2023年3月7日火曜日

無数のつぼみのよう

青空に ミズキのつぼみ 無数なり
 このハナミズキは、先週の金曜日(3/3)に、知人の火葬の折り、外に出て見上げたものだ。葬儀と言うと何とも言えない悲しみに支配されるのが普通だ。この時も、その思いがなかったわけではない。しかし、このハナミズキの先端に育っている無数のつぼみは天に上げられたおひとりおひとりを象(かたど)っているように思われてうれしくなった。

 それは多分にパトリシア・M・セントジョンが描く天の故郷に対するゆるぎない確証をその文章をとおして得ていたからである。例の『雪のたから』にこんな文章があった。

クリスマスの夜、アンネットはお母さんを亡くします。その時、お母さんはダニーを産み落としていました。その悲しみのとき、悲しみよりも、もっと別次元のイエスさまの誕生に感謝する叙述が続きます。その中で作者は第一話の「天使たちと過ごしたクリスマス」の中で、次の文章を最後に書いています。

アンネットのおかあさんは、クリスマスを天使たちと過ごすために、天に行ってしまったのでした。(16頁)

そのようにして生まれたダニーを育てるために家族は苦労しますが、目の見えないリューマチのおばあさんがアンネットを助けにやってきます。ダニーはアンネットの友人ルシエンのせいで谷底に落ちてしまいます。死んだとばかり思っていたダニーは生きていました。しかし足を骨折して一生松葉杖を使わなければ歩けない不具の身になりました。そのときおばあさんが孫のアンネットに語る言葉です。第七話「救い主のみ手に抱かれて」での一コマです。

「アンネット。わたしたちはね。ダニーがまだ赤ちゃんだった時、ダニーを教会に連れて行って、信仰によって、ダニーを救い主のみ手におゆだねしたのよ。そして、毎日、わたしたちは、救い主イエスさまに、ダニーをお守りくださいといのっているわ。だからダニーが(谷に)落ちた時でも、イエスさまは、ダニーを守ってくださっていたのよ。イエスさまは、そのみ手で、いつもダニーを支えてくださっているのよ。たとえあの時、ダニーが死んでいたとしても、まっすぐに天のおうちに連れて行かれたことでしょう。だからもうそんなに泣かないで、救い主イエスさまが、ダニーを守ってくださることを信じましょう。そして、ダニーのためにできるだけのことをしてやりましょう。」(92頁)

自らの過失に苦しみ、誰からも見放されたルシエンは一人の「山のおじいさん」に出会います。これはそのおじいさんがルシエン以上に罪を犯し苦しんだが、罪の赦しをいただいたことをルシエンに話す場面です。第十三話「おじいさんの物語」に出てくる一シーンです。

「わしはおまわりさんにつれられて、妻に最後の別れをしに行った。妻はもう死にかかっていたのだ。妻はけっかくで死んだということだが、本当は、悲しみのあまり死んだのだと、わしは思っている。わしが妻を殺したようなものなんだよ。
 わしは、二十四時間の間、妻の手をとって、そのそばにすわっていた。妻は、わしに神さまの愛と、あわれみと神さまが罪をゆるしてくださることについて話してくれた。わしは、妻が死ぬまでそばについていた。そして妻が死んでしまうと、また刑務所に連れもどされた。」(173頁)

「とうとう刑務所から出る日がやってきた。わしは、ほんの少しの金をポケットに入れて一番列車で山の中に入って行った。

 そして、この村で汽車を下りた。というのは、一人の男の人が、こわれた垣根から、無理に入ろうとする牛たちを引きもどすのに苦労しているのを見たからなのだ。わしはその人を助けて、牛たちを道に引きもどした。それからその人に、何か仕事をさせてもらえないかと聞いた。(中略)

 わしは、五年間、その人のところで、朝早くから夜おそくまで働いた。そして、だれとも友だちにならず、休みも取らなかった。わしがみんなからすて去られた時に、わしを温かくむかえてくれたこの人のために働くのが、わしのただ一つの喜びだった。わしはたびたび、なぜこの人はわしをむかえてくれたのだろうと不思議に思うことがあった。しかし、ある夜、その人が息子さんと話しているのを聞いたんだ。息子さんは、ちょうど休みで町から帰って来ていたのだ。
『おとうさん、どうして、あんな、ろくでなしの囚人をやとったのですか。全くばかげたことですよ!』
『キリストはつみびとを受け入れられた。わしらは、弟子ではないか。』

 夏になると、主人とわしは、牛を連れて山に登った。そして、わしが今住んでいるこの小屋に住んだ。平和な山のふんい気がわしの心の中にしみこんで、心のきずをいやしてくれるようだった。自然は、つみびとであるわしにも、聖徒のようなわしの主人にも、同じようにほほえんでくれた。山に咲いている花も、美しい日の入りも、雲ひとつない早朝の空も、二人にとっては、何一つとしてちがうところがなかった。そのころには、わしも、神さまの愛とあわれみを少しは信じるようになっていたんだよ。

 しかし、それから四年ほどすると、主人は、体がだんだん弱ってきて、とうとう病気になってしまった。医者にみてもらって、いろいろ手をつくしたが、どうしてもよくならなかった。わしは一年間主人の看病をした。息子さんもよく見舞いにやって来た。しかし、一年後に主人は死に、わしはひとりぼっちになってしまった。主人は死ぬ前の晩に、ちょうどわしの妻と同じように、神さまの愛と、あわれみと神さまが罪をゆるしてくださることについて話してくれた。」(177頁)

あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。(新約聖書 ヘブル人への手紙12章22節) 

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