2026年3月4日水曜日

83歳の誕生日


 長女も妻も五人の子宝に恵まれた。当方はいつの間にか83歳になった。先月のことだ。その長女が忙しい合間を縫って、私どものところに遠路出かけてきて誕生ケーキを(子どもたちを代表して)つくり祝ってくれた。全てケーキ材料は持ち込みだ。その上、80歳になって、すっかり衰えてしまった妻にも、ケーキ制作の作業を手伝わせて一体感の醸成につとめてくれた。かつて彼らの子ども時代、私たちはこんなふうにして誕生日を祝ったことがあっただろうか。何らかのお祝いをしたことは確かだと思うが、二人ともすっかりそのことは忘れてしまった。

 ローソク3本は言うまでもなく、83の3だが、ローソクの灯を消して、ハッピーバースデイを歌われた。そうされても素直に感謝することを心から表さなかった気がする(そこには照れ隠しもあるが)。そう言えば、私の誕生日は2月7日だが、翌日に次女の一人娘が2歳の誕生日を迎えた。この2歳の彼女にとって、両親に命ぜられるまま、ローソクの灯を消すことは一大イベントの感がした。なぜなら、送られてきた動画を見ると、家族の祝福に包まれた孫娘の新鮮な驚きと家族の表現しようのない喜びが伝わってきたからである。83歳の私と2歳の孫娘とでは誕生日の意味合いは異なり、2歳の孫娘には未来の希望が託されているような感がした。

 ところで妻は80歳、私は83歳。このコンビで五十六年間一つの家庭を築かせていただいてきたが、もうかれこれ、過去二十余年のうちにそれぞれ子どもたちは巣立ち、それぞれの家庭を建設している。そして私は「もうすっかり歳を取って、何も出来ませんわ」と思うだけだったが、聖書記事を読んでいて、そんなことはないよ、と励ましをいただいた想いがした。それは出エジプト記の次の記述だ。

主はモーセに仰られた。「見よ。わたしはあなたをパロに対して神とし、あなたの兄アロンはあなたの預言者となる。あなたはわたしの命じることを、みな、告げなければならない。・・・」そこでモーセとアロンはそうした。主が彼らに命じられたとおりにした。彼らがパロに語ったとき、モーセは80歳、アロンは83歳であった。(旧約聖書 出エジプト記7章1〜2、6〜7節)

 パロとは当時絶頂を極めるエジプトの王だ。その王の支配下にいたのが奴隷として酷使されていたイスラエル人であった。その解放者として神様の命(めい)を受けて立ったのがモーセその人である。それは「一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた」(すなわち、それはとりも直さず「私」のことだが・・・)人々を解放するために、人となってきてくださったイエス・キリストの型としてのモーセの姿であったのでないか。

 同じ83歳と80歳のコンビと言えど、この先、神様に用いられたアロンとモーセの如く生きていけるとは間違っても思わないけれど、そうして現に神様のために労したアロンとモーセがいたことだけでも心の片隅に覚えていたいと思わされた。

そこで、子たち(人のこと)はみな血と肉とを持っているので、主(イエス・キリスト)もまた同じように、これらのものをお持ちになりました(人として誕生された)。これは、その死(人の神様に背く罪の罰である十字架の死を身代わりに受けること)によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。(新約聖書 ヘブル2章14〜15節)

2026年1月7日水曜日

一枚の年賀状の示す真実

by k.yoshioka
 年賀状は今や流行(はや)らない。しかし、年賀状はやはり捨てがたい。一年に一回、その人の存在に触れることができるし、ある場合にはその人が今考えていることに直(じか)に触れることができる。だから、この形のやり取りは今後も続けることになるだろう。

 さて、昨年末、2025年の古利根川の散歩納めを記念する思いで、土手を歩いていた。その歩き慣れている土手で、二、三回つまずき、ヒヤッとした記憶がある。次にはつまずくまいと思いながらも、忘れた頃にはまたつまずいている。そして大体、つまずくところはほぼ同じ場所である。だから、歩き納めの場所としてその場所を特に念入りに眺めながら歩いてみた。すると、小石が想像する以上にたくさんあることに気づいた。その中にとんがった石があり、それを避けきれずにつまずいているのである。目の前に見える道は凹凸のある歩きにくい道である。それは連綿として続く私たちの実人生の姿を象徴していると思わずにはいられなかった。

 そして、心のうちに、昨年末、示されていたみことばを想起していた。そのみことばは以下のものであった。

主の道は平らだ。正しい者はこれを歩み、そむく者はこれにつまずく。(旧約聖書 ホセア14:9)

 そうか、私にとって凹凸に見える道は、主いませば平らなのだ。問題は私自身が主にそむいた結果つまずくんだ。そうだ、これからはそむかないで主から我が人生を受け止め歩んでいきたいと思って、年を越した。それゆえ、新年、特に年頭にあたり示されるみことばを強いて求めなかった。

 そんな折り、一枚の年賀状に私の心の琴線がギュッと掴み取られた。今日の絵は、その年賀状に描かれていた作品であるが、次のみことばの前半部が同時に並記されてあった。

私は開かれた天を見た。見よ。白い馬がいる。 それに乗った方は、「忠実また真実。」と呼ばれる方であり、義をもってさばきをし、戦いをされる。(黙示録19:11)

 黙示録は新約聖書の最後、したがって旧約聖書をふくむ66巻からなる全聖書の最後に位置する書である。その書には次のみことばがある。

この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。(黙示録1:3)

まさにこの通りである。2016年に召されたベック兄はこの白い馬に乗られたお方がイエス様であると言い、次のように言っておられる(※)。

最初に地上に来られた時、イエス様は、人の姿をとってへりくだって来られました。しかし、再び来られる時には、栄光につつまれて来られます。かつてはみどりごとして来られましたが、再び来られる時には、馬に乗って来られます。かつては貧しい人の姿で来られましたが、富と栄光に満ちた方として来られます。また、かつては罪をになう犠牲の小羊として来られましたが、罪のさばき主として、獅子のように来られます。かつてはほふり場に引かれて行く小羊として来られましたが、再び来られるときには、勝利者として、また権威あるお方として来られます。(『すぐに起こるはずのこと』第4巻145頁)

 今年も幕開けから、大変な事態(無法、地震)が次から次へと起こっている。目の前の事象に振り回されず、素直に白い馬に乗り再臨されるお方に従う一日一日でありたいと思う。今日読んだみことばに次の聖句があった。つまずかない秘訣は白い馬に乗られる方に従うか従わないかにあると友の年賀状を通して思い定めた。

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/08/blog-post_23.html

私は、口のあやまちをしまいと心がけました。人としての行ないについては、あなたのくちびるのことばによりました。私は無法な者の道を避けました。私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。(旧約聖書 詩篇17篇3〜4節)

2025年12月30日火曜日

小学校教育の重要さ

写生大会参加 昭和26年(1951年)彦根市護国神社前(※1)
 前回、同郷の誼(よしみ)である妻との会話を話題にしたが、この機会にふとしたことを75年ぶりに思い出した。それは高宮小学校一年生の時の担任の先生が二年生の時持ち上がらず(普通は一年、二年と持ち上がるのが通例であるのに、その先生は何と妻の入学する予定の隣の町の甲良東小学校へと転勤して行ったのだが)、そのために別の先生に変わったことである。その時の漠然とした不安を思い出したのだ。しかし、それが束の間に終わったことも同時に思い出した。いや逆に私はその新たに担任となった先生に二年どころか三年、四年と都合三年間受け持ってもらって、今にして思うが、終生の私の恩師となった。その先生とは森千恵子先生であった。

 母は一人息子の私を何とか一人前の人間として養育したいと考えていたのだろう。情操教育の一つとして絵画を選び習わせた(母は音楽がからきし駄目だったので、絵なら自分も何とか相手できるのでないかと考えて)。小学校に入る直前だと思うが、絵の先生のもとへ習いにやらせた。そこで初めて与えられた題材は高宮神社の境内の「森」を描くことであった。目の前に見える森の緑、一面緑一色の森、土や樹木の茶色を前にして私は一瞬どのように表現するか困った、しかしそれ以上に表現する楽しさに埋没していった記憶がある。そして、私が不安を抱いた二年生の担任が何とその森先生であった。

 森先生は私にとって名伯楽であった。二年生から四年生の間、私はこの先生の図工教室に放課後になると入り浸り、クレヨンではあるが、絵を一心不乱、無心に描いた(※2)。当時、郡展、県展とあり、その先、全国規模の絵の展覧会があったが、いずれも突破して入賞した。アンデルセンの童話をもとに、アヒルの絵や近くの牛小屋にいる牛の姿を描いてはそれぞれ入賞し、当時の小学校学年雑誌の後ろにもその作品が載せられたことがある。頂点は四年生の時、森永母の日を記念する展覧会で金賞をいただいたことだ。母が台所で井戸のつるべから水を汲み大根を洗っているシーンを描いた作品である(※3)。この時、その森先生と一緒に作品を送る荷造りを済ませたことは昨日の如くしっかり覚えている。

