2022年8月31日水曜日

わたしの家(上)

それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮にはいり、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、・・・(マルコ11・15)

 この宮浄めが無花果樹を呪った朝と、枯れた朝との間に行なわれたことはすこぶる興味深い。マルコはその点を明らかにしている。神殿を浄められたのと無花果を呪ったのと同じ動機から出ていることを示す。

 神殿の浄めは無花果の奇蹟の註釈であるとも言えようし、無花果の呪われたのが、神殿の浄めの索引だとも言えよう。いづれも大審判の時を予想させる小審判である。時機に応じて小さい審判を行うのは大なる慈悲である。

 小さい審判の行なわれたことの無い家庭を見るがいい。而してその家から出て来る子供らを見るが良い。イエスは御一生涯を慈悲と憐憫とに費やし給うた。が、愈々御一生の最後が来たときに大審判の予告として小審判を行い、大いに国民を覚醒し給うた。而して永久に私たちを警醒し給う。

祈祷
主イエス様、私どもには苦しみや患難があることを感謝いたします。日々の御警醒が無かったなら、私どもは全く無反省になりまして、終わりの審判の日に赦されることの出来ぬものとなってしまうでありましょう。どうか日々の苦しみの中に御慈悲の鞭を見出して感謝する心を与えて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著243頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌52https://www.youtube.com/watch?v=nbkUEhlSm4I )

2022年8月30日火曜日

主は飢えておられた(下)

イエスは、その木に向かって言われた。「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように。」弟子たちはこれを聞いていた。(マルコ11・14)

 これは審判の声である。神は愛である。永遠に愛である。しかし、愛であるということは義しき審判をするということと決して矛盾しない。真剣そのものであり給うイエスは植物においてすら偽善を嫌い給う。

 パレスチナの無花果樹は必ず、葉よりも先に果実を生ずると言う。この例を破ったこの樹は不自然な病的なものであったにちがいない。虚飾虚栄をこれ事とし、実質の欠けたるを隠蔽する生活ほどイエスの憎み給う生活はなかった。

 無心の樹木ですら斯かる生存が許されないとすれば、私たち良心を有する人間がいかで免れることが出来ようぞと、これが弟子らの心に深く刻みつけられた教訓である。されば『弟子たちはこれを聞いていた』と特筆されている。私たちもこれを聞かねばならない。否、虚栄虚飾の生活を送って悔い改めないものは、いやでも聞かされる時が来る。

祈祷
畏るべき主よ、あなたはすべてのものを愛されますが、またすべてのものを義しく裁かれます。願わくは、私たちに審判の日に悔いなき者とならせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著242頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌320https://www.youtube.com/watch?v=yX2iv6q-tME )

2022年8月29日月曜日

主は飢えておられた(中)

イエスは空腹を覚えられた。葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、それに何かありはしないかと見に行かれたが、そこに来ると、葉のほかは何もないのに気づかれた。いちじくのなる季節ではなかったからである。(マルコ11・13)

 三種の無花果がある。六月末に熟すのは早熟であるが収穫が少ない。八月に熟すのが収穫もよく、また保存もできる。冬無花果というのは葉の落ちた後でも春まで樹上に残っている。だから無花果の季節ではなくとも果実を見出すことがある。イエスはそれを求めたのであった。

 だがこれを呪ったのはどういうわけであるか。思うにイエスは今や愛国救民の念で一杯であった。何を見ても何に触れても『己が民』のことが念われた。葉のみ茂って一つの果もないこの無花果を見た時にも直ちにエルサレムを思うた。

 祖国を思うとき、上より下に至るまで偽善で一杯になっている祖国の姿が眼前に浮かんだ、しかり、イエスは『空腹を覚えられ』た。しかし、より多く、義に飢えられた。祖国の義、祖国の救いに飢えを感じられた。せめて弟子たちの心から、偽善のパン種を徹底的に駆逐するために、この教訓的奇蹟を行なって、永久に彼らの心に印したのであろう。

祈祷
主よ、私を救って葉が茂って果実なき無花果とならせ給うことないようにしてください。たとい外形に見るべき一枚の青葉なくとも健実なる一粒を結ぶ真実の霊魂を持たせてください。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著241頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌216https://www.youtube.com/watch?v=meHoZ2Pfg3s

2022年8月28日日曜日

主は飢えておられた(上)

翌日、彼らがベタニヤに出たとき、イエスは空腹を覚えられた。(マルコ11・12)

 ベタニヤにはラザロの家がある。マルタ、マリヤは喜んでイエスを迎える人たちである。けれども昨夜はこの家にお泊まりにならなかったらしい。でなければ朝早くから途上で『空腹を覚えられる』はずがない。思うにオリーブの樹の蔭か何かで終夜祈られたのではないか。ルカが『夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた』(21・37)と書いてあるのは何かそんなことを暗示するのではないだろうか。

 ベタニヤの一部はオリーブ山の一部と続いているのだから、あるいは弟子らだけラザロの家に残して、お一人で祈りに出られたのかも知れない。三月下旬でユダヤでもまだうら寒い。テント無くして一夜も樹下に過ごすのは随分苦しい。けれども肉体のことなどは忘れて、かのゲッセマネの祈りのような祈りに夜を徹せられたのであろうかと思われて、たまらないような、なつかしいような気がする。

祈祷
エルサレムのために泣き、このためにとりなしなさる主イエス様、あなたが私たちのために泣き。私たちのためにとりなしてくださることを思う時、冷たい私の瞳さえ潤うのを覚えます。願わくは、私の力のない祈りもあなたのとりなしに携えられて天に上り行くことをお許しください、アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著240頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌127https://www.youtube.com/watch?v=VEKuvAqxceE

クレッツマン『聖書の黙想』〈175頁〉より

 月曜日の朝早く、一行がベタニヤから帰る時、主は道のかたわらにあるいちじくの木に目を留められた。彼は空腹をおぼえておられたので、実を探そうと歩み寄られた。しかしこの木には全く実がなっていなかった。主はその時代の偽善者を象徴するにふさわしい、この実のならない木に向かって、深い感銘をもたらす調子で裁きの言葉を宣べられた。
 「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」
 主はいつも、たいてい、祝福と救いのために、その神としての力を用いられたのであるが、時には呪いや破壊のためにも、これを用いることができたし、また、用いなければならなかったのである。
 これはその翌日、弟子たちの目にも明らかになった。

David Smith『受肉者耶蘇』下巻 第42章 エルサレム入城 10「橄欖山上露の宿」〈765頁〉より

 日が暮れてからイエスは橄欖山の坂道に帰り行かれた。しかしベタニヤの村には赴かれなかった。その夜を始めとして終わりに至るまで毎夜イエスは山の中腹ゲッセマネと称する園に赴いて、シリアの蒼天を頂きつつ橄欖の樹の間に宿られた。翌朝イエスは再びエルサレムに赴かれたが、途上遥かに無花果の樹を望んで、その葉の繁っているのに徴して果実のあるべきを察し、飢えられたるままにこれに近づかれた。これ道理にかなう待望であった。元来葉の生ずるためにこの果実の形のできるのが無花果の特徴なるをもって、繁茂していることはすなわち果実のある印であった。もちろん時は無花果の熟する季節ではなかったけれども、この地質と場所が良かったので、斯くは茂ったものであったろう。而して葉のある以上は、この枝に果実を求むべきは当然であった。しかるにイエスがこれに近づかれたとき葉の外に何物も見られることができなかった。

 この無花果樹は地位は斯く優良で、外観は斯く賑やかにして、しかも果実のないのをもって、イエスはイスラエルの象徴をここに見出された。イエスはかつてイスラエルを斯くの如き樹になぞらえて、すべてこの民の被るべき災厄を預言せられたのであった。今またここにその警告を繰り返して『今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように』〈ルカ13・6〜9〉と言いつつこの樹に宣告を下された。これ蓋し先に描かれた喩えをまた実行をもって示されたものである。)

2022年8月27日土曜日

宮のすべてを見て回られた主

こうして、イエスはエルサレムに着き、宮にはいられた。そして、すべてを見て回った後、時間ももうおそかったので、十二弟子といっしょにベタニヤに出て行かれた。(マルコ11・11)

 イエスの入城は『宮』を目的としての入場であった。この神殿こそ十二歳の時初めて参拝してから今に至るまで忘れたことのない『父の家』であった。『すべてを見て回った』とあるのはイエスの宮に対する最後の御親閲である。

 懐かしくもあり、呪わしくもある、この宮の事々物々を検閲なし給う。数時間前にはオリーブ山の上から見て泣いた。明日は鞭をつくってこの宮を浄めるのである。しかも本当に浄められてくれないエルサレムは四〇年の後には異邦人の兵によって刑罰を執行されねばならなかった。

 夕陽西に傾いて薄暮人に迫るの頃、目に涙をたたえたイエスが、宮の隅から隅まで『すべてを見て回』られるお姿を心に浮かべて、感慨無量でない人があるだろうか。

祈祷
宮に入りてすべてを見て回られた主よ、あなたは私の心の宮を如何に見回されるでしょうか。願わくは私の全ての汚れを清め、遅くならないうちに真の悔い改めをなさせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著239頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌527https://www.youtube.com/watch?v=l042MxxZU28

クレッツマン『聖書の黙想』より

 一行がキデロンの谷を抜けて、古い都の狭い通りをゆっくりと進んで行く中に、その一日がどんなにすばやく過ぎて行ったことかは容易に想像できよう。宮に至ってから主はそこで行われていた取引きーー信仰の名のもとに行われていたが、その本当の精神に反するものだったーーについて、手短かに教えを説かれたに過ぎない。パリサイ人のねたみと怒りは目にあまるものだった。程なくして、主はこの人々の手に渡されることになる。夕やみの落ちかかる頃、主は十二人の弟子と共に、ひそかにベタニヤへもどられた。

A.B.ブルース『十二使徒の訓練』〈130頁〉より

 香油注ぎと過越の祭りとの間の数日を、イエスは、毎日弟子たちと連れ立ってエルサレムを訪問し、夕方にはベタニヤへ引き上げるというようにして過ごされた。この期間に、イエスは、ご自分の感情や状況に即した主題ーーすなわちユダヤ民族、わけても宗教的指導者たちの罪、エルサレムの運命、世の終わりーーで、公にも個人的にも多くのことを語られた。この最後の数日間にイエスが語られたことばは、マタイの福音書の五つの章〈21章〜25章〉を満たしているーーそれが十二弟子の心に深く印象づけられていた証拠である。

 「ナザレの預言者」の臨終の証言を構成するこれらの発言の中で傑出しているのは、イエスがエルサレムの律法学者、パリサイ人を攻撃して語られた大演説である。このすさまじいまでの講話に先立って、語り手〔イエス〕と彼の敵対者との種々の出会いがあった。それらの出会いは、大きな交戦に導く予備的前哨戦のようなものであった。これらの小ぜりあいにおいて、イエスは一様に勝利を得、相手を混乱に陥れていた。

 彼らはイエスに、いかなる権威が彼を神殿境内の商売人を追い払うという、そのような改革者の務めに任じたのか、と質問した。イエスは逆に、バプテスマのヨハネの宣教について問い返すことによって、また、二人の息子農夫たち捨てられた石のたとえを語り聞かせることによって彼らを沈黙させられた。)

2022年8月26日金曜日

鹵簿(下)

「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」(マルコ11・9〜10 )

 これは詩篇百十八の二十五節から取ったもので、仮庵の祭りの時祭壇の周囲を行進しつつ叫ぶことになっている。その他の祭のときにもこの語をもって祈祷を始める習慣がある。『ホサナ』とは『今救い給え、我ら祈り奉る』との意味である。

 愈々イエスが王として入城されるのを喜んだガリラヤの民衆は『今こそ』と思って斯く叫んだのである。このことは四福音書が筆を揃えて記録していることから考えるとよほど重大な意義があるに相違ない。然り実に重大である。

 イエスはガリラヤの貧しき者に静かに道を説いた、十二の弟子にのみ天国の奥義を語った、片田舎の目立たぬところで奇蹟を行った。けれども十字架にかかるためには人心の動いている過越節を選んで花々しいほどに公けなエルサレム入場をなされた。イエスの死は時期と言い、場所と言い、その準備行動としての入城行進と言い、ことごとく計画的に派手やかである。ユダヤ人、ギリシヤ人、ローマ人、すなわち全世界の前で十字架にかかるためであった。

祈祷
諸王の王、諸主の主にして、なおかつ私のために十字架にかかり給いしイエス様、あなたの名をあがめ、あなたの謙遜と愛とを感謝申し上げます。願わくは、私たちをして心よりホサナを高唱し、御国の来らんためにあなたに従って行進させて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著238頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌508https://www.youtube.com/watch?v=zuy4BWJpWt0

クレッツマン『聖書の黙想』より

 これらの多くは群衆熱に浮かされて、人波に押し流されていたに過ぎないが、若干の者には、これが、王の救い主について語られた預言の言葉の成就であることが判っていた。もっとも、彼らは厳しい試練を経て、その信仰が苦難のかまどで精錬されて後、初めて、聖パウロの言葉を共に口にすることができたのだが。「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。』ということばは、まことであり、そのまま受け入れるのに値するものです」〈1テモテ1・15〉

 今日でも、お祭り気分の中で、キリストを迎えようとする熱狂ぶりや、口だけの奉仕などでは彼を迎えるに十分ではない。これは私たちの救い主が私たちに期待したものではないのだ。イエスはこの都が訪れの時を知らず、したがって死と壊滅の運命から逃れる心もないのをご覧になって悲しまれた、という聖ルカの記録〈ルカ19・41〜44〉を私たちは忘れるわけにゆかない。主は誇り高ぶる者を救うことはできないのだ。この者たちは自ら救われようとはしないからである。

David Smith『受肉者耶蘇』より

 すでに橄欖山〈註:「かんらんさん」と読むのだろうが、オリーブ山のことである〉の西部の坂を降るに及んで、彼らは大声に叫び始めた。「ああ、主よ。どうぞ救ってください。ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。主の御名によって来る人に、祝福があるように。ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ」〈詩篇118・25〜26、詩篇148・1〉

 先にエルサレムを去られるにあたって『あなたがたに告げます。「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」とあなたがたが言う時まで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。』〈マタイ23・39、ルカ13・35〉と仰せられたみことばそのままに斯く現れたのであった。)

2022年8月25日木曜日

鹵簿(上)

