2022年12月31日土曜日

イエス伝の終点を見、新年に備えよう

主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。(マルコ16・19〜20)

 これがイエス伝の終点である。普通の人物伝はことごとく死をもって終わっている。それが如何に巨大な人物であろうとも。しかるにイエスは昇天をもって結んでいる。

 ある人はそれは神の子として書かれてあるからだと言うかもしれないが、それだけでない。人の子であるイエスは私たちの先導者として『天にあげられた』のである。さればこれはイエスと同じく、イエスを信ずる者のゴールである。

 私たちは皆、天に上げられ神の御側に坐せしめられる。この大なる福音を携えながら世界を征服し得ないのはどこかに錯誤があるに違いない。しかも主はなお生きて『またともに働き給う』ではないか。

 立てよ。私たちはこの大福音を携えて新年を迎えようではないか。

祈祷
死してよみがえり、天に昇り給いし主よ、あなたはこの一年も私たちとともにあって、私たちと『ともに働か』れたことを感謝申し上げます。願わくは、新しい年において、私たちをして一層鮮やかにあなたが私たちとともに在すことを信じ、あなたの手によって行なわれる御『しるし』が私たちの生活の上にさらに顕著に行なわれるに至らんことを。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著365頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌142https://www.youtube.com/watch?v=RrVbNSXZ_zE 

David Smithの『受肉者耶蘇』は一番最後に昨日の記事「20 復活の主の不易の現在」の掉尾として以下の祈りを載せていた。日高善一氏の大正11年時刊行時の名訳である。残念ながら今の私たちには理解しにくい言い回しではある。参考まで英文を付記する。

汝の悲痛の大いなるがために、その栄光を棄てて我らの像〈かたち〉を取りてこの世に降り、哀しみの人にして悩みを知り、父の聖意〈みこころ〉を示して父の家に赴く道を我らのために開き給える主イエスよ、汝は昨日も今日も何時までも変わらず在し給うが故に、見るべからざる汝を仰がんと努むることを得しめ、汝と汝の復活の能力と汝の苦痛にあずかるの道とを知らしめ給え、汝の救いの福音をことごとくまた堅く信じ、ここに平和と歓喜とを得て、身に天の明らかなる印を帯びたるものとしてこの世を送るを得しめ給え、斯くして汝のために証を為し、汝の聖足〈みあし〉の蹟を忠実に踏みて、末期〈おわり〉の日に汝の栄光のうちに迎えられ、汝の恩寵溢るる聖顔〈みかお〉を仰ぐを得しめ給え、アーメン

Lord Jesus, Who in the greatness of Thy compassion didst leave Thy Glory, didst take our nature and dwell here, a man of sorrows and acquainted with grief, and didst suffer for us on the cruel Cross, that Thou mightest reveal the Father's Heart and open for us the way to the Father's House; as Thou art the same yesterday and to-day, yea and for ever, may we endure as seeing Thee Who art invisible; may we know Thee and the power of Thy Resurrection and the fellowship of Thy sufferings; believing utterly and steadfastly the Gospel of Thy salvation, may we possess the peace and gladness thereof and walk through the world like a people that carry the broad seal of Heaven upon them.  And thus witnessing for Thee and faithfully following in Thy steps, may we be received at last into Thy Glory and behold Thy blessed Face.  Amen. 

およそ百年ほど前に、スコットランド人David Smith氏の『The Days of His Flesh』という作品を京都室町の牧師であった日高善一氏はこれに邦訳名として『受肉者耶蘇』の題名を当て日本の江湖に送られた。全編これイエス・キリストの足跡を聖書に忠実に読み切り、物された労作の翻訳である。私はこの最後の著者の祈りこそ全編を貫く心だと思うし、日本人青木氏の祈りとともに一年の終わりを締めくくるに最も相応しい言葉ではないかと思っている。新しい年度はこの『受肉者耶蘇』を最初の一頁から忠実に読み切りたいと思う。)

2022年12月30日金曜日

復活の主に見(まみ)ゆる喜び

全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。・・・信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し・・・(マルコ16・15〜17)

 『すべての造られた者』すなわちクチシスという字は人間のみを指すのでない。神の創造し給うた万物を指すのである。福音を伝えるのは人間のみではない。福音の恩恵には万物が浴すのである。