 この期間、母は教育熱心で、絵だけでなく、当時盛んに奨励されていた、「研究発表」にも私を駆り立てた。柿の種類ごとに異なる生育を調べる研究であった。この研究も県レベルまで行った。それやこれやで昔はその表彰式が全校集会で行われるが、その都度私の名前が呼ばれては褒美をもらうのであり、副賞が素晴らしかった。メダルはもちろんのこと本箱などがあった。当然、皆に羨ましがられた。「ひいき」「ひいき」と同級生にも言われて、特に口さがない父兄からの声には正直参った。確かにその面があったからである。そのような中で母と森先生はそれぞれ、私を支えてくれた。母は生身の人間として様々な思いを私にぶつけてきたが、森先生はそんな母を上手に相手しながら、私の「人格」を擁護して感情的にならず導いてくださった。後年、母が亡くなり大学受験に失敗した私は、八百屋さんの店頭で、買い物かごをさげ、決して先生には見せたくなかった惨めな自分の姿を曝け出しながら、森先生と小学校卒業以来6、7年ぶりにお会いし、短い会話を交わさせていただいた。この時が先生との生前の最後の別れとなった。

 そのような私も五年六年と担任も森先生から別の先生に代わるだけでなく、私自身がそれまでの喜びをもって無我夢中で描いた絵から、何としても上手に描きたいという思いが高じてきたり、また新たな転校生がやってきて彼の描く宇宙人を思わせる空想画に太刀打ちができなくなった。ちょうどクレヨンから絵の具への転換時期が重なり、私はもはや絵を描かなくなった。辛うじて小学校卒業のおり、教頭先生が書いてくださった色紙の「浩さんは将来絵描きになりますか、それとも科学者になりますか」という命題が残るのみであった。

 私は絵の世界は無理、科学者の世界ならコツコツと努力すれば可能なのではないかと考え、中学、高校と一路その方面に舵を切り変えた。振り返ってみると教頭先生の過分な餞(はなむけ)の言葉はそれ以後の私の人生の指針になった思いがする。

 先ごろ東京新聞朝刊の12月9日の記事に「小学校教員離れが加速」というショッキングなニュースが報じられていた。日本政治の右傾化が急速に進む中、他方で子どもたちの未来の可能性を切り開く先生のなり手がいないというこの矛盾も看過できないと思う。私の五年六年の担任の先生は、お身体が悪かったこともあったのだろう、自由放任のスタイルで教室では生徒に学校放送を聞かせて、自習が多く、よく級長の私に同級生の勉強の様子を見るようにという指図があったことを思い出す。そのような中でも世の風潮は「再軍備反対」「教え子を二度と戦場に送るな」「ああ、原爆ゆるすまじ」と校外の声は自我意識の芽生えとともにその後の私の確かな判断力の指針であった。これは戦後民主主義教育運動の成果であったかもしれない。

※1 写生大会参加のため高宮小学校の派遣チーム(?)四年生から一年生になる混成集団。森先生は画面中央にいる先生。筆者は画面右端の少年。

※2 その図画工作室で私は画板に向かっていたが、疲れると床面に寝っ転がったりして、森先生のところに押しかけては、言い寄ってくる男先生の姿などを、自然に見聞きする中で、大人の心の機微にも触れざるを得なかった。もちろん森先生は無心に描いている少年の心にどのようなことが起こっているかはご存知なかったと思うが・・・。私にとってはその図画工作の部屋は密かな人生の学舎(まなびや)でもあった。

※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/05/blog-post_23.html
大根を洗うシーンも描いたが難しく、何個かの試作の末、このような絵になった。

若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。(旧約聖書 箴言22章6節)

2025年12月27日土曜日

窓外の景色を見遣る

山茶花の 満開目指す 寒中
 今朝は猛烈に寒い。それでもまだまだ序の口だろう。朝起きて、窓外のつばき(実は山茶花なのだが、妻は往年の識別力は失っており、こちらも何とも思わなかったが、別の北側に椿の花があり、こちらは今「つぼみ」だ。したがって俳句も変えた12/28追記)を見ながら、妻がつぶやいた。「よおー、咲いとるなあー、こんなに寒いのに」「『つばき』って、木篇に春って書くのね」互いにうなづきあった。妻が漢字を当てはめて、「つばき」を感じていることを知って心の中がほんのりと暖かくなった。

 このところ寒く、昨日などは風が強くとても古利根川にまで足を伸ばせないのだが、先日も妻がその古利根川で、鴨の群れを眺めながら、「よー、いとるわ。さむうないのかしら」と独言(ひとりごち)した。お互いに、同じ方言を使っての会話。何となく共に温泉に入っている心地だ。

 昨日、次男がパリから、その故郷の様子を記したyou tubeを送ってきた。その中に一枚の写真があった(※)。私の小学校一年の時の写真だ。教室をバックに左端に担任の先生が立ち、教室の内外にクラスの子どもたちが、それぞれ思い思いの表情・姿態でカメラマンの方を見て写っていた。昭和25年、75年前の写真だ。田舎の子どもたちの着ている服装にも戦後すぐの生活が色濃く滲み出ている写真だ。その中にもちろん私もいる。窓ガラスに顔を押しつけている。その気質は今の私とそんなに変わらない。

 後年、結婚してびっくりしたことがある。3歳下の妻の小学校一年の担任がまさしく私の一年の時のその担任の先生とまったく同じ先生だったからである。私の町と妻の町は互いに隣接しているが当然、互いの小学校は違う。確か、私が2年になる時、どこかに転勤なさった。転勤先が妻の町であったのだろう。私の町は宿場町で妻の町は完全な郷村である。だから若干言葉が違う(と、思い、私は妻を田舎者〈いなかもん〉扱いすることが多い)。しかし、「よおる」とか「いとる」とか、いずれも「居る」の変形言葉だが、他の地域の人が使う言葉とは明らかに違う方言だ。

 だから、二人で交わす言葉にはお互いにキリスト者である共通点がある上に、生まれが同じという親近感がいつもある。まして今妻は認知症が進行している毎日である。その妻が漢字を引っ張り出して窓外の景色を見遣りながら、田舎言葉で話しかける。75年前、クラスの半分近くが外に出て先生と一緒に並んでいるのに対して、室内に残った者は窓を開け、乗り出したりしているが、一方、顔を窓に押しつけて私のようにみんなの仲間入りをしようとしている者もいる。

 75年前の窓外を見やる私と、今窓外を妻と見やっている私は同じ私である。

※一月前であったろうか、次男が帰国し、私の郷里に入った。偶然市の出張所で出会った方と会話を交わしたようである。その方がパリに「故郷」の様子を描写したものをメールで送ってきてくださった。

主は羊毛のように雪を降らせ、灰のように霜をまかれる。主は氷をパンくずのように投げつける。だれがその寒さに耐ええようか。主が、みことばを送って、これらを溶かし、ご自分の風を吹かせると、水は流れる。(旧約聖書 詩篇147篇16〜18節)

2025年12月25日木曜日

クリスマスとルターの子どもたち(下)

つましいクリスマスの備え(※)
 突然、ハンスは、「あっ、見てごらん」と大声を出しました。木の間を動いている一つの影を見たのでした。「おとうさんだわ!」。レナは窓の所から飛び降りながら叫びました。そして壁に掛かっていたオーバーを取るなり、大きなとびらを思い切りあけて、おとうさんを迎えるために寒い戸外の、雪かきされた道に走り出しました。

 「まあ、おとうさん、よかったわ。手伝っていただきたいのよ」。おとうさんに抱き締められながら、レナは言いました。「どうしたんだね。何かぐあいの悪いことでもあったのか」とマルティン・ルターは尋ねました。彼は大きく、かっぷくのよい人で、あごの張った鋭い目の人でした。「おうちがクリスマスらしく見えないの」とレナは訴えました。「ほかのものはみんなクリスマスだけのものなの。あしたはみんなで教会に行くし、ごちそうもたくさんあるし、贈り物の箱もできているのだけれど、おうちだけがいつもとちっとも違っていないんだよ」と、ハンスも口を添えました。「外は、クリスマスのためにおけしょうしているみたいだね」。幼いマルティンは、星が一つずつ輝きはじめた暗い夜空を見上げました。

 子どもたちの物足りなさそうな顔をながめていたルターの額に、二つの深いしわが寄りました。そして、雪をかぶったもみの木と、またたく星をながめました。すると、急に額のしわが消え、「ハンス、早くおのを持って来なさい」と言ったのです。「はあい」とハンスは返事をしながら、家の方へ去って行きました。レナとマルティンは胸をわくわくさせて、「何をするの?」と尋ねました。「まあ、待て待て。黙って見ていなさい」。ルターは満足そうにひとりで笑いながら、回りの木を一つ一つ見て回りました。

