三又の 頭状花序 早春 |
「中国原産、慶長年間に日本に渡来し山地に栽植される落葉低木、高さ1〜2m。枝は3分枝に出る、強じんで手では折れない。若枝に伏毛がある。葉は長さ5〜15㎝で薄い。花は早春、新葉に先だって枝毛に頭状に下向きに開く。花弁はない。樹皮は優良な和紙の原料で、とくに紙幣や地図に重要。和名三又(みつまた)は枝が3又状に出ることによる。」
とあった。今春のNHK朝ドラはその牧野富太郎が主人公のようだ。以前、2016年にこの牧野博士の世界観について考えたことがある。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/06/blog-post_18.html 植物という身近な存在に牧野少年がどのように目覚めていくか、ドラマに期待したい。
ところで、今日は三月の「家庭集会」であった。メッセージとお証があった。そのあと残られた六人の方と一緒にメッセンジャーの方を中心にお交わりできた。みなさんの話がおもしろく、私は聞くばかりであったが、いつまでも話していたいようないい交わりであった。そこには全員がどんなことでも話ができるという自由さ闊達さがあった。
昨日のこのブログで、初代教会の様子を彷彿(ほうふつ)させる場面をパトリシア・M・セントジョンの『オネシモ物語』から引用したが、続きを転写する。同書73頁より
「でも先生、教会の規律や秩序についての質問はどうでしょうか。人々はその答えを知りたがっています。」
もう一人の男が心配そうにたずねた。
「ポルトナト、わたしはそのことについても答えました。」
パウロはもう一度手紙を示しながら言った。
「もし悔い改めないならすべてがむだなのです。神のあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、愛がないなら、何のねうちもありません。彼らに愛に従うように言いなさい。そうすれば聖霊がすべてのことを教えます。兄弟たち、ガラテヤの諸教会は偽りの教えにおちいっています。神はコリントの教会が高ぶりと争いとけがれにおちいることをゆるされません。」
「パウロ兄弟、新しい方がいらっしゃいました。」
部屋のうしろの方で声がした。
そこでは、もう一人の職人が天幕の布を作るために、羊毛を機織りにさしこんでいた。その職人の顔だちはまぎれもないユダヤ人のものだった。光の中を前に進むと、彼はピレモンを招き入れた。
「貧しいわたしどもの家へよくおいでくださいました。さあ、中に入ってください。」
ピレモンは、ユダヤ人が自分たちを歓迎してくれたことにおどろいた。彼はそれをさとってにっこり笑って言った。
「ここにはどんなへだてもありません。キリストはわたしたちすべてのために死なれたのです。平和があなたの上にありますように。どんなご用でいらっしゃいましたか。」
みんなの目が戸口に立っているととのった顔つきのフルギヤ人の方に向けられた。ピレモンはへりくだったようすで答えた。
「わたしは真理を求めています。真実な、生きておられる神さまを知って礼拝したいのです。」
これらの叙述には、交わりが「愛」のしからしめるものであることがはっきり描かれている。今日の私たちの交わりの中でも、私たちのそれぞれが「聖霊の宮」であることが自然と証されていた。御霊なる神様は、互いのうちに愛の種を蒔き、その愛が成長するようにと励ましていてくださる。二月にはまだつぼみであった三又が、一月のちにはこのように満開の花をたくさん咲かせているように。
あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(新約聖書 ガラテヤ人への手紙3章26節、28節)
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