 アッシジのフランシスは鳥や獣にまで説教したと言う。福音の宣伝はそこまで行くべきであろう。もちろん私たちの言語を解することはできまいが、愛の福音はそこまで行くべきである。キリストの福音は人類を救うのみに止まらないで、ついに禽獣にまで及び、世界は真の楽園と化するに至るのである。

 これを成就するために主は信ずる者と共に在って、人間が見て奇跡と思う『しるし』をさえ与えて下さる。私たちが必要とするところはこれを握る信仰である。主よ、願わくは私たちに何は無くとも信仰を豊かにお与え下さい。

祈祷
パンは無くとも、石をもパンとする信仰をお与え下さい。かくて世界の隅々まで楽園となる時を急がせ給え。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著364頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌144https://www.youtube.com/watch?v=dqxolE1nmE0 

David Smithの『The Days of His Flesh(受肉者耶蘇)』の最終記事、日高善一訳1012頁、原書525頁より引用

20 復活の主の不易の現在

 この思想を光明として世の末期までその民とともに在すと言う主の約束の意義が確実となるのである。『ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです』『見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます』〈マタイ28・20〉これらの聖語は文字そのままの真理である。主がオリーブ山上において十一人の使徒に別れ給うたとき、地を見棄てられて、はるかの天界に移住せられたのではない。主は自らを示さるることを廃された。しかも現に存在し、世紀また世紀を重ねてもこの世を去られたのではない。主はその復活四十日間と異ならず、今日にもなお在し給うのである。いずれの時にも主は我らの心の幔幕〈まんまく veil〉を取り去って、マリヤにまたペテロ、ヨハネに対せらるると等しく、我らにも己を現わし給うのである。

 タルソのサウロがダマスコの途上において主に接した、かの記念すべき日に主は同じ奇蹟を行なわれた〈使徒9・1〜9〉。聖パウロはこの不思議な機会に我らの主イエスに接したことを疑わなかった 〈1コリント9・1〉。これは決して幻ではなかった。実際の姿で四十日の間に前の弟子たちに示された所と何の相違もなかった。サウロは主を見た。しかし証拠の与えられるまでは主なりと認めることを得なかった。蓋し彼はその在世の日にイエスを知らなかったので、その証拠もまた過去を回想すべきものではなく『わたしはあなたが迫害しているナザレのイエスだ』〈使徒22・8〉と言う力を罩〈こ〉めた宣言であった。サウロはその心の幔幕が除かれたので主に見(まみ)ゆるを得たけれども、従者は何人をも見なかったのである。

 イエスはその民と今も共に在まし給う。『ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです』とは『弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあった』かの復活の週の首〈はじめ〉の日においてエルサレムに集まれる団体のうちに現われ給うたのと同じ意義である。『どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください』と古えの預言者は祈った。而して主が青年の眼を開き給うや、見よ山にはエリシャの周囲に火の馬と火の車が盈ちていた〈2列王紀6・17〉。斯く我らも主の恩寵溢れる聖名により信じて集まり、ただ心の幔幕だに掲げられなば、我らはさらに驚くべき光景に接すべきである。我らはすなわちイエスに接し得るのである。)

2022年12月29日木曜日

復活の主の御座を仰げ(不信仰から信仰へ)

ところが、彼らは、イエスが生きておられ、お姿をよく見た、と聞いても、それを信じようとはしなかった。その後、彼らのうちのふたりがいなかのほうへ歩いていたおりに、イエスは別の姿でご自分を現わされた。そこでこのふたりも、残りの人たちのところへ行ってこれを知らせたが、彼らはふたりの話も信じなかった。(マルコ16・11〜13)

 最後まで弟子らの心を頑固にしたものは『不信仰』であった。イエスはその御伝道の当初から御復活後に到るまで不信仰と戦い給わねばならなかった。弟子らとともに在した時に、あれほどに幾度も幾度も不信仰をお責めになったのに、彼らはまだ不信仰に停滞している。しかし神の御摂理の手は行き届く。

 彼らは最初あれほどに御復活を信じなかったのに、ついに御復活の証人となり宣伝者となったことは私どもにとっては御復活の事実を確実にするものであって誠にありがたい。とにかく主の最も嫌い給うことは不信仰であって、主はいつもこの点に私どもの注意を喚び給うことを忘れてはいけない。

祈祷
主よ、私たちの不信仰を憐んでください。私たちは度々無信仰にさえ陥らんとします。願わくは、あなたの霊を遣わして、常に私たちの衷に住ませ、あなたが私たちとともに在すことを鮮やかに認めさせて下さい。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著363頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。 

