2023年2月11日土曜日

『花の生涯』(下)

埋木舎前の中堀と櫓のある城門
 写真の左にのぞいている樹木の辺りが、「埋木舎」であり、今も旧跡をとどめている。直弼が埋木舎に住んだのは天保2年(1831年)が初めであるから、およそ今から200年ほど前、直弼はここに長野主膳を迎え、武道に国学にとその修練を全うしながら、青雲を志していたことになる。

 城とはいかなるものであろう。彦根城は元和8年(1622年)築城相成ったから、今日まで都合400年になり、直弼はその折り返し点になる200年目に、この中堀と城門を目にしながら内堀内にある本丸にも参上したのだろう。不思議とこの城は、井伊家が譜代大名であったために江戸幕府誕生とほぼ同時にスタートし、明治維新期や、第二次世界大戦の戦時をくぐりぬけ、今日まで無傷(?)で生き延び、往時の姿を今に伝えている。

 それにしても直弼の最後は哀れである。私は彼の人生とは何だったのだろうかと時々考える。その国学の師長野主膳は結局、文久2(1862年)年8月27日に直弼に遅れること2年して四十九町牢舎内で「井伊家に死と災いをもたらした」と彦根藩内で断罪され、討ち捨てにされた。

 野口武彦氏は『巨人伝説』という作品の中で、この時の惨死を前にした主膳の思いを次のように作中で語らせている。(同書406頁)

「神よ。お願いですから教えて下さい。・・・私は・・・宣長を幽界の巨人、主君直弼候を顕界の巨人と仰ぎ、国の政治を執り行い、悪き業をする族を神遣らいにやらって参りました。しかるに主君は非業の最期を遂げ、私も縲絏(るいせつ)の辱めを受けております。あなたはかかるマガツビの荒らびをお許しになるのでしょうか。私が虫けらのように殺されるのも、人智では測り知られぬ神慮の中にあるのでしょうか」
 国学の神は沈黙したきり答えなかった。
 このままでは死にきれない。主膳は牢舎の荒畳に正座し、眼を血走らせ、脂汗を流して不眠不休で考え抜いた。疲労困憊の極で、暗闇にポッと小さな灯が点じられたように『古事記伝』の一節が記憶の底から浮かんできた。「神に御霊あるごとく、凡人といえども、ほどほどに霊ありて、そは死ぬれば黄泉の国に去るといえども、なおこの世にも留まりて、福をも禍をもなすこと、神に同じ」という語句である。これだ! これぞまさしく主膳がすがりつくべき啓示の一言だった。

 こうして長野主膳が来世は荒魂となって生きると覚悟してその刑を受けたと描写しておられる。私はこの文章を読みながら、キリストの死とそれにあずかるキリストを信ずる者の死生観のちがいを改めて考えざるを得なかった。そして、今たまたま手にした一つの書物『オネシモ物語ーー二度目の解放ーー』に書かれていた次のシーンを思った。(同書207頁)

 オネシモは相手の胸から短剣を引きぬくと、本能のままに心臓めがけてもう一度つきさした。はげしいさけび声はまったく聞かれなかった。彼は死にかけている友人を痛々しくたった一人で見おろしていた。ブリトン人は、その気になればいとも簡単に自分を殺せたはずだ。青い目がもう一度彼をまっすぐに見つめていた。その目は、これまでと同じように忍耐強く、悲しみとやさしさの表情だけをうかべていて、そこには何のいかりもうらみもなかった。
 「ポンポニアさまのあわれみの神に。」
 彼はささやくように言うと、血のしみこんだ砂の上でくずれるようにたおれた。ブリトン人は天の故郷に帰ってしまったのだ。

 この場面はネロ皇帝の円形演技場での剣闘士同士が闘わされ、その様を見て喜ぶ場面で起きた出来事だ。オネシモは短剣、ブリトン人は剣を与えられていた。オネシモは剣闘士仲間の中で唯一親しみを覚えたのがこのブリトン人であった。その親友同士が物見遊山のために駆り出された結果がこのシーンであった。

 すでに昨日も紹介したように、直弼はその登城中の駕籠の中で理不尽な自己の死が迫ってきたことに対して「憎悪、義憤」を感じたことが舟橋聖一により『花の生涯』で語られていた。先ほどは長野主膳の無念な彦根藩内での処刑に臨んだ死を前にした述懐を野口武彦氏は創作であろうが語らせている。そして、今私が紹介したこの円形演技場ではブリトン人は当然オネシモに「いかり」「うらみ」を持つべき場面である。なぜブリトン人はそうしなかったのだろうか。それを明らかに示す記事がブリトン人がオネシモと親しくなり始めた時にオネシモにもらした次のことばがヒントを与えてくれている。(同書200頁)

「ぼくの国では、人々はかみなりと戦争の神々を礼拝している。闘技場でぼくは、その神々に向かってさけぶ。でも女主人のポンポニアさまは、あわれみと平和と愛の神を礼拝しておられた。その神は、ユダヤ人も異邦人も、つながれている者も自由人も、男も女も、大人も子どももことごとく自分のもとに来なさいと呼んでおられる。もしぼくが明日死ぬなら、ポンポニアさまの神に、ぼくの霊をゆだねるよ。」

 いかがでしょうか。「人は石垣、人は城、人は堀」と武田信玄は言いましたが、その人が死に対して持つ考え方はこのようにちがうのです。『花の生涯』を60年ぶりに拝見した感謝と私のそれにまつわる思いをまとめてみました。

イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたのです。(新約聖書 ヘブル人への手紙2章9節)

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