『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。』(マルコ11・12)
祈りの最も良き見本はイエスである。祈りとは何であるかと問う人はイエスを見るがいい。祈りは人が神に近づき神が人と交わるのである。祈りは人と神との握手であって、この握手によって不思議な力が神から人へと伝わってくる。
神にもまたこの握手によってでなければ成し能わない仕事がある。神は全能である。しかし人間の意志がこれと共同することを欲し給う。されば神は昔から祈りの家を地上に設け給うた。祈りは神と人との結合であるが、祈りの家は神と人と人々との結合である。神の意志と人の意志と人々の意志とが渾然として一つになる所である。
イエスの如きお方はご自分と同等に祈る人がないから一人で祈られた。しかし弟子らには『私たちの父よ』と呼んで共に祈るべく教えられ、『ふたりでも三人でもわたしの名において集まる所』と教えられた。だから祈りの家は(本当の祈りの家であるならば)世界を動かす発電所である。心を合わせて祈ることほど大きな力はない。
祈祷
主イエス様、私に祈りを教えて下さい。私たちに祈ることを教えて下さい。独りにてあなたと語る楽しさを私に与えると共に、祈りの友を与えて世界を動かす力をお与え下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著248頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌44https://www.youtube.com/watch?v=W8aR_ZKidgAなお、日々の歌は19「立琴かなでて主をたたえよう」がそれにあたる)
0 件のコメント:
コメントを投稿