クレッツマンの『聖書の黙想』より

 しかし、近づいて見ると、石はすでに、わきへころがしてあった。マグダラのマリヤはこのことを弟子たちに知らせに、すぐに走って行った。後に残った女たちは、恐れおののきながら、墓へ近寄って行ったが、長い真っ白な衣につつまれたみ使いの姿を見て、ただ驚くばかりだった。このみ使いはほとんど信じられない言葉を伝えたのである。

「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。ですから行ってお弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」

 このように全く予期しない言葉を聞いたとしたら、私たちは何をしただろうか。おそらくこの女たちがしたと同じことだったに違いない。彼女らは考えが混乱してしまっていたので、この言葉の意味をよく理解することはできなかったが、急げるだけ急いで、この話を伝えようとした。が、神秘にうたれて、ただ茫然となるばかりで、「だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」

 イエスが、泣いているマグダラのマリヤの所へ、どんな風にして姿を現わされたかーーこの女からイエスは七つの悪霊を追い出されたことがあるので、彼女は感謝と私の強い絆によってイエスに結ばれていたーーそして、彼女は主のお言葉通りの復活を弟子たちに伝える役を、どんな風に果たしたものかーー弟子たちは今なお、泣き悲しんでいて、彼女の報告をまだ信ずることができなかったのに・・・。

 この点については、聖ヨハネがもっと詳細にわたって記録しているが、この福音書の著者〈マルコ〉はそれを簡単にほのめかすにとどめている。この記者はさらに、イエスがその日の午後、エマオへ行く途中の二人の弟子の前に姿を現わされ、晩餐の席で御自身を明らかにされたあの美しい物語に触れている。この出来事を記しても、主が本当に死からよみがえったのを他人に信じさせることは、記者にとってむずかしいことだった。この点は私たちが十分考慮すべきところである。弟子たちには主がよみがえられたと言うことを、少しも信じようとする気がなかったのだ。従って、他の人々を欺すために、この物語を創作したのではなかったことは確かである。

 弟子たちが戸を閉して集まっていた時、主が、最初の復活の夜、十人の弟子のもとに、次はあくる日曜日、十一人の弟子のもとにみ姿を現わされたということは、きわめて意味深いことだった。主が弟子たちや、弟子たちと共にある者に、「鍵の権威」ーー罪を主の名のもとに抑え止める力ーーをお授けになったのはこの時である。これは今なお教会の力であり、務めとなっている。

 さて、最後に、物語は、主がかねてから弟子たちに約束されていたガリラヤでの再開の場面に至る。彼らが世界中に別れ入って、あらゆる人々に福音の御言葉を宣べ伝えるよう、主から、決定的な大委任状を託されたのはこの時であった。信じない者は滅びなければならないが、悔い改めて信ずる者は、単に福音の言葉が伝えられるだけで、救いをもたらされるのだ。救いの徴として、主はさらに、あらゆる民に、老いも若きも、差別なく、あらゆる人々に、彼らが贖いに関する福音の御言葉を受け容れる限り、洗礼を授けるよう、弟子たちに命じられた。その使者たちは悪魔を支配する力や、新しい言葉を語る賜物、危険に抗する力、病気を癒す奇跡の力などを授けられて、神の信任状を整えていただいた。すべてこのような神のわざを通して、福音の御言葉は全世界に打ち建てられたのである。従って、何人といえども、これ以上の証を求めなければならない理由は全くない訳であり、まさに、その通り、私たちは、福音の御言葉がもたらす力と祝福に心を閉ざす者ではない。

 さて、私たちの主があらわにこの地上を去られて、天国に入られる時は訪れた。今一度、彼はオリブ山に弟子たちを集めて、祝福された後、天国へ迎え入れられ、座すべき位ーー主の人間としてのみ姿にも相応しい、神の右ーーに座し、教会の頭として、すべてを支配し、すべてをみたし、永遠に御自身のみもとに置くために、その子らを連れもどしに来られるあの輝かしい日に備えて、私たちの席を整えてくださることになった。

 弟子たちは喜びと決意とをもって、主の求めを果たすために旅立って行く。そして、彼らが福音の御言葉を地の果てまで伝えた時、主の御約束はその御言葉通り、十分に果たされていったのである。私たちがこの務めに従って行くとは、なんと素晴らしいことではないだろうか!