欄干に 仲良く並ぶ 鳩三羽
イエスはそれに乗られた。すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。(マルコ11・7〜8)

 マタイもヨハネもイエスのろばの子に乗ったのはゼカリヤの『シオンの娘に伝えなさい。「見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って』という預言の成就である、と言っている。これはゼカリヤがメシヤたる救い主の性質を預言したものであって、この世の王の如く武器を以って征服する『王』でなく、柔和な徳を以って勝利する『王』であることを指摘したものであるから、たといイエスがろばに乗ろうと乗るまいと、この預言は成就しているのである。

 しかしイエスは人から借りてまでもろばに乗って、この預言を文字通りに成就させ、平和王の内容を外観にまで現わし、弟子たちの心にこの預言を思い出させるほどに形式をも整え給うたのである。群衆が『自分たちの上着』や『『樹の枝』を道に敷いて歓呼したことによって、そしてイエスがこの待遇を受けたことによって『王』としての入城がイエスの御目的であったことを鮮明にする。

祈祷
主よ、私の心は冷たく暗いです、あなたが私の前に立って戸を叩かれる時ですら、喜んで戸を開く用意がありません。ああ、願わくは、かの群衆のように『自分たちの上着』を脱いであなたのろばに踏まれるのを光栄とし歓喜となす心を私にもお与え下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著237頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌291、日々の歌50番「ひたすら待つ、主イエスを」

クレッツマン『聖書の黙想』より

 エルサレムの人々や、祭のために訪れたおびただしい人々の間には、あの名高いナザレ人、イエスが、ガリラヤ人の従者をたくさん従えてやって来るという噂がたちまちにして広まっていた。主の名によって来たる者を、喜びのホサナをもって迎えようという熱意の点では、弟子たちをしのぐ数千の群衆で、間もなく道はいっぱいになった。

David Smith『受肉者耶蘇』鹵簿〈ろぼ〉より

 群衆はイエスを護衛せんがために市街の外で一行を迎え、イエスの志される意味を悟った。彼らの歓喜は頂点に達した。今や古の預言に従ってメシヤはその都城に乗り込まれる。彼らもまたこれに適当した歓迎を試みねばならぬ。王の鹵簿に対する例にならった彼らはその道に上着を敷き、道を覆う棕梠の枝を切って、勝利の表徴としてこれを打ち振りつつ、往く往くこれを護衛した。※「鹵簿」とは古めかしい言葉だが、「行幸〈行啓〉のときの行列」とある。何となく、「ろぼ」という雰囲気はわかる。今も行われていると思うが、故郷の多賀大社では神事として馬頭人の行列があった。この場合には、功なり名を遂げた分限者が馬にまたがった。もちろん、イエス様のエルサレム入城と比較する方がおかしいが、一言付け加えた。)

2022年8月24日水曜日

ろばの子(下)

遠目にも 緑なす川 白鷺よ 

そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。(マルコ11・7)

 馬に乗るのは戦場に臨むことを意味し、ろばに乗るのは平和の使命を意味すると言うのはユダヤ人の通念である。だから黙示録におけるキリストは白馬に乗じて悪魔軍を駆逐しておられる。しかしイスラエルの救い主としてはろばに乗られた。

 決して暴力によってローマから独立する意図ではなく、平和を人心に与えて人を数くう者であることを示しておられる。と同時にまだ人の乗ったことのないろばの子を選ばれたことは、処女から御降誕なされたことや、死なれた後に未だ人を葬りしことなき墓に置かれたこと、またパウロがキリストを『初穂』と呼んだことなどを思い合わせると主は平和の君として君臨し給うのみでなく、初穂の味と処女の愛と柔和とをもって私たちのところに来たり給うことを考えさせられる。

祈祷
主イエス様、願わくはろばの子に乗って私の心に入城なさって下さい。願わくは、未だ人が乗ったことのないろばの子に乗って来られ、私のうちに君臨して下さい。願わくは私の衣をとってあなたの足の下に敷き、私の一切はことごとくあなたのものであることを感謝させて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著235頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌86https://www.youtube.com/watch?v=RkgeC1l8BE0  

2022年8月23日火曜日

ろばの子(上)

言われた。「向こうの村へ行きなさい。村にはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入り用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」(マルコ11・2、3節)

 この入城の時のイエスの動作はすべてが平素と全く違っている。神より遣わされた『王』としての威光を示しておられる。一度もご自分のために奇蹟を行ったことのないイエスが今日は神の全知を露骨に現して、向こうの村にまだ人の乗ったことのないろばの子のあることを告げた。しかも詰問する人がなかったら、黙って徴発してしてくるように命じたのである。

 しかり、イスラエルの『王』として臣民の所有物を徴発する権能のあることを示したのである。もし詰問する人があったら『主がお入り用なのです。』と言えと訓令したのも同じくご自分の大権を暗示しておられる。この『主』という字は大きな文字であってほとんど『エホバ』の代用語となっている。

 イエス御昇天後には弟子らがたびたび用いたところであるが、ご在世中には余り用いていない語である。その語をご自分で用いておられる。その他ことさらに『まだだれも乗ったことのない』点を御乗用のろばの条件としておられることなどを総合して考えると、この最後の御入城には、特に注意し、御自身を神の子である救い主として提供されたのである。

祈祷
人の子にして神の子である主イエス様。あなたは卑しき生活を送り給いたれど、天地を所有し給う全能全知の神であることを讃美申し上げます。我が持てるろばの子のみならず、一切はあなたのものであることを認め、喜んであなたに仕える者とならせて下さい。アーメン


(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著235頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌54https://www.youtube.com/watch?v=F4E_qjwlb44

クレッツマン『聖書の黙想』より〈174頁〉

 この地で、彼らは主のお命じになるところに従って、ろばとその子ろばを見つけ、主のもとに連れて来た。この子ろばは今までに、誰も乗ったことのないもので、ダビデの都へ、イエスがつつましく入って行かれる時の用意として、ーーこの日に関する預言が、ことごとく成就するためにーー自ら、お選びになったものだった。この時、弟子たちは、主が久しく待たれた王として、メシヤとして、今、ついに、登場なさるのだと言う高らかな希望に胸をふくらませていたに違いない。

David Smith『受肉者耶蘇』より〈758頁〉

  ベタニヤに程近く、山の中腹にベテパゲと言う村があって、恐らくこの辺りの無花果樹、棕櫚樹、橄欖樹の畑の園丁と思わしく、ここに住ったある知人をイエスは有せられ、かねて彼に御旨を含められていたものと考えられる。早天エルサレムに向かわられるに当たって、前もってかしこに行くように二人の弟子に命ぜられた。村の入り口で、門に未だ人の騎らざるものでこの神聖な用途に適するろばの子一頭の繋げるを見るべしとイエスは彼らに教えて『それをほどいて、引いて来なさい。』と命じられた。なおもしこれを解くに当たって咎むるものあらば『主がお入り用なのです』と言えとのことであった。これ蓋しイエスが彼との間にあらかじめ定められた合言葉であったろう。二人の弟子はその命に服してろばを発見しその咎められるに当たり、教えられた合言葉を用いて、これを曳いて来た。かくて弟子たちはその背に上着を脱いで敷き、イエスはこれに騎ってエルサレムに向かわれた。

※青木さんの説明の方に惹かれるが、David Smithの所説も昨日と照らし合わせ、そう言うこともあるのかと思わされた。)

2022年8月22日月曜日

エルサレム入城

さて、彼らがエルサレムの近くに来て。オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスは二人の弟子を使いに出して、言われた・・・(マルコ11・1)

 時はローマ建国紀元783年、ニサンの月の10日(太陽暦に換算して4月2日、日曜日)である。いつもすべてのことにおいて質素を好み、万事に地味であるイエスが最後のエルサレム入城を公式ならせるために、これを花々しくせられなければならぬ時が来たのである。

 一昨日(金曜)ベタニヤに着し、ラザロの家に入り、昨晩は(土曜)マルタから最後の饗応にあづかった。敏感なマリヤが彼にナルドの油を注ぎ、髪の毛でこれを拭い、おぼろげながらも主の『葬りの日』の準備をしたのはこの夕食の時である。

  今日は午前中静かに憩われて、正午ごろ同家を出でオリーブ山の麓まで来られたのである。エルサレムを眺めて慟哭(どうこく)されたのはここから少し進んで、この山の一角に立たれた時であろう。平和の君としてご自身をユダヤ国民の前に提供し、拒絶されて十字架につけられるのも僅か五日の後に迫って来た。

祈祷
イスラエルのために懇(ねんご)ろに教え、懇ろに思慮し、懇ろに計画し給いしあなたは遂に彼らの棄てるところとなられたことを惜しみます。しかし、翻って、自ら顧みれば私たちもまた同じ罪を繰り返しつつあることを悲しみます。主よ、願わくは、まだ遅くならないうちに悔い改め、私の君とし、王としてあなたを受け入れることができるようにさせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著234頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌131https://www.youtube.com/watch?v=8HFWyrRl31s

『聖書の黙想』26「あなたの王がおいでになる」より

 福音書の記者は四人とも、この物語を伝えている。イエスがその死に先立つ日曜日に、エルサレム入りされたことは、弟子たちにとって意味深いことだった。一行はその日の午前中にベタニヤを立って、ベテパゲに至った。

『受肉者耶蘇』41「エルサレム入城」より〈757頁〉

 先にエルサレム滞在中に、預言者が採用し、また民衆がこれを喜ぶ手段を踏襲されたが、今一度これを試みられることとなった。すなわち平生の本能を抂げて、熱狂する群衆の心にまかせメシヤとしての権威をもって彼らの面前に現れんとせられるのであった。預言のうちにラビの論争点となった問題があったが、意義の徹底しないために種々の解釈が施された。『シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに』〈ゼカリヤ9・9〉の一句すなわちこれである。

 東洋においてろばは昔から美わしい動物であって、小馬の大きさで、往々贅沢な鞍や豊かな総、貝殻や銀の鋲で飾った轡を掛けて綺麗に装われるのである。而して偉大な人物が多くろばに乗った。イスラエルの士師ギルアデのヤイルには三十人の子があって三十のろばの子に乗ったとある〈士師記10 ・4〉。国王は戦場には馬に跨り、平和のときにはろばを用いた。而してこの古の教えにはシオンの王は平和の君なるが故にろばに乗って来られる〈ゼカリヤ9・10〉ものとしたのである。この預言は直ちにイエスに適用せられるものがある。故にイエスはその示される通りのメシヤの任務を全うせんと決せられて都城に入られることとなった。)


2022年8月21日日曜日

バルテマイ(信仰者の新生の歩み)

するとイエスは、彼に言われた。「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。」すると、すぐさま彼は見えるようになり、イエスの行かれる所について行った。(マルコ10・52)

 イエスはご自身の力をもってこの盲人を癒し給うたのであるが、盲人の方から言えば信仰をもってこれを受け取ったのである。イエスの御力はいつも同じであるが、これを受け取る信仰のある人は、そうたくさんはない。イエスは常にこれを嘆かれた。

 信仰のないということは他の一切の罪悪よりもイエスにとっては大なる嘆きであったことは福音書のどこを読んでも明らかである。だからこの場合においてもご自分の能力を力説なさる必要は少しもなく、信仰の大切なことをこの盲人にも、また弟子らにも十分に教える必要を感じられたのであろう。

 直ちに見えるようになったとは、実にテキパキとした取引である。私たちもこのような取引のできる信仰が欲しい。『イエスの行かれる所について行った』も目の開かれた盲人としては、どんなに嬉しさに満たされつつついて行ったかが想われて、何となく私どもに暗示を与える。

祈祷
主イエス様、私にも彼のような信仰をお与え下さい。直ちに見ることができる、と言うことができるほどに鮮明な取引を為す信仰をお与え下さい。そうしてあなたに従って道を行く者とならせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著233頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌275https://www.youtube.com/watch?v=5KHXWzwaCcM 

『the Days of His Flesh』の叙述

 『さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです。』とイエスの仰せられるとともに、盲〈めしい〉たる眼は開けた。而してバルテマイはその恩寵を受けた一人として讃美を献げて叫びつつ従い行く一団のうちに加わった。

『聖書の黙想』の叙述

 イエスの答えは、はっきりと、しかも、力強かった。「行け、あなたの信仰があなたを救った」。このことは、今も、これから後も、永久に変わることがないだろう。キリストの恵みを信ずることは決して恥に終わらないのだ。たちまちにして、男は視力を回復し、感謝の念に満ちて、新しい師に従って行ったのである。

※このブログ記事を用意しながら、去る十三日〈土〉に御代田で洗礼を受けられた若い兄妹の証をお聞きすることができた。そこには全面的に主によって霊の眼が開かされた清々しいまでの喜びがあった。一緒に聴いていた家内は終わるや否や拍手をしていた。当方も全く同じ思いであった。おそらくバルテマイの新生への歩みもまた同じであったのだろうと思わされた。) 

2022年8月20日土曜日

バルテマイ(的確な祈りに導かれて)

そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」(マルコ10・51)

 この問答は余計なことのように見える。誰が考えても盲人の叫びは目の開かれんことを願ったに違いない。イエスほどの聡明な人が、かかる知れ切ったことを問いかけるのは余りの愚問であるように考えられる。

 しかし、これは祈祷というものを解釈する良き鍵である。全知の神は私たちの祈らぬうちから万事を知っておられる。その点から押せば祈祷は全く不要なものである。けれども祈ることによって私たち自身に祈祷の内容が明らかになってくるし、また神と問答している間に、自分対神の意識が明瞭になってくる。この二つを明らかにすることが祈祷の大切な条件である。

 主イエスはこの問答によってバルテマイの心にはっきりした信仰を意識せしめたのである。祈るときにはその内容を的確に申し述べることと、鮮明に神様を意識することが要る。

祈祷
主なるイエス様、私に鮮明な祈りをお与え下さい。独語するような、瞑想するような、雲と霧との間にあるような祈りから私を救い出して、青天に太陽を仰ぐように鮮やかにあなたを仰いで祈ることをお教えください。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著232頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌294 https://www.youtube.com/watch?v=WFZBClhK1tE 

