春近し 雪のたからの 賜物よ |
昨日は、一人の知人の方の火葬に立ち会わせていただいた。火葬の終わる間の待ち時間に列席されたご夫妻から、貴重なご質問をいただいた。それはクリスチャンは「火葬に付した後のたましいはどういうふうに考えるのですか」というご質問であった。私は「お骨はいずれは完全なからだによみがえります。霊は主イエスさまのところに憩っておられます。イエスさまを信じた者は、生きている時に新しいいのち、新生のいのちに生かされているのです。そしてイエスさまが十字架で死なれた後三日後によみがえられたように、私たちもいずれは完全なからだによみがえらされるんですよ」とお話した。
なぜイエスさまの十字架がそんなに意味を持つかは、この『雪のたから』の最終章の第二十六話「罪ゆるされた喜びの日」がすべてを語っていると思う。全文は14頁になるが、そのうちのごく一部分を抜粋して以下に載せさせていただく。同書340〜342頁より
おじいさんは、考えにふけるように、谷間を見下ろしました。それから、何も置いていないたなに目をうつしました。
「わしは、孫たちに木彫りをいくらか持って行ってやろうとおもっているんだ。孫たちは、きっと喜ぶだろうと思ってな。ルシエン、君にも一つ取ってあるよ。この前の晩、それを見つけたのだ。わしはそれを手放したくないのだが、もし大切にしてくれるなら、君にあげよう。」
ルシエンは、熱心におじいさんを見上げました。
「ぼく、一つほしいです、おじいさん。それを見れば、おじいさんのことを思い出しますし、それをまねて彫ることもできますから。」
おじいさんは、戸だなのとろへ行って、ルシエンのために取っておいたプレゼントを取り出しました。そして、それをルシエンの手において、じっとルシエンを見つめました。
それは二本のあらい木で作った十字架で、ちょっと見ると、かんたんなようでした。しかし、その横木は、ひじょうに精巧に彫ったロープで、たて木に結びつけられていました。ルシエンは、指で、そのすばらしい彫刻をさわりました。そして、目をかがやかせて、おじいさんを見上げました。
「きれいですね。木を折らずに、こんなすばらしいロープが彫れるなんて、ぼくには考えることもできません。これは、イエスさまがおかかりになった十字架ににていますね。」
「そうだよ。わしは、それを、わしの主人がなくなった晩に彫ったんだよ。その晩、主人は、神さまの愛とあわれみについて話してくれて、わしは、自分がゆるされたことを信じたんだ。いつか、君と二人で、愛について話し合ったことがあったね。イエスさまは、十字架におかかりになって、わしらを全き愛で愛してくださっていることを、お示しくださったのだ。」
ルシエンは、また、おじいさんの顔を見上げました。
「全き愛! おばあさんに教わった聖書のおことばと同じですね。そのことを、アンネットが町へ行く前の晩に、アンネットと二人で話し合いました。」
「うん、君は、全き愛ということばをよく聞くだろうが、全き愛というのは、これ以上、何もすることがないというところまで、やって、やって、やりぬき、これ以上苦しめないところまで、苦しんで、苦しんで、苦しみぬくことなんだ。だから、イエスさまは、十字架におかかりになった時に、『完了した』とおっしゃったのだ。イエスさまが死んでくださったので、どんな罪でもみなゆるされ、どんな罪人でもみなゆるされるのだ。イエスさまは、わしらを、全き愛で愛してくださったのだ。」
以下、346頁から終わりまで写させていただく。
次の日は、空がきれいに晴れて、よいお天気でした。学校はありません。ルシエンは、朝早く起きて花をつみました。そしてそれを、ベランダのテーブルの上のはちに生けてから、駅に出かけました。まだ時間は十分あったし、考えることも山ほどあったので、ルシエンは、ゆっくり歩きました。おばあさん、おとうさん、クラウスは、もう、らばの荷車に乗って出かけてしまっていました。
このようなすばらしい春の朝は、今まで一度もありませんでした。かれ草の多かった野原にも、今では青々と草がしげり、花が咲きみだれていました。そして、いたる所から、牛の首につけた鈴の音が聞こえてきました。牛たちは、冬の間ずっと小屋に閉じこめられていたので、今、野原で、春を楽しんでいるのでした。子ヤギたちは、牧場を走り回っていました。そして、くだもの畑では、つぐみが声高らかに歌っていました。森は、樹液のかおりでいっぱいになって、むっとするくらいでした。白いみねは、青い空にそそり立って、目もくらむばかりでした。
ちょうど一年前に、ダニーが谷に落ちた日もこんな日だったとルシエンは思いました。かたまって咲いているクロッカスの花を見て、ルシエンは、あの日のことを思い出したのです。あの日は、どんなにいやな日だったことでしょう。あの日のことを思い出すだけでも、ルシエンの楽しい心の中に暗いかげがさしこんでくるのでした。アンネットとダニーが遠くの町に行かなければならなくなったのも、ルシエンのあやまちのためでした。ですから、二人は、ルシエンに会うのをいやがっているのではないでしょうか。アンネットは、ダニーがよくなったと言ってきました。しかし、ルシエンはなかなかそれを信じることができませんでした。
