主は彼の前を通り過ぎるとき、宣言された。「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み(出エジプト34・6)
神のみことばはどれ一つとっても大なり小なり、明白なご自身の啓示であります。このことを理解しないと、みことばを見失うばかりです。もし、主の御霊が私たちの目を開いて理解させなければ、歴史的な個所は単なる歴史として、また預言的な個所も単なる預言として、それに教理的な個所も同じく教理として読むだけで、いたるところで暗いガラスを通して輝く神の幻を見失う可能性がどれほどあるか知らないことでしょう!
そして神ご自身を記録されたみわざや方法を跡づける時でさえ、どれほどしょっちゅ私たちがこれこそ神様のご性質や態度だと思っていることにおいて私たち自身の閉じた個人的な関心を思い出すという個人的に安易な過ちを犯すことでしょうか。私は創世記の初めから黙示録の22章の終りにいたるまで、この美しい小さなともしびの光を反映しないわずか一章でさえあるかどうか疑問に思います。
あなたの凝視が主が愛なるお方として啓示されている約束に向けられるか、それとも主が正しく聖いお方として啓示されている警告に向けられているか。すなわち、数世紀を整序するにあたり、主の壮大な支配を啓示する歴史を読むか、それとも時の転換についてのご自身の微細な介入を示す章句を読んで「この方こそ私たちの神です」(詩篇48・14)と言って称賛するかです。
あなたは「神は私たちの知りえない大きなことをされる」(ヨブ37・5)ことを読み、主の書物のすばらしい多様性をとおしてあなたがたくさんの何百万年という年々にまたがる星々から「雪の倉」(ヨブ38・22)にあり、束の間に消えていく薄片にいたるまでの、目に見える万物を治められる偉大な力と栄光を一瞥する時、「この方こそ私たちの神です」(詩篇48・14)と言いなさい。
聖さのうちに栄光あり、讃美のうちに恐れありて
誰かあなたを恐れないでしょうか、大声で叫ばないでしょうか。
栄光あるあなたの全宇宙の讃美は沸き上がります、
聖にして無窮なるお方! 父にして神なるお方!
(今日の箇所はhttp://bibletruthpublishers.com/january-12-make-it-personal/frances-ridley-havergal/opened-treasures/f-r-havergal/la97176です。標題の原語はMake it personalでしたが、「あなたの神様」と意訳してしまいました。その他、文中には訳しづらい所が沢山出てきました。ご検討ください。今朝は空から、「雪の倉」からでしょう、薄片が舞い降りて来、ちょっぴり「白」を味わうことができました。それだけ上空は冷えているのでしょう。皆様、からだにお気をつけてください。)
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