『the Days of His Flesh』の叙述

 『わたしに何をして欲しいのか』とのイエスの問いに、彼は『ラボ二』と知れる限り慇懃なことばをもって答えつつ『目が見えるようになることです』と答えた。

『聖書の黙想』の叙述

 群衆がことの成り行きを理解して、この男の信仰告白に耳を傾けるように、というおはからいから、主は彼に、何をして欲しいのかとおたずねになった。そこで、この男は心の底から、こう答えた。『主よ、見えるようになることです』。

※『受肉者耶蘇』とはDavid Smithの『the Days of His Flesh』を邦訳なさった日高善一さんだが、本当によくできた著作名である。今日、日高善一さんの本を手にすることは困難だと思うが、国会図書館には彼の作品がたくさんデジタル化されている。ありがたいことだ。私が彼の存在を知ったのは『聖パウロの生涯とその書簡』というDavid Smithの著作の翻訳を通してであった。昭和2年〈1927年〉出版の装丁のキチンとした722頁に及ぶ大著はずっしりと重く実に存在感がある。惜しむらくは著者の名文に当方がついていけないところだ。何しろ文語体の訳文であり、漢語が多出するからだ。でも『受肉者耶蘇』と言い、こんな本を訳出している日高善一さんとはどんな人か興味を持たない方がおかしい。)

2022年8月19日金曜日

バルテマイ(上着を脱ぎ捨て王に対面)

暮れなずむ 涼風受ける 川辺道
すると、盲人は上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、イエスのところに来た。(マルコ10・50)

 何という痛快な男であろう。めくらめっぽうとでも言いたいほど痛快な動作ではないか。盲人が躍り上がる。多分彼はイエスの声をたよりに駆け出したのであろう。しかもたった一つしか持たなかったであろうと思われる上着まで邪魔にして脱ぎ捨ててしまったのである。

 群衆の中を押し分けて駆け抜けて行こうとする彼の姿が目に浮かんで来るではないか。イエスが呼び給うときに、バルテマイの心には飛び上がらずにいられない希望と歓喜が湧き上がって来たのである。それは永い間の暗黒の世界から光明の世界へとの躍進であった。

 肉体のことについては私たちもバルテマイに劣らぬ熱心を有するであろう。霊の眼が開かれるために今少し真剣な心を持ちたい。

祈祷
主イエス様、あなたが私をお呼びになる声を聞くときに『上着を脱ぎ捨て、すぐ立ち上がって、身許に行く』心を私にお与え下さい。この眠れるが如き我が心に『立ち上がる』何物かをお与え下さいますように。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著231頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌326 https://www.youtube.com/watch?v=jWjs9NtAwSc

『the Days of His Flesh』の叙述

 バルテマイはこれを聴いてその外衣を脱ぎ捨て、その恩寵溢れる御声を便りに人を押し分けて急いで来た。

『聖書の黙想』の叙述

 イエスがこの男を呼び寄せられると男は上着を脱ぎ捨てて、主のもとに近づいた。乞食と王の対面!)

2022年8月18日木曜日

バルテマイ(挫けることなく叫び続けた)

彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。(マルコ10・49)

 隣人は愛さねばならない、尊敬しなければならない、快く交際しなければならない。けれども世間の思惑とか、世間の褒貶(ほうへん)とか、言ったようなものをあまり気にするには当たらない。自分に信ずるところのない人は世間というものに追従して行かねば、行く道がないかもしれないが、自分に信ずるところのある人は浅薄な世評に心を動かす必要はないのである。世評などというものは猫の目のように変わるものであるから、これを押し切って行くだけの自信がなければ何事をも為し得るものではない。

 一瞬間前にバルテマイを『黙らせようとたしなめた』群衆は手のひらを翻(ひるがえ)すがごとく彼に『心配しないでよい』などと慰めている。何と言われても、悪評をあびせられても、成功して見るがいい。世間は追従して来る。没義道なことをして成功する人を見るごとに、私たちの信仰生活にあれだけの勇気さえないのか知らん、と自ら嘆息する。

祈祷
神様、世人がこの世の富のために、この世の成功のために、ささげるだけの努力を信仰の生活のためにささげることのできない私どもをあわれんで下さい。彼らの半分の勇気と努力とがありましたならば、世間の障害など容易に乗り越えて進むことができると存じます。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著230頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌294 https://www.youtube.com/watch?v=WFZBClhK1tE

クレッツマンの『聖書の黙想』を覗いてみよう。彼は次のように描く。

 一行は今、エリコへ入っていくところだった。ここで主は二人の盲人を癒された〈マタイ20・30参照〉。マルコはこの二人の中、一人の名だけあげているが、それはバルテマイといって、道端に座って、物乞いをしている者だった。イエスとその弟子たちの一行に、沢山の群衆が従うざわめきに気づいて、この乞食は熱心に恵みを求め、主の名を呼んだ。彼はすでにイエスのことをはっきり耳にしており、約束された救い主として、主を知るようになっていたからだ。この男は、くじけることなく呼び続けたという点で、私たちにとって、一つの模範となる。

※クレッツマンについてはhttps://en.wikipedia.org/wiki/O._P._Kretzmann で1901年生まれ、1975年召天のルター派の牧師などであったことがわかる。彼の著書で邦訳されているものは『聖書の黙想』の他に『十字架をめぐる人々ーー受難と復活の瞑想ーー』があるが、その中で彼は説教について次のように語っている。同書序文より

 説教者は、説教がその生活と活動の頂点であることを、忘れがちである。その結果、私たちの説教は力がすくない。私たちは死に瀕している者には、どのようにして死に瀕している者のように話したらいいかを忘れている。神の秩序の中では、語られた言葉が、救い主の生命と死の伝達機関であり、それを通して聖霊が人間の魂を呼びさまし、輝らす手段であることを忘れている。

 日曜毎に、同じ会衆に、静かにしかし容赦なく永遠の中に彼らを築き上げて行くように説教する人は、真に偉大なる素質をもっているのである。日曜の朝、説教壇にのぼる時、彼は自分の牧する群れの一人一人のあらゆる問題と弱点を知っている。後ろの座席には、飲酒の習慣から抜け出ようともがいているジョンがいる。右手には、不信仰な夫を持つ、不幸なメリーがいる。うしろの隅には、悪い仲間に入りかけている、若いビルがいる。彼にとっては親しくて愛すべきこれらの人々に対して、彼は日曜毎に説教するのである。彼の仕事は、これらの人々を、少しずつ御国に近づかせることであり、その目を少しずつ、より明らかにし、その話を少しずつ、よりきよくすることである。これは容易なことではない。しかしこれは昨日も今日も明日も、光栄ある仕事であり、神の出納簿における最後の決算においては、特に報いられる仕事である。)

2022年8月17日水曜日

バルテマイ(イエスは佇まれた)

すると、イエスは立ち止まって、「あの人を呼んで来なさい。」と言われた。そこで、彼らはその盲人を呼び、「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている。」と言った。(マルコ10・49)

 ついに彼の絶叫がイエスの耳に達した。その時イエスは立ち止まられたのである。これは祈りについての良き教訓ではあるまいか。天地の主なる神も私たちの祈りに応えるためには『立ち止まり』なさる。

 人間的に言えば為しかけた他の仕事を中止してでも私たちの祈りに耳を傾けなさる神の慈愛がイエスの行動において象徴されてはいないだろうか。最初の叫びが答えられずとも、気を落とさずして叫ぶのである。忍耐と謙遜との試験が済んだとき主は私たちのために立ち止まってくださる。

 私たちは時には神様がツンボになったのではないかと感ぜられるほど祈りが答えられない苦い経験をさせられることもある。その時こそこの盲人の叫びを思い出すべきではないだろうか。

祈祷
主イエス様、私にバルテマイのような信仰を与えて下さい。彼のように熱心に彼のように謙遜に彼のように忍耐深い祈りを与えて下さい。答えられるぬときも祈ることを止めないで、祈ってひるまない忍耐を与えて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著229頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌540 https://www.youtube.com/watch?v=uBqenoHTwWw

以下は、引き続いて、David Smithの『the Days of His Flesh』による青木さんの引用聖句の叙述である。

 イエスは佇〈たたず〉まれた。もちろん座っている人でも癒されることは出来たけれども、なおイエスは一層深く関係を彼と結ばんとして『あの人を呼んで来なさい』と命ぜられたので、傍の人々は彼を叱るのをやめて『心配しないで良い』と言い、『さあ、立ちなさい。あなたをお呼びになっている』と彼に伝えた。

※以前にも書いたことがあるが、David Smithのこの本の存在を知ったのは10年ほど前、古書バザーで『受肉者耶蘇』下巻〈日高善一訳1923年5月刊行〉を100円で手にしたのが始めである。しかし、それ以前に、それに遡ること7、8年前オズワルド・チェンバーズの伝記〈英文〉を翻訳しながら読んでいた時、チェンバーズが日本への渡航中、船内で何冊かの本を携行し読んでいたことが書いてあり、そのうちの一冊にDavid Smithの『the Days of His Flesh』があったことを覚えていた。その時、私はその本の題名を『肉にある日々』と訳して特にそれ以上気には留めていなかった。ところが、それがとんでもない誤訳であることを今回このブログで『受肉者耶蘇』を度々援用して知った。それはこの古色蒼然とした100年前に『受肉者耶蘇』と日高さんが邦訳された書物の原名こそ『the Days of His Flesh』であったからである。言うまでもないが、私はうかつにも当時各名詞の大文字の存在に気がついていなかったのであった。そのことに気づいてから、この『the Days of His Flesh』の一文一文が私にとって欠かせない存在になった。したがって、こんなに短い文章でも私にとっては滋味に満ちた表現に映って仕方がない。それはまさに福音書こそイエス様の地上での御生活の日々の証言であることを覚え、David Smithが克明にその足跡を辿っているのが良くわかるからだ。)

2022年8月16日火曜日

バルテマイ(その叫び)

そこで、彼を黙らせようと、大ぜいでたしなめたが、彼はますます、「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。(マルコ10・48)

 この意気である、この熱心である、この努力である。『大ぜい』の人が何と言おうが、如何に禁止しようが『ますます叫ぶ』のである。妨害はかえって反抗力を増すのみである。一旦信じたところは必ず成し遂げねば止まぬ。如何なる妨害をも突破して前進する。

 バルテマイは乞食であったけれども、立派に成功者の素質を備えていた。だから目を開かれることに成功した。イエスは今彼の前を通過しつつある。この機会を取り逃がしては再び幸運はめぐって来ないかも知れぬという感じが、彼にこの勇気と熱心とを与えたのであろうが、すべての好機会とかいうものはかくの如きものである。

 神の恵みはいつも変わらぬなどとすまし込んで、呑気に構え込んでいる人は真剣に神を求める人ではない。成敗はこの一線にありという意気を以て霊界に突貫する人は日々に進境を見る人である。

祈祷
天の父なる神様、私どもにバルテマイのように機会をつかむ機敏さを与えて下さい。そうして彼のように、その機会をとらえてこれを離すことのない熱心と忍耐と努力とを与えて、霊界の成功者として下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著223頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌370 https://www.youtube.com/watch?v=zxTIwbUBQLU 

引き続いて、David Smithの『the Days of His Flesh』の続きを日高善一さんの訳で読む。この訳はほぼ100年前の翻訳である。100年の間に日本語表現が如何に貧弱になったかを思う。

  ベタニヤにおける奇蹟はかかることのためであった。その噂はすでに広く伝わって、イエスはメシヤに外ならずとの確信がこれに伴ったのであって、バルテマイは、人々の口にした語でエルサレムの町々に喧伝〈けんでん〉したところをただ真似て叫んだにすぎないのであった〈マタイ21・9〉。その妨害を叱責して傍の人々は彼の口を噤〈つぐ〉ましめんと試みたけれども、彼はただその声を愈々〈いよいよ〉高くするのみであった。・・・

※バルテマイの捉え方は、一見すると昨日の青木さんの見方と今日のDavid Smithの捉え方は異なるように見えるが、これまた昨日のDavid Smithの文章から引き続いて読むと必ずしもそうでないことがわかる。要するにバルテマイは「霊の目が開かれていた盲人」であった。)

2022年8月15日月曜日

バルテマイ(霊の目の開かれていた盲人)

テマイの子のバルテマイという盲人のこじきが道ばたにすわっていた。ところがナザレのイエスだと聞くと、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください」と叫び始めた。(マルコ10・47)

 この盲人は不思議に目の開けた人であった。目のあいている群衆がただ『ナザレのイエス』を見ている時に、この盲人の乞食は『ダビデの子イエス』を見たのである。盲人で、乞食だと言えば、申し分のない落伍者である。しかるに彼にはナザレのイエスをダビデの子すなわちメシヤである救い主であると直覚するだけの心眼が開けていた。

 思うに彼は肉体上の苦痛のために、旧約書に預言されたメシヤの祝福をよりよく理解するに至ったものであろう。苦痛の効用と言ったらおかしく聞こえるであろうが、世の中に多くの苦痛は招かずして来るのであるから、これに対して用意さえできれば、禍を転じて福とすることができる。私どもは肉体的の苦痛や逆境に出会うごとにこのバルテマイの如く、霊眼が開かれるためにこれを善用したいものである。

祈祷
天の父なる神様、苦痛の多いこの世にあって、私たちはいたずらにこれを嘆くことなく、かえってこれによって霊魂の目が開かれるものとならせてください。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著227頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌339 https://www.youtube.com/watch?v=3vdkaZ39JEE

以下は、昨日の the Days of His Flesh の続きである。

 その路傍に座って施しを乞うているバルテマイと称する盲者〈めしい〉が叫んだのであった。これ格好な位置であって、ことに巡礼の団体が諸方の町村からエルサレムに赴く途上、町に続々入って来る季節。乞食には有望であった。彼は多人数の足音と喧騒の声を聞きその訳を尋ねて、始めてナザレのイエスが通過せられることを知った。その名を聞くや、彼の胸中には施しに勝れる幸福な希望が迸〈ほとばし〉り起こって、力限りに『ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください』と叫んだ。平民が好んで用いたこのメシヤに対する称号をイエスに奉ったのは殊勝である。・・・)

2022年8月14日日曜日

エリコの入り口にて

彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると・・・(マルコ10 ・46)

 ルカ伝を見るとエリコでザアカイという収税吏の家に一泊された記事がある。だからこの『来た』から『出られる』までの間は少なくとも一晩の隔たりがあるが、マルコは簡単に書いたわけである。

