2016年1月6日水曜日

朽ちない実

年賀状2
わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり・・・(ヨハネ15・16)

 果実には長持ちしないものがある。梨やりんごなどのように翌年まで保存できるものがあるが、すぐ食べてしまわなければならないものもある。クリスチャンの働きにおいても成果が永続しないものがある。このような働きは、人を喜ばせ人を教化する力はあったとしても、世の権威や教会の立場に永久的な影響を与えることはできない。

 いっぽう、幾世紀もまた永久にその影響を残す働きがあって、その中には神の力がいつでも感じられる。使徒パウロがこの二つの型の教役者について述べたとき、その成果について「私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行なわれたものではなく、御霊と御力の現われでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。」(1コリント2・4〜5)と語っている。人が知恵と力とを持てば持つほど安定性を失うものである。それに引き換え、神の御霊に従えば従うほど神の力への信頼が確立されていくのである。

 果実を見るとその木の性質がわかるものである。朽ちない実を結ぶ秘密は何であろうか。もしも私たちのいのちがキリストにつながっているならば、私たちの結ぶ実は朽ちないでいつまでも残るに違いない。私たち人間の意志と努力とに関係のあるすべてが、天の農夫の手によって切り取られれば切り取られるほど、また神が聖霊によって私たちの中でみわざを行なわれるために、私たちが自らの存在を外に現わさないようにすればするほど、私たちはさらに全面的にキリストにつながり、私たちの結ぶ実はいつまでも朽ちることがないであろう。

 キリストが私たちを選ばれたのである。私たちに実を結ぶようにお命じになったのである。そして私たちの実が朽ちないようにと望んでおられるのだ。キリストが恵みによって私たちを選ばれた目的を深く理解すればするほど、永遠からの目的と永遠への成果とのつながりを私たちはさらによく悟ることができる。その目的は主のものである。主が成し遂げられる。成果は主のものである。主がそれをもたらされる。

 キリストの福音のために働いている人は、まず何よりも静かに自らの周囲に永遠の足跡を残しているかどうかを点検してみようではないか。あなたの説教や証し、あなたの意志の力や影響力がこれを成し遂げるのではない。すべてはあなたの生活と神と神の力によって満たされているかどうかにかかっているのである。そしてまた、あなたがほんとうに枝にふさわしい生活、すなわちキリストとの破れることのない交わりをしているかどうかにかかっているのだ。

 聖なる主よ。あなたが、実を結ばせるために私たちをお選びになったことを、どうか私たちにお示しください。あなたの目的が実現されることを確信させてください。あなたが私たちをお選びになりました。これを私たちの力とし、あなたのためにすべてを捨て、私たちをあなたのものとさせてください。あなたのお始めになったことは、あなたはご自身で完成なさいます。私たちを愛と永遠の目的の確かさの中に住まわせ、それによって永遠の力が私たちを支配し、私たちのならせる実がいつまでも残るようにしてください。

祈り
「 『あなたがたが実を結ぶように』とあなたは言われました。天のぶどうの木よ。私の心に、実、しかももっと多くの実、豊かな、朽ちない実が、あなたが私にお与えにならなければならないただ一つのものであり、枝として私があなたに差し上げなければならないただ一つのものであることがようやくわかり始めました。聖なる主よ。私はここにおります。私の中であなたの目的を成し遂げてください。あなたの栄光のため、多くの実を、いつまでも朽ちない実を私に結ばせてください。アーメン」。

(『まことのぶどうの木』アンドリュー・マーレー著安部赳夫訳136〜140頁より引用。)

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