 ハンスがおのを持ってもどって来た時、ルターは、小さいけれどまっすぐに立っている一本のもみの木の前に立っていました。そしておのをじょうずに使って、それを切り倒しました。それから、笑いはしゃいでいる子どもたちを従え、木をかついで家の方へ行きました。戸口で立ち止まり、枝の雪を振り落としながらレナに言いました。「レナ、おかあさんに、ろうそくを何本かもらって来なさい」。

 「はい、おかあさんも、もう起きていらっしゃるでしょう」レナは元気よく廊下を走って台所へ行きました。「おかあさん、おとうさんがおうちをクリスマスのためにきれいにするので、ろうそくをくださいって」。「それはいいことね」。明るい丸顔をしたおかあさんのケートはこう答えると、大きな戸だなをあけて、ろうそくを何本か取り出しました。レナはそれを受け取り、また元気よく居間に走って行きました。

 ルターはすでに、ほかの子どもたちといっしょに、かわいい木をへやのまん中に立たせていました。
「ろうそくを木につけよう」。
「はあい」。
子どもたちは声をそろえて返事をし、ていねいに木の枝にろうそくをつけました。ルターがろうそくに火をつけた時、子どもたちは思わずつばを飲みました。光は木のしっかりした緑の枝の間に、明るく光りました。

 「ああ、おとうさん、きれいだわ。おとうさんの考えは、世界でいちばんすばらしいわ」。レナは手をたたきながら言いました。

 ルターは、愛情をこめてレナをなでながら、「神さまがお造りになった木だね。イエスさまに対するわたしの信仰のように、冬でも生き生きしている木で、クリスマスにおうちを飾るのにいちばんよい木だよ」と言いました。

 「でも、おとうさん、ろうそくはなんのためなの」とレナが尋ねました。
 「それはね、最初のクリスマスの夜の星空と、はかせたちをキリストに導いたあの一つの輝く星を思い出させてくれるものだよ。さあ、おとうさんはね、新しいクリスマスの讃美歌を作ったんだよ。イエスさまのことを思っていっしょに歌ってみよう」。

 ルターは三人の子どもを前にして、彫刻のしてある、自分の大きなひじかけいすにすわりました。そして、一節ずつ、讃美歌を教えたのです。

 いずこの家にも  めでたきおとずれ
 伝うるためとて  天よりくだりぬ
 マリヤのみ子なる 小さきイエスこそ
 み国にこの世に  つきせぬ喜び

 子どもたちが歌っている間、もみの木の枝につけられたろうそくは、明るく燃えて、ルターの家を、いかにもクリスマスにふさわしく見せていました。

(『アルフレッドとベード先生』ドロシィ.C .ハスキン著有賀英子訳30〜34頁から引用)

※もうかれこれ5年以上前になるが、ベック宣教師宅で見かけた造作物。左側のオレンジ色のものはろうそくだろう。こうして、クリスマスはイエス様が我が心の中にいらっしゃるか、確かめ、かつ賛美する日。

きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(新約聖書 ルカの福音書2章11節)

2025年12月24日水曜日

クリスマスとルターの子どもたち(上)

ブローニュの森 2006.11.28(※)
 クリスマスの前日、夕方近くのことでした。ルターの子どもの上の三人、ハンス、マグダレナ、マルティンは、ドイツのウイッテンベルクにある家の居間に集まっていました。三人は窓から外を見ながら、おとうさんの帰りを今か今かと待っていたのです。

 それは1538年、マルティン・ルターがカトリック教会と戦った時のことでした。「人は教会に行っていることによって天国に行けるというのではなく、ひとりひとりの心にキリストが生まれなければならない」というのがルターの主張でした。そのために、クリスマスの守り方も前と変わってきました。それぞれの家庭でクリスマスをどう過ごすか決めなければならなかったのです。

 ルターの三人の子どもたちは、貧しい人たちへの贈り物を箱に詰め終わったところでした。ハンスとマルティンは喜んではしゃいでいましたが、レナと呼ばれているマグダレナはゆううつでした。台所からはこうばしいにおいがただよって来ます。ハンスは鼻にしわを寄せながら、「なんてよいにおいなんだろう。きょうがクリスマスだといいんだがなあ」と言いました。「そうだね」。おとうさんと同じ名まえのマルティンはそう言いながら、ふと気がつき、「どうしてそんなにゆううつなの」とおねえさんのレナに尋ねました。

 レナは、鏡のはめ込んである高い壁、彫刻のある天井、あらい板の床を見回して、ため息をつきました。へやはきれいに掃除され、みがきたてられていたのですが、いつもと少しも変わっていません。「うちのどこを見ても、あしたがクリスマスだということを表わすものがないから悲しいのよ」とレナは言いました。「そんなことはないよ。あしたはみんなで教会に行くし、おかあさんは特別なごちそうを作っているじゃないか」。ハンスがこう言うと、マルティンも「それから、おとうさんはこの贈り物の箱をみんなにくれるよ」と、不服そうに言いました。

 「わたしが言っているのは、そんなことじゃないの。おうちにだれかが尋ねて来たとき、あしたがイエスさまのお誕生日だということを思い出させてあげるものがないということなのよ」。「じゃあ、どうすればよいかおかあさんに聞いてみよう」。そう言いながらハンスは立ち上がり、奥のへやの方へ歩き出しました。「でも、おかあさんは今、やすんでいらっしゃるから、心配かけては悪いわ」。レナは、一日じゅう忙しく働いていたおかあさんのことを考えて言いました。

 「おとうさんが帰って来れば、何か名案があるかもしれない」とマルティンが言いました。「そうだわ。きっと何か考えてくださるわ」。これを聞いたレナはうれしそうでした。おとうさんはなんでもできることをレナは思い出したのです!そして高い窓にのぼって、外をのぞいてみました。沈んで行く太陽の最後の光が、真っ白に雪でおおわれた庭にさし込んできました。家の回りには、これまた枝の一つ一つに雪を積もらせたもみの木が並んでいます。救い主をお迎えするために特別に整えられたような美しいきよい世界でした。

 まもなく、おとうさんが、雪に深い足跡を残しながら、木の間の小道を帰って来ました。おとうさんなら、クリスマスを完全なものにするのに、どうすればよいか知っていらっしゃる、とレナは確信していました。

 レナはおとうさんが大好きでした。そして、おとうさんが偉い人だということも知っていました。おとうさんは、だれでも読めるように、聖書をドイツ語に訳し、また、よい生活を送って天国に行くにはイエスさまを信じなければいけないと教えた人です。

 「ぼくは、一年じゅうで、クリスマスがいちばんいいと思うなあ」とハンスが言いました。「そうね。クリスマスは、神さまがわたしたちのためにしてくださるすばらしいことのいちばん初めだって、おとうさんがおっしゃったわ」。レナは相づちを打ちました。そして、最初のクリスマスについて、おとうさんのしてくれた楽しいお話を思い浮かべて目を輝かせました。弟たちもまじめそうにうなずきました。彼らもその話を聞いていたのです。

(『アルフレッドとベード先生』ドロシィ.C .ハスキン著有賀英子訳26〜30頁から引用)

※前々回から掲載した二枚の写真と今日の写真は同じところで撮ったものだが、二十年前のものでうろ覚えでリュクサンブール公園としたが、どうも「ブローニュの森」が正解のようだ。

イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(新約聖書 ヨハネの福音書3章3節)

2025年12月23日火曜日

一大ハプニングとその顛末

リュクサンブール公園で 2006.11.28※1
  12月になって最初の土曜日に、近江八幡からわざわざ東京まで同期会に出席するために上京した方と偶然ホテルに同時に着いたことはすでに”2025年の「東京36会」(上)”で触れておいた。その時、私は自分自身がすでに次週には近江八幡のキリスト集会の礼拝に出席すると決めていたので、その同期生の方には「来週、私は(逆に)近江八幡に行くんですよ」と言ったが、果たして、その方がどの程度心に留められたか。

 私の場合、その近江八幡に行くには、毎回郷里の彦根市高宮町の家に泊まってから翌日出かけることにしている。そのためには、先ず東京まで出て、そこから新幹線で米原に行き、あとは在来線で行くのが常である。ところで、不思議なことに、その一週間前には私の家から新橋に行くには電車所要時間が一時間とキリのいい時間であったが、今度、東京へ行く時間を調べたら、何と最寄駅を9:17分に出れば、10:17分に東京に着ける、これまた一時間きっちりなのだ。幸先良い前触れだと思わずにはいられなかった。

 ところが豈(あに)図(はか)らんや、前日の金曜日に、翌日の近江八幡行きを断念せざるを得ないと覚悟した一大ハプニングが起こってしまった。妻が午後4時ごろ近くのお店に自転車で買い物に出たが、中々帰って来なかった。道がわからなくなって帰るに帰れなくなったのだ。やむを得ず、警察に電話して大変お世話になり、最後は妻が午後7時ごろ道中のとある営業所に入り、道に迷ったことを告げ、自分の住所と電話番号を知らせた。そのことをきっかけにして一挙に居場所がわかり、警察の車で急行し妻と再会できた。