 祈り

  主に冠を捧げよ
   天上にて、神の右に座すかたに 
  王の冠を捧げよ
   驚くべき「愛」なる御名を
   授けられしおかたに
  ありとあらゆる冠を捧げよ
   彼の前に、 地上の王座が倒れる時
  汝、王たちよ、彼に冠を捧げよ
   彼こそは、 とこしえまでも
   すべての王の王なればなり

         アーメン)

2022年12月28日水曜日

復活の主のからだ(真正の復活)

女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。(マルコ16・8)

 『だれにも何も言わなかった』とは言うまでもなく、十二弟子に会うまで誰にも語らなかったということである。弟子に告げたことは他の福音書に明記してある。マルコ伝はこの一節で突然に終わっている。

 9節以下は何人かが付記したものであろう。もちろん聖書として信ずべきものであることは言うまでもないが、マルコの筆ではない。この9節以下の代わりに左の句を持って簡単にこの書を結んでいる古い写本もある。

 『さて、女たちは、命じらたすべてのことを、ペテロとその仲間の人々にさっそく知らせた。その後、イエスご自身、彼らによって、きよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで送り届けられた。』

 思うにマルコの書いた本の最後のページが破れて失われてしまったので、誰かが適当な付記を加えて結末としたのであろう。誰かと言ってそれは非常に古いもので古代の篤信な人の一人である。

祈祷
潔く朽ちざる永遠の福音の主イエス様、あなたは死をもって贖罪の大業を終わりなさいましたが、今なお天より私たちを助け、私たちのためにお働き下さいます。よみがえって今なお生きて私たちとともにおられます。願わくは今日も私たちを用いて御名のために福音を担って歩むことができるようにして下さい。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著362頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。  

David Smithの『The Days』の続編

18 主の肉体真に復活せり

 イエスは預言の如くに死より復活せられた。これ真正の復活であった。福音記者はこれが肉体を有せざる霊の実質無き幻影でなく、彼らとかつて共に生活し、十字架に釘付けられ、ヨセフの墓に葬られ、神の能力によって生気を回復せられたその肉体であったことを明らかにせんとして注意を罩めている。イエスが十人の使徒に、またエルサレムにおける彼らの団体に、復活の夜現われ給うや、彼らはイエスがその疵を示して形態を有せらるることを明らかにせらるるまでは、霊を見たことと考えてたのであった。而してその空虚な墓を見て彼らは信ずべき軽からざる証拠を見た。彼らに現われたのがもし単にイエスの霊であったとすればイエスの肉体はその葬った場所にあるべきはずであった。しかるにペテロやヨハネやマリヤは空虚な墓と葬衣の脱ぎ捨てられているのを見た。これ実に復活の事実を示す有力な証拠であるが、しかもなお甚しき困難がある。物質的天国と神との共動を信じた古代の神人同形説によればこれには何の困難もない。しかしもし聖パウロの『血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちないものを相続できません』〈1コリント15・50〉との語を真理ならしめば、イエスが人間の中に住まれた間に有せられ、またこのときにここに有せられた肉体をもって現われ給うたことを覚るべきである。

19 復活せる肉体

 聖パウロは復活の肉体に関するその概念ーー彼は自己の知恵をもってこの確信に到達したるにあらず、聖霊の啓導によって悟り得た概念ーーを提供してこの困難のうちにある我らに助けを与うるのである。『ある人はこう言うでしょう。「死者はどのようにしてよみがえるのか。どのようなからだで来るのか」愚かな人だ。あなたの蒔く物は、死ななければ、生かされません。あなたが蒔く物は、後にできるからだではなく、麦やそのほかの穀物の種粒です。しかし神は、みこころに従って、それにからだを与え、おのおのの種にそれぞれのからだをお与えになります。死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものによみがえらされ、卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされ、弱いもので蒔かれ、強いものによみがえらされ、血肉のからだで蒔かれ、御霊に属するからだによみがえらされるのです。血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです』〈1コリント15・35〜38、42〜44〉と聖パウロは言っている。その生けるにも死ぬにも復活においていやしくもイエスの肉体に起こったことはまたその信者の肉体にも起こるに相違はない。墓場に葬られたものは壊つべき肉体すなわち賤しき肉体であって、復活せるは霊的肉体すなわち栄光の肉体であった〈ピリピ3・21〉。