 ただ一つ解しにくいことは、この段落に書いてある盲人の癒しはルカによればエリコに近づいた時とあり、マルコはエリコを出られる時と書いていることである。多分この盲人はイエスのエリコに入り給う時に叫び出したが、群衆で近づくことができず、翌日エリコを出で給う時に、今度は必死となって叫び求めて成功したのであろう。

 ルカはそれを前日の方にまとめて書き、マルコは翌日の方にまとめて書いたのであろう。とにかくこの時イエスを取り巻いた群衆は大変なもので、ザアカイは桑の木に上らなければイエスを見ることさえ出来なかった。されば盲人の身でイエスに近づくのは非常な熱心と努力とがなければ出来ぬことであった。

祈祷
主イエス様、私があなたに叫ぶ時、私に熱と執着と努力とをお与え下さい。答えられるまで叫んでやまない忍耐をお与え下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著223頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌531番https://www.youtube.com/watch?v=DUgzEBHIi_Y です。日々の歌189番がそれにあたります。

 David Smithは『the Days of His Flesh』で9「エリコの入り口にて」と題して次のように書いている。

 道を進んでイエスはその一行と共に、古えそのままに棕梠の都の名あって、その実は位置一マイル半ほど動いているエリコの町に達せられた〈申命記34・3〉この町はヘロデの建築の成功した一つで、誠に美しく、その劇場、円形劇場、競馬場など異教的の場所のあるのと共に世に有名であった。イエスがその城門に達せられたとき、哀れな叫び声がこれを迎えた。)

2022年8月13日土曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(9)

また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためです。(マルコ10 ・45後半)

 『贖い』の原語ルートロンは奴隷を解放するために支払う賠償金である。主は私たちを罪と悩みの奴隷たることより解放するためにご自身の生命を与え給うたのである。ある学者の言うようにパウロがこの説を造り出したのではない。ここに主ご自身のみことばがある。

 これは主イエスの献身的奉仕の御一生涯の頂点(クライマックス)である。日々夜々に罪のこの世のために肉を砕き骨を削りつつ、遂に十字架の上に血を流し給うたので、これによって私たちは罪と死から全く救われたのである。

 と同時にこのイエスの精神が私たちのいのちとなってくる。私たちもまた同じ道を歩まずには折られないようになってくる。このように十字架は二つの方面に作用する。私たちの罪や失敗を引き受けてくれると同時に、新しい力を供給して新しい道を歩ませてくれるのである。

祈祷
主イエス様、あなたの十字架は私たちの一切の罪を雪のように消し去り給うことを感謝申し上げます。私をして、願わくは、この恵みに感謝して、また人のために十字架を負うことを喜ぶ者となれるように聖霊を私たちにお与え下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著223頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。なお、これまで青木さんの一日一文には必ずその日の霊想にふさわしい讃美歌が掲載されていたが、それをカットしていたが、今日からできるだけ掲載するようにする。この日は讃美歌328番である。幸い下記サイトでその曲が聞ける。開いていただきたい。 https://www.rcj.gr.jp/izumi/sanbi/sa328.html 

 なお、以下の長文は8/11に続く、重厚なA.B.ブルースの「十字架についての第二の教え」のフィナーレを飾る文章である。

 この注目すべきことばは、神学者たちの間に多くの疑念をさしはさむ議論の的となってきた。それで、私たちは論争に終止符を打つと言えるまでには望むべくもない。そのことばの深さは今まで充分に測り知ることができなかったほどに、また今後もできないほどに深いものである。それは一つの教えを強調する例証としてそっと持ち出されたものであったが、それが語られた直接の事情をはるかに超える思想の世界を開いている。それで、私たちには解けない疑問が生じている。それでも、新約聖書に、理解し得る範囲でしかその意味を理解できないようなキリストの死についての問題は、ほとんどないと言ってよい。

 まず何よりも、このことばの真正性に疑いをさしはさむ批評的学派の神学者たちには賛成しかねると言おう。どうしてある人々は、キリストを、教会の信仰における本質的要素となったこの偉大な思想の根源として認めようとしないか、不思議である。この贖いの代価としてのキリストの死の意図は、今、ここにある。それは誰に源を発するのだろうか。それを思いつくほどイエスの心は独創的でなく、誰かほかの人から出たとでも言うのだろうか。

 このことばと関連して考察されなければならない、もう一つのことがらがある。それは聖晩餐の制定に当たって語られた、それと類似したことばである。ご自分の死ななければならない事実を深い感動を伴って思い巡らし始めた後、イエスの心は、その厳しい散文的な事実に詩的で神秘的な意味を与えるという働きに向けられていったのは当然だった。私たちは、差し当たってイエスのことをただ霊的天才とのみ言っておこう。彼は死と戦うことができ、死から単なる運命の性格を失わせ、それに美しさを与え、その骨格に霊的意味を持つ魅力ある制度の肉と血を与えることができた。

 では、この珠玉のことばを疑問の余地のない真正なものと見ることにより、キリストは何を教えられるつもりだったのだろうか。第一に、少なくともこれは一般に、イエスがご自分のいのちを捨てる行為と、望まれた結果、すなわちその霊的主権性との間に因果関係があったことを教えている。「贖いの代価」という用語を考えないで、差し当たりこの本文になかったと仮定しても、そうした関係があることを私たちは自分で認めることができる。御国を獲得するためにイエスのとられた方法がどれほど独創的であってもーーそして、国々を獲得する他の方法、例えば、最も体裁のよい手段の相続による場合、あるいは剣による場合、あるいは最も卑劣だが、ローマ帝国末期におけるように大金での買収による場合と比べる時、その独創性は議論の余地がないーーイエスの方法は不思議なほど功を奏したことがわかる。そのことは、両者ーー十字架の死と霊魂の主権性ーーの間に関係がなければならないことを明らかにしている。

 あらゆる時代の幾千、いや幾万の人々が、「イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とがとこしえにあるように」という黙示録のヨハネの頌栄に、心からアーメンと唱えてきた。疑いもなく、このイエスの自己献身の結果は、彼がこのことばを私たちの前で語られた時、彼の心に存在していた。イエスがそのことばを語られた際、一つには、自己犠牲において示される神の愛の力を強調し、それが人間の心を支配することを主張し、自分がしもべの姿をとるという謙遜によってしか得られない主権性を、聖なる国の王のために勝ち取ろうと思われた。

 ある人々は、この力を得ることが受肉の唯一の目的であったと主張する。私たちはその見方には同意しかねるが、受肉の目的の一つに、自己犠牲によってそのような道徳的力を手に入れることがあったと見るのにやぶさかではない。神の御子は、私たちが御子のものであることを認め、御子の奉仕に喜んで献身できるように、私たちからわがままや自己崇拝を取り除き、ご自身の愛の力によって私たちを罪の束縛から解放しようと願っておられた。

 しかし、この個所には、私たちがこれまで見てきた以上のものがある。なぜなら、イエスは、多くの人のために自分のいのちを与えるだけでなく、贖いの代価として自分のいのちを与える、と言われているからである。そこで、死の事実が表されているこの言い方〔贖いの代価〕によって私たちは何を理解すべきか、という質問が生じる。さて、イエスが用いた「贖いの代価」ということばは、ある意味で旧約の用法に似ていると考えられる。そのギリシヤ語は、七十人訳において、ヘブル語コーフェルに相当する語として用いられている。その意味については色々論じられてきたが、「覆い」というのが一般的意味である。この「覆い」の概念をどのようにとるか、守護の意味にとるか、あるいは一ペニー銅貨でもう一ペニー銅貨つまり同等物を覆うように、同一面をすっぽり覆う意味にとるかは、論議されてきてまだ決着がつかない。

 その問題の神学的関心はこうである。もし守護という一般的意味としてこのことばをとるなら、贖いの代価は、贖われる人物また事物と法的に等価(あるいは等量)のものとして支払われたり、受け取られたりするものではなく、恵みの問題として受け入れられる価値のあるものにすぎない。しかし、この点をわきに置いておくとして、この個所に関して私たちに関心のあることは、等価であるか否かは不確かとしても、キリストのいのちが多くの人々のいのちのために与えられ、また受け取られるという、より広い思想である。イエスは、進んで忍ばれたご自分の死を、多くの人々の魂を死から解放する手段として説明しておられる。ただ、その方法と理由は明らかにされていない。

 アンセルムスの代償説〔キリストの死は神の公正と名誉のために支払われた代償であったとする説〕と精力的に戦っているドイツのある神学者〔リッチュル〕は、このイエスのことばのうちに三つの思想を見出している。第一に、贖いの代価は神に対する贈り物として支払われるもので、悪魔に対して支払われるものではない。イエスは、疑いもなく詩篇49篇における一連の思想を念頭に置いて、ご自分の使命を遂行するために、ご自分のいのちを神にささげることについて語っておられるのであり、罪や悪魔の力にご自分を服させることについて語っておられるのではない。第二に、イエスは、詩篇作者が語っているように、人間は誰も自分のためにも他人のためにも死を免れるほどの高価な贈物を神に払うことはできない、ということを予期しておられるだけでなく、自分のためにも他人のためにもそうすることができない多くの人に代わって、ご自分がその奉仕に当たることを主張しておられる。第三に、イエスは疑いもなく、人を死から贖う力のある千人に一人の代表者である一人の御使いについてエリフがヨブ記で語っていることばをも念頭に置いて、ご自分を自然的な死の運命から除かれている者として見るかぎりでは、死の運命を負っている大方の人々とご自分を区別されている。そして、ヨハネ10 ・17、18に言われているとおり、それによってご自分のいのちを神に明け渡す行為として、その死を考えておられる。

 このイエスのことばからそれだけのことを汲み取ることは、不当なこじつけをしているのではない。詩篇49篇やヨブ33章と関連があるとの前提は、イスラエル人の間で成人男子の贖い金として半シェケルを払うことと関連があるのと同じく、妥当と思われる。これらの聖句に照らすなら、主のことばからこれら三つの思想を引き出すことは行き過ぎとは思われない。すなわち、贖いの代価は神に支払われること〈詩篇49・7「人は自分の身のしろ金を神に払うことはできない」〉、それは死ぬべき運命にある人々を生かすために払われること、支払われる物は千人に一人という特別な方ーー死に定められた私たちと同じ人間ではなく、自分から進んで死ぬことができる受肉した一人の御使いーーのいのちであるのでそのような目的に使われること、である。

 それゆえこの主のことばは、自己犠牲の愛をもって死ぬことにより、人の子は、多くの人のうちに彼を王座に着かせるほどの感謝に満ちた献身の思いを呼び起こすという一般的な真理のほかに、さらに特別な真理を含んでいる。それは、人の子がその死によって罪の刑罰として死に定められていた多くの人を神との新しい関係に入れてくださった結果、彼らはもはや罪人ではなく神の子供であり、聖なる国の民として永遠のいのちの相続者となって王自身のいのちーー贖いの代価として支払われた半シェケルーーによって贖われたすべての特権を享受するということである。

 以上の二、三の示唆は、十字架についての第二の教えで、イエスが弟子たちに伝えた自叙伝的なことばの確かな意味を示すものとして充分であろう。なお二つの意見を補足してこの章を閉じたい。ご自分が来たのは「仕えられるためではなく、かえって仕えるためである」と言われた時、イエスはご自分の死ばかりでなく、その全生涯にも言及しておられた。このことばは、イエスの全地上生涯を一言で要約している。彼の死への言及は、最高の説得力を持っている。イエスは、ご自分のいのちを贖いの代価として与えるまでに、仕えるために来られた。

 それから、このことばは全きへりくだりの精神を示している一方、同時に超人間的な威厳の意識も表している。もしイエスが人間以上の方でなかったら、そのことばは謙遜どころか生意気なものであったろう。たかが大工の息子が、どうして自分のことを「仕えられるために来たのではない」などと言えようか。大工の息子なら、他人に仕える立場や仕事が当然のことだった。この言明は、神の御姿であられる方なのに進んで仕える者の姿をとり、私たちの救いのために死にまでも従われた方から語り出されたものであってのみ、理にかなった、謙遜なものなのである。)

2022年8月12日金曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(8)

「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、・・・」(マルコ10 ・45)

 『僕』の生活。これは主が命じ給うのみでなく、実行された生活である。否、これがために父の御許を離れて地上に来たり給うたのである。天の父もまた愛のゆえによって私どもの僕のような態度をとっておられるのではないか。如何に多く私どものために、黙って働いておられることであろう。黙々の奉仕、これが天の父の御姿であり、主イエスの御一生である。

 されば、また私どもの生涯であらねばならない。最初はつまらないように感じられるけれども、主を仰ぎつつやっていると次第に妙味が生じて来るのは実にこの生涯である。人にかくれて美味いものを食べるような味が出て来るのはこの生活である。奉仕、この文字をありふれた意味でなく、深く噛み締めて心と手で味わって行くと、その中からそれ自体の持ち味が報酬となって現れてくる。

祈祷
主よ、あなたの生活とあなたの教訓とは、私を欺かないことを知って感謝申し上げます。あなたはしもべとして歩む生活の中に蜜と蜂蜜とを蔵し給うことを感謝申し上げます。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著224頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。 A.B.ブルースの『十二使徒の訓練』下巻はいよいよ最終結論に入るが、ここでDavid Smithの『the Days of His Flesh〈受肉者耶蘇〉』の前回http://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2022/08/blog-post_7.htmlの続きの文章を紹介する。

8「多くの人の贖い」

 これ実にその価値量るべからざる教訓である。イエスはその死が最高緊要にして絶対的必要な所以を絶えず力を極めて説かれたけれども、贖罪の教義はこれを使徒に委ね、聖霊の啓導によりこの神聖神秘な真理に感激してその意義を発見せんことを任された。しかもなお含蓄豊かな多くの暗示を授けられたのであって、使徒たちの教義は畢竟これらを敷衍したにすぎないのである。その礼典のみことばをもってそれを『わたしは、天から下って来た生けるパンです』と言い『だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます(死なない)』と仰せられ、またその肉は『まことの食物』またその血を『まことの飲み物』なりと宣うた〈ヨハネ6・51、55〉。さらにまたイエスは自ら良い牧者ですと言い、良い羊飼は特に貪婪な狼より羊を救わんがためにその生命をも捨てる品質ありと仰せられた〈ヨハネ10・11〜13、17〜18〉。今、ここでは『多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです』と宣うた。

