2022年11月12日土曜日

人の子の来臨

待ち焦がる 白鷺来たる 冬支度

「だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。」(マルコ13・24〜27)

 この世の終末に関する預言である。もちろん用語は旧約の預言者に倣って(例イザヤ13・10、エゼキエル32・7、ヨエル2・28など)劇的な修辞法を用いておられるから、これを一々文字通りに解釈するの当否は知らないが、世界には驚嘆すべき終末があることと、キリストが再臨せらるることと『選民』すなわち信者たちはことごとく彼の膝下に集められること、とを厳粛に預言し給うただけは確実である。この三つの事件の必ず起こるべきことは、『そのとき』の語が三度(※)繰り返してあるのによって明白である。

祈祷
主イエス様、願わくはそのときを速やかに来らせてください。私たちはこの世が速やかに終わらんことを願うのではありませんが、あなたがその栄光をもって速やかに来て下さることを切に願っております。仰ぎ乞い願わくば、あなたの御国が速やかに成就し、あなたの選びの民が御許に集められる時が速やかに来りますように。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著316頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌154https://www.youtube.com/watch?v=jnziXLHt5EY

※「その日には」「そのとき」「そのとき」と三度繰り返されている。いずれも時のしるしの経過を表わす。一方、いつも散歩する古利根川にもひさしぶりに鷺や鴨がやって来た。秋色深まり、いよいよ冬到来だ!

クレッツマンはその『聖書の黙想』の中でマルコ13・14〜37に31「人の子の訪れ」と題して、以下の文章を載せている。順次紹介したい。今日はその総論にあたる部分である。

 この章節を取り上げるにあたって、心にとめなければならない点が二つある。

 一つは、聖書はこれから何が起こるかということに関して、キリストご自身の言葉を載せていながら、キリストの再臨については、ただ、裁きのために訪れるという以外に、何も語っていないという点である。それから、今一つは、これらの事柄に関するキリストの言葉の中で、キリストはエルサレムの裁きと世界の裁きとを密接に関係あるものとして語っておられるという点である。事実、エルサレムとイスラエルが、最後は見捨てられるのは、世の終わりにあらゆる人々の上に訪れるべき、裁きの始まりとみなされる。

 キリストがこれ以外の機会に、これ以外の目的をもって訪れる余地があるとは考えられない。)

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