魚群を 追う白鷺の 波音 |
『この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。天の御使いたちも子も知りません。ただ父だけが知っておられます。』(マルコ13・31〜33)
これは一見したところでは不思議と思われる語である。一面にはこの預言の必ず成就すべきを断言し、その天地よりも永久であることを主張して、神の子らしさを示していると同時に、他面にはその時期についての無知を告白して、人間らしき姿を見せている。
が、神の御子が人となり給うたことを信ずる私どもにはむしろ悲痛なありがたさを感ぜせしめる。『人の子には枕するところもありません』と言われたのより以上に悲惨な気がする。主は私どもと同じ体験を味わって下さるためにその全知と全能とを捨てて、神としての立場から見れば実に無知無能の人間となり給うたことを示している。
もちろん神は彼に『御霊を無限に与えられるから(ヨハネ3・34)』とあるように私どもから見れば実に超人間であったけれども。
祈祷
神と等しくあることを捨て難きことと思わず、私たちのために貧しく成り下り給いし主よ。かほどに大いなる御仁慈が私の心に深く触れざるを悲しむ。げに親の心を知らざる不良児なる私を憐み給いて、少しにてもあなたの愛を覚える者と為し給え。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著318頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌149https://www.youtube.com/watch?v=LF2VXECjlvQ
以下は、「人の子の訪れ」と題するクレッツマンの『聖書の黙想』の引用の昨日の続きの文章である。
太陽や月や星は運行を停止し、この世界全体は破滅の渦の中に巻きこまれる。これらをその軌道や位置に保っている力が取り去られるからだ。それから、人の子が大いなる力と栄光とをもって、雲に乗って訪れる瞬間が迫る。その日は、神が全能の力ある言葉によって、天と地を造り給うた日よりも更に意味深い日となるだろう。天地創造の日には、だれもその証人となるものはいなかった。しかし、今すべての目は神を見るだろう。そしてすべての人間の永遠の運命が決まるのだ。)
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