 これを聞いて弟子たちは如何なる想像を描いたことであろうか。これは毎月ユダヤ人は成年に達すれば一人半シェケル宛を神殿の会計へ『あなたがた自身を贖うために、主に奉納物〈出エジプト30・12〜16〉』として納めたことを示されるのであろうとも思われた。しかし、なお他の意義も彼らの想像から逸しなかったことであろう。ユダヤ人はその歴史が紛々戦争に満ちておるために、異邦の領主についてのイエスの説明の彼に『贖い』と言われるのを聞いて、弟子たちは戦争中に捕らえられて、征服者の奴隷となっている俘虜の贖いであると考えたことであろう。

 ここに使徒たちの贖罪論の発端がある。『律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。』〈ガラテヤ3・10、13〉と聖パウロは言った。また、聖ペテロが『あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの尊い血によったのです』〈1ペテロ1・18〜19〉と記すにあたっては、その主のこの絶大なみことばを心に描いたに相違はない。

 これただに比喩たるのみならず、福音の中心を為す真理であって、これなくんば、イエスは世の罪のために死に給い、その死によってすべての信者に永遠のいのちを与えられる福音は存在しないのである。)

2022年8月11日木曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(7)

『反って大ならんと思う者は汝らの僕(しもべ)となり、頭たらんと思う者は、凡ての者の奴隷となるべし』(マルコ10・44私訳)

 改訳には『役者』となり『僕』となるべしとあるが、『僕』となり『奴隷』となるべしと訳した方が原文に近い。そうだ、私どもは喜んで凡ての人の愛の奴隷となるのである。愛する者のために、人は識らずして『僕』となり、『奴隷』となるものである。

 親は識らずして子の僕となり、愛人は識らずして愛人の奴隷となる。我らもし神を愛するならば識らずして神の奴隷となっているはずである。我らもし隣人を愛するならば識らずして隣人の僕となっているはずである。神のために隣人のためにこれだけ尽くした、あれだけ働いた、と計算している間はまだ僕になり切ってはいない。まだ奴隷になり得ないのである。

 忘れよう、忘れよう、人のために尽くしたことは忘れようではないか。我らはキリストの愛によって贖われた奴隷ではないか。奴隷が主人のために働くのは当たり前である。

祈祷
神様、どうか忘れさせて下さい。この人あの人に自分が尽くしたことがありとすれば、それを計算することを忘れさせて下さい。ただあなたから、隣人から受けた恵みを忘れないようにして下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著223頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。 なお、今日の聖句は青木さんの私訳をそのまま載せた。新改訳聖書第2版の訳は「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべとなりなさい。」である。 引き続いてA.B.ブルースの『十二使徒の訓練』下巻73頁から引用させていただく。

 支配したいと思う者はまず仕える者にならねばならない、という霊的国家の大原則を対照によって説明してから、イエスは次に、ご自身を模範として示すことでその教えを強調していかれた。イエスは十二弟子に、「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい」と言われて、それから忘れがたいことばを加えられた。「人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」

 このことばが、王であることを主張し、偉大な力ある御国で第一の位に着くことを望まれた、イエスによって語られたのである。この節の最後に、「そうするのは、御国を獲得するためです」という一句を心の中で補わなければならないーーそれは前後関係から明らかなために言われていないまでである。主は、ここで、謙遜の模範としてだけでなく、霊的世界において力を得る道は奉仕であるという真理を例証する方として述べられる。自分が来たのは仕えられるためではなく、かえって仕えるためであると言う時、主は全くの真実としてではなく、現在の事実のみを表現しておられるのである。全き真実は、主は最初は仕えるために来られたが、やがて彼を喜んで主と認める敬虔な人々によって仕えられるようになる、ということであった。

 イエスが弟子たちの注意を向けさせたいと思われた点は、ご自分が栄冠を手にされる特別な方法についてである。イエスが実際に言われることはこうである「わたしは王であり、御国を得たいと思っています。ヤコブとヨハネが、その点では間違っていませんでした。しかし、わたしが御国を獲得するのは、世俗の君主たちが国を手に入れるのとは別の方法によるのです。彼らは世襲で王座に着くが、わたしは個人の功績で王座に着きます。彼らは生得の権利によって自分の国を確保するが、わたしは奉仕の権利によってわたしの国を確保したいと思っています。彼らはその国民を相続するが、わたしは自分のいのちを贖いの代価として与えてわたしの民を買い取ります。

 支配権や国を手に入れることについてのこの新奇な計画を十二弟子がどう考えたか、そして特に、この主の決定的なことばが語られた時、どんな考えが彼らに思い浮かんだか、私たちは知るよしもない。しかしながら、彼らがそのことばを理解していなかったということは確かである。イエスの思想は余りにも深かったので、それは驚くに足りない。今日でさえ、誰がそれを完全に理解できようか。この点で、私たちはあくまで、謎に包まれてガラス越しに見ているのである。)

2022年8月10日水曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(6)

そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者となりなさい。」(マルコ10 ・42〜43)

 彼らの不平に対するイエスの取り扱いが面白い。彼らをなだめもしないし、叱りもしない。不信仰に対してはいつも厳しく譴責し給うのに反して、彼らの憤りに対してはむしろ柔らかすぎると見えるほどである。

 何故であるか。不信仰は神に対する不信任という恐ろしいものであるけれども、この種の不平は幾分か向上心に類いしたものであるから同情し給うたのであろう。されば叱るよりも本当の考え方を懇ろに教え給うたのである。

 大ならんことを願うのは本質的に悪いことではない。この心は一般に人間に与えられた向上心である。けれどもいつも他人と背比べをしている心は面白くない。天国の偉人は自分の偉大さを知らぬ人である。

祈祷
神様、私に生長を与えて下さい。どこまでものびて行く心を与えて下さい。しかし人と背比べして自分の高きを喜ぶ心は、これを取りのけて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著222頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。引き続いてA.B.ブルースの『十二使徒の訓練』下巻71頁から引用させていただく。

 教訓的な意味で、この時のイエスの教えは、教科書として幼児を選んで語られたカペナウムでの教えの反復であった。その時、「偉くなりたいと思う者は子供のようにならなければならない」と言われたように、ここでもイエスは、「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」と言われている。

 先の教えにおいて、イエスの用いたモデルまた教科書は子供であった。ここでは、それは価値のない者、卑しむべき者のもう一つの代表である奴隷となっている。ここで、前と同じように、イエスはご自身を模範として引き合いに出して、戒めを強調しておられる。仕えられるためではなく、多くの人のための贖いの代価として、ご自分のいのちを与えるまでに仕えるために来た人の子を示すことによって、謙遜な愛の道において秀でることを求めるよう弟子たちを励ましておられる。その時、イエスは、失われた羊を捜して救う牧者のように人の子が来たことを、彼らに気づかせられた。

 この時期にイエスが弟子たちに与えた教訓における一つの新しい特徴は、支配権の取得方法についてイエスの御国と地上の王国を比較していることである。イエスは、伝えられようとしている教えの序論として、そのことに注意を向けさせられた。イエスはこう言われた。「あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たち(しばしばその上司よりも暴虐だった地方総督たち)は彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。」

 ここには主要な対比事項のほかに、もう一つ別の対比が暗示されている。それは、世の権力者の苛酷な専制的支配と、神の国においてだけ認められる柔和な愛の支配との対比である。しかし、引き合いに出されたことばの主目的は、権力の用い方における相違よりも、権力を取得する方法における相違を指摘することである。それが言おうとすることはこうである。地上の王国は世襲の特権階級ーー貴族や君主ーーによって支配される。支配階級は、支配することを生得権として与えられている人々で、仕える立場には決して置かれず、いつも仕えられる立場にあることを誇りにしている。それに対してわたしの国では、まず支配される人々のしもべとなることによって偉い人となり、支配者となる。世の国々では、仕えられることを特権とする人々が支配する。神の国では、仕えることを特権と思う人々が支配する。

 言うまでもなく、イエスは、このような対照によって政治を教えようとされたのではない。同胞を支配するという王としての役割が神から授かるべきであるということを認めるためでも、それに異議を唱えるためでもない。イエスはありのままの事実を語られただけで、聴衆はそれが世俗国家、とりわけローマ帝国に見られることを知っていた。もし何か政治的なものがイエスのことばから引き出されるとしたら、それは専制主義や世襲的特権を支持するものではなく、支配階級の出身であると否とにかかわらず、忠実な奉仕によってそれを得た人々の手に実権がゆだねられることを支持するものであろう。神の国において有益なものが、世俗国家にとって害になるはずはないからである。地上の国の真の利益は、万古不易の御国の法にできるかぎり従うように統治されることによって促進されるべきであると言えよう。※王座や王冠は、紛争を防ぐために、個人の功績と無関係に世襲されてもよい。だが、実権は、有能な人々、賢い人々、そして公共の利益のために最も献身的な人々の手に常にゆだねられるべきである。

※余りにもタイムリーなA.B.ブルース〈1831~1899〉の考察ではないか。この文章はすでに何度か指摘しているように、19世紀の作品である。にもかかわらず、その時からすでに120年以上経つことの21世紀、2022年8月10日、第二次岸田政権の組閣がなされている現場に私たちは生かされている。今も万古不易なみことばマルコ10・42は内閣に語りかける!)

2022年8月9日火曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(5)

十人の者がこのことを聞くと、ヤコブとヨハネのことで腹を立てた。そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。(マルコ10 ・41〜42)

 ヤコブとヨハネは悪かった。しかしこれを聞いて憤った十人の弟子も同罪である。自分らの心にヤコブ、ヨハネと同じような心が無ければこの種の憤りは起こらぬはずである。人と言うものは他人の悪はよく見えて自分の悪は見えぬものである。

 十人の弟子がヤコブとヨハネに対して憤慨したときの心持ちはきっと自分らは何も特別な要求をしないから悪いところはないが、この兄弟二人は十人を出し抜いたから不都合だと考えたのであろう。

 兄が遠慮して籠の中で一番小さいリンゴをとった。すぐあとから弟は遠慮せずに一番大きいのをとった。これを見た兄はこらえ切れずに大声に叱りつけたと言う。私どもは決して十人の弟子の憤りを笑えない。かような卑しい心持ちをなおすためにイエスは御側近く『彼らを呼び寄せ』給うた。イエスの前にさえ出ればかような心はなおるのである。

祈祷
主イエス様、ヤコブとヨハネを憤る心が私どもにもたくさんあります。そして自分は悪くないのだ。彼が悪いのだと思いやすうございます。

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著221頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。引き続いて、A.B.ブルース著『十二使徒の訓練』の第17章からの引用である。〈同書下巻65頁より引用〉

 二人の弟子が望まなかった特典を約束した後、イエスは次に、彼らの実際に望んだ特典が、無条件にはご自分の思いのままにならないことを説明された。「しかし、わたしの右と左にすわることは、このわたしの許すことではなく、わたしの父によって備えられた人々があるのです。」このことばから、御国における報酬の授与は全然キリストの掌中にないという印象を受けるかもしれない。しかしながら、それはイエスが言おうとされたこととは違う。むしろこうである。御国の民にその地位を割り当てることはキリストの大権であるが、特別な引立てによって地位に着けることはキリストの権限にはなく、変わることのない正義の原則と御父の主権的な任命とによるのである。

 そのことばは、わかりやすく言い換えると次のようになる。「わたしは、誰にでも『来て、わたしの杯を飲みなさい』と言うことができます。そのかぎりにおいて、情実から生じる悪影響の危険はないからです。しかし、わたしの特別な好意はそこでとどめなければなりません。わたしは、誰に対しても、好きなように『来て、わたしのそばの席にすわりなさい』と言うことはできません。各人はそれぞれ自分に備えられた地位に着かなければなりません。その地位に着くように、その人は備えられているからです。」

 こういうふうに説明されたからと言って、この主の厳粛なことばは、一見して示唆しているばかりか必然的とも思われる推論、すなわち、杯を飲んでも栄冠を失う者がいる、また少なくとも、ある弟子が十字架を負ったキリストと交わりを持っていた程度と、永遠の御国において彼に割り当てられる地位との間には全然関係がない、というような推論に対して何の根拠も与えていない。イエスにそのような教理を教える意図がなかったことは、イエスがいま検討中の言明を語られる直前に、杯と栄光の座、苦難と栄光の間に自然の順序があることをほのめかす質問をされたことから明らかである。

 ペレヤでの十二弟子への約束において深く結び合わされていた犠牲と大きな報酬は、ただ、あらゆる不正を天の御国から排除する厳格さを際立たせるために、ここでは切り離されている。患難においてイエスと行動を共にする恩恵を多く与えられた者は、疑いもなく、永遠の御国において高い地位に着けられるであろう。この言明は、決して御父と万物の主の主権性を傷つけるものではなく、かえって、その確立に貢献する。苦悩は天の御国のための教育であるという単純明快な真理以上に、選びの教理を支持する格好の論証はない。十字架を負うように命じること以上に、神の主権的な御手が現れることがあろうか。もし十字架が私たちを構わずにそっとしておいてくれるなら、私たちも十字架を放っておこう。私たちが苦い杯や血のバプテスマを選ぶのではない。私たちはそれらのために、また、それらのうちに選ばれるのである。神が人々を十字架の戦いへと徴用される。もし誰かが、多くの徴用された兵士がそうだったように、この道〔十字架の道〕によって栄光に入れられるなら、それは少なくとも彼が一番最初に望んでもいなかった栄光にであろう。

 主張された苦難と栄光との結びつきは、選びの教理の確立と共に弁証に役立つ。来るべき世との関係において見ると、その教理は神にえこひいきの責めを負わせかねないように思われるし、また非常に神秘的なものにならざるを得ない。しかし、現在の生活の面から選びを見よ。そうする時、選びの特権は、選ばれた人々がそのことでうらやましがられるようなものではなくなる。なぜなら、選ばれた人々は、幸福な人々でも幸運な人々でもなく、苦難を受ける人々である。事実、彼らが選ばれたのは、彼ら自身のためではなく、世のためであって、荒野を沃地に変える困難でつらい働きにおいて神の開拓者となるためである。彼らが尽くした奉仕に対してほとんど感謝されることもなく、しばしばその報いとして貧困や苦悩が待っているような、世の塩、パン種、光となるためである。

 そういうわけで、結局、選びは選ばれていない人々への恩恵にほかならない。それは広範囲の人々に恵みを施すための神の方法である。選ばれた人々のために用意されている特典は何でも、充分受けるに値するものであり、また、ねたまれるべきものではない。いったい誰が選ばれた人々の将来をうらやむのか。もし彼が喜んでそのように見捨てられた人々〔選ばれた人々〕の仲間になり、現在彼らが受けている患難にあずかろうとするなら、彼もまた彼らと将来の喜びを共にする人となるであろう。

 説明するまでもないが、このことばを語られた時、イエスは祈りの効用を否定しようとされたのではない。「あなたがたが神の国における地位を願い求めても、それを得られない。すべては神がお定めになっているのだから」と言おうとされたのではない。イエスはただ、その二人の弟子や皆に次のことを理解してもらいたかったのである。それは、彼らの要求がかなえられるためには、彼らは自分が求めていることが何であるかを知らなければならないこと、そして、その祈りの答えの中に示されたすべてのものを、将来だけでなく現在においても受け入れなければならないということである。

 この条件はしばしば見逃されている。たとい霊的祝福のためであっても、大胆で野心的な祈りの多くが、その答えに必然的に伴うものが何であるかを知らない嘆願者たちによってささげられている。彼らはもしそのことを知っていたなら、その祈りが答えられない方がよいと思ったであろう。例えば、未熟なキリスト者は聖化されることを願う。しかし、彼らは、あらゆる種類の疑い、誘惑、激しい試みを通じて偉大な聖徒が造られていくことを知っているのだろうか。ある者たちは神の愛の確証を切望し、彼らの選びを完全に信じたいと願う。そういう人々は、悲しみの暗夜に天の星を仰ぎ見ることができるために、繁栄の陽光を奪い去られることに喜んで甘んじるだろうか。ああ! 自分の求めていることを知っている人々の何と少ないことか! 賢い心と正しい精神をもって祈るべき事柄のために祈ることを教えられる必要のある人の何と多いことか!