 当日日没が何時だったか、4時半ごろだと思う。暗い夜道で、元々方向音痴の妻に取り、大変だったに違いない。短期記憶ができない妻にとって瞬間瞬間の判断力だけが頼りだった。都合三時間あまり、どこをどう自転車を走らせたのか、その距離は直線距離にしておよそ12キロメートルの西方へと自転車を走らせてしまったが、今となってはわからない。とにかく無事だったのでホッと胸を撫で下ろし、翌日の近江八幡行きも妻を同道させて実行できた。

 その後徐々にわかってきたことは、妻がペダルを一足一足踏むごとに、「イエス様、助けてください!」と祈りながらの自転車走行であったということだった。当時、私は気も動転するばかりで、祈るどころか、(妻は携帯電話を所持していなかったため)唯一の手掛かりとなった財布内に忍ばせてあった「紛失物防止タッグ」(※2)のGPSが刻々と知らせてくれる、その情報を恨めしげに眺めては、止まらず走り続ける妻をどうすることもできず、地団駄を踏むばかりであった。

 妻が認知症を患っているため、ここ一、二年健康時に妥当することは一切通じなくなった。でも段々その行動に慣れてきた。認知症は徐々に進行するが治らない病気だと言うのが今日の常識のようだ(※3)。いかにそれを受け入れて周りの者が接するのかが大切であると自分に言い聞かせている。

 今回の騒動を通して慰められたのは、先ず、春日部から浦和方面に向かって三時間あまりの彷徨の中で、交通事故に会うことがなかったこと。次に当時、一切の記憶がない妻だったが、二、三日するうちに少しずつ自分の行動を語り出したことである。浦和方面に行くには、元荒川を越え、関越高速道路の下を潜らなければならないが、「高速道路の下をくぐった、まわりは田んぼだらけだった」と語ることができたこと。最後に長女から電話で「お母さん、不安でなかった?」と聞かれて、「イエス様、助けてください!」と祈り続けたと答えたことである。

 この最後のことばほど私にとって最大の慰めになったことばはない。そしてその背後に家族全員の取りなしの祈りがあったことも後に知る。私は小心者である。心配事は万と抱え込む。これからもどんな目に遭うかもしれない。しかし、下記のみことばはいつまでも忘れられない。これが一大ハプニングの顛末である。

※1 前回のイチョウの枯葉をリュクサンブール公園と記したが、本当はどこかわからない。念のためパリ在住の次男に問うたが、「枯葉」だけではわからない(笑)と返事を寄越した。今日のこの写真はとりあえずリュクサンブール公園としたが、「枯葉」と同じ公園である。その公園をサイクリングで颯爽と走っている人がいるのが印象的だった。ほぼ二十年前のフランス・パリで見聞きしたことだ。その方の肩越しに元気だった妻が少し顔を覗かせているのも面白い。

※2 何週間か前に三男が購入して妻に持たせておいたもの

※3 妻がお世話になっている先生の本に『認知症そのままでいい』(上田諭著ちくま新書2021年刊行)がある。同じく『「認知症」九人の名医』(東田勉著ブックマン社2024年刊行)という本には上田先生も九人の一人として紹介されている。

あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。(新約聖書 1ペテロ5章7節)

2025年12月9日火曜日

2025年の「東京36会」(下)

パリ市内のリュクサンブール公園で 2006年11月28日
  現在、東京36会に登録されている同期生は合計で34名である。先週の土曜日に集まったのは16名だから、出席率は50%をすでに切り、47%である。年々この数字は低下していく一方であろう。今回も2名の方が亡くなられ、欠席の方々はいずれも体の不調や連れ合いの病気などで出席できない方々ばかりであった。

 私自身も妻が認知症を患い、外出にも気を配らねばならない日々を送っている。しかし、そのような試みのうちにも、主なる神様のことばである聖書を毎日、妻と輪読しては大いに慰めと励ましと将来への希望に満たされている。私自身、27歳に至るまでは、無神論者で「信仰」というものをもっとも忌諱していた張本人である。いや27歳と言わず、この数ヵ月前まで「信仰」に正しい位置を与えていなかった。

 その考えに大いなる訂正を求められたのが今回同期会の方々のどなたかにお渡ししたいと思い制作したこのブログの記事より構成した以下の四編だった。
 1 キリスト教とその疑問(私の宗教迷論)※1
 2 東京36会 ※2
 3 この日は我が自戒の日なり ※3
 4 救いの道 ※4
この1はかつての出身高校の新聞に当時高校2年生であった滝本さんが投稿された記事をそのまま抜粋して写させていただいたものである。滝本さんがその後どのように人生を送られたかは公の記事以外は知る由もないが、ここまで真剣にキリスト教を考えておられることに大変感嘆している。

それに対して、2、3は詰まらない私の雑文を載せたものであるが、最後の4「救いの道」こそ今回私が同期生の方々に是非読んでいただきたいと思い、編集した文章である。

 先に「信仰」に正しい位置を与えていなかったという私の述懐は偽らぬ私の気持ちである。形の上では信仰生活55年にわたる生活を送っていたにもかかわらずである。何も信仰生活に時間がかかると言おうとしているのでない。素直な幼児の心さえあればいつでも「信仰」は持てる。そのことを是非同期生の方々に味わっていただきたいと、今回長編になるが、この「救いの道」を加えさせていただいた。

 同期会は午後3時前には解散した。次回は40回目で早々と幹事の方も決まった。新幹事は浩君ともう一人の方に決まったが、この方は常連の方だが、まだ一度も個人的にお話ししたことはない。しかし互いに奇縁(血縁、地縁)がある。来年、互いに健康であれば、67年目にして交わりが許されることであろう。

 小冊子5冊は浩君と私の右隣に座られた方と、前々からその救いを祈っている方お二人と、新たにかつて同期会で「道中記」を紹介してくださった方にお渡しすることができた。

※1 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/05/blog-post_28.html
なお、文中に登場するマッソン宣教師は私よりも早く信仰を持った高校の同級生の方が公私ともにお世話になった方であった。

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/12/blog-post_9.html

※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/11/blog-post_30.html

※4 この文章は8回シリーズで長編だが、第一回目が、2013年の2月19日で、その後3月15日から3月21日まで合計7回連続して載せている。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/02/blog-post_19.html

https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2013/03/blog-post_4889.html 

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネの福音書3章16節)

2025年12月8日月曜日

2025年の「東京36会」(中)

オランジェリー美術館を前にして 2006.11.24
 果たせるかな、小冊子をとおして私は福音を届けることができるのであろうかと不安があった。けれども、私にとっては出発間際まで時間ギリギリいっぱい掛けて仕上げた作品であった。どなたにお渡しができるか、当てがあるわけではないが、取り敢えず五部だけ持参した。

 会場に着いたのは開始時刻の11時半少し前だった。ホテルに私が入るとほぼ同時に、駆け込むようにして入って来られた方がいた。田舎者の私にとってホッとした瞬間であった。と同時に彼女が近江八幡から来たことに思い至った。聞いてみると近江八幡を8時に出たということであった。彼女は何かと世話をしてくれている「東京36会」の常連である。

 高校時代、一度も一緒のクラスになったことはなかったが、数少ない女生徒として、通学途中に見かけることのできたスタイルの良い颯爽とした姿はいつも眩(まぶ)しい存在であった(※1)。会場入り口にはすでに幹事のお二人が案内がてら会費の徴収をしてくださっていた。結局、当日の参加者は16名(男性14名、女性2名)であった。

 いつもの立食スタイルとちがい、フランス料理のフルコースであり、私にとっては落ち着いて互いに歓談する絶好の機会となった。私の前には、一年、三年と同じクラスであり、名前が同じ「浩」君が座り、じっくりと話ができた。名前の由来を尋ねると、「浩然の気を養う」からだと言う。まったく我が両親が名づけた理由と同じだった。会社経営をなさっている浩君は高校時代そのままで若さいっぱいの好青年の趣を今になっても残している嬉しい存在である。彼が「趣味は何か」と問うので、「聖書、神のことばを毎日食べている、そればっかり」と申し上げた。全員の挨拶の中で、彼は何と「向上心を持ち続けたい」と言った。彼がいつまでも健康であれと願わずにはいられなかった。

 一方、私の右横の席に着かれた方からはズバリ「君はキリスト教徒と聞いているが、何派なのか」と直裁に聞いて来られた。私は、何派も、クソもない、イエス・キリストがすべてで信仰者にとってはそういうことは問題ではないと言おうとしたが、中々うまく説明はできなかった。ただ小冊子として作成した「キリスト教とその疑問」(※2)という表題の作品はその方の質問に答えるのにはうってつけだと思ったので、ああ、主なる神様はこのようにして、私の「東京36会」への出席を導いてくださっているのだと思わざるを得なかった。その方とはさらに共通の知人との話で盛り上がった(※3)。

