2016年1月25日月曜日

彼のものは私たちのものであるということ

牛久市中央生涯学習センター※

わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。(ヨハネ15・5)

 なぜ、樹液はぶどうの木から枝へ流れるのか。簡単に言えば、枝がぶどうの木につながっているからだ。それで樹液がその性質の法則そのものによって流れ込むのだ。

 それと同じように、信仰によって私たちが主イエスに結びつけられていれば、主イエスのものである樹液は私たちのものとなり、霊的ないのちの法則そのものによって私たちの内に流れ込むのだ。もし妨害がなければまことに川のように流れるであろう。では、そのような賜物が流入するために、あらゆる障害を除去するには、どのように熱心に求めるべきなのだろうか。

 主がその道筋を明らかにしてくださり、あらゆる不信仰、あらゆる自我、流れの中に隠されているあらゆる目詰まりを除去してくださるように祈ろう。そうすれば七倍の祝福が与えられるであろう。主の平安、主の喜び、主の愛は、直ちにそして常に、また今からとこしえに与えられる。天を目ざす旅に必要とする主の恵み、そして主の力、さらには主とともにとこしえに崇高で甘美な生活を味わうための主の安息と主の栄光が与えられる。

私たちの救い主イエス・キリストの父なる神に祝福がありますように

誰か、このような、数え上げることもできず、また金額であらわし得ないほどの、ありとあらゆる祝福をもって私たちを祝福した者があったでしょうか

私たちの気高くも聖なる召しと私たちへの力強い救いは

あなたに向かう、絶えることのない讃美、絶対的な恵みをほどこされる神の中心となりましょう。

(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/january-25-what-is-his-is-ours/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/print-friendly/lxpf-la-97189です。

 フランシスは落胆したり敗北感を味わって「野卑な喜び」に浸っている時でも、早くからクリスチャンになることが人生のもっとも望ましいことだと確信していた。彼女は後年、自分の幼い頃の霊的な体験を率直に語った。その経験が明らかになる時、他の人の手助けになるかも知れないと思ったからだが、当時はそのことについて誰か他の人に一言でも話するなら、「サンスクリット語を話していると思われた」ほどだった。
 このことを黙っていたために彼女はよく誤解された。姉妹達でさえ、この彼女の内的な葛藤を知らなかった。彼女の生まれつきの陽気な性格により、部屋の中で泣き崩れていても、陽気に笑い転げたり、突然快活になって階段を上り下りできたからだった。

 ※昨日は今冬もっとも寒い日となったが、関東はどこも空は晴れ渡っていたようだ。自然は豊かでないが、会館を出て眼前に見えるこの設計空間はなぜか気にいっている。「ぶどうの木 つながる枝の 豊かさよ 小なるとも 互い覚ゆる」)

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