 ヤコブとヨハネに必要なことを話した後、イエスは次に、彼らの兄弟たち〔仲間の十人の弟子〕に謙遜を教え込むため、時宜を得た忠告を語られた。確かに、十人の弟子は違反者ではなく被害を被った側であったが、それでもなお、そのうちには同じ野望が宿っていた。さもなければ、ヤコブとヨハネの不正行為にそれほどまで向きになって腹を立てるはずはなかったであろう。高慢や利己主義は、謙遜で無死無欲な人々を悩ませ、悲しませる。しかし、高慢な人々や利己的な人々だけは、それに憤りを覚える。他人の悪感情の攻撃に耐える最良の方法は、私たち自身の心中から同様の感情を追い払ってしまうことである。「キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい」〈ピリピ2・5協会訳〉。そうすれば、あなたがたは、少なくとも反目や虚栄に駆られて行動することはなくなるであろう。

 「このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。」疑いもなく、その後の光景は大変建徳的でないものだった。そこに兄弟たちが心を一つにして集まっている敬虔な情景をよく見たいと願っていたなら、このような光景を見せつけられるのは全くやりきれない。だが、イエスの集団は現実のものであり、空想小説家の創作ではなかった。あらゆる現実の人間社会では、幸福な家庭でも、選り抜きの集団、科学者、文学者、芸術家のそれにおいても、キリスト教会においても、時には試練の嵐が吹き荒れるであろう。その愚かさによってであっても、十二弟子がここに記されているような崇高なことばを発する機会を主に与えたことに、私たちは心から感謝しよう。そのことばは、人間の欲情の荒れ狂う雲間をついて現れる星のように、福音物語の澄み渡った夜空から私たちの上に輝き出ているーー驚くべき深い自己謙卑から語られているが、明らかに神ご自身のことばである。

 興奮した弟子たちに語りかけるイエスの態度は、非常に穏やかで落ち着いたものであった。イエスは、父親が訓戒を授けるために子供たちを集めるように、二人の弟子も他の十人の弟子も、加害者も被害者も、彼らを皆、ご自分の回りに集められた。そして、死に臨もうとする人のような穏やかさと厳粛さをこめて語られた。この場面全体を通じて明らかに、死の厳かな響きが救い主の精神にうかがわれる。イエスは、ご自分が裏切られる夜のことを私たちに思い起こさせることばで、ご自分の受難が近づいていることを語られているのではないだろうか。すなわち、「わたしの杯」という詩的で礼典的な名称を用いてご自分の受難を述べ、初めてその地上生涯の秘密ーーイエスが死のうとしている大目的ーーを明かしておられるのではないだろうか。)  

2022年8月8日月曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(4)

イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」(マルコ10 ・39〜40)

 イエスはゲッセマネで苦痛の『杯』を飲み、十字架の上で血の『バプテスマ』を受けられた。ヤコブもヨハネも後には主の御苦しみに与(アズか)る人となった。しかし、そのころには、最早、主の『栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」と祈願するような人ではなくなっていた。

 主の栄光の国には主の右左といったような座位がないとは言い給わない。天国は一切平等の国であってその栄光に差等がないとは言い給わない。『備えられた人々』にはそれぞれ適当な座位が与えられる。けれども高い座位を望むような心はなくなると言われたのである。否、左様なことはこれを与える天の父の問題であって、これを受ける私たちの問題ではないことを教え給うたのである。これを問題にするような心こそ天国において最も卑しい心であると教え給うたのである。

祈祷
主よ、私は高きを望む卑しい欲望の持ち主であることを悲しく思います。願わくは私をこのような心から清め、ただあなたのためにあなたと共に十字架へと急ぐことを喜ぶ者とならせてください。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著220頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。過去三日間David Smithの『the Days of His Flesh』を紹介したが、A.B.ブルースは『十二使徒の訓練』の第17章「十字架についての第二の教えーー再びゼベダイの子たちーー」と題して25頁ほどの考察を載せている。以下、今日からそれを順次に紹介していきたい。〈同書下巻57頁より引用〉

 マタイおよびマルコの福音書のマタイ20・17〜28、マルコ10 ・32〜45に記録されている出来事が起こったのは、イエスと弟子たちが、ラザロのよみがえりの後に退いた荒野に近いエフライムからエリコを通って旅をしながら、最後のエルサレム入りをするために上って行く途中のことであった。それゆえ、ゼベダイの二人の子たちが御国における最高の地位を要求したのは、主が十字架につけられる一週間少し前のことになる。来るべきことについて、彼らは何とつまらぬことを夢見ていたのだろう! しかし警告が足りなかったからではなかった。彼らがそのような願いを申し出る前、イエスはすでに三度も、ご自分の受難の近いことをはっきり告げておられたからである。しかも、今回のエルサレム訪問との関連でご自分の死が起こることを指摘し、さらに、それを目撃するのでなければ言えないようなご自分の最後の苦難の様子を語られていたのである。すなわち、彼の死は裁判で争われ、そのため彼はユダヤ当局者の手で異邦人に引き渡され、あざけられ、むち打たれ、十字架に付けられると。

 このキリストの三度目の受難告知のことばを記した直後に、ルカは弟子たちについて次のように書き添えている。「しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話されたことが理解できなかった。」

 ルカは記録にとどめていないが、この言明の正しさは続いて見られる光景から充分明らかであり、ここに言われた事実の理由ともなっている。察するに、イエスが近づくご自分の苦難について語っておられる時、弟子たちはほかのことを考えていた。彼らはペレヤで自分たちに約束された栄光の座のことを夢見ていた。そのため、彼らの思いとは全く異なる主の思いを理解することができなかった。彼らの心は完全に空想的な期待で占められ、頭はむなしい望みの発泡性ぶどう酒でふらふらしていた。それで聖なる都〔エルサレム〕に近づいた時、彼らは「神の国がすぐにでも現れるように」信じ込んでいたのである。

 すべての弟子が栄光の座を期待していたのに対し、ヤコブとヨハネは最も高い座を欲しがって、それを自分たちのものにしようと一計を案じていた。そして、自分たちだけが引き立てられることで、だれが一番偉いかという論争に決着をつけようとしていた。これらの者は、サマリヤの村人たちの無礼な態度に激しい怒りを燃やしたことで有名な二人の弟子であった。十二弟子のうちで最大な熱心家は、また最大の野心家でもあった。そのことは、人間というものをよく知る者にとっては驚くに値しない。先の場合には、二人は敵を焼き滅ぼしてしまうように天からの火を求めた。ここでは、仲間たちの不利になるような天からの恩恵を求めている。この二つの願いはそれほど異質なものではない。

 そのつまらぬ計画をたくらみ、実行するに当たって、二人の兄弟は彼らの母親の助けを受けた。彼女については特に説明はないが、おそらく、やもめになってからイエスにつき従うようになっていたのであろう。あるいは、エルサレムに集まる道の交差する所で、偶然にイエスと弟子たちの一行に出会ったのかもしれない。この時、どの人々も過越の祭を祝うためにエルサレムに向かっていたのである。サロメは、この場面の主役であった。しかも彼女はその役をよく演じた。彼女は、王に拝謁するかのようにイエスの前にひれ伏し、恐る恐る願い事を申し出た。そして、イエスから「どんな願いですか」と尋ねられると、言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」

 この願いは、明らかに聖霊の導きとは別のものからきていた。その願いを生んだ陰謀は、イエスの仲間が心に抱くとは到底想像できないものであった。しかし、ここに展開されていることはすべて、どの時代にも見受けられる変わらぬ人間性である。そのため、ここに記されていることは神話のような作り話ではなく、真正な史実であると認めざるを得ない。

 熱心、献身、聖性をもって聞こえる宗教界において、いつの時代にも、どれほど多くの世俗的精神が見出されることだろうか。イエスの側近の人々の中にもそれが見られるのを知って、驚きの声を上げる資格は私たちにない。十二弟子は、まだ荒削りのキリスト者にすぎなかった。私たちは、ほかの人々と同様、彼らにも聖化される時間を与えなければならない。それゆえ、彼らの行為によってつまずくようなことがあってはならない。ゼベダイの二人の子の行動に驚くべきではない。とはいえ、彼らの要求は愚にもつかない、けしからぬものであったとはっきり言える。同時にまたそれは、全くずうずうしい、粗野な、身勝手なものであったと言える。

 それは不遜な、恥知らずな要求であった。なぜなら、それは、彼らの主であるイエスに、彼らの野心と虚栄の道具となるように頼むも同然のことだったからである。彼らは、イエスが懇願に負けるだろうと思い、多分、やもめとして同情の対象であり、イエスの経済的支援者として彼に感謝される資格のあった、女性の嘆願者からの要請を拒むほどイエスは無慈悲ではないだろうと計算した。そして、イエスご自身の性格や、カペナウムで語られた謙遜についての教えに示されるようにイエスの平素の教えに反しないかぎり、イエスが到底認めがたい好意を請うたのである。そうすることによって、彼らは野心家に最も特徴的である厚顔無恥なでしゃばりの罪を犯した。それは全く思いやりに欠け、それがどんなつまずきを与えるかも構わず、また、どんなに他人を傷つけるかにもむとんちゃくに、ひたすらその目的に突っ走る罪である。

 二人の兄弟の要求は恥知らずだっただけではなく、無知によるものでもあった。彼らの念頭にあった御国についての思想は、真理と現実から全くかけ離れたものであった。ヤコブとヨハネは、この世の王国のように到来する御国を考えたばかりか、その見方以下にすらそれを見ていた。というのは、高い地位をその職責に対して適材であるということによらず、懇願や特別の好意によって獲得できるとするなら、世俗の国家においても、非常に堕落した不健全な事態だからである。家族の力やおべっかが権力への道である時、国を愛する人々は誰も悲しむようになる。秩序の保たれたいかなる世俗の王国でも認められないような手段で、神聖な、理想的で完全な王国における昇進が可能であると考えるとは、何とばかげたことだろう。そのような考えを抱くことは、神聖な王〔イエス〕の地位を下げ、その顔に泥を塗るようなことである。まるで、彼を、正直者よりおべっか使いを愛する無能な専制君主のように扱っているからである。また、神の国を、ボンバやネロのような人物に支配される、最も悪政の敷かれた地上の国家と同一視する愚を犯しているからである。

 この兄弟たちの要求は、さらに、ひどく自分本位であった。それは仲間の弟子たちに対して卑劣であった。というのは、それは彼らを出し抜こうとすることだったからである。そうした場合にいつも見られるように、彼らの企ては悪影響を生み、家族的集団の平和を乱し、そのメンバーの間に最もふさわしからぬ激しい怒りを引き起こした。「このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。」無理もない。もしヤコブとヨハネがそういう結果を予想していなかったとしたら、それは彼らが大変自己中心的な思いに取りつかれていたことを示している。また、もし彼らがそれを予想したうえで、なおつまずきを与えるに違いない行動に出ることをためらわなかったとすれば、彼らの自己中心ぶりはもっと無情で、もはや弁解の余地のないものだったとしか思えない。

 しかし、この二人の弟子の嘆願は、もっと広い見地、つまり神の国の公益という見地からも身勝手なものだった。それは次のようなことを意味した。「どんなことがあっても、たといすべての人が不平や不満を抱き、無秩序、不幸、混乱が起きようとも、私たちに栄誉と権力の地位を授けてください。」教会においても国家においても、実績によるのではなくえこひいきによる昇進が及ぼす結果は、まさにこのようなものである。多くの国民は、試練の日に、それが支払った犠牲を目の当たりにしてきた。実のところ、ヤコブとヨハネは、自分たちの願いがかなえられることから、そのような不幸が生じようとは夢想だにしていなかった。自分たちの昇進から悪い結果を予想するような利己主義者や地位をあさる連中はいない。しかし、そのことが彼らの利己主義を減じさせるわけではない。彼らは利己的であるうえに、うぬぼれが強いことを示しているだけのことである。 

 この野心に満ちた要求に対するイエスの答えは、その問題の性格を考慮すると、驚くほど穏やかなものであった。二人の弟子のずうずうしさ、でしゃばり、自分本位、うぬぼれはイエスの柔和で聖なる無私無欲の精神にとってどれほど不快なものかもしれなかったのに、イエスは直接に叱責のことばを口に出すことなく、あたかも父親が無茶な要求をする子供をあしらうように彼らを取り扱われた。彼は、彼らの嘆願によって明るみに出た重大な過ちを責めずに、わずかに彼らの無知を注意するにとどめられた。イエスは静かに、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです」と言われた。

