そして、賛美の歌を歌ってから、みなでオリーブ山へ出かけて行った。(マルコ14・26)
過越節の食事の時には詩篇の113篇から118篇までを二回に分けチャント(聖歌)のようにして、唱う例になっている。だからこれは第二回の分すなわち115篇から118篇までであったであろう。あるいは現今のユダヤ人と同じく136篇を用いたかも知れない。いづれも感謝に満ちた歌である。
イエスは弟子らと共にこれを唱ったのである。すぐに『オリーブ山へ出かけ』この夜の中に囚われるのであるから、感謝の歌など唱えないのが普通の人の気分であるが、イエスは心から深い感謝を献げたのである(※)。
彼は決して自分を偽り得るお方ではない。おそらくはこの世にお降りになった大目的がまさに成就せられんとするので一面から言えば苦痛であるが、他面から言えば感謝の賛美を献げるにふさわしい心を持たれたのであろう。私はこの時にイエスが唱われたのを聞きたかった。
祈祷
死に直面してなお感謝の賛美を歌われた私の主イエス様、願わくは、私にも苦しみの中に賛美を唱い得る心をお与え下さい。
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著328頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌271https://www.youtube.com/watch?v=3UTIU5d9NOY
クレッツマンの『聖書の黙想』より11/22『最後の晩餐』中に掲載した文章に続く個所である。
イエスは天国での婚宴の席で、再び相会うしあわせを約して、この聖なる晩餐を終られる。この小さな一行は、最後に讃美歌を歌って、祝宴の幕を閉じ、二階の部屋を立ってオリーブ山へと向かう。
※短い文章だが、使徒の働き16章でパウロとシラスが獄に捕らえられている中で夜中賛美したとある。主イエス様の歩みにすべて原点がある!
さて、David Smithの『The Days of His Flesh』は第46章 ゲッセマネの就縛 と言う題名で、およそ20頁にわたりその詳細を聖書に沿って記述しているが、その中から以下抜粋する。
5 ゲッセマネへ向かわれる
弟子と神とに対話を終えられてより、イエスは都を出られた。寂寞な街路に弟子を従えつつやがて城門を過ぎてケデロンの谷を渡り、オリーブ山の坂道の行き慣れた隠れ家へと赴かれた。聖ヨハネがケデロンの谷を渡られたことを記したのは神秘的な意義がなければならない。この小川は決して愉快な所ではなかった。神殿の祭壇で流した犠牲の血が、そのうちに注ぎ込むのであって、『神の小羊』がこの小川を越されるときには過越の祝いの小羊の血で流れは紅に染まっていた。イエスは途上では一言も仰せられなかった。警告と奨励の最後の教訓を与えられたのに、異常の恐怖が弟子たちの間に起こったからであった。城壁の園の中には少しの空き地もなかった。かつ聖都の中では律法の上から肥料を用いるのが許されないので、富裕な市民は、城門外ことにオリーブの西の坂に畑や遊園地を作っていたのであった。そのうちにイエスの弟子、恐らくヨハネ・マルコの母マリヤの所有にかかわるものがあったが、ここにイエスは過越の祝いの間夜毎に宿られたのであった。そこはオリーブの列樹があったので『ゲッセマネ〈すなわち油搾り〉の森』または『ゲッセマネの園』と称せられた。11人を伴ってイエスは今そこに来られた。)
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