました。
そうです。私たちはイエス様のために一つのことばを持っています。
私たちはあなたに包み隠すことなく話します。大胆にして忠実なあなたの兵士です。
救い主である尊いお方、私たちはあなたのお名前にあって旗をかかげたいのです。
そうすれば、あなたご自身の旗が上にひらめくことでしょう。
あなたの「喜び」という深紅のお名前と、金色に輝く「愛」というお名前をともなって。
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/january-16-even-you-are-a-messenger/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97180です。※ハヴァガルの胸中にあるのは「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」マタイ11・28であろう。今朝のスポルジョンの霊想には罪人である私たちに、これでもかこれでもかというまでに愛を尽くされた主のみわざが述べられていた。そのキーワードはイザヤ書41・14のI will help thee, saith the Lord.であった。併せて味わいたい。それにしても昨日の碓氷峠のバス転落の事故は悲惨だ。私自身もこの20数年間、しかも一年に何度もこの道路を路線バスに乗り、軽井沢・横川間を往復している。現代日本の縮図のような要素を多分に持つ事故だ。それでも「死は終わりではない」というメッセージをお伝えしたい。あたら若くして事故にあった方々にとって、それでなければ不公平というものではないか。)
2016年1月16日土曜日
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