(1) 変貌

 神の能力によって主の肉体が復活したときに起こった変貌は我らの現在の不充分の知識をもっては明らかにすることはできない。しかしその秘義の幾分は聖語によりて示され、敬虔な態度をもって研究することを得るのである。まず第一に復活の主の聖容を記す福音記者の物語を見れば、同一であったにかかわらず、なお栄光の肉体には驚くべき変化のあったことかが明らかである。イエスはかの変貌の山上においてペテロ、ヤコブ、ヨハネの仰いだと同じような聖容に弟子の目には映じたのであった。その変化は、墓の傍でマリヤの傍にイエスが立たれたにかかわらずこれを認むるを得ず、彼女が園丁なるべしと考えたほどに甚だしいものであった。もし他に多くの例証がなければマリヤの失敗は畢竟彼女が泣き腫らした目で朦朧と薄暗がりに見たためであろうと考えらるる。しかしエマオの途上においてイエスが二人の弟子の道連れとなられたとき、彼らはこれがイエスであろうとは夢にも覚らなかった。彼らはイエスを未見の人として、彼らの悲しい物語をイエスに話した。またガリラヤの湖辺で七人の弟子に現われ給うたときも、彼らはイエスは自ら示さるるまでは未見の人物であると考え、その後といえどもそれが主なるを知りつつもなお確信と疑問との間を彷徨して、半ばは『あなたはどなたですか』と尋ねたい心地でいた。いずれの場合にもイエスは、自己を示すに足るある方法をもって彼らに悟らしめ、もってイエスに相違なきを確信せしめらるる必要があった。マリヤは昔に変わらぬ柔和な調子でその名を呼ばれて始めて悟ることを得、エマオ途上の二人にはパンを祝してこれを襞いて、その証拠を示され、エルサレムにおいて十人の使徒にはその傷を示して証拠とせられ、七人の弟子にはその伝道の当初に行われた奇蹟を繰り返しその網に魚を充たしめて証拠とせられた。

(2) 普通の物的法則に従わず

 さらに主の復活の肉体は普通の物体を支配する法則には従われなかった。宛然科学者が夢見ているエーテル体の如くに『普通の物体の中を自由に通貫し、これを避け、あるいは妨げられることなき』を得る体であった。復活の当夜弟子たちが集まったエルサレムの家の門戸は、イエスが団体の真ん中に現われ給うたときには堅く閉ざされていた。門戸も壁もイエスの入り来られる妨げとならなかった。またその距離の空間もエーテル体には何の妨げとならなかった。『光線あるいは引力の速度をもって彼らは老いたるボオテスがその三頭獣を駆る所より、サギッタリアスが南にその矢を射る所へ飛ぶを得たり』と。一夜の間に復活の主はエルサレムにおいてペテロに現われ、エマオ途上にクレオパおよびその連れに現われ、さらに再びエルサレムの弟子たちに現われ給うた。

(3) 肉眼には見る能わず

 かつイエスは肉眼をもっては見ゆることを得なかった。イエスがただ弟子たちにのみ現われて、一層確信を与えるの必要あり、また敵をして依估の沙汰なりとの偏見を産ましめざるためにと敵に対して現われ給わざる所から、復活に対する信仰は昔から攻撃の的となっている。而してその反対は現代にもなお試みられるのである。外典『ヘブライ人の福音』が祭司長のしもべにイエスを現わしめ、また『ペテロの福音』が百人隊長ペトロニアス並びにその兵士やユダヤの長老たちの面前に二人の天使に護られつつ墓から現われ給うたように載せているのはおそらく叙上の反対に応ぜんとしたものであろう。しかし実際福音の記事に斯くの如き弁証的な装飾を加えるのは歴史を偽ると同時に何らの利益をも与えないのである。

