古利根川の川縁※ |
私はあなたのために、勧告と知識についての三十句を書いたではないか。(箴言22・20)
もし私にあなたに伝えたい特別な何かがあり、私の声でもって話す代わりに一枚の紙に書き下ろし、あなたに見てもらおうと渡したのなら、それはまるで私の唇で話したのと全く同じなのではないでしょうか。そして、あなたはその紙を手に取り、私が言ったことが何であるかを一生懸命にその紙から読みとることでしょう。
そのように今日、あなたが聖書を読む時、一人であっても家族と一緒であってもイエス様がその中で何を仰ろうとなさっているかを読みとりなさい。そうすれば、あなたは決して空しく眺めることはないでしょう。あなたは家に帰ったように、またそれまで全く注意していなかったあることばを発見することでしょう。
ああ、愛情ある心でその声に耳を傾けなさい。なぜなら、それは主があなたに話しておられることですから。いや、それどころか、もしあなたがほんとうに主からのみことばを待ち望み欲しているなら、興味をそそる文章があなたの心に入り、そのことについて考えたことをさらに知りたいと思うことでしょう。
それがイエス様があなたに語りかけられる声なのです。耳を傾け、心に銘記し、従いなさい。そしてそれからなおも主があなたに語りかけられることが他にないか注意しなさい。主に言いなさい。「主よ、お話ください」(ルカ7・40)と。
しかし、私が眠るために横たわり待っていたように
それはすでに求められていたのだ。私の指環(※1)のそばに置かれた聖書
そっと開かれた頁を一瞥するように私を誘うかのようだ
あなたの愛にあふれた御霊は一瞥では導かず、
求められたことのない力あることばへと向かっていった
「あの方は汝の主なり」きわめて単純に、しかも力強い
その上、すべてを包み込む。ああそれで十分だった。
すべての霧を追い払い、いのちを花とするのに(※2)。
(※昨日、友人のAさんを訪ねた帰り道、倉松川で「かわせみ」を初めて見た。背中が青く、胸は橙色であった。思わず自転車を止めてやおらiPhoneを取り出そうとしたが、その束の間に対岸に飛び去ってしまった。渓流の翡翠と称されるようだが、まさしくそうだ。宝物に出会った思いだった。脳裏に焼きつけて帰って来た。写真はそれとは全く異なる別の大きな川、古利根川の昨日の風景である。
今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/january-23-he-speaks-to-you/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97187である。原文中(※1)my band (※2)To chase away all mists and Blooms of life はそれぞれ上述のように訳したが自信がない。
ハヴァガルは並外れた才能の持ち主であったが、同時に時代の子であり恵まれた環境の子であった。 母は「愛らしいジェイン・ヘッド」と綽名された人であった。また父は有能な説教者であったことはもちろんのこと、能力があり、よく訓練され、賛美歌に精通した音楽家であり、何百という聖歌や礼拝曲の作曲家であり、かつ海外宣教の熱心な支援者であった。彼らの家族は幸せであった。その家庭は祈りと聖句を探求することにおいての模範であり、活力に満ち、その生活は敬虔さで彩られていた。)
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