そこで彼らはイエスに答えて、「わかりません。」と言った。そこでイエスは彼らに、「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」と言われた。(マルコ11・33)
キリストの福音は生きている。聖書の中にある真理は不思議な力を有する。従順にこれを聞く者には次第にその意義が明らかになってくるが、不従順な者に対しては次第にその意義が不可解になってくる。
まして真理と知りつつも、これを『わかりません』として糊塗(こと)する者は不思議にも自らの理解力が鈍くなって来て福音の妙味も、砂を噛むが如きものとなり、あるいは全く無稽(むけい)なこととさえ考えられるようになる。
これに反して少しく理解した真理でも、努めて実行していると、更に次の一歩がわかってくるようになる。昔イエスが祭司長らに対して取り給うた態度は今も同じであると見える。イエスの霊は今日でも聖書の中から、あるいは語り、あるいは『あなたがたに話すまい』と言い給う。
祈祷
ああ主よ、願わくは、私に従順な心を与え給え。あなたのお語りになる真理に喜んで従い歩ませて下さい。そして一歩より二歩と次第にあなたの真理を体験する者とならせて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著261頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌 161
クレッツマン『聖書の黙想』〈183頁〉より
もし彼らが、ヨハネのバプテスマは多くの人々が信じているように天からだと言ったら、では何故、彼を受け入れないのか、その理由をイエスは知ろうとなさるだろう。もし人からだと言ったら、ヨハネを偉大に預言者と信じている民衆を怒らせることになるだろう。彼らは顔にありありと恥の色を浮かべながら、しかし心に悲しみの情を抱くこともなく答えた。「わかりません」。そこでイエスは彼らの罪深い魂にもう一本、鋭い矢を放たれる。
「わたしも、何の権威によってこれらのことをするのか、あなたがたに話すまい。」
こんなにも明らかな姿で真理が現れる時に、これを拒否するとはなんたる宿命であろうか。)
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