 主の復活の肉体は霊的の肉体で、肉眼をもっては見るを得なかったのである。主がその弟子に現われ給うや、彼らは聖的現影〈spiritual vision〉によってこれを見る明を与えられる必要があったのであって、その奇蹟の彼らの間に行なわれるまでは彼らは主の来臨を悟らず、主は彼らの傍に在すもなお、彼らはこれを意識することができなかった。エマオの途上、二人に現われ給うや、彼らは驚駭したに相違はない。彼らは主の近づかれるを見ずまたその後ろからの足音を聞かなかった。彼らに霊的の現影は急に開かれて、見よ、主はそこに立ち給うた!マリヤの如く彼らは主がその証拠を示されるまではこれを認めることができなかったほど変化しておられ、然る後『彼らには見えなくなった』。幔幕〈veil〉は彼らの心から掲げられたが、彼らが主を認めるや否や再びこれを卸されたのであった。而して肉眼に見えるもののほかは眼を遮るものはなかった。聖霊の啓導に服従する〈the operation of the Holy Spirit〉ものにのみ霊的現影の賜物は与えられ、斯くの如き人のみ復活の主を仰ぐことができたのである。聖ペテロは使徒行伝のうちに『神はこのイエスを三日目によみがえらせ、現わせてくださいました。しかし、それはすべての人々にではなく、神によって前もって選ばれた証人である私たちにです。私たちは、イエスが死者の中からよみがえられて後、ごいっしょに食事をしました』〈使徒10・40〜41〉と言っている。彼らの心から幔幕を取り去られたもののみが主に接することを得た。故にそのこの世を去られる日、オリーブ山に向かって市内を通過せられたときも、一人としてこれを怪しむものなく、これに害を加えるものもなかった〈ルカ24・50〉。十一人には主が見えたけれども、市内の群衆の眼には見えなかった。彼らはただ十一人の使徒を見たのみで、その中央に歩みを運ばれる不思議な主の姿を認め得なかったのである。)

2022年12月27日火曜日

復活の主のお心(ガリラヤへエルサレムへ)

『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』(マルコ16・7)

 ペテロも他の弟子も忘れてしまった。が、イエスは忘れ給わない。十字架の影があまり暗かったので彼らはこのうれしいお約束さえも忘れていた。否、よく解らないでいた。が、これらの女たちから『そこでお会いできます』と聞いたペテロたちはどんなに嬉しかったであろう。もちろん彼らはこれを聞いて半信半疑であったけれども、次第にこれが事実となってくるにつれて彼らは歓喜に胸を踊らされたであろう。

 しかしそこまで導くには復活の主にもまだ大きな仕事が残されていた。彼らに『先にガリラヤに行』かねばならなかった。ここにも親が子に対する如く、主の愛は弟子の愛よりも大きいことが示されている。先に行って待っていて下さる主の愛の深さが思われるではないか。これが主イエスである。主はいつでも先に行って私どもを待っていて下さるお方である。

祈祷
先立ちてガリラヤに行き給う主よ。あなたは私たちのためにも常に先立ちゆきて私たちをお待ち下さることを感謝申し上げます。今日も私たちのために所を備えんとして先立ち行って下さるのですね、あなたの愛は何と大きいことでしょう。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著361頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

David Smithの『The Days』の続編

13 ペテロの十字架の預言

 主の目的が同僚の面前においてペテロを辱めることにあらざりしは、後の聖語を見ればいよいよ明らかである。『まことに、まことに、あなたに告げます。あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます』〈ヨハネ13・36〉と。これその当時には意味が不明であったけれども後ペテロが十字架上に殉教の死を遂げるに及んで、これが鮮やかとなりまた悟られるに至った。『これは、ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現わすかを示して、言われたことであった』。聖アウグスティヌスは『この否認者にして愛慕者たる彼は、向上せる行為により、否認を粉砕するにより、身を洗う涙により、試験を経たる告白により、冠を授けられる苦痛によりて、その末路を発見せり。彼は己が末路の、是非にと迫られ、死なんと約束せらしめられたるこの主に対して、十全なる愛を献げて死するにあるを発見せり』と言っている。その時には意味が不明であったけれども、この聖語は永年忠実な奉公を遂げた後、主のために苦しむべき預言であったことは明らかである。これイエスがペテロに対してその未来の光栄を預言せられたものである。彼の同僚はこれを羨んだことであろう。もし彼にして彼らの目に賤しく見えたとすれば、彼はまた大いに高くせられた所以である。

14 ヨハネは不死なりとの妄想 

 ペテロとヨハネは使徒団の首領であって、この世を去られる前にイエスはただ彼らのみに教えを授けられる思し召しがあった。ペテロには『わたしに従いなさい』と命ぜられたが、一同が退いたときペテロはなおヨハネの残っているのを見て『主よ。この人はどうですか』と尋ねた。これ感情的な弟子の性質を表した愚かな質問であった。故にイエスは『わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたはわたしに従いなさい』と答え給うた。