 この注意にしてもイエスは非難めいた調子ではなく、同情をこめて行なわれた。それがかなえられると、自分たちが考え及ばなかったような痛ましい経験をすることになる祈りをささげる人々を、イエスは気の毒に思われた。イエスが次のような説明つきの質問をされたのも、この精神においてであった。「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。わたしが受けようとしているバプテスマを受けることができますか。」

 しかし、この質問には同情や矯正以上のものがあった。それには神の国において高い地位を得る真の道を教える意図があった。質問の形式で、イエスは、御国における昇進はえこひいきによっても、しきりに懇願することによっても得られないことを教えられた。そして次のことを教えられた。栄光の座への道は十字架のヴィア・ドロローサ〔苦しみの道〕であること、栄光の地〔御国〕において栄冠を得る者は大きな患難を通り抜けた者であり、御国の世継ぎは悲しみの杯を最後まで飲みほした者であること、それを飲もうとしない利己主義者、わがままな者たち、野心家、虚栄心の強い者たちは、イエスの右と左の栄誉ある席は言うまでもなく、御国におけるどの席にも着けないこと。

 イエスが彼らに投じたハッとするような質問は、ヤコブとヨハネを驚かせなかった。彼らは間髪を入れず、はっきり「できます」と答えた。その時、彼らは本当に苦難の杯とバプテスマを考慮に入れ、望んでいる栄冠を得るために高価な代価〔大きな犠牲〕を支払わねばならないことを覚悟していたのだろうか。殉教者の精神の聖なる炎が、すでに彼らの心のうちに燃え上がっていたのだろうか。そう考えることができれば幸いであるが、どんなにひいき目に見ても、そのような見方を是認することはできないのではなかろうか。むしろ、この二人の兄弟は彼らの野心を実現させたい一心から、どんなことでも約束しようとしていたのであり、その実、自分たちの約束したことが何であるかを知りもせず、関心もなかったのである。彼らの自信たっぷりの言明は、数日後ペテロが口にした、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」という虚勢を張ったことばと、どこか非常に類似している。

 しかしながらイエスは、このゼベダイの子たちの場合、彼らの友〔ペテロ〕の場合と同様に、大見得を切って公言したその勇壮ぶりを問題にするよりも、彼らがイエスの苦難にあずかることができるだけでなく、喜んでそうすると仮定した方をとられた。王の杯で飲み、王の水差しで手を洗う特権を寵臣たちに与える王のように、イエスは、「あなたがたはわたしの杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けはします」と言われた。それは、王〔イエス〕が与えてくださる一風変わった恩恵であった。もし二人の兄弟がそのことばの意味を知っていたなら、彼らは多分、主が彼らに皮肉を浴びせておられることにそれとなく気づいただろう。だが、そうではなかった。

 イエスはこのように語られた時、弟子たちを愚弄して、彼らにパンの代わりに石を与えるようなことはされなかった。イエスは真面目に語られ、与えるつもりのもの、そして、与えられるべき時が来た時にーーその時は本当に来たーー彼らが自らそれを真の特権と見なすものを約束された。というのも、すべての使徒はペテロと共に、キリストの御名のために辱められた者が幸いであり、栄光の神の御霊が彼らの上にとどまっていることを認めたからである。ヘロデの迫害の剣で殺された時のヤコブは、そのような思いであったと信じる。「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」パトモス島に流されていた時のヨハネも、そのような思いであった。)

2022年8月7日日曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(3)

彼らは言った。「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。あなたがたは、わたしの飲もうとうする杯を飲み、わたしの受けようとする バプテスマを受けることができますか。」彼らは「できます。」と言った。(マルコ10・37〜39)

 『杯』と『バプテスマ』が何か大きな苦難を指すことは明白である。ヤコブとヨハネはそのくらいの決心はして来たのである。多分非常な悪戦苦闘を経てメシヤ王国を建てるものと思っていたらしい。だからその独立戦争において主の御馬前に討死するくらいの決心で奮戦する覚悟であったのであろう。実に『雷の子』らしい覚悟である。この忠誠の心は頼もしい。

 しかし最初お弟子になった時からペテロとともに特別に信用を受けていたのに、今更そのペテロをさえ蹴落とし、兄弟二人で主の両側を占領しようとしたのは余りに我欲に過ぎる。だから、主は彼らに患難の『杯を飲み』苦痛の『バプテスマを受ける』だけを許して『左右に座らせること』は請け合いなさらなかった。

 結局これでいいのだ。私どもも主の栄光の分配を求める必要はない。主とともに十字架を負うことを許されれば、それだけで十分な報酬である。

祈祷
ああ主よ、私はあなたの栄光に与らんと願うこと多くして、あなたの杯を飲もうとする心が少ないです。願わくはあなたのお与えになる患難の杯と苦痛のバプテスマとを感謝して受ける者となして下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著219頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下の考察は、一昨日、昨日に接続するDavid Smithの『the Days of His Flesh』からの引用である。文中英文を併記したのは邦訳ではかえってわかりにくく思われるところである。

5「彼女の懇請」

 彼女は円熟せる巧妙な手段をもってこれを遂行した。すなわち彼女は日ならずして君王になられるイエスの前に進んで、あたかもエステルがアハシュエロスの前に立った〈エステル5・1〜8〉ように懇願者の態度をもって、東洋専制君主の大風な所業に準じて、彼女の要求は何事にても応ぜられるよう未然にイエスの言質を与えられんことを祈った〈マタイ14・7、マルコ6・22〜23〉。『どんな願いですか』とイエスは彼女のわざとらしい術策を他所に見て問われたので、彼女はその胸中を訴えて『私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい』と請うた。この語はサロメの口から出たけれど、畢竟彼女は二人の子の代言者となったのみであった。

 イエスは彼女に対して憤られるよりも、むしろ今なお物質的心事を有することを悲しまれつつ『あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです。わたしが飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますか』〈詩篇11・6、マタイ26・39、ルカ12・50〉と問われた。彼らは心も軽々と断言して『できます』と答えた。彼らは王位に陞らんがためイエスがエルサレムに赴かれるものと想像して、何らかの争闘がなければこれを全うされないと覚悟したのであった。イエスがわたしが飲もうとする杯を飲み、わたしの受けようとするバプテスマを受けることができますかと問われるのはその準備の戦争に職責を尽くし得るかと彼らの勇気を問われたものと心得た。ゆえにその苦痛は如何に激烈なりとするも、勝算すでに定まれるをもって、その決意をイエスに保証したのであった。もし彼らが一週間の後に王位にあらずして十字架上に陞られることが彼らに明らかとなるならば、恐らく彼らはその右の十字架と左の十字架にかかるべき言質を提供する所以を自ら悟っては必ずはるかに異なった答弁をしたことであろう。彼らの主に対する愛慕の念より忠誠を献げたに相違ないけれども、しかし彼らは口籠もりつつ、その答弁は苦き杯を飲みその血の滴るバプテスマを耐え得る力を与え給えとの慄く祈祷となったことであろう。

6「主の約束」

 イエスは彼らがその当初には意気阻喪しても、後遂に使徒として苦難に勝利を博するに至るべき、その厳かな事実を予測された。ゆえに『あなたがたはわたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません』と仰せられた。使徒たちは地上の腐敗した国家を見本として天国を描いているのであった。地上の国家においては君主の心を得るものが栄位を与えられるのである。もちろん、その栄位はこれを得ざるべからざるものである(Jesus tells them that the honors must be won. They are not gifts but rewards. )。

 聖クリソストムが『試みに一名の審判官と多数の競技者が競技場に入り来たり、うちに二名の競技者は審判官に甚だ親密なる関係あり、彼に来たり、平生の厚意と友情の効をもって「私たちに冠を与えて、勝利者と宣言せよ」と迫ったと思え。審判官は彼らに対して必ず「これわたしの与えられるものではない、その努力と流汗をもって獲得する人々のために準備されたものです」と答えるだろう』と言った。

 主の語は二人の心のうちに植え込まれた。而してその時には隠れていた意味が後年初めて悟られたのであった。ヨハネが『勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである』〈黙示3・21、2テモテ2・12参照〉と記した際にはこの語を思い浮かべていたのであろうか。

7「天国における偉人」

 この事件はたとえがたきイエスの煩いとなった。時も時、その苦難の厳かな宣言をせられてまだ聖語も終わらないうちであった。しかもその相手は選に入れる一団中の殊に密接な圏内のものどもであった。彼らはイエスの特別な眷顧〈けんこ〉と友情とを与えられていながらも、なお不純な物質的利己的野心を包むものであった。ただにそれのみならず彼らの請願が彼らの同僚の間に憤怒を醸したのであって、イエスは深くこれを悲しまれた。ゆえにイエスは十人のものの憤慨を悟って、その周囲に彼らを呼び集め、天国の根本律法たる己を捨てるべしとの教訓を繰り返された。先の場合には幼児を彼らの間に立たしめて、彼らの典型はこれなりと教え給うたが、今は自らをその例として挙げられた〈マタイ18・1〜4 マルコ9・34〜37、ルカ9・46〜48〉。彼らにしてもし天国において大ならんことを求めばその国王たらしめよ。『異邦人の支配者と認められた者たちは彼らを支配し、また、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。しかし、あなたがたの間では、そうでありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者となりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです』と。)

2022年8月6日土曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(2)

イエスは彼らに言われた。「何をしてほしいのですか。」(マルコ10・36)

 慈愛のイエスである。ヤコブ、ヨハネの差し出がましい態度をご覧になったけれども、その厚かましい態度の中にも、イエスを愛しいつも御前に近く居りたいという真摯な心をも見通されたのであろう、一言のもとに叱り飛ばしておしまいなさらずに、静かに何を求めるのかを問われたのである。

 イエスは聡明な御方である。私どもの善の外観が如何に美しくとも不純な心の奥を見透される、と同時に私どもの悪が随分醜いものであっても、出て来るところが真剣なものであれば、それを見逃される御方ではない。

 私たちは幾分の善と幾分の悪の混合物であるが、そのいずれに向かって傾きつつあるか、その方向が大切である。イエスはこの点に重きを置かれる。ヤコブとヨハネの衷にはまだかなり不純な願望がある。けれどもイエスを愛する愛によってこの願望が純化され得ることを知っておられた。

祈祷
めぐみ深い主よ、あなたは私が欲深いことを知っておられます。しかしまた私があなたを慕っておりますこともご存知です。主よ、願わくは、私を退けられないで、私を御側に引きつけて私の心の願いを潔めてください。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著212頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下の文章はサロメの思いを詩的に歌ったもので、掲載する必要のないものだが、愚かな地上の母親の過たれる子への愛情を表すためにDavid Smithは思わずこの詩句を考えたのだろう。昨日の続きに位置する文章である。

 しかしその子供ほどにイエスの精神を知らざるサロメは少しの躊躇もしなかった。彼女は彼らの臆病を嘲笑したことであろう。

 『汝らが自ら包まれたる
  希望は呑まれたるか。希望は爾来眠れるか。
      自由にこれを遂げ得べきに蒼白く衰えて見るを、
      今これを醒まさざるか・・・汝らが渇望せしときの如くに、
      その実行と勇気の易わらざるを汝ら恐るるか』
   As ye were in desire?
       Was the hope drunk wherein ye dress'd yourselves?
       hath it slept since? and wakes it now, to look so green and pale
       at what it did so freely?..... Are ye afeared
       to be the same own act and valour,

彼女の助言の効なきを見て、彼女は自ら進んでイエスに近づき、彼らのためにイエスに協議すべき役に当たるの外はなかった。)

2022年8月5日金曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(1)

さて、ぜべダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」(マルコ10・35)

 マタイ伝を見るとこの二人は母サロメを動かし、姻戚関係を利用してイエスに願い出たらしい。『ぜべダイの子たちの母が・・・イエスのもとに来て、ひれ伏して・・・』(マタイ20章20せつ)と書いてある。

 この度のエルサレム上洛は不安も漲っているが、イエスの態度の緊張によって見るも何か大きなことをなさるに違いない、あるいは公然とメシヤ王国を打ち建てられるかも知れない、その時にイエスの左右に坐して十分にやって見たい、と。これが彼らの熱望であり野心であった。

 悪い野心と善い希望と半々であるが、そのやり方は陰険である。母をつれて来たのも狡猾であるし、『私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。』などと覆面した要求を提出するなど極めて醜い。これがユダであったら私どもは驚かないが、ヤコブとヨハネであるので少なからず驚かされる。

 しかし、考えて見るとヤコブもヨハネもこの頃はまだ生まれつきのままの人であった、まだ聖霊を受けていなかった。このような人があんなに立派な人になったことを思うと信仰というものが如何に大きな働きをするかが窺われて有難い。

祈祷
醜く汚れた者を召し寄せてこれを浄化し、聖化される私たちの主イエス様、私たちはただあなたのところに来ます。願わくは私たちの醜悪であることを憐み、聖霊を遣わして私たちを潔め、御形(みかたち)に似る者とさせてください。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著217頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

David Smithの『the Days of His Flesh』から以下引用する。

4「サロメとその子たちの野心」

 彼らが到底その物質的夢想を捨てることができなかったのは、忽ちそこに起こった事件で明らかであった。一同は北方からの大道に達した時であると思われる。而してその地点においてガリラヤより來れる巡礼の団体と合したのであろう。ガリラヤ団の中にヤコブとヨハネの母サロメがいた。ベタニヤの奇蹟の噂はすでに広く伝わってカペナウムにも達したのであろう。彼女はこれに関してその子と熱心に研究し、彼らの間に遂に狡猾な計画が企てられた。彼らは久しくこの計画を蓄えていたに相違なく。今がその実行の格好の時期であると考えた。天国の出現、目睫の間に迫っている。而してそれと同時に主に忠実に従ったものの間に栄位は頒たれることであろう。十二人の間には常に天国においては何人が大いなるとの論争があったのであって、ヤコブとヨハネもまた彼らの要求を決して差し控えるものではなかった。而してその子の立身のためにと母らしい心配を抱いたサロメは彼らの野心の炎を煽った。その主たる栄位は特に愛された三人に与えられるべきは明白なるがゆえに、まず彼らに高位を与えるべしとのイエスの言質を奪い取って、その競争者であるペテロを追い払う企みであった。彼らは今ぞまたと得難き好機なりと認めたが、いよいよ実行するには聊か躊躇した。すなわち彼らはイエスに接して、その前に己が野心を披瀝するに逡巡した。彼らは十二使徒が物質的な想像を抱いてみことばに背いたときに受けたイエスの峻烈な叱責を記憶していたのであろう。なおイエスのペテロに対する『下がれ。サタン。』との譴責を思い浮かべて、重ねてこのような拒絶を受けるのでないかと恐れたであろう。時節が到来しても彼らがイエスに接してその野心深き要求を提出することのできなかったのは当然である。)