 終わり頃になって、左横に座っている方が、一年の時、同じクラスであったことを朧(おぼろ)げながら思い出した。高校一年の時にも話したことはなかったが、66年目にしてお互いに話を交わすことができた。そのことだけでも齢80歳をとうに越えてしまった今、もっともっと命を大切にしなければならないと思わされた。

※1 彼女については一度、本ブログで書いたことがあることを思い出した。
https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/12/blog-post_6.html

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2015/05/blog-post_28.html

※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2020/05/blog-post_5.html 
この文章中に出てくる吉田精一さんのご子息が、私たちが存じ上げている共通の知人であった。もっともご子息とは言っても私どもより一回り上の先人で、人生の先輩にあたる方である。

私たちの齢は70年、健やかであっても80年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。それゆえ、私たちに、自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。(旧約聖書 詩篇90篇10、12節)

2025年12月7日日曜日

2025年の「東京36会」(上)

オペラ座(パリ) 2006年11月22日(※1)
  昨日は一年ぶりに、原則として毎年12月の第一土曜日に開催される高校の同期会に出席できた。いったい何人の人が集まるのかわからなかった。年々少なくなっているのだが、前回は21名だった(※2)。その折り、すでに来年は来れないと言う方もおられたので、少ない人数であることは覚悟していた。

 会場は新橋の第一ホテル東京のレストランであった。11時半開始と案内にはあった。二、三日前から落ち着かず、何を着て行くか?から始まって、どのようにして行けば良いのか、昨年の経験は忘却の彼方にあり、面倒だと思い始めた。いっそのこと、電話で出席をキャンセルしようかと弱気になり始めていた。それでもお会いしたい方もおられるしと、気を取り直した。

 電車時刻を調べてみると、私の最寄駅を10:07分に出れば、新橋へは何と11:07分につけることがわかった。ジャスト一時間で行けるとは覚えやすい時刻であった。前日の金曜日になり、「お前は何のために行くのか?」という内なる促しの声が聞こえてきた。もちろん、グッドニュース(福音)を届けたいという思いが強くあっての同期会出席である。神道の言葉を借りて言えば、そのことは、天地神明に誓ってそう言える。問題はそのために何ができるか、というのが大きな課題であった。

 ごく平凡に考えれば、福音に関する小冊子を持参して関心のある方にお渡しできれば、それで良しというのがこれまでのスタイルであった。ところが39回に及ぶ(伝統ある?)同期会にはこれまで5、6回しか出席していない。同期会の常連の出席者からすれば、極めてマイナーな部類に属し、私自身まだまだ良く存じ上げていない間柄の方が多い。

 そうした中で、このブログ(※3)でも書いたことのある、同姓同名の方の奥様から主人が4月に亡くなりました、という喪中のお葉書をいただいた。同君とは高校時代には全然面識がなく、少ない同期会の出席の中で、初めてお会いした間柄であったが、幹事を11年前の2014年に一緒にやらせていただいた。もちろん当時彼にグッドニュースを届けたつもりだ。しかしその後、互いに安否を問おうとはしていなかった。その彼が亡くなったのだ。自分が友の救いのためにどれだけ真剣であったか問われる思いだった。

 考えてみれば、10月には三男の舅さんが75歳で亡くなった。この折もほぞをかむ思いだった。イエス様の救い(罪・咎の死からの救い)を知ってその恵みの中にいるお前は何をしているのか、お前の肉声で「わたし(主イエス・キリスト)の救い」を語れないのか、という内なる思いが前日の金曜日に湧き上がってきた。そしてこのブログの存在に思い至った。

 何しろこのブログにはこの16年間の間に総数で1960件の投稿をしている。すべて書き殴りに等しく振り返っていない文章ばかりだが、
泉あるところ
とはどんなところかを案内しているのがこのブログの特徴である。そして思い立った。このブログから選んで同期生の方に読んでもらえないだろうかという気づきである。そうして36頁の作品に仕立て上げて、「東京36会」に臨んだ。

※1 今となっては懐かしいパリ・オペラ座の光景である。昨日第一ホテルの吹き抜けの間では、結婚式が行われようとしており、2階からその様子を、写真にも撮ったが、プライバシーの観点からブログに載せるわけにもいかず、遠い昔2006年のこの写真を思い出し、載せた。

※2 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2024/11/blog-post_30.html

※3 https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/11/blog-post_16.html

いのちの泉はあなた(主イエス・キリスト)にあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(旧約聖書 詩篇36篇9節)

2025年10月31日金曜日

私の「神無月所感」

『アンデルセンから イブとクリスティーネ』 吉岡賢一作
 10月も今日で終わりだ。とうとう一度もブログを開かず仕舞いだった。このまま11月に突入しても良いのだが、一応その間何を考えていたか少し書いておこう。3日(金)には、朝、三男の義父が亡くなった。75歳であった。全く元気そのものだったが、5、6月ごろから体の調子が悪くなられた。あれやこれやで私がその詳しい病名を知ったのは7月になってからだった。日頃「死は終わりでない」と確信を持っている者として、何とかイエス・キリストにある永遠のいのちをお伝えしたく都合四回ほどお見舞いした。

 最初お見舞いした時には、何でも自分の思いを神様、イエス様にぶっつけてください、神様は必ず聞いてくださいますから、とお話しし、神様がイエス様を信ずる者に永遠のいのちを約束していてくださることをお伝えして辞去してきた。それから二週間ほどして再びお見舞いに行った時には、明るく、「祈ってましたよ」と言われた。嬉しくなった。しかし、その後病状は一層悪くなられた。あとの二回のお見舞いの時は声をかけるのがやっとだった。何とか「永遠のいのち」を確信されて死の門を潜っていただきたいと思い、別にお手紙も書いたりしたが、自分の心のうちでは十分伝えきれなかったという悔いた思いが、重く支配し続けた。しかし、最近やっと自分を責めるのでなく、このことも主は聞いてくださって、不完全な私を通して主ご自身が直接、語りかけてくださっていたのだと思うようになった。そして、重い鉛に押しつぶされるように、心を鬱屈させる思いから少しずつ解放されるようになった。

 このような理由の他、初旬には私も妻も大変な風邪にかかってしまった。それも長引いた。今では脱出したが、中々どうして大変だった。その間、政界の動きは急ピッチで展開し、出す出すと言っていた石破(前)首相の『戦後80年所感』は総辞職ギリギリの段階でやっと日の目を見た。そして、首相は高市早苗氏に代わり、連日のようにその様子が映像を通して茶の間に飛び込んでくる昨今になった。その上、大変な高支持率ぶりで、こちらとしては色々批判したいところもあるが、まずはお手並拝見とばかり、冷静に政治・経済の動きを見ているところで、意見を表すまでには至ってはいない。まあ、こんなわけでブログを休んでしまった。昨日だったか、ダニエル書の次の記事を読んだが、それに関してF.B.マイヤーが書いていた文章を通して考えさせられた。

私、ダニエルは、幾日かの間、病気になったままでいた。その後、起きて王の事務をとった。しかし、私はこの幻のことで、驚きすくんでいた。それを悟れなかったのである。(旧約聖書 ダニエル書8章27節)

 ダニエルは、重大な幻(雄羊であるメド・ペルシヤが雄ヤギであるギリシヤに打ち倒される運命が預言されている)を朝に夕に与えられながら、なお平常どおり引き続いて、ペルシヤ王朝に仕える家臣として、「王の事務をとる」のでした。私たちも朝に夕に幻を与えられねばなりません。しかし、それとともに、この世の職務にも携わらなければなりません。窓を開いて祈ることなかるべからずであるとともに、机の前に執務することもなかるべからずなのです。たとえ、そのわざが、やがての日には過ぎ去っていくものであったとしても、その時まで忠実に行なうのです。(『きょうの力』F.B.マイヤー著559頁より)

 このマイヤーの文章を読みながら、ルターの言った(?)とされる言葉を思い出した。

たとえ明日世界が滅びることを知ったとしても、私は今日りんごの木を植える。

それと同時に、今日10月31日は宗教改革記念日であることを端なくも思い出した。言うまでもなく、1517年10月31日、ルターはウイッテンベルヒ城教会の門扉に、「九十五ヶ条の論題」を貼り付け、当時の法王を頂点にいただく教会に、聖書に基づかない贖宥状発行の非を訴えたのであった。考えてみると先ごろ話題になった、自民党と日本維新の会の協議事項は十二箇条の項目に分かれていたが、数においてこの「論題」ははるかにそれを越え、しかもその内容たるや、一切の妥協を排した文書で、いかにそれが徹底的であったかを知る。まさに「宗教改革記念日」として、今日まで、その日が覚えられている理由である。

 10月最後の日、かろうじてブログの穴を埋めた気分である。読者、諒とせられたし。 

(冒頭の絵は、作者が今年度の二紀展に出品された作品である)

2025年9月24日水曜日

こんぺいとう、まんじゅしゃげ、ゴッホ

 秋の野原、いや川縁と言うべきか、可憐な花々が散歩のたびに目を楽しませてくれます。この写真もそのような花の一つでした。9月16日に撮った写真です。その折り、花の名前を言い当てることの名手である妻に尋ねたところ、「わからない」という答えが返って来ました。

