2022年9月16日金曜日

主の権威(上)

祭司長、律法学者、長老たちが、イエスのところにやって来た。そして、イエスに言った。「何の権威によって、これらのことをしておられるのですか。だれが、あなたにこれらのことをする権威を授けたのですか。」(マルコ11・27〜28)

 祭司長らが見てイエスの行為に不平を感じた一つは何事をなすにも御自身の権威が如実に現れることであった。イエスは万事謙遜であったけれども、ご自身を曲げることは出来なかった。だから病を癒すにも、宮を浄めるにもご自身の神権をもってこれをなし給うた。

 パリサイ人が病を癒すと称する場合には『主なる神よ我に聞き給え』などと祈るのが通常であったのに、イエスは『我なんじに命ず、起きよ』などと言われた。宮を浄める時でも『我が父の家』とか『我が家』と言ってご自身の権威でこれをなされた。

 それが祭司たちには非常に気に食わなかった。彼らは神の宮に対しては権威者であると自信していた。これが侵害されたから面白くない。のみならずイエスが万事自分の権威でなすのは神を冒すものだとも思われたのである。だからこの問いを発した。然り、イエスが神でなければイエスの行動には冒瀆と思われることがたくさんある。

祈祷
神の子なる主よ、私たちはあなたが絶対の権威者であることを信じて感謝申し上げます。私たちは神の子である救い主であるがゆえにあなたのところに来て平安と永生を受けることを感謝申し上げます。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著259頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌 200 https://www.youtube.com/watch?v=gaZo6OzcWZA

クレッツマン『聖書の黙想』〈182頁)より引用

 主が宮に入られるや、サンヒドリンの議員たちの一団が御前に進み出た。これらの人たちは、サドカイ人やパリサイ人や聖職者以外の著名人などであり、指導者階級を代表していた。彼らは、イエスが何の権威によって公然と教えを説き、子供までも含めた民衆から賛美を受けたり、宮を浄めたりするのかなど色々と質問した。イエスはこの間に怒りもされず、また質問者の傲慢さに驚こうともなさらなかった。彼はすぐにもこの人々に解答を与える用意はあったが、その前にまず彼らにもう一つ別の問題を、はっきり解決させる必要があった。)

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