山茶花の オンパレードよ ここにあり |
さて、またしても『オネシモ物語』の昨日の続きを転写させていただく。そして創作ではあるが、次の場面こそ一人の人間が自らの心のやみに一条の光を招き入れ、罪から解放される瞬間を示しているからである。それは山茶花の一斉開花に通ずる。先ずはピレモンのパウロに対する質問から、もう一度書かせていただく。
「わたしは真理を求めています。真実な、生きておられる神さまを知って礼拝したいのです。」
ランプの光に照らされた円陣が動くと、ピレモンのための場所が作られた。彼は機織りの近くに座った。織り手のアクラは、話に加わっていたが静かに仕事を続け手を休めなかった。彼は貧しかったので時間をむだにしたくなかったのである。
パウロが言った。
「あなたが求めておられるものは、ここで見つけることができます。神はご自身をお示しになり、わたしたちの心の暗やみにその光をかがやかせてくださるのです。この部屋の中でわたしたちはみなその光を見ています。神の栄光は、イエス・キリストの御顔に現われているからです。」
機織りの小屋の中で、パウロの声は夜明けを告げるらっぱのようにひびきわたった。(中略)小屋にはパウロとピレモンのほかだれもいなかった。ほかの人たちはかなり前にそれぞれの家に帰ったのだ。一人の人の全人生を神の光のもとに導くのには時間がかかったのである。使徒パウロはつかれていたが、ちょうど、はげしい戦いを終えて勝利を喜ぶ戦士のように見えた。パウロは、ピレモンの頭に両手をおいて祝福を祈った。
「主があなたを祝福し、守ってくださるように。キリストにあるわたしの息子よ、主があなたに御顔をかがやかせ、わたしたちの主イエス・キリストをとおして永遠の栄光に導いてくださるように・・・。」
こうして、ピレモンはパウロを通して、主イエス・キリストを信じ、心のうちに歓喜を経験する。それだけでなく、奴隷を所有する主人だったピレモンの奴隷に対する見方が変わったことがさらに次のように印象的に描かれている。
主人がいごこちよくなるために気をくばるのは奴隷の務めではないか。奴隷が気持ちよくすごしているかどうかを考えるのは主人にかかわることではないのに・・・。
しかし今は、何かがちがっていた。彼は目をひらいて全世界を見ているような気がしていた。空の色は今までよりも美しく、アカシヤのにおいをもっと強く感じた。そして、自分のそばにいる奴隷が、寒さを感じていることがとつぜんのように気になりはじめた。これはくだかれた心に光がさしはじめたことなのだろうか。深い暗やみに夜明けが来るように、目には見えないけれど、キリストの愛が照らしはじめたことなのだろうか。まだよくわからなかった。彼は自分のがいとうを広げると奴隷のからだを引きよせて包みこむようにした。
「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(新約聖書 1コリント人への手紙4章6節)
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