それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。(マルコ11・17)
『強盗』とは激越な語であるように見えるが、事実は私たちの想像よりもひどい。牛や羊や鳩は祭司の検査を経なければ献げられぬ規定であるところから、検査済のものとして売られてあるものは目の玉の飛び出るほど高い。献金もまた指定されたユダヤ古来の貨幣でなければならぬところから、特にこのために貨幣が造られ、その両替料も高い。
而して祭司長アンナの一族のごときはこの暴利によって大いなる富をなしていた。強盗に相違ない。民衆の抵抗できない方面に力を振るって彼らから奪っていたのである。イエスが暴力にも等しい力を振るって二回までも神殿を浄めたのは決して過激ではない。天の使命を忠実に遂行したのである。イエスは実にこれがために遣わされたお方である。然り、イエスの使命は父の家を浄めて祈りの家となすことである。
祈祷
主イエス様、あなたは私の心の宮が貪欲と肉欲と我欲とに当たっているのをご覧になっておられます。願わくは鞭をつくってこれらのものを追い出して、聖霊の宮となして下さいますように。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著249頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌542https://www.youtube.com/watch?v=h0HIFzmIRgY
クレッツマン『聖書の黙想』〈180頁〉より
日曜日の午後、主はだんだんと近づいて来る盛大な祭りの準備に紛れて、宮では何が起こっているかを、もうすばやく見てとってしまわれた。そして、月曜日の朝に、もう一度そこへもどられるや、すぐさま行動に移られた。三年前にも彼は、宮の冒瀆に対して抗議し、権威に満ちたわざを示されていた〈ヨハネ2・13〜21〉
しかし、宮の庭はまたもや売買の取引や、外国からやって来た者の両替などのために解放されていた。なるほど、これらの取引はすべて、律法の求めている捧げものを供える時の便宜として行われていた訳だが。貪欲な鳩売りの連中のために汚されていたのである。
正義の怒りに燃えて、主はこの侵入者どもを追い出し、神聖な宮の庭が、巷の通り道として利用され、乱され、汚されることをお許しにならなかった。主の家は祈りの家であって強盗の巣であってはならない、という聖書の言葉を引かれて、彼はいつもながらご自身の立場をはっきりさせられたのである。)
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