|
チロリアン ランプ可憐に 塀(へい)つたう |
ちょうど一週間前、妻と散歩する時、この「塀につたっている草花」を見た。それこそ3、40年はこの前は通っているので、この景色は初めてではない。でもこの時ばかりは何となく美しく感じて写真に撮った。同行者が妻だったからなのかも知れない。彼女は大の花好きで、美術愛好家である。この図柄は絵になっていると言った。問題は花の名前である。ずっとわからなかった。それが昨晩の夕食準備の時、天啓のごとく「チロリアン」だと言い出した。早速私がネットで調べたら、まさに「チロリアンランプ」という草花であった。
五七五の定型句を考える段に及んで、心は自然と『オネシモ物語』に飛んだ。
なぜなら、昨日の『オネシモ物語』からの引用は、「エイレーネが地震の恐怖の中、探しに来てくれたオネシモにしがみついた」ところで終わっていたからである。が、実はそのあとが悲惨だからである。その地震でエイレーネの父ポレモンは亡くなった。もともと彼は我利我利亡者であり、オネシモは娘と違いその父は快くは思っていなかった。そのポレモンから羊毛の売上代金として農場管理人グラウコスが受け取った金を、本来は護衛として主人ピレモンから仕事をまかされていた奴隷オネシモが地震のどさくさ紛れに乗じて奪う。
オネシモにとってお金は自らが奴隷状態を脱するために何よりも必要なものであった。そして奴隷から解放されれば、好きなエイレーネとも結婚できると思ったのだろう。それだけでなく様々な形で奴隷であるがゆえに受けてきた差別・屈従もいっぺんに解決されるはずである。急坂を転がり落ちるようにしてというか、彼の逃亡は主人ピレモンの羈絆(きはん)を離れて進みに進む。その中には2/11『花の生涯』下で紹介した一ブリトン人と剣闘士としての出会いがある。
http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/02/blog-post_11.htmlそうしてとうとう物語はローマで投獄されているパウロとの交わりへと話は進む。以下『オネシモ物語』の二十一話にあたる本文をそのまま紹介しよう。同書225頁より
オネシモは、パウロとテモテといっしょにそまつな食事をした。それからゆかの暗いところに座って顔をかくし、パウロにことごとく打ち明けた。
アルキポに対するにくしみ、エペソでの復しゅう、数年におよぶ盗み、そしてついにラオデキヤで金をうばってにげたこと、闘技場で友人を殺したこと、そして最後に死に対する恐怖のことまで話した。一度話しはじめると、いつまでもやめられない気がした。その夜、みじめな彼の心に閉じこめていたいかりやうらみ、そしてあらゆるきたないものが、黒い血のように流れ出した。テモテはつかれて、横になってねていた。しかしパウロとオネシモは話し続けた。
望みがあるでしょうか。ゆるしがあるでしょうか。ぼくはキリストを何年もの間こばんで、自由になりたいためにこんなに落ちぶれてしまいましたが、キリストはあわれみを与えてくださるでしょうか。
彼はいくどもこの質問をくり返した。パウロは、キリストの十字架とそれが与えるすべてのことを熱心に長い時間をかけて話した。
「キリストはあなたを責めたてている罪の証書を無効にできるのです。ちょうど十字架にくぎづけにしたように、その証書を取りのけてくださいます。あなたは信仰によって義と認められ、神との平和を持つことができます。よくわかっていますよ。わたしも同じ道を歩んで来ました。ステパノが殉教者として死ぬのを見ながら、わたしはそれに賛成して石打ちをする人の着物の番をしていました。わたしは良心の呵責(かしゃく)も知っています。でもわたしがどんなふうにキリストとお会いしたか話しましょう。」
パウロが話し終わったとき、そろそろ朝になりかけていた。オネシモは心をうばわれたようにひたすら聴き入っていた。自分は、何とひどく、とげのついた棒をけって、自分に傷をつけて来たことだろうか。
