イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。・・・しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」(マルコ14・27〜28)
次第に逆境に陥りつつあるイエスに見切りをつけ、彼を売って三年間の損失を少しでも取り返そうと考えたのはユダ一人であったけれども、彼の十字架につまずいたのは一人ではなかった。主の懐にあって特別に愛されたヨハネまでもつまずいた者の一人であったことを思うと、人間の弱さをつくづくと感ずる。
主の恩寵と聖霊の御働きによらなければ一人として再起する者はなかったであろう。つまづかんとする彼ら、つまづいた後の彼ら、それは眼前に迫る御自身の死よりも大きな御心配であった。だからガリラヤでの再会をはっきりと約束し給うたのである。
イエスのよみがえりはある意味では御弟子らに再会して彼らのつまづきを癒したいという御熱心の現れとも見られる。御復活は死の征服であると同時に、霊の勝利である。『あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます』の語にはイエスが復活後の再会をどんなに望んでおられたかを示す熱情がこもっているではないか。
祈祷
私たちがつまづくとき、私たちに先だちで往き、私たちに会わんと為し給う主よ、あなたの絶えることのない愛を感謝申し上げます。願わくは、私たちをもガリラヤに往ってあなたにまみゆることを切に求める者となして下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著329頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌131https://www.youtube.com/watch?v=sPLHPrZIBYw
引き続いて、クレッツマンの『聖書の黙想』より
主は、この夜、彼らみんなが、ご自身につまずくことになるだろうと、悲しげに予告された。羊飼いは打たれ、羊はちらされるだろう。しかし、主はよみがえられた後彼らとガリラヤで再会するという、慰めにみちた約束も加えてくださった。)
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