2022年8月5日金曜日

弟子たちの頼み事と主の御思い(1)

さて、ぜべダイのふたりの子、ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。「先生。私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。」(マルコ10・35)

 マタイ伝を見るとこの二人は母サロメを動かし、姻戚関係を利用してイエスに願い出たらしい。『ぜべダイの子たちの母が・・・イエスのもとに来て、ひれ伏して・・・』(マタイ20章20せつ)と書いてある。

 この度のエルサレム上洛は不安も漲っているが、イエスの態度の緊張によって見るも何か大きなことをなさるに違いない、あるいは公然とメシヤ王国を打ち建てられるかも知れない、その時にイエスの左右に坐して十分にやって見たい、と。これが彼らの熱望であり野心であった。

 悪い野心と善い希望と半々であるが、そのやり方は陰険である。母をつれて来たのも狡猾であるし、『私たちの頼み事をかなえていただきたいと思います。』などと覆面した要求を提出するなど極めて醜い。これがユダであったら私どもは驚かないが、ヤコブとヨハネであるので少なからず驚かされる。

 しかし、考えて見るとヤコブもヨハネもこの頃はまだ生まれつきのままの人であった、まだ聖霊を受けていなかった。このような人があんなに立派な人になったことを思うと信仰というものが如何に大きな働きをするかが窺われて有難い。

祈祷
醜く汚れた者を召し寄せてこれを浄化し、聖化される私たちの主イエス様、私たちはただあなたのところに来ます。願わくは私たちの醜悪であることを憐み、聖霊を遣わして私たちを潔め、御形(みかたち)に似る者とさせてください。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著217頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

David Smithの『the Days of His Flesh』から以下引用する。

4「サロメとその子たちの野心」

 彼らが到底その物質的夢想を捨てることができなかったのは、忽ちそこに起こった事件で明らかであった。一同は北方からの大道に達した時であると思われる。而してその地点においてガリラヤより來れる巡礼の団体と合したのであろう。ガリラヤ団の中にヤコブとヨハネの母サロメがいた。ベタニヤの奇蹟の噂はすでに広く伝わってカペナウムにも達したのであろう。彼女はこれに関してその子と熱心に研究し、彼らの間に遂に狡猾な計画が企てられた。彼らは久しくこの計画を蓄えていたに相違なく。今がその実行の格好の時期であると考えた。天国の出現、目睫の間に迫っている。而してそれと同時に主に忠実に従ったものの間に栄位は頒たれることであろう。十二人の間には常に天国においては何人が大いなるとの論争があったのであって、ヤコブとヨハネもまた彼らの要求を決して差し控えるものではなかった。而してその子の立身のためにと母らしい心配を抱いたサロメは彼らの野心の炎を煽った。その主たる栄位は特に愛された三人に与えられるべきは明白なるがゆえに、まず彼らに高位を与えるべしとのイエスの言質を奪い取って、その競争者であるペテロを追い払う企みであった。彼らは今ぞまたと得難き好機なりと認めたが、いよいよ実行するには聊か躊躇した。すなわち彼らはイエスに接して、その前に己が野心を披瀝するに逡巡した。彼らは十二使徒が物質的な想像を抱いてみことばに背いたときに受けたイエスの峻烈な叱責を記憶していたのであろう。なおイエスのペテロに対する『下がれ。サタン。』との譴責を思い浮かべて、重ねてこのような拒絶を受けるのでないかと恐れたであろう。時節が到来しても彼らがイエスに接してその野心深き要求を提出することのできなかったのは当然である。)

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