2022年8月4日木曜日

十字架による救い(下)

『ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。』

 これだ。これである。イエスの死が福音である理由はここにある。

 人の死ぬことが何で福音であるか。パウロも殺された。ペテロも十字架にかかった。殉教の死を遂げた者は無数である。が『三日の後に、よみがえります』と断言することの出来た人は開闢から世の終わりまでにたった一人しか無い。

 これがやがて絶望してしまった十二使徒をもよみがえらせた。イエスの死とともに葬られた教会をもよみがえらせた。而して今日の私たちを霊によみがえらせ、なお肉体をもよみがえらせるのである。のみならずこのよみがえりの力は実に私たちの日常生活にも流れ込んで、疲れたる手、萎えたる足をも活かすのである。

祈祷
私たちの主イエス様、あなたは自らの生命を捨てる力をもち、またこれを得る力を持っておられることを賛美申し上げます。願わくは、あなたのよみがえりの力を私たちに与えて弱いこの身を今日も強く立たせてくださいませ。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著216頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。青木さんが単刀直入に『これだ』『これである』と言われた心持ちは時を隔てた私たちにもそのまま伝わってくる。いや、この二千年間、福音を信じてきた者は皆同じ思いである。ところで、先頃同じ思いにさせられたメッセージに触れることができた。それはベック兄の2007年1月9日の『リバイバルの秘訣』と題するメッセージである。以下、その一部分を紹介する。

 あらゆる問題の解決とは、いったい何でしょうか。逃れ道は何でしょう。イエス様の答えは「十字架」です。

 イエス様が死なれた時、私たちもともに死んだのであり、またイエス様がよみがえられた時、私たちもともによみがえらせられたのです。この事実を、主は聖書の中で私たちに語っておられます。主は嘘を知らないお方ですから、これは事実です。この事実を信じ、感謝しましょう。結果として、私たちを取り巻く人々の中に、リバイバルの奇跡が起こります。

 今日、自分の頑固な意志をイエス様に明け渡し、イエス様が「聖霊」によって自分の生活の支配者になられたことを計算に入れるなら、リバイバルを経験します。自分の古き人、頑固な意志、傲慢が、イエス様とともに十字架で死に、新しく生まれ変わった人は聖霊の支配のもとにある、ということを信じ続けるのがリバイバルの秘訣です。・・・・参照http://www.christ-shukai.net/messages2007.html

詳しくは、上掲のサイトを開き、全文をお読みくだされば幸いです。このメッセージを読むきっかけは、7月16日に101歳で召された遠縁〈従兄の姑〉にあたる方が、私に託して置かれた聖書ノートをひもといたことによる。その方はまさに2007年1月9日のベック兄のメッセージを聞き、書き留めておかれた。その聞き取りの中でガラテヤ3・15の聖句のすぐ後に「イエス様は私たちのためにのろいとなられた」とご自身の言葉で書き留めておかれた。これまたまさに、青木氏が示された『これだ』『これである』に違いない。十字架による救いの原点だ。)

2022年8月3日水曜日

十字架による救い(上)

『さあ、これから、わたしはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして異邦人に引き渡します。すると彼らは嘲り、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。』(マルコ10・33、34)

 これよりさき祭司長、パリサイ人らは議会を開いてイエスを殺す決議を為した(ヨハネ伝11章47節)。イエスはこれを知りつつ彼らの真ん中に進み行きつつあるのである。

 ガリラヤからこの祭りに上って来た群衆を駈って彼らに一泡ふかせる方法もある。ギリシヤに逃れて異邦人に道を伝える方法もある。イエスはそのいずれの方法も採らない。赤手空拳で単身敵の手中に陥って行く。弟子らが驚き懼れたのも無理でない。我々も驚く。ナゼであろう。これは最初からご予定の行動なのである。

 イエスの死は英雄の死ではない。殉教の死ではない。待っていた時が来たのである。モーセ以来一千数百年牛や羊によって代表されて来た過越の祭の贖罪を現実化せんがために自ら犠牲となったのである。さればパウロも『私たちの過越の小羊キリストが、すでにほふられたからです』(1コリント5章7節)と言っている。

祈祷
主イエス様、あなたは罪と戦って死を選び、罪の現実を暴露し、罪は神を十字架につけなければ止まないものであることを示しなさいましたことを感謝申し上げます。而して、あなたは私の罪のために犠牲となり、一切を贖い、一切をお赦しくださいますことを感謝申し上げます。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著212頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下は、昨日のDavid Smithの『 the Days of His Flesh』の40章 「過越の節〈いわい〉へ上られる」1、2 の続きの記事である。

3「苦難に対する三度目の予告」

 このようにその旅を続けられたが、イエスは忽ち十二人を他へ伴ってその苦難について三たび予告された。第一回にはただ有司の手に渡されて様々の苦難を受け、殺され、三日目に復活されるべきことを宣言され、第二回目にはその謀反の悲劇的特徴をこれに加えられたが、今ここではこの惨憺とした劇面をことごとく展開して示された〈マタイ16・21、マルコ8・31、ルカ9・22、マタイ17・22、23、マルコ9・31、ルカ9・44〉。すなわち受けられるべきその叛逆、その宣言、そのローマ人に嘲笑せられる恥辱、侮蔑、打撲、罵詈、十字架の刑、並びに第三日の復活をことごとく予告された。しかもこの時もまた教訓は馬耳東風をもって迎えられなさった。十二使徒の胸中は彼らが先にベタニヤにおいて目撃した奇蹟をもって溢れていた。今や長く待望した一大節は到来したと彼らは想像した。彼らの主はすでに逆転される恐れはない。必ずやその当然の栄光を表わして、メシヤ統治の即位礼を行われるに違いはないと考えた〈ルカ19・11参照〉。ゆえに彼らは困惑迷妄の間に黙々としてこの宣言を聞いたのであった。

 なお、クレッツマンは『聖書の黙想』でマルコの福音書10・32〜52を視野に『十字架による救い、奉仕の中の偉大さ、信仰による癒し』と表題を挙げ、先ず総まとめの文として次のように書き記している。

 ここでは、三つの重要な教訓が語られている。

 キリストがご自身の受難と死について予告される言葉は、いよいよ明瞭で力強いものになっていった。彼はそれを恐れながらも、この世の贖いのためには、どんな犠牲を払わなければならないかをご存知になって、十字架へと進まれて行くのである。

 弟子たちは今なお、地上の偉大な力の王国を夢見ている。彼らは、神の国では、偉大さというものが謙遜と奉仕によって測られねばならないという基本的な教えを学ばなければならない。さらに癒しと助けは、キリストの全能のみことばを信ずることによって訪れるのだという教訓を、バルテマイという盲人から教えられなければならないのである。

そして各論として今日のところを次のように書き留めている。

 イエスはその迫り来る死について、度々、いろいろな時に予言してこられたが、この時程、はっきりと、しかも、細々とそれを語ったことはなかった。主自らが、暗に示されたことのすべてを、次第にはっきりと自覚するようになっていたのだ。そのみことばを今一度、読んで見ると、それがイエスの偉大な受難を要約しているものであることに気づくだろう。しかし、また、私たちは、イエスがその勝利と復活をも予言していることに心をとめよう。)

2022年8月2日火曜日

I thought on the Lamb of God

さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。すると、イエスは再び十二弟子をそばに呼んで、ご自分に起ころうとしていることを、話し始められた。(マルコ10・32)

 幾度教えられても弟子らはまだメシヤの国の栄光をのみ夢見ていた。イエスの人望は何と言っても、まだ盛んなものである。この民望を後援としてエルサレムに乗り込むならばパリサイ人らを圧倒してメシヤの王国は今にも打ち建てられるであろうと信じていた。

 だがイエスの態度が不思議である。群衆の波には乗らない。何だか悲壮な決心をしておられる様子が主の面貌に見えている。ただ独り先立ちて往き給う。どうもただ事ではない嵐の前の静けさのようである。この不可解で気味の悪い沈黙の後ろから弟子らはオヅオヅとついて往ったのである。

 然り、十字架を正面に見つめて進み往く人の歩みは悲痛ではあるけれどもその足どりはたしかである。十字架を回避して栄光をのみ求むる者の心にはハッキリした苦みもないが不安が雲の如くに漂う。この足どりはシドロモドロである。

祈祷
主イエス様、この世の旅路を歩むにあたり、私をして十字架を回避せしむることなかれ。願わくは、驚き恐れるることなく、しかとこの道を踏み締めて進み往かせ給え。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著214頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下はDavid Smithの『 the Days of His Flesh』の40章 過越の節〈いわい〉へ上られる からの引用である。〈邦訳726頁、原文376頁〉冒頭に英詩が載っている。〈日高善一訳を併載した。味わい深い詩である!〉

All in the April evening. 『初春の夜に
  April airs were abroad;  初春の気は広く漲れり
The sheep with their little Lambs 羔を伴う羊は
  Passed me by on the road. 道の辺の我が側を過ぎ行けり

The lambs were weary, and crying 羔は疲れ果てて啼き叫べり
  With a weak, human cry;   弱々しく、人の如き叫びもて
I thought on the Lamb of God 我は柔和に死に向かわれる
  Going meekly to die.    神の小羊を偲びたり 』
              KATHERINE TYNAN

1 「エフライムへ退避」

  サンヒドリンの決議を知られたイエスはエルサレムにおいて冒険をされなかった。その死なれるべき時期はまだ到らない。ゆえにその到るまでは敵の毒手を避けられねばならなかった。

 もしヨルダン対岸のベタニヤに帰られたならば、敵の毒手に陥られるべきは明らかであった。それでエルサレムの北20マイル、ベテルの東北5マイルにしてユダヤの平原のあたりに当たるエフライムの町に赴かれた。

 エフライムは名もなき町である。ただ麦畑の中にある町でユダヤ人の間には、あたかも英国で『ニューカッスルに石炭を送れ』と言うように『エフライムに藁を送れ』という諺があった。イエスは何故にここに赴かれたのであろうか。一つの理由はエフライムはサマリヤの境であって、万一有司がイエスを捕えようと試みる場合は国境を彼方へ逃れることがおできになったからであった。サマリヤ人はその南方に来られた際冷酷な待遇を与えた〈ルカ9・51〜53〉けれども、畢竟これイエスがエルサレムに向かわれるためにユダヤ人に対する怨恨をイエスに移したものであって、もしイエスがユダヤ人の暴虐の手から逃れんがために彼らの間に投ぜられるならば、彼らは必ずその好感を表してこれを保護するに違いはなかった。

 ただにそれだけでなくエフライムはイエスが伝道の門出に当たって悪魔に試みられなさった荒野に近く、その滞在される間に再びその古戦場を訪れて、勝利の記憶を新たにし、来るべき最後の惨憺たる苦難に備えようと欲せられたのであろう。

2 「エルサレムに向かって出発」

 この地は過越節間近まで滞留せられ、しかるのちエルサレムに向かって十二使徒とともに出発せられた。一同はユダヤの平原を真っ直ぐに旅行せず、12マイル内外西南に向かって進み、エリコの近傍で、北方から来る道と合する道に出た。エフライムからも節に上る礼拝者の一団が出て、イエスならびに十二使徒と同道したのであった。

 巡礼者は聖徒に上るときは喜びの歌を詠って旅する〈詩篇42・4〉のが常であったけれども、この一行はただ黙々として歩んだ。イエスは大股に闊歩せられ、弟子たちは驚駭のうちに、他は恐怖のうちにその後ろに随従するのであった。

 げに彼らに感動を与えたものはイエスの態度であった。イエスはこの旅行の苦悩に赴く所以なるを自ら悟り、天日の中に歩を運ばれつつも、その霊魂は死の陰が漂うのであった。しかも失望せる人の様は少しもなく、弟子を周囲に集めて、その慰安を求めようともせられなかった。イエスは堂々と歩まれ、彼らは未だかつて、王者の風のかくのごとく現われたイエスを見たことはなかった。)

2022年8月1日月曜日

一路、エルサレムへ

夕景色 下界の熱さ ものかはと※
さて、一行は、エルサレムに上る途中にあった。イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者たちは恐れを覚えた。(マルコ10・32)

 勇敢なるイエスの御姿よ、真に英雄の死に赴く姿である。ヨハネ伝を見るとラザロをよみがえらせた事件はエルサレムの官憲をしていよいよ最後の臍(ほぞ)を固めてイエスを死刑に処する決議をなさせた。

 ラザロのためにベタニヤまで行くことすら弟子とトマスが『私たちも行って、主といっしょに死のうではないか。』(ヨハネ11章16節)と言ったほどに危険であったのである。さればイエスはラザロをよみがえらせた後再びヨルダンを渡って荒野に近いエフライムという所に静かな時を送って何日かの間、十字架につき給う準備をせられた。

 その準備成って、今エルサレムに上るのである。善きサマリヤ人のたとえにあるところのエリコからエルサレムに上る道、険しい岩だらけの淋しい道、強盗の出没する山道を登り行かんとなし給う。あのたとえにある強盗に遭いし人と善きサマリヤ人とを兼ねたお心持ちで先づエリコへと急ぎ行き給うたのである。

祈祷
私たちのために善き隣人となってくださいました主イエス様、あなたは私のために善きサマリヤ人となられる前に、先ず私たちのために、代わって強盗に遭われなさって半殺しになられたたことを感謝申し上げます。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著213頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。※お正月から始めさせていただいたマルコの福音書も早や七ヶ月が済み、今日から八月、折り返し点を過ぎ、すでに一月、残るは五ヶ月となった。青木さんの一年にわたるこの霊解もいよいよ冴え渡り、短文のうちにも霊的糧として十分なことを覚え感謝に堪えない。並行してクレッツマン、David Smith、A.B.ブルースの著作も併用させていただいている。何れ劣らぬ珠玉の霊解だと思う。今夕、古利根川を散策した折、見えた夕景色を記念に載せる。徒然草に「人の命は、雨の晴れ間を待つものかは」とあるようだが、永遠の御国を思うて主はエルサレムへ歩を進まれた。なぜか荘厳な夕空を仰ぎ、イエス様の決意を思うた。)