イエスは言われた。「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲み、わたしの受けるべきバプテスマを受けはします。しかし、わたしの右と左にすわることは、わたしが許すことではありません。それに備えられた人々があるのです。」(マルコ10 ・39〜40)
イエスはゲッセマネで苦痛の『杯』を飲み、十字架の上で血の『バプテスマ』を受けられた。ヤコブもヨハネも後には主の御苦しみに与(アズか)る人となった。しかし、そのころには、最早、主の『栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」と祈願するような人ではなくなっていた。
主の栄光の国には主の右左といったような座位がないとは言い給わない。天国は一切平等の国であってその栄光に差等がないとは言い給わない。『備えられた人々』にはそれぞれ適当な座位が与えられる。けれども高い座位を望むような心はなくなると言われたのである。否、左様なことはこれを与える天の父の問題であって、これを受ける私たちの問題ではないことを教え給うたのである。これを問題にするような心こそ天国において最も卑しい心であると教え給うたのである。
祈祷
主よ、私は高きを望む卑しい欲望の持ち主であることを悲しく思います。願わくは私をこのような心から清め、ただあなたのためにあなたと共に十字架へと急ぐことを喜ぶ者とならせてください。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著220頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。過去三日間David Smithの『the Days of His Flesh』を紹介したが、A.B.ブルースは『十二使徒の訓練』の第17章で「十字架についての第二の教えーー再びゼベダイの子たちーー」と題して25頁ほどの考察を載せている。以下、今日からそれを順次に紹介していきたい。〈同書下巻57頁より引用〉
マタイおよびマルコの福音書のマタイ20・17〜28、マルコ10 ・32〜45に記録されている出来事が起こったのは、イエスと弟子たちが、ラザロのよみがえりの後に退いた荒野に近いエフライムからエリコを通って旅をしながら、最後のエルサレム入りをするために上って行く途中のことであった。それゆえ、ゼベダイの二人の子たちが御国における最高の地位を要求したのは、主が十字架につけられる一週間少し前のことになる。来るべきことについて、彼らは何とつまらぬことを夢見ていたのだろう! しかし警告が足りなかったからではなかった。彼らがそのような願いを申し出る前、イエスはすでに三度も、ご自分の受難の近いことをはっきり告げておられたからである。しかも、今回のエルサレム訪問との関連でご自分の死が起こることを指摘し、さらに、それを目撃するのでなければ言えないようなご自分の最後の苦難の様子を語られていたのである。すなわち、彼の死は裁判で争われ、そのため彼はユダヤ当局者の手で異邦人に引き渡され、あざけられ、むち打たれ、十字架に付けられると。
このキリストの三度目の受難告知のことばを記した直後に、ルカは弟子たちについて次のように書き添えている。「しかし弟子たちには、これらのことが何一つわからなかった。彼らには、このことばは隠されていて、話されたことが理解できなかった。」
ルカは記録にとどめていないが、この言明の正しさは続いて見られる光景から充分明らかであり、ここに言われた事実の理由ともなっている。察するに、イエスが近づくご自分の苦難について語っておられる時、弟子たちはほかのことを考えていた。彼らはペレヤで自分たちに約束された栄光の座のことを夢見ていた。そのため、彼らの思いとは全く異なる主の思いを理解することができなかった。彼らの心は完全に空想的な期待で占められ、頭はむなしい望みの発泡性ぶどう酒でふらふらしていた。それで聖なる都〔エルサレム〕に近づいた時、彼らは「神の国がすぐにでも現れるように」信じ込んでいたのである。
すべての弟子が栄光の座を期待していたのに対し、ヤコブとヨハネは最も高い座を欲しがって、それを自分たちのものにしようと一計を案じていた。そして、自分たちだけが引き立てられることで、だれが一番偉いかという論争に決着をつけようとしていた。これらの者は、サマリヤの村人たちの無礼な態度に激しい怒りを燃やしたことで有名な二人の弟子であった。十二弟子のうちで最大な熱心家は、また最大の野心家でもあった。そのことは、人間というものをよく知る者にとっては驚くに値しない。先の場合には、二人は敵を焼き滅ぼしてしまうように天からの火を求めた。ここでは、仲間たちの不利になるような天からの恩恵を求めている。この二つの願いはそれほど異質なものではない。
