『ぶどう園を造って、・・・農夫たちに貸して、旅に出かけた』(マルコ12・1)
神の遍在を信じ過ぎている私たちには少しく受け取りにくい思想であるが、イエスはたびたびこれに似たことをおっしゃっておられる。マタイ伝25章14節にも神あるいはご自分を指して『旅に出て行く人のようです』と言い、ルカ伝19章12節にも『ある身分の高い人が、遠い国に行った』と言い、またマタイ伝6章6節にも『隠れた所におられるあなたの父』と言っておられる、神は私どもに取っては『隠れた所におられる』お方であるとのいみであろう。
イスラエルの永い歴史の間、神はぶどう園を彼らに『貸して、旅に出かけた』ような態度をお取りになったのは、干渉を避けて彼らを自由に独立発達せしめんがためであった。神は何故に、悪人をこの世に認容するのかと問う人もあるが私たちのような不善あんものをも認容して『隠れた所で見ておられる』。すなわち隠れて私たちを見ておられるのは、地球という『ぶどう園』を私たちに『貸して』善い実を結ぶであろうことを待っておられるのである。
祈祷
かくれて私たちを見ておられる御父よ、あなたが私たちにしばらくの人生を貸し、自由を与えて、遠く旅立っておられるのは、私たちを独立のものとして教育せんがためであることを感謝申し上げます。願わくは、私たちをしてこのあなたの期待に背かない者に造り上げて下さいますように。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著263頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。)
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