それで、イエスを残して立ち去った。(マルコ12・12)
もちろん、これは彼らがイエスの面前から去って行った事実の記載に過ぎない。けれども私には何となく悲しく響く。
彼らの心が永遠にイエスから離れ去った姿がアリアリと目に見えるように思われて悲しい。否、彼らの姿は自分の姿ではないかと思われて悲しい気がする。父が心を尽くしてその子に厳しい訓戒を与える。子を悔い改めさせたいからである。子はその心に父を恨んで家を出て行く。
父は一時的であろうことを心の中で切に祈っている。だが、その子は永久に帰っては来ない。『立ち去った』のであった。私は父なる神に対して、こんな間違いをしたくない。否、誰に対してでも、こんな冷たい心を持ちたくない。
祈祷
神よ、高ぶりかつ冷たい私の心を見て憐んで下さい。何という私でありましょう。私の心は、少しのことが気に入らないで、じきにあなたから、また愛する周囲の者からさえも『立ち去った』という冷たい心になります。泣いてお詫びを申し上げます。どうか私を憐んで、このような心を取り去って下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著270頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌 524https://www.youtube.com/watch?v=rXAduhXrLBY )
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