そのつまらぬ計画をたくらみ、実行するに当たって、二人の兄弟は彼らの母親の助けを受けた。彼女については特に説明はないが、おそらく、やもめになってからイエスにつき従うようになっていたのであろう。あるいは、エルサレムに集まる道の交差する所で、偶然にイエスと弟子たちの一行に出会ったのかもしれない。この時、どの人々も過越の祭を祝うためにエルサレムに向かっていたのである。サロメは、この場面の主役であった。しかも彼女はその役をよく演じた。彼女は、王に拝謁するかのようにイエスの前にひれ伏し、恐る恐る願い事を申し出た。そして、イエスから「どんな願いですか」と尋ねられると、言った。「私のこのふたりの息子が、あなたの御国で、ひとりはあなたの右に、ひとりは左にすわれるようにおことばを下さい。」
この願いは、明らかに聖霊の導きとは別のものからきていた。その願いを生んだ陰謀は、イエスの仲間が心に抱くとは到底想像できないものであった。しかし、ここに展開されていることはすべて、どの時代にも見受けられる変わらぬ人間性である。そのため、ここに記されていることは神話のような作り話ではなく、真正な史実であると認めざるを得ない。
熱心、献身、聖性をもって聞こえる宗教界において、いつの時代にも、どれほど多くの世俗的精神が見出されることだろうか。イエスの側近の人々の中にもそれが見られるのを知って、驚きの声を上げる資格は私たちにない。十二弟子は、まだ荒削りのキリスト者にすぎなかった。私たちは、ほかの人々と同様、彼らにも聖化される時間を与えなければならない。それゆえ、彼らの行為によってつまずくようなことがあってはならない。ゼベダイの二人の子の行動に驚くべきではない。とはいえ、彼らの要求は愚にもつかない、けしからぬものであったとはっきり言える。同時にまたそれは、全くずうずうしい、粗野な、身勝手なものであったと言える。
それは不遜な、恥知らずな要求であった。なぜなら、それは、彼らの主であるイエスに、彼らの野心と虚栄の道具となるように頼むも同然のことだったからである。彼らは、イエスが懇願に負けるだろうと思い、多分、やもめとして同情の対象であり、イエスの経済的支援者として彼に感謝される資格のあった、女性の嘆願者からの要請を拒むほどイエスは無慈悲ではないだろうと計算した。そして、イエスご自身の性格や、カペナウムで語られた謙遜についての教えに示されるようにイエスの平素の教えに反しないかぎり、イエスが到底認めがたい好意を請うたのである。そうすることによって、彼らは野心家に最も特徴的である厚顔無恥なでしゃばりの罪を犯した。それは全く思いやりに欠け、それがどんなつまずきを与えるかも構わず、また、どんなに他人を傷つけるかにもむとんちゃくに、ひたすらその目的に突っ走る罪である。
二人の兄弟の要求は恥知らずだっただけではなく、無知によるものでもあった。彼らの念頭にあった御国についての思想は、真理と現実から全くかけ離れたものであった。ヤコブとヨハネは、この世の王国のように到来する御国を考えたばかりか、その見方以下にすらそれを見ていた。というのは、高い地位をその職責に対して適材であるということによらず、懇願や特別の好意によって獲得できるとするなら、世俗の国家においても、非常に堕落した不健全な事態だからである。家族の力やおべっかが権力への道である時、国を愛する人々は誰も悲しむようになる。秩序の保たれたいかなる世俗の王国でも認められないような手段で、神聖な、理想的で完全な王国における昇進が可能であると考えるとは、何とばかげたことだろう。そのような考えを抱くことは、神聖な王〔イエス〕の地位を下げ、その顔に泥を塗るようなことである。まるで、彼を、正直者よりおべっか使いを愛する無能な専制君主のように扱っているからである。また、神の国を、ボンバやネロのような人物に支配される、最も悪政の敷かれた地上の国家と同一視する愚を犯しているからである。
この兄弟たちの要求は、さらに、ひどく自分本位であった。それは仲間の弟子たちに対して卑劣であった。というのは、それは彼らを出し抜こうとすることだったからである。そうした場合にいつも見られるように、彼らの企ては悪影響を生み、家族的集団の平和を乱し、そのメンバーの間に最もふさわしからぬ激しい怒りを引き起こした。「このことを聞いたほかの十人は、このふたりの兄弟のことで腹を立てた。」無理もない。もしヤコブとヨハネがそういう結果を予想していなかったとしたら、それは彼らが大変自己中心的な思いに取りつかれていたことを示している。また、もし彼らがそれを予想したうえで、なおつまずきを与えるに違いない行動に出ることをためらわなかったとすれば、彼らの自己中心ぶりはもっと無情で、もはや弁解の余地のないものだったとしか思えない。