 ところが、何と今朝のことです。この写真を見て、妻の口から「金平糖の花」だと即座に答えが返って来ました。うれしくなり、ネットでも調べましたが、やはり「金平糖の花」でした。昨日は今季初めて「曼珠沙華」の花に遭遇しました。二、三日目を離している間に忽然とこの花が目の前に出現した感じです。
 写真を見て「何と素晴らしい赤だろう」と妻は申します。確かに赤は赤でも見れば見るほどやはり独特の赤ですね。この曼珠沙華は昨日散歩のおり二人して見かけたものですが、そのことは覚えていないようです。しっかり彼女の記憶原野には残っているのでしょうが、それをうまく取り出すことができないのだと思います。

 私としたところで、この曼珠沙華の咲くところは毎年決まっているのに、つい先だっても、急(せ)いてしまって、妻の過去の絵を載せ『待ち遠しい、彼岸花』として投稿してしまいました。今年のいつ果てるとも知れない長い夏にうんざりしてとっくに曼珠沙華もダメになっただろうと勝手に決めつけてしまっておりました。しかし、曼珠沙華はきっちりほぼ同時期にいつもと同じところに芽を出し花を咲かせてくれたのです。

 テレビと言えば、ニュースしか見ない、それも午後9時台のものしか見ない日々ですが、昨晩は珍しく『ゴッホが日本にやって来た』〜名画の誕生と家族〜を題名に惹かれNHKプラスで視聴しました。ゴッホと言えば二人とも大のファンですが、見ていて、私のファンぶりは浮ついたもので、妻のファンぶりは地についたものだと思わされました。

 ゴッホのことについて、私は確かにその手紙や絵の存在を知っていて誰よりもゴッホを知っているものと自負していましたが、彼の37年の短い生涯のこともその画業を彼の家族がいかに受け継ぎ、後世の私たちに伝えようとしたかを知るに及んで大層考えさせられました。ましてゴッホの弟テオのひ孫の方が今回の東京都美術館の展示のため来られ、作品展示のアドバイスをなさっておられることを知り、今も生きている「ゴッホ」を思わずにいられませんでした。

 見終わって、妻が「ゴッホが好きだ」とポツンと申しました。このような発語は私にとって驚きでした。「金平糖」の発語と言い、「好きだ」と言う感情表現は、このところすっかり無口になっている妻の、何よりも生き生きとした健在ぶりを物語っていたからです。ゴッホ読みのゴッホ知らずよりも、ゴッホの絵を好きだと言える妻の真実な姿から一瞬多くを教えられました。私自身聖書読みの聖書知らずになっていないか、このことも思わされました。

 そんな今朝の東京新聞の『筆洗』欄は、聖書の言葉を正確に伝えて、トランプ大統領の態度、その結果及ぶアメリカ社会の分断を嘆いていました。その中で銃殺されたカーク夫人の言葉は福音の勝利が示されているもので感動しました。指導者がいかにあろうとも主なる神様のご判断・裁きは、私ども日本の政治家の上にもあることを思います。自民党の総裁選選びが始まりました。正しく自己の信念を語ろうとしない政治指導者が何人いようとも政治は変わらないと思いながらも、何とかふさわしい方が選ばれて欲しいと思う今日この頃です。

もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。(新約聖書 ローマ12章20〜21節)

20年ほど前にゴッホ終焉の地で手にした一枚の絵です。

2025年9月23日火曜日

I was born

 昨日は思い切って外出しました。ずっと家に引きこもりがちだった者にも(散歩を除いては)、秋風が、誘い水になりました。昔、「若者よ、書を捨て、町に出よう」と確か寺山修司だったかな、言ったという記憶があります。久しく親交のあった関西の友人が、関東へ引っ越して来て、いつでも会えると思っていたのに、10月には再び関西に戻ると風の便りに聞き、出かけました。

 その序でに妻も同道して、浦和の孫の家を訪問、午後は妻はそのまま次女の家にとどまり、私は友人と会いにバス・電車を乗り継いでスタコラ、スタコラと川越まで行って来ました。前日、1〜2時間のお交わりと約束した時は1時間が精一杯だと思っていたところ、話が弾んで二人とも時の経つのを忘れ、あっと言う間に2時間が経ち、妻のことが気がかりなので、渋々私は話を切り上げざるを得ず、再び浦和に戻り、そして春日部の家に二人して帰って来ました。

 友人は五年間関東に過ごしていましたが、私は彼が関東、しかも埼玉県内に来たとき非常に嬉しくなり、地続きの県内なのでいつでも会えると思っていたので、再び関西に帰ると聞いた時は泡を食ってしまいました。しかも、この間コロナ禍もあり、あっと言う間に、5年が過ぎてしまったのです。昨日の再会は、もちろん二人の間では時空の隔たりはなく、お互いに直ぐ胸襟を開いて話し合うことができました。いい秋のプレゼントをいただいた思いです。お土産に吉野弘の「I was born」「いのちは」「動詞・ぶつかる」などたくさんのお手製の作品をいただいて帰ってきました。

 「I was born」はもう一人の友人が今度京都で個展(※)を開くが、そのDMに共通する思想だと思いました。個展を開く友人は

「70年あまり自分の足で歩いてきたと思っていたけれど Be Carried いつも運んでもらっていた。生まれたときも I was born 受け身であった。 
”あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうして来たのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。”(イザヤ書46章4節)

と書きました。
※谷口幸三郎展 えをかくせいかつ Be Carried- 2025.10.3~15 CAFE GALLERY フクウチ 京都市東山区新門前通り大和大路東入切り通し上る西之町211番地2電話 075ー757ー7828

 私は昨日会った友人に、個展を開く友人のDMを紹介していました(もっとも、その友人も既にそのDMはもらっていたのですが・・・)。吉野弘はその「I was born」の作品の中で、彼のお父さんが、友人から蜉蝣(かげろう)の短い命とそれにもかかわらず、卵を抱える蜉蝣の雌の話を聞いて「そんなことがあってから間もなくのことだったんだよお母さんがお前を産み落としてすぐに死なれたのは。」と書いていました。

 産み落とす母の境涯も去ることながら、産み落とされたこどものその後も如何なる苦しみ悩みが訪れることでしょうか。しかし吉野弘は「I was born」と題したのです。そこには人知を越えた神様の愛があったのではないでしょうか。

 冒頭の写真は孫の家に並んでいた靴の数々でした。一人娘として小さい今からいかに愛されているかがわかると言うものです。一人っ子の私も82年前にこのような両親の愛を受けていたのだと思わざるを得ませんでした。顧みれば、主なるイエス・キリストは父なる神のひとり子でした。にもかかわらず、次のみことばどおり、私たちを愛するために敢えて私たちの罪の身代わりに十字架にかかられたのです。

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(新約聖書 ヨハネ3章16節)

2025年9月18日木曜日

秋ぢゃ!秋ぢゃ!と歌ふなり

 やっと秋が来そうだ。秋と言うと、人知れず口ずさむ歌がある。それはこんな歌詞だ。

  秋の日暮れに
  蓑虫ゆらり
  ぶらりぶらぶらしていても
  なぜか心は侘びしくて
  赤い夕日に願うても
  やっぱりこの世は風まかせ

 うろ覚えだし、自信がない。今流行りのAIでも明らかに引っ張り出してこないのだから、多分どこか歌詞が違っているのだろう。大学一、二年グリークラブに入っていたのでその頃教えてもらった歌に違いない。読者の方でどなたかご存知の方がおられたら教えていただきたいものだ。

 その代わりと言っては何だが、当時盛んに練習させられた「月光とピエロ」(堀口大學作詩 清水脩作曲)を昨日は男声四部合唱でたっぷり聴かせてもらった。その折の、と言っても六十年ほど前のこの9月10月の何とも言えない寂しさを思い出した。

 一方、週末帰省して結婚前に妻と互いに交わし、段ボール箱に仕舞込んでいた手紙を宅急便で送り、こちらで今朝これまた六十年ぶりに紐解いてみた。ほとんど封印していた書簡だが、1965年から1970年結婚するまでの五年間にわたる往復書簡である。双方とも福音を受け入れていない時の往復書簡から、もちろん、結婚前の妻が1967年に福音を受け入れ、私に勧めるが私は頑強に拒んでいた往復書簡が中心だ。たとえばこんな調子だ。

