2022年11月10日木曜日

『荒らす憎むべきもの』(下)

「その日は、神が天地を創造された初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような苦難の日だからです。そして、もし主がその日数を少なくしてくださらないなら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、主は、ご自分で選んだ選びの民のために、その日数を少なくしてくださったのです。」(マルコ13・19〜20)

 ユダヤの歴史家ヨセフスの書をひもとけば、エルサレムの滅亡は実にローマ兵の残酷と罪悪とを極度に示している。かかる暴虐の日が今少し続いたならばエルサレムは一人も生きて残らなかったであろうと言われている。しかし主イエスの預言し給うた如く『その日数を少なくしてくださった』。それは『選びの民のため』であると主は言い給う。

 ここで『選びの民』とはユダヤ人全体でなく、ユダヤ人たるキリスト者である。ソドムとゴモラの町にもし五人の正しい者があったならば神はこれを滅ぼさなかったと書いてある。少数の神を信ずる者のためにその全社会を寛大に取り扱い給う神の御恵みは尊い。私どもは少数でも我が国家のためにとりなし祈るための力が与えられている。

祈祷
天の父よ、愛する我が日の本の国を憐み給え。願わくは上にありて権を執る者、下にありてその治下に働く者、たといあなたを知らず、あなたに逆らうとも、願わくはあなたは静かに彼らの衷に働き、彼らの思想を善導し、その足を正しい道へと進ませ給え。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著314頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌412https://www.youtube.com/watch?v=08WL-KTpd4c )

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