ルシエンはちょっと落ち着かない気持ちで駅までやって来ました。そして、手をポケットにつっこんで、みんなからはなれた所に立っていました。ルシエンは、アンネットとダニーに会うのがなんだかこわくなってきたので、いっそ来なければよかったと思っていたのです。たくさんの人が、ダニーをむかえに来ていたので、小さなプラットホームはいっぱいになっていました。おとうさんは、汽車が現れてくる、はるか向こうの山の間をじっと見つめていました。真新しいピンクのリボンをつけたクラウスは、線路にとび下りて汽車をむかえに行こうと、おばあさんの手の中であばれたので、おばあさんは、クラウスをおさえるのに一生けん命でした。
「来た!」
おとうさんが言いました。
するとみんなが前の方におしよせました。ルシエンだけは、前よりいっそう落ち着かない気持ちで、後ろの方に立っていました。
汽車がやって来ました。アンネットとダニーは、窓からバラ色の顔をのぞかせてはしゃいでいました。
ダニーは、自分をむかえようと前の方につめよって来るなつかしい顔を、ひとわたり見回しました。そして、みんなからはなれて立っているルシエンを見て、どうしてルシエンは、あんな所にひとりはなれて立っているのだろうと不思議に思いました。喜びにあふれていたダニーは、みんなが自分の周りに集まって来てくれればよいのにと思っていたのです。ダニーは、転がるようにして汽車から下りると、人々をかき分けて、一目散にルシエンのところへ走って行きました。
「ごらんよ、ルシエン。ぼく、歩けるようになったよ! 君の見つけてくれたお医者さんが、治してくださったんだ。谷に落ちる前と同じように歩けるよ。見て、おばあさん! 見て、おとうさん! 松葉づえをつかないで走れるよ。ごらん、クラウス。これはおまえの子ネコだよ。大きくなったでしょう。おばあさん、クラウスと同じくらいだよ。」
クラウスと子ネコは、どちらも歯をむき出しにしてうなりあい、引っかきあいました。ダニーとおばあさんは、二ひきを引きはなしました。人々は笑いました。汽車は、ガタゴトと向こうへ走り去ってしまいました。アンネットは、もう二度とおとうさんからはなれないように、おとうさんにすがりつきました。
ルシエンは、横を向きました。目からなみだがあふれそうになったのです。ルシエンは、だれよりも、みんなから尊敬を受けました。ルシエンの罪は永遠にゆるされ、忘れられたのです。ダニーは、谷に落ちる前と同じように、歩くことができるようになったのです。
ルシエンがふり向くと、プラットホームの、ハタンキョウの花が、きれいに咲きほこっていました。きのう、おじいさんを送って来た時には、枝には花一つ見られなかったのですが、もう春がやって来て、ピンクの花が、星のように、はだかの木をいろどったのです。
寒い、いやな冬は過ぎ去り、春のおとずれとともに、花が咲き、鳥が歌い始めたのです。
こうして350頁に達するこの物語は終わります。写真表紙絵にある三人は、奥にいるのがルシエン、手前がアンネットとダニー、そしてネコのクラウスでしょう。裏表紙はおばあさんとアンネットとダニーだと思います。おばあさんの眺めている窓の向こうにはアルプスの山が見えます。多分ユングフラウも見ているのでしょうか。主人公たちはルシエンとアンネットが十二歳、ダニーが五歳です。そして描かれてはいませんが、山のおじいさんもいます。おじいさん、おばあさんの信じたイエスさまが孫たちの世代に確実に伝えられているのです。それは死に行く時、それぞれが明るい希望をもって死んでゆくのです(※)。私は読んでいて、これほど励まされた物語はないと思いました。
※ご参考のために、過去の記事ですが、2016年の6月9日に記しました「一切心配のないところ」という題名で書いた記事をご紹介しておきます。ここには実際フランシス・リドレー・ハヴァガルの姉が母の臨終に立ち会った時の記録が残されています。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2016/06/blog-post_9.html 最後にみことばを書いておきます。
わたしはあなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。わたしに帰れ。わたしは、あなたを贖ったからだ。(旧約聖書 イザヤ書44章22節)
神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。(新約聖書 2コリント5章21節)
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