2022年9月19日月曜日

ぶどう園の持ち主(上)

それからイエスは、たとえを用いて彼らに話し始められた。「ある人がぶどう園を造って、垣を巡らし、酒ぶねを掘り、やぐらを建て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。(マルコ12・1〜2)

 言うまでもこれもイスラエルを指したのである。イスラエルの永い歴史はエホバの神の恩寵史である。彼らは実に世界のぶどう園であるべく特別な保護と教育とを受けたのであったが、その使命と任務とを全く忘れてしまった。

 神はある人を特別に恵む。神を父と呼ぶことのできる私たちは実に特別に恵まれた者である。その他学問に恵まれた人、芸術に恵まれた人など種々あるであろうが、ことごとく使命と任務とが負わされている。

 一つとして自己満足のために与えられてはいない。いわんや自らを高くして人を見下げるためではない。互いに自己の長所を謙遜に用いて他人の前に奉仕するためである。これを忘れたユダヤ人はどうなったか。私たちも同じ徹を踏まないように謙遜と奉仕とに心がけねばならぬ。

祈祷
天の父よ、あなたは私たちのために『垣を巡らし、やぐらを建て』あなたの『ぶどう園』となし給いしことを感謝申し上げます。願わくは、自分のためにのみ実を結ぶ悪しきぶどう園となることなく、へりくだって人の食物となることを喜ぶようにさせて下さい、アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著262頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

クレッツマン『聖書の黙想』〈187頁〉より

 その日、主は宮でいろいろ語られたが、これはその比類ないたとえ話の一つである。
 主はある男の話を語られる。
 この男はぶどう園を造り、侵入者を防ぐために垣をめぐらし、ぶどう汁をしぼる時の酒穴を掘り、労働者の便宜と貯蔵の用をかねてやぐらを立て、準備万端を整えた。彼は収穫を焦らなかった。実を結ぶのを期待できるまでには、まだ数年を要したからである。そこで彼は旅に出かけ、ぶどう園は農夫たちの手にまかせられた。)

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