そこで、イエスは、弟子のうちふたりを送って、こう言われた。「都にはいりなさい。そうすれば、水がめを運んでいる男に会うから、その人について行きなさい。そして、その人がはいって行く家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする、わたしの客間はどこか、と先生が言っておられる。』と言いなさい。するとその主人が自分で席が整って用意のできた二階の広間を見せてくれます。そこでわたしたちのために用意をしなさい。」(マルコ14・13〜15)
これはイエスの奇蹟的な前知を示すものか、あるいは前もってこの無名の人と打ち合わせて置いたのであるかが不明であるが、主がその場所を秘密になし給うたことは明らかである。とにかく叛逆者ユダに知られぬ用意であった。弟子らと最後の晩餐を静かにゆっくりと不安なしに食したいご希望からであったのであろう。
この二人の弟子すなわちペテロとヨハネ(ルカ伝22章8節)さえも知らなかった隠れたお弟子は誰であったろう。祭司らが血眼になってイエスの所在を知らんとしているとき、エルサレムの真ん中で安心して過越の食を為し得るほどにイエスが信用し給うたこの弟子は誰であろう。『二階の広間』を所有する相当の資産家であっただけしか分からない。ああ懐かしい無名のお弟子よ。
祈祷
主よ、あなたは隠れたる無名の弟子、おそらくはニコデモのように世間をはばかる小さな信仰の弟子の家において晩餐を守られたことを感謝申し上げます。私のように隠れたる小さい者をもあなたは何かのご用にお用いになることをありがたく感謝申し上げます。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著315頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌 470https://www.youtube.com/shorts/7TQDEC_e7uE
以下、クレッツマンの32「暗い企ても、救い主をその愛と従順の道からそらすことはできない」の最後に位置する文章である。〈『聖書の黙想』215頁より引用〉
かくして、木曜日は明ける。その日は夕方、祭りの席をもうけるために、過越の羊を買って、ほふらなければならない日だったので、弟子たちはこれを主に告げた。おそらく、彼らは過越の食事をする場所を、どこで見つけたらよいのか心配していたのだろう。そういう場所は限られていて、手に入りにくかったからだ。しかし、こんなことは主の知恵と力にとっては些細なことだった。
主はそのような場所をどうして見つけるかを教えて、二人の弟子を使いに出した。まず、彼らは水がめを持った一人の男に出会うだろう。これは女の仕事にきまっているから、実に珍しい姿に見えるが、とにかく、この男について行くと、ある家に来る。その家の主人は、もちろん、キリストの弟子であるが、席を整えて用意が出来ている二階の大広間を、喜んで彼らの望みのままに提供してくれるだろうーーこれが彼らに指示されたところであるが、結果は主の言葉通りとなった。
弟子たちは過越の祭りに必要なものをすべて買い整えることができたが、この部屋でどんなに記念すべき夕べを過ごすことになるかは、少しも気づいていなかった。
一方、David Smithの『The Days of His Flesh』は冒頭のみことばの場面について、次のように語る。〈邦訳845頁、原著438頁〉
5 準備についての主の命令
次の日は『準備の日』であった。而して弟子たちはイエスが予ての例に従いて、その夜過越の晩餐を守られるべきを信じつつ、どこにその準備を整うべきかをイエスに尋ねた。イエスはすでに市内の一信徒とこの問題を協議しておられた。次に起こってくる事件より推してこの信徒とは後に福音書を著したマルコのヨハネであったと自ずから憶断せられるのである。マルコは富裕な信者でバルナバの従弟にあたり〈コロサイ4・10〉、後年使徒たちのために好意をもってその門戸を開放したマリヤはその母であって、この寡婦なる母とともにエルサレムに住まっていた〈使徒12・12〉。彼の家の籠城には大きな客室があった。而して彼は食卓と寝台とを設備して、イエスがその弟子とともに晩餐を守られるためにこの室を献げたのであった。イエスはその弟子の名を指摘せられることができたはずであるけれども、謀反人の胸中をすでに看破して、彼をしてその場所を知らしめれば、これを有司に内通し、晩餐の半ばに彼らをここに伴い来るべきを知ってこれを避けられたのであろう。なおイエスはその苦難を受けられるに先立ちて、その弟子とともに過越節を守り、心静かに物語らんと欲せられた。ゆえにその家の主人にこの計画を示して置かれたのであった〈ルカ22・15〉。この使者としてペテロとヨハネとを選び〈ルカ22・8〉『町にはいると、水がめを運んでいる男に会うから、その人がはいる家にまでついて行きなさい。そして、その家の主人に、『弟子たちといっしょに過越の食事をする客間はどこか、と先生があなたに言っておられる』と言いなさい」と命ぜられた。由来水を汲むのは婦人の務めであって水瓶を携えた男は明らかに注意を引くべきである。而してこれは確かに主人の奴隷の一人であって、弟子たちとは相知った間であったろう。この命令にはユダは何の手がかりも得られなかったので、その使者に鼻腔することは出来なかった。
6 楼上の論争
彼らの役目は神殿に小羊を運び、これを祭壇に献げ、またその肉を焼くほか、なおぶどう酒、種入れぬパン、苦き菜及びイスラエル人がエジプトにおいて煉瓦を造るに用いた泥土を象徴する押しつぶした果実を酢で和えたカロセスと称する糊の準備を為すにあった。万事の用意が整って彼らはイエスのところへ帰って来た。而して夕暮れに一団はエルサレムに赴いて、その室に着したのであった。家の主人は大胆にこの客間を提供したのであった。イエスと十二使徒と斯くの如き宴筵を張られたことは稀であって、この厳粛な危機に際しても、この平生見慣れざる堂々たる光景に接して弟子たちの間に議論が起こった。彼らは特に与えられんとする褒賞と栄誉とを望んで、他に優れるを互いに示すに汲々とし食卓の座を競って争い合ったのであった〈ルカ14・7〜11〉。)
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