彼らはエリコに来た。イエスが、弟子たちや多くの群衆といっしょにエリコを出られると・・・(マルコ10 ・46)
ルカ伝を見るとエリコでザアカイという収税吏の家に一泊された記事がある。だからこの『来た』から『出られる』までの間は少なくとも一晩の隔たりがあるが、マルコは簡単に書いたわけである。
ただ一つ解しにくいことは、この段落に書いてある盲人の癒しはルカによればエリコに近づいた時とあり、マルコはエリコを出られる時と書いていることである。多分この盲人はイエスのエリコに入り給う時に叫び出したが、群衆で近づくことができず、翌日エリコを出で給う時に、今度は必死となって叫び求めて成功したのであろう。
ルカはそれを前日の方にまとめて書き、マルコは翌日の方にまとめて書いたのであろう。とにかくこの時イエスを取り巻いた群衆は大変なもので、ザアカイは桑の木に上らなければイエスを見ることさえ出来なかった。されば盲人の身でイエスに近づくのは非常な熱心と努力とがなければ出来ぬことであった。
祈祷
主イエス様、私があなたに叫ぶ時、私に熱と執着と努力とをお与え下さい。答えられるまで叫んでやまない忍耐をお与え下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著223頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌531番https://www.youtube.com/watch?v=DUgzEBHIi_Y です。日々の歌189番がそれにあたります。
David Smithは『the Days of His Flesh』で9「エリコの入り口にて」と題して次のように書いている。
道を進んでイエスはその一行と共に、古えそのままに棕梠の都の名あって、その実は位置一マイル半ほど動いているエリコの町に達せられた〈申命記34・3〉この町はヘロデの建築の成功した一つで、誠に美しく、その劇場、円形劇場、競馬場など異教的の場所のあるのと共に世に有名であった。イエスがその城門に達せられたとき、哀れな叫び声がこれを迎えた。)
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