 やはり残念ながら信仰できそうにない。今日は吉本隆明『マチウ書試論ーー反逆の論理』を読んだ。これはマタイ伝について書いた評論である。大学時代から四、五回は読んでいるものである。そこにこういうことが書いてある。「すべて信仰によることは悪ではあるまいかとさえ考える。それは人間の思考をでなく、思考の意味を奪うからである」君がどんなに信仰の正当性を強調しようとも、僕には信仰というものは自己愛に過ぎないのじゃないかという懐疑がある。君にとって信仰が大事であるのは認める。それは科学、真理をも包む絶対的な真理であると君はよく言う。しかし僕はあくまでも科学者ーー論理の立場に立ちたいと考える。僕は絶対に聖書は熱心に君と一緒に読める。しかし信仰は別だ。どうかそのような僕を愛してくれないか。愛が魂の問題であることは同感なのだ。そしてそれが祈りになることも知っているのだ。僕は僕なりに謙虚に君を愛してゆける自信をもっている。こういう自信を持つことさえ神への冒瀆だと君は思うのだろうが、そこに僕は自己の責任を回避した人間の卑怯さを自戒するのだ(後略)(1969年1月22日)

 結局、このような私に対して主なる神様は私に上よりの愛の鉄槌を下された。以下はその記録の一つである。

 現在、その私は妻と聖書の輪読を日夜行なっている。もちろん、信仰があっての輪読である。全く、苦にならない。それどころか、日々聖書から多くの励ましをいただいている。妻が病を得ていて、先のことを考えると絶望することもある。しかし、主なる神様が妻を私を天の御国に受け入れてくださると確信でき、すべてを主におゆだねできる幸いを日毎に味わわせていただいている。

 例年にない暑い夏に閉口していたが、秋の到来とともに沈思熟考の日々としたい。

あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(新約聖書 エペソ2章8〜9節)

2025年9月11日木曜日

石破首相退陣表明

ニラの花 たおやかにして 屹立す
 とうとう、石破首相が辞意を表明した。再び佐藤正明さんがセミにあやかって早くも自民党の総裁選選びを一口マンガにまとめ上げていた(9月10日東京新聞朝刊)。題名は「次は短命に終わらないように」となっている。画面は地下と地上に分かれ、地下が7割くらい、地上が3割で樹木が覆う中で、敢えなくも蝉に扮した一人の男が仰向けに倒れている。その男に聞かせたいのか、「ジージー ミンミン」と長いこの夏に今まさに消えなんとして鳴いている蝉の声が擬音として描かれている。言うまでもなく倒れているのは石破氏である。

 前回印象的であった同氏の一口マンガは7月30日の発表(※)だったから、この作品で言うなら40日の期間になる。しかし、この作品の真骨頂は、何と言っても地下深く出番を求めて、蝉の幼虫さながらそれぞれの姿で待機して地上に出ようとしている五人の面々である。中央の蝉が倒れたのだから、地下にいた五人がそれぞれ地表に姿を現すべく、動き出したのだろう。昔少年の頃、神社の境内に蝉の幼虫探しに地面の穴ボコを探し回り、見つけては小さな小枝を差しれては幼虫を誘導し、引きあげに成功しては喜んだものだが、その穴ボコに通ずる地下深くに進次郎、高市、茂木、林、小林の諸氏がそれぞれ正座した状態で特徴深く描かれている。


 40日前の一口マンガでは作中で木にしがみついているセミ(石破首相)を虫網を手にして捕えようとしている人(麻生氏、茂木氏)を描き、彼らの口を通して、「どのみち短命なのだから」と言わせていたのだから、随分石破氏は粘ったことになる。

 首相の辞意表明が日曜日にあったが、東京新聞の主張は、早速月曜日、50日間に及んだ辞意表明の遅さに、「遅きに失した『投了』」と政治空白をつくったことの非を唱えていた。さて、斎藤美奈子氏は何と書くだろうかと、水曜日の『本音のコラム』を注視した。果たせるかな、斎藤氏は『50日間の攻防』と題し、冒頭、「石破氏が退陣を表明した。残念である」と書いた(図書館で拝見した朝日の『天声人語』にも同趣旨のコメントが載っていたように記憶する)。何か救われた気持ちになった。余りにも旧態依然たる自民党の姿(石破おろし)には、正直言って辟易していたからである。石破氏がダメなら、他に誰が解党的出直しができると言うのか。

 ジージーとミンミンと蝉の声はこの夏最後の足掻きとも思える声で今日も鳴いていた。ジージーの「自由」と、ミンミンの「民主」。自由と民主を生かす新総裁が選ばれることを期待したい。もっとも斎藤氏は最後にこう書いた。「総裁選が始まれば、またウンザリの日々が戻ってくる。党内の権力争いと安倍時代を懐かしむ勢力の暗躍。政局好きのメディアのお祭り騒ぎ。予想されるのは政治に対する無気力だ。これでますます自民党離れは進むだろう。」

 創世記から始まる歴史叙述をずっと聖書にしたがって毎日読み続けて、第二列王記17章にまで至ったが、間(あい)も変わらぬ人の罪の姿を見せつけられて唖然とする。我が人生もご多聞にもれず、そうだと思う。主なる神様の前に嘘偽りは許されない。まして政治の世界には権力を求める浅ましい戦い、駆け引きが絶えない。こんな時だからこそ、次のイエス様の言葉は珠玉の言葉だと思う。

あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。(新約聖書 マルコの福音書10章42〜45節)

2025年9月7日日曜日

知る価値のあること


 私たちの人生には思わぬことが起こります。そのような時に私たちはどのような態度を取るのでしょうか。次にご紹介するのはA.ドーフラーさんの「知る価値のあること」と題する文章です。お読み下さいますように。(『重荷も軽く』28頁より引用)

 わたしたちの前に横たわっている将来のことは、わたしたちの視野からは隠されています。明日がどういう日か、明日になったら何が起こるか、わたしたちにはわかりません。しかし主は「神を愛する者たちには、万事が相働いて益となる」と約束なさいました。これは知っておく価値のあることです。

 万事と言うのですから、私を骨の髄まで驚かすような人生の大事についても、言っているのです。一見すると、こういう大事がわたしたちを押しつぶすのではないかと思われます。しかし、神が益となるようにしてくださることができないような恐ろしい不幸などはないのです。

 神は単に大事ばかりではなく、つまらない小事でも、わたしたちの益となるようにしてくださいます。人生には、つまらない事でいらいらしたり、悩まされたりすることが、よくあるものです。そういうつまらない小事が山ほど重なって、人生におけるせっかくの祝福がすべて奪い取られることも、しばしばあります。

 神が万事をわたしたちの益となるようにしてくださるというお約束を、真実と心得ておくならば、どんなことがあっても失望の底に突き落とされるようなことはなく、じっと耐えて主を待ち望むことができるでしょう。

 大事も、小事も、万事、現在だけを見るのでなく、永遠という見地から見れば、共に働いてわたしたちの益となるのです。神が万事を益となるようにしてくださる時、わたしたちの肉体的な平安と慰めをも考慮してくださっていますが、その上、特に私たちの魂の救いについて心にかけていてくださいます。ですから神は、時々、わたしたちが最もほしいと思うものを取り去られます。わたしたちが、神を愛する以上にそれらを愛し始めたことをごらんになるからです。わたしたちは自動車、パーティー、夜会、ゴルフ、商売その他のもののために神を忘れてしまうことがあります。そういう時に神は、わたしたちを窮地に追いやり、「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。」ということを悟るようにといましめるのです。

 試練を受けつつ、人生を歩んで行かなければならない時、神は神を愛する者たちと共にいて、万事が相働いて益となるようにしてくださいます。この神のお約束に固くすがりついてまいりましょう。そうすれば希望に満ち、確信にみちて、明るく暮らしてゆけるでしょう。

 祈り

 恵み深い父よ、わたしの助けはあなたの所からまいります。あなたが、わたしの手を取ってお導きくださらなければ、わたしは一日も安全に過ごすことはできません。わたしの足もとはぐらつき、わたしの視界はかすんでいます。あなたが義の道へ安全に導き、永遠の生命をお与えくださることを信じて、わたしはあなたに従って歩んでまいります。主よ、わたしには理解できないことがたくさんあります。しかし、あなたがわたしを愛してくださっていることだけは、よく存じております。なぜならば、神は、わたしが永遠に生きることができるよう、あなたのみ子イエス・キリストを、死に送られたことを知っているからです。わたしの心からすべての疑いを取り去ってください。またあなたのお約束が、常に真実であると信じることができる信仰をお与えください。主よ、あなたの道はわたしの道とは異なります。しかし、あなたの道はあなたを愛する者にとって、あわれみと恵みの道であることをわたしは知っています。

 主よ、わたしたちがいらだち、あなたにいろいろ不平を言う時がありましたら、いつもイエスのゆえにこれをゆるし、あなたのもとにもっと親しくお導きください。これらのことを、イエスのみ名によってお祈り申し上げます。                  
                            アーメン

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、わたしたちは知っている。(新約聖書 ローマ人への手紙8章28節 口語訳)

2025年9月5日金曜日

待ち遠しい、彼岸花

 今日は生憎の雨になった。いつも続けている古利根川の散歩もさすがに出来そうにない。それにしても、各地から連日流されてくる、線状降水帯の恐ろしさ・被害に身の縮む思いがする。神様のご計画はどこにあるのだろうかと、主を恐れる。

