欄干に 仲良く並ぶ 鳩三羽 |
マタイもヨハネもイエスのろばの子に乗ったのはゼカリヤの『シオンの娘に伝えなさい。「見よ。あなたの王が、あなたのところにお見えになる。柔和で、ろばの背に乗って、それも、荷物を運ぶろばの子に乗って』という預言の成就である、と言っている。これはゼカリヤがメシヤたる救い主の性質を預言したものであって、この世の王の如く武器を以って征服する『王』でなく、柔和な徳を以って勝利する『王』であることを指摘したものであるから、たといイエスがろばに乗ろうと乗るまいと、この預言は成就しているのである。
しかしイエスは人から借りてまでもろばに乗って、この預言を文字通りに成就させ、平和王の内容を外観にまで現わし、弟子たちの心にこの預言を思い出させるほどに形式をも整え給うたのである。群衆が『自分たちの上着』や『『樹の枝』を道に敷いて歓呼したことによって、そしてイエスがこの待遇を受けたことによって『王』としての入城がイエスの御目的であったことを鮮明にする。
祈祷
主よ、私の心は冷たく暗いです、あなたが私の前に立って戸を叩かれる時ですら、喜んで戸を開く用意がありません。ああ、願わくは、かの群衆のように『自分たちの上着』を脱いであなたのろばに踏まれるのを光栄とし歓喜となす心を私にもお与え下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著237頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌291、日々の歌50番「ひたすら待つ、主イエスを」
クレッツマン『聖書の黙想』より
エルサレムの人々や、祭のために訪れたおびただしい人々の間には、あの名高いナザレ人、イエスが、ガリラヤ人の従者をたくさん従えてやって来るという噂がたちまちにして広まっていた。主の名によって来たる者を、喜びのホサナをもって迎えようという熱意の点では、弟子たちをしのぐ数千の群衆で、間もなく道はいっぱいになった。
David Smith『受肉者耶蘇』鹵簿〈ろぼ〉より
群衆はイエスを護衛せんがために市街の外で一行を迎え、イエスの志される意味を悟った。彼らの歓喜は頂点に達した。今や古の預言に従ってメシヤはその都城に乗り込まれる。彼らもまたこれに適当した歓迎を試みねばならぬ。王の鹵簿に対する例にならった彼らはその道に上着を敷き、道を覆う棕梠の枝を切って、勝利の表徴としてこれを打ち振りつつ、往く往くこれを護衛した。※「鹵簿」とは古めかしい言葉だが、「行幸〈行啓〉のときの行列」とある。何となく、「ろぼ」という雰囲気はわかる。今も行われていると思うが、故郷の多賀大社では神事として馬頭人の行列があった。この場合には、功なり名を遂げた分限者が馬にまたがった。もちろん、イエス様のエルサレム入城と比較する方がおかしいが、一言付け加えた。)
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