翌日、彼らがベタニヤに出たとき、イエスは空腹を覚えられた。(マルコ11・12)
ベタニヤにはラザロの家がある。マルタ、マリヤは喜んでイエスを迎える人たちである。けれども昨夜はこの家にお泊まりにならなかったらしい。でなければ朝早くから途上で『空腹を覚えられる』はずがない。思うにオリーブの樹の蔭か何かで終夜祈られたのではないか。ルカが『夜はいつも外に出てオリーブという山で過ごされた』(21・37)と書いてあるのは何かそんなことを暗示するのではないだろうか。
ベタニヤの一部はオリーブ山の一部と続いているのだから、あるいは弟子らだけラザロの家に残して、お一人で祈りに出られたのかも知れない。三月下旬でユダヤでもまだうら寒い。テント無くして一夜も樹下に過ごすのは随分苦しい。けれども肉体のことなどは忘れて、かのゲッセマネの祈りのような祈りに夜を徹せられたのであろうかと思われて、たまらないような、なつかしいような気がする。
祈祷
エルサレムのために泣き、このためにとりなしなさる主イエス様、あなたが私たちのために泣き。私たちのためにとりなしてくださることを思う時、冷たい私の瞳さえ潤うのを覚えます。願わくは、私の力のない祈りもあなたのとりなしに携えられて天に上り行くことをお許しください、アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著240頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌127https://www.youtube.com/watch?v=VEKuvAqxceE
クレッツマン『聖書の黙想』〈175頁〉より
月曜日の朝早く、一行がベタニヤから帰る時、主は道のかたわらにあるいちじくの木に目を留められた。彼は空腹をおぼえておられたので、実を探そうと歩み寄られた。しかしこの木には全く実がなっていなかった。主はその時代の偽善者を象徴するにふさわしい、この実のならない木に向かって、深い感銘をもたらす調子で裁きの言葉を宣べられた。
「今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように。」
主はいつも、たいてい、祝福と救いのために、その神としての力を用いられたのであるが、時には呪いや破壊のためにも、これを用いることができたし、また、用いなければならなかったのである。
これはその翌日、弟子たちの目にも明らかになった。
David Smith『受肉者耶蘇』下巻 第42章 エルサレム入城 10「橄欖山上露の宿」〈765頁〉より
日が暮れてからイエスは橄欖山の坂道に帰り行かれた。しかしベタニヤの村には赴かれなかった。その夜を始めとして終わりに至るまで毎夜イエスは山の中腹ゲッセマネと称する園に赴いて、シリアの蒼天を頂きつつ橄欖の樹の間に宿られた。翌朝イエスは再びエルサレムに赴かれたが、途上遥かに無花果の樹を望んで、その葉の繁っているのに徴して果実のあるべきを察し、飢えられたるままにこれに近づかれた。これ道理にかなう待望であった。元来葉の生ずるためにこの果実の形のできるのが無花果の特徴なるをもって、繁茂していることはすなわち果実のある印であった。もちろん時は無花果の熟する季節ではなかったけれども、この地質と場所が良かったので、斯くは茂ったものであったろう。而して葉のある以上は、この枝に果実を求むべきは当然であった。しかるにイエスがこれに近づかれたとき葉の外に何物も見られることができなかった。
この無花果樹は地位は斯く優良で、外観は斯く賑やかにして、しかも果実のないのをもって、イエスはイスラエルの象徴をここに見出された。イエスはかつてイスラエルを斯くの如き樹になぞらえて、すべてこの民の被るべき災厄を預言せられたのであった。今またここにその警告を繰り返して『今後、いつまでも、だれもおまえの実を食べることのないように』〈ルカ13・6〜9〉と言いつつこの樹に宣告を下された。これ蓋し先に描かれた喩えをまた実行をもって示されたものである。)
0 件のコメント:
コメントを投稿