しかし、この二人の弟子の嘆願は、もっと広い見地、つまり神の国の公益という見地からも身勝手なものだった。それは次のようなことを意味した。「どんなことがあっても、たといすべての人が不平や不満を抱き、無秩序、不幸、混乱が起きようとも、私たちに栄誉と権力の地位を授けてください。」教会においても国家においても、実績によるのではなくえこひいきによる昇進が及ぼす結果は、まさにこのようなものである。多くの国民は、試練の日に、それが支払った犠牲を目の当たりにしてきた。実のところ、ヤコブとヨハネは、自分たちの願いがかなえられることから、そのような不幸が生じようとは夢想だにしていなかった。自分たちの昇進から悪い結果を予想するような利己主義者や地位をあさる連中はいない。しかし、そのことが彼らの利己主義を減じさせるわけではない。彼らは利己的であるうえに、うぬぼれが強いことを示しているだけのことである。
この野心に満ちた要求に対するイエスの答えは、その問題の性格を考慮すると、驚くほど穏やかなものであった。二人の弟子のずうずうしさ、でしゃばり、自分本位、うぬぼれはイエスの柔和で聖なる無私無欲の精神にとってどれほど不快なものかもしれなかったのに、イエスは直接に叱責のことばを口に出すことなく、あたかも父親が無茶な要求をする子供をあしらうように彼らを取り扱われた。彼は、彼らの嘆願によって明るみに出た重大な過ちを責めずに、わずかに彼らの無知を注意するにとどめられた。イエスは静かに、「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです」と言われた。
この注意にしてもイエスは非難めいた調子ではなく、同情をこめて行なわれた。それがかなえられると、自分たちが考え及ばなかったような痛ましい経験をすることになる祈りをささげる人々を、イエスは気の毒に思われた。イエスが次のような説明つきの質問をされたのも、この精神においてであった。「わたしが飲もうとしている杯を飲むことができますか。わたしが受けようとしているバプテスマを受けることができますか。」
しかし、この質問には同情や矯正以上のものがあった。それには神の国において高い地位を得る真の道を教える意図があった。質問の形式で、イエスは、御国における昇進はえこひいきによっても、しきりに懇願することによっても得られないことを教えられた。そして次のことを教えられた。栄光の座への道は十字架のヴィア・ドロローサ〔苦しみの道〕であること、栄光の地〔御国〕において栄冠を得る者は大きな患難を通り抜けた者であり、御国の世継ぎは悲しみの杯を最後まで飲みほした者であること、それを飲もうとしない利己主義者、わがままな者たち、野心家、虚栄心の強い者たちは、イエスの右と左の栄誉ある席は言うまでもなく、御国におけるどの席にも着けないこと。
イエスが彼らに投じたハッとするような質問は、ヤコブとヨハネを驚かせなかった。彼らは間髪を入れず、はっきり「できます」と答えた。その時、彼らは本当に苦難の杯とバプテスマを考慮に入れ、望んでいる栄冠を得るために高価な代価〔大きな犠牲〕を支払わねばならないことを覚悟していたのだろうか。殉教者の精神の聖なる炎が、すでに彼らの心のうちに燃え上がっていたのだろうか。そう考えることができれば幸いであるが、どんなにひいき目に見ても、そのような見方を是認することはできないのではなかろうか。むしろ、この二人の兄弟は彼らの野心を実現させたい一心から、どんなことでも約束しようとしていたのであり、その実、自分たちの約束したことが何であるかを知りもせず、関心もなかったのである。彼らの自信たっぷりの言明は、数日後ペテロが口にした、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」という虚勢を張ったことばと、どこか非常に類似している。
しかしながらイエスは、このゼベダイの子たちの場合、彼らの友〔ペテロ〕の場合と同様に、大見得を切って公言したその勇壮ぶりを問題にするよりも、彼らがイエスの苦難にあずかることができるだけでなく、喜んでそうすると仮定した方をとられた。王の杯で飲み、王の水差しで手を洗う特権を寵臣たちに与える王のように、イエスは、「あなたがたはわたしの杯を飲み、わたしが受けるバプテスマを受けはします」と言われた。それは、王〔イエス〕が与えてくださる一風変わった恩恵であった。もし二人の兄弟がそのことばの意味を知っていたなら、彼らは多分、主が彼らに皮肉を浴びせておられることにそれとなく気づいただろう。だが、そうではなかった。
イエスはこのように語られた時、弟子たちを愚弄して、彼らにパンの代わりに石を与えるようなことはされなかった。イエスは真面目に語られ、与えるつもりのもの、そして、与えられるべき時が来た時にーーその時は本当に来たーー彼らが自らそれを真の特権と見なすものを約束された。というのも、すべての使徒はペテロと共に、キリストの御名のために辱められた者が幸いであり、栄光の神の御霊が彼らの上にとどまっていることを認めたからである。ヘロデの迫害の剣で殺された時のヤコブは、そのような思いであったと信じる。「神のことばとイエスのあかしとのゆえに」パトモス島に流されていた時のヨハネも、そのような思いであった。)