 今年は「暑さ」にしてやられ、朝顔やひまわりのような季節を彩る草花にも何となく縁が薄かった気がする。九月になり、いつも今頃は緑の中に一点注目を引く赤い花が見られるはずだが、まだお目にかかっていない。その赤い花の名前は言わずと知れた「曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」であるが、より身近な俗名を久しく妻も私も思い出せないで散歩のたびに互いに困っていたが、二、三日前、私は夢の中で、妻は私との会話の中で「彼岸花」であることを突然ほぼ同時に認識した。

 短期記憶のできない妻との生活を通して、色んな不便を感じるが、人の体が頭脳をふくめていかに精巧に作られているかを思う。夢の中で「彼岸花」と認識するのも不思議だが、妻が突然会話の中でそれまで発することの出来なかった「彼岸花」という名称をごく自然に口の端にのぼせた不思議さである。妻の記憶領域にはたくさんのものが横たわっていて、その原野からある瞬間「ひがんばな」と言う一語が浮かび上がってきたと推測する。

 妻は二十数年前、まだ父母が健在のおり、せっせと絵葉書を作成しては、みことばを添えて出していた。その絵がチリも積もるも山となる形で随分たくさんの花の絵の集成となった。上掲の絵はそのうちの一枚で「彼岸花」を描いたものである。素人の絵であり、スキャンしたもので申し訳ないが、雨の中、一日も早い彼岸花にお目にかかれることを期待しつつ載せてみた。

人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、種のことばは、とこしえに変わることがない。あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種からであり、生ける、いつまでも変わることのない、神のことばによるのです。(新約聖書 1ペテロ1章24〜25、23節)

2025年9月4日木曜日

カルガモさん、お子さん大切にね

カルガモの 子引き連れるは 微笑まし
 久しぶりにカルガモ親子に出会った(※)。雨が降り、自転車で買い物をするわけにも行かず、傘を差して徒歩で出かけた。途中、まだ目的地の生協店までは20分近くはかかると思い、急遽すぐ近くのスーパーへと行き先を変え、会之堀川沿いに後戻りした。途端に川中に生き物が動くのが見えた。ゾロゾロと子どもを連れてのカルガモ一行だった。五羽とは良くぞ連れ立ったものだと思う。どうしても我が身に照らし合わせて感じてしまう。

 職場で五人誕生のたびに同僚からお祝い金をその都度いただいた。すでに始まっていた(?)少子化の時勢の中、「また、吉田さんか」と言われながらも皆さんに祝福していただいたのを思い出す。ところで買い物は長女が来るというので、妻がどうしても昼食のご馳走にと言っていたので代わりに出かけた。どんなになっても、母親の子どもを思う気持ちがあるのは嬉しい。

 実は長女も五人の子宝に恵まれている。日曜日の次女に続いて、今日は長女が大学生の息子・娘を連れて家の掃除に来てくれた、掃除機持参で。何の打ち合わせもなしに、今の私たちの求めている状態を察して来てくれるので、これまた助かる。台所・食卓をふくめて、居間、廊下など拭き掃除を三人がかりで綺麗にしてくれた。二時間ほどの滞在で昼食も共にしたが、長女の長男が「明日はお母さんの誕生日だよね」と突然言い出した。「51歳だよ」と私たち夫婦と子どもたちを前に、長女は、「照れ笑い」と言うべきか、何とも言えない嬉しい表情を浮かべた。

 五羽の子連れのカルガモ一行は、こうして神様の生きとし生けるものに対する変わりなき愛と摂理をも示してくれた。
※ straysheep-vine-branches.blogspot.com/2023/05/blog-post_25.html

さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。」(新約聖書 マルコの福音書10章13〜14節)

2025年9月2日火曜日

虹の御約束

 昨日、一人の知人の方から残暑お見舞いの葉書が送られてきた。文面もさることながら、上掲の一枚の写真が印刷されていた。途端に嬉しくなった。言うまでもなく、見事な虹を目の前にしたからである。送ってくださった方に早速お電話して、いつのお写真か確かめた。2019年の8月ごろらしい。お住まいは茨城県の境町である。境町のご自宅の西側(写真で言うと手前側)2キロほど離れたところに利根川が流れており、虹はその反対側東側(筑波山の方向)に見えたと言うことだ。

 虹ができあがるためには、三つの条件が必要で、その三つとは「雲」と「雨」と「日光」だ。1996年の10月、日本からスイスへ二百二十余名の方々と旅したことがあるが、ある時、宿舎に入るバスの車中から雨上がりの虹を見た。皆、一斉に歓声を上げて喜んだ。中でも同行したTさんは人一倍喜んでおられた。「神様は私の今までのわがまま、背きの罪をイエス様の身代わりの十字架の死で全部赦してくださり、『もうあなたの罪は忘れた』とこのように虹を見せてくださったのですね」とおっしゃった。

 降って、2016年8月28日、同月23日に召されたベック兄の葬儀の帰り道、長野県の佐久インターに近づく谷間の雲間に光が差し、虹が出現した。つい一二時間前にベック兄と地上でのお別れを経験し、寂しさを禁じ得なかった時だけに、私たちの心に神様だけが語りかけてくださる一条(ひとすじ)の希望の光となった。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/08/blog-post_28.html

 今まで八十余年の人生の中で、幾たび虹を見せられてきたことか。F.B.マイヤーは『きょうの力』と言う本の中で次のように呼びかけている。

空を仰いで虹を眺めたならば、あなたと(神様が)結ばれた契約を思い出しましょう。その滅びの洪水が再び地をおおうことはないとの御約束は、同時に御慈愛と恵みの洪水が地をおおうという宣言でもあったことを!(同書12ページより引用)

 ちなみに残暑お見舞いの葉書をくださった方は次のみことばを書いてくださっていた。

愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず高慢になりません。(新約聖書 1コリント13:4)

このみことばを通しても、主イエス様の愛がいかに大きなものか、改めて思わされる。最後にノアの大洪水後に虹を通して神様がくださった約束を今一度振り返りたい。

わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。虹が雲の中にあるとき、わたしはそれを見て、神と、すべての生き物、地上のすべて肉なるものとの間の永遠の契約を思い出そう。(旧約聖書 創世記9章13〜16節)

2025年9月1日月曜日

秋一番、ぶどうの成る季節

ぶどうの実 我が子孫の数 示せり(※)
 「長い、長い夏が過ぎた!」と言いたいところだが、未だ未だ夏は続きそうだ。いい加減に涼しくなってくれと誰しも思うところだろう。おかげで、8月の投稿はわずか一回にとどまった。でも、投稿が一回しかないのは暑さのせいではない。昨日は今出席している集会でお話しすることになっていて、そのために全神経は集中しているので、書けなかったと言うのが真相だ。9月の第二週の日曜日には近江八幡でのご奉仕が待っているので、これまた難物だが、不完全でも昨日の話で一段落着いたので、これからは自由にこの場でお出会いできると思いますので、よろしくお願いします。

 さて、昨日は礼拝の後、次女が子どもを連れて、私たちの面倒を見に来てくれた。ありがたいことだ。家は散らかり放題。どこからも手がつけられない始末。次女にすれば何とも我慢のならない惨状だが、そこは我慢し、車で郊外にあるイオンでの買い物に連れて行ってくれた。自転車でしか移動手段のない私たちにとり大型店舗での買い物は難しい。おかげで念願のズボンが二着買えた。妻のスカートも買いたかったが、老妻向きの品物を用意している店舗はなかったのでこちらは諦めた。

 その間、ひさしぶりに一歳半になる孫娘と行動をともにした。昔、湯川秀樹が孫の存在について、理性では説明しようもない、新たな感じを抱くと、素粒子論を展開した彼が述懐していたのを思い出す。孫娘はいつの間にか成長し、面白いほどによく歩き回る。こちらは座るのが使命みたいな生き方をしているのに彼女はそうではない。おまけに、「じいじ」「ばあば」と言っては適宜に擦り寄って来る。人の一生で幼年期の姿は独特のものがあるとの思いを我も抱く。

 孫と言えば、昔ベック兄(1930〜2016)はよく神様には孫はいないよと言っておられた。これまた湯川秀樹とはまた違った述懐だ。私たち夫婦は孫娘が成人するまではとても生き延びているとは思えない。三食のたびに子どもたち孫たちのうちに主イエス様の平和が支配してくださるようにと祈る日々である。不思議と暑さを退散させてくださいとは祈ったことがない。

※ 昨日、次女がくれたぶどうの一部。ブログ用に食卓に載せ写真に撮ってみたら、五人の子ども、十一人の孫に思えた。

あなたがたは、・・・『父が酸いぶどうを食べたので、子どもの歯が浮く。』という、このことわざをくり返し言っているが、いったいどうしたことか。わたしは誓って言う。・・・見よ。すべてのいのちはわたしのもの。父のいのちも、子のいのちもわたしのもの。罪を犯した者は、その者が死ぬ。(旧約聖書 エゼキエル書18章2〜4節)