番兵がねむりからさめた。オネシモは目を上げると、部屋の格子をとおしてしのびこむ朝の光を見た。そして、まるで自分が再び生まれ変わって、新しく美しい世界にいる小さな子どものような気がした。今や重荷は永遠に取り去られた。彼は罪をゆるされた喜びのあまり、次にどうしたらよいかなどということは考えもしなかった。しばらくの間は、キリストのもとに行き、キリストが受け入れてくださったことだけで十分であった。
さらに最終章である第二十三話の終末部分を転写する(同書246頁より)
まことに、あなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな手を打ち鳴らす。(旧約聖書 イザヤ書55章12節)
このことばは、数世紀前に書かれたものであった。しかし、オネシモのように、こんな喜びをもってまだほの暗い夏の朝を出て行った者がいるだろうか。
道はとび去るようにすぎて行った。彼はラオデキヤの門を歩きながら、すぐる三年の間になされた再建のわざにおどろいていた。破壊されてがれきの山であった通りは、今や整然として、そこに美しい建物が建てられはじめていた。ローマは、災害を受けたこの町に援助を申し出たとうわさされていた。しかし、ラオデキヤの市民は、何もかも自分たちのお金でまかない、ほこらしげに答えたという。
「われわれは豊かで、財産はふえているので、必要なものはありません」と。
彼がすでに再建されたヒエラポリスの門にたどりついたとき、とつぜんくぎづけになったように足をとめた。エイレーネが、町に向かう坂をゆっくり歩いて登って来るところであった。両手とスカートには、三、四人の小さな子どもがまつわりついていた。
太陽が東の高台をくっきりさせてのぼり、その最初の光を子どもたちに向けてふりそそいだ。そして、あたりの花々は、ちょうどエイレーネを見上げるように花びらを開いていた。銀色のつゆがまだたくさん草におりたままである。
彼は門のところで考えた。
「エデンの園のはじめの朝もこんなだったかもしれない。」
「あっ、だれかが待っている!」
子どもの一人が言った。
彼女はすばやく目を上げた。ほおが赤くそまり、目はかがやいていたが、それほどおどろいたようすはなかった。ある意味で、彼はずっと彼女のところにいたのだ。彼女は歩調を早め、彼に向かってまっすぐ歩いて行った。子どもたちは、つゆをふくんだ草の上に小さな足あとをつけて彼女を追いかけた。
「エイレーネさん、おはよう。」彼はやさしく言った。「ぼくは約束を守ってあなたのところに帰って来ました。自由人として、またキリストに従う者として。」
エイレーネはオネシモを見上げた。その顔は朝の光のようにまぶしかった。
「あなたがいらっしゃることはわかっていましたわ。」
そして子どもたちを自分たちのまわりに引きよせると、町に背を向け、手に手を取って、日の出のかがやくヒエラポリスの丘に向かって行った。
このような美しい場面で、この250頁ほどの『オネシモ物語』は閉じる。新約聖書の使徒の働きやパウロの手紙を参考にした作者の創作であるが、トルコ西部にあたるラオデキヤ地方を襲った地震と再建についてもほんの少しだが触れられていた。でも主題はあくまでも奴隷オネシモが、自らが「私は生きている死者です」と、自らが奴隷である以前に罪の奴隷であり、同時に死の恐怖にある者だと認めるところにあるのではないだろうか。
私が生意気にも一トルコ人の方の苦悩を交えた「私は生きている死者なのです」とおっしゃったことばを取り上げさせていただいたのは、たまたま前回と今回とに述べさせていただいた『オネシモ物語』を読んでいたので、その絶望は、イエス様のところに、すなわち人の罪の身代わりに十字架にかかられたイエス様のところに持っていけば希望に変わるのではないかと思ったからです。「生きている死者」とは、生きていてももはや自分には生きる力がないという絶望を指す言葉です。オネシモがパウロのところに行って告白した内容はまさしくそれだったのです。罪にがんじがらめにしばられて自分ではどうすることもできない絶望だったのです。
あわせてお読みいただきお考えいただきますれば幸いです。