2023年3月13日月曜日

近江八幡の街中を歩いて

福音を ヴォーリズ兄 伝えたり
 左義長祭は近江八幡の町をあげてのお祭りであろう。各字はそれぞれ山車(だし)を繰り出し互いにその飾りを競い合うのだろう。上掲の写真の字は大杉町だが、山車を出さずとも、すでに設けてある名誉市民であるヴォーリズ氏の銅像がある。その空間を利用して、祭礼につどう人々への休憩所として昔懐かしい、サイダー・ラムネのようなものを供するために町の人がその準備をしていた。

 行きずりの、それも冷やかし客にしかすぎない私たちにも何となく春の訪れと町の人々のひそかな興奮が伝わってきた。山車そのものが勢揃いするのを見ずして、本番前に町を後にしたが、近江八幡の駅からおよそ二、三キロ離れた神社へ往きはバスで、帰りは徒歩で往復した。ために町の隅々まで歩きながら観察できた。

 歩きながら、ヴォーリズ氏が明治38年(1905年)に八幡駅に降り立ち、宿舎にたどり着くまでの徒歩行にも思いを馳せた。それにしても町の商店街はどこもかしこも閑古鳥が鳴くようで寂しい限りであった。近江商人の町であるから、そこは商人よろしく生き延びているのだろうが、大資本との勝負に勝ち目はなく、このシステムは地方の文化そのものを破壊せざるを得ないのかと暗然たる思いにとらわれた。しかし、すでに自らしてその大資本の恩恵のもとに生きているのだから偉そうなことは言えない。

 ヴォーリズ氏がおよそ120年のちの今八幡駅に降り立ったとしたらどんな思いを持つのだろうか。『失敗者の自叙伝』(ヴォーリズ著)から彼が120年ほど前降り立った時の気持ちを引いてみる。

 「明治38年2月2日、厳寒の日の午後であった。25歳の誕生をすぎたばかりのほっそりとした青年が、日本の小さな町「近江八幡」に降り立った。彼は前夜、東京を立って一晩車中をあかしたのである。その五日まえ、横浜に上陸したばかりで、この国のことは、ほとんど知らず、ましてこんな田舎町のことは、かいもく知識がなかった。ただ一つ、たしかなことは、この町に男子の学校があって、彼はそこで英語を教えることになっていた。

 彼のポケットには、わずか数ドル、これで最初の月給をいただくまで、食いつながなければならない。彼には、この町にも、この県下にも、いやこの国中にだれひとり知り合いがいない。しいてあげれば、つい先日、横浜と東京で行きずりに会った数人がいるだけだった。彼はまさに借金を背負って夢にみてきた冒険に入ろうとしていた。ここまでの旅費を借金してきたので、それに月々の給料から返していかねばならなかった。彼は長時間、暖房もない汽車にゆられて、骨の髄まで冷えあがってしまった。駅のホームで彼を迎えたものは、身を切るような北風と、礼儀正しいといって、わざとらしすぎもせぬ日本人の英語教師であった。この先生は学校へ案内し、その足で小さな民家につれて行った。そこは彼の宿舎にあてられていた。町は駅から一マイルほど離れていて、松林のかげから、かすかに望まれた。それは、小さな、古びた町で、彼が夢みてきた所とは、およそ縁遠いものだった。

 それを思い、行く先を案ずると、だんだん気がふさぎ、向かい風をついて、この案内者と歩く足は重かった。

 私はときどき思ってみる。もしだれかが、この日の午後、私の姿を外からながめていたら、どうみえたことだろうと。

 だが、私には、いつまで待っても、そんな機会はめぐって来ない。なぜなら、こんな寂しい町に、生涯を埋めなければならないのかと、思いまどっている。このお先まっくらの青年こそ、私自身だったのだから・・・。」

 ざっと、こんな具合だったと、『失敗者の自叙伝』でヴォーリズ氏自身がその著作の緒言で語っている。左義長祭は伝統ある行事だから、ヴォーリズ氏自身も見聞きしていたはずである。その彼がどのような態度を取っていたのだろうか。関心のあるテーマではある。そう言えば、彼が赴任した学校(現八幡商業高等学校)の前を今回帰り道で通った。伝統あるこの学校の前に長屋風の家がつたのからまるに任せて放置されていた。ひょっとして120年ほど前のヴォーリズ氏の姿をこの建物は見ていたのかも知れない。

 それにしてもヴォーリズ氏の不安そのものの姿はまさに、下記のみことばが示す信仰者の確たる決心とともに併存する正直なヴォーリズ氏自身の感慨ではなかったかと拝察する。(ヴォーリズ氏については過去のブログでも何度か取り上げている。2010年の3月19日のブログなどである https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2010/03/blog-post_19.html )

信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。(新約聖書 ヘブル人への手紙11章8節)

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