 イエスは教会の努力と希望の決勝点として最高の結果たるその再臨を指示せられた。悟りの鈍い弟子たちはその聖語を誤解して、主が栄光をもってこの世に帰られるまではヨハネは死なずして存命すると言う意味に取った。この思想は再臨は近きにありと信じた当時にあっては道理至極と考えられるのである。この使徒がこの福音書を著した古い昔においてはイエスはただ単に『 わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても』と仰られたのであると説明しているにかかわらず、この噂は深くも信じられていたのであった。否、彼が実際に死んだ後までもなおこれが取り去られなかった。彼の墓は数世紀の間エペソに存していて、聖アウグスティヌスの時代にすらなお彼は死ぬるにあらず、ただ眠れるのみとして、その墓場の土は彼の呼吸するために上下に静かに動くとさえ称せられた。18世紀においてすら聖徒ラヴェタアはこの観念を有して、ヨハネはなお生きて地上に存命するものと信じ、彼はイエスが愛せられたこの使徒に逢う機会の与えられんことを望みかつ祈った。而してもしヨハネではなかろうかと言うので新たに逢う人ごとにその顔を深く注意して調べたということである。

15 ペテロとヨハネとに密かに顕現

 ペテロもヨハネも彼らが別々にイエスに従ったので、イエスと彼らとの間に起こったことはこれを他に漏らさなかった。すなわち秘密の会見であって他の使徒たちすら聞くを得ざりし所を世に発表せられないのが当然である。どこにイエスはこの二人を導かれたことであろう。けだしその伝道と論争に疲れ給うや、好んで退いて休養と祈祷とに時を過ごされたカペナウム背後の山中に赴かれたに相違はあるまい。而して神聖な記憶の薫るこの地点においてイエスに愛された弟子〈ヨハネ〉、またイエスを愛した弟子〈ペテロ〉はその最後の訓戒を受けたことであろう〈マタイ28・16〉。

16 以上の他の顕現

 四十日の間復活の主はその弟子たちに己を現わされた。斯く福音記者の記録した所はイエスの顕現の全体を載せたものではなかった〈使徒1・3〉。聖パウロはダマスコ途上において彼に顕れ給うた以外に五回の顕現を挙げている。その二回は五百人の兄弟の団体に対し、また主の兄弟ヤコブに対しーーいずれの福音記者も載せていない〈1コリント15・4〜8、使徒13・31参照〉ーーとある。聖書のいずれの記者も四十日の間に主が顕現せられた事実をことごとくは知らないのであって、知っている所もことごとくは記さず、ただ復活の一大事実を確証するに足るだけを挙げたに過ぎぬ〈ヨハネ20・30〜31〉。

〈エルサレムにて最後の顕現〉ついにこの驚くべき時期も終わりに及んだ。主は十一人に対し、エルサレムにおいて最後の集会を命ぜられた。これ恐らく復活の夜彼らに現れてその苦難と復活とが、律法や預言者の書や詩篇に記される所以を示し、聖書を悟るに足るよう彼らの心を開き給うた同じ室であったであろう。彼らはなお世俗の王国を夢見るユダヤ人の理想に固着していた。十字架は一大打撃を彼らに与えたけれども、復活はさらにこれを復興せしめた。彼らが天国の霊的意義に悟ったのは聖霊によって啓発された後のことであった。『主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか』〈使徒1・6〜8〉と彼らは尋ねたが 主は『いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。』とこれに応ぜられた。イエスはなおこの世を去られる後彼らに聖霊を与えられるべきを楼上の客室において約束せられ、その約束の成就するまではエルサレムに滞在し、ここに説教を始むべきを命じて、『エルサレムから始まって』〈ルカ24・47〉と仰られた。
〈エルサレムにおいて始む〉これ実に恩寵に溢るる偉大な聖語である。エルサレムはイエスの恥辱を受け、苦しめられ、殺され給うた大舞台である。しかるにイエスは己に対してこの暴虐を敢えてした人々に先ずその恩寵を施さんとせらるるのであったーーすなわち虚偽をもってイエスを訴えた人々、バラばを取ってイエスを十字架に駆った人々、その顔に唾きし、これを打ち、荊棘の冕冠を編んでこれに冠らしめた人々、その手に釘を打った人々、その脇腹に槍を刺した人々、否ピラトと祭司長らにまでもーーその恩寵を授けんとせらるるのであった。『ああキリストの恩寵の深きかな! エルサレムの罪に染む人々の霊魂を斯くも慕われざるべからざる! その福音が彼らに授けらるるのみならず、実に第一に彼らに授けられざるべからざる、而して他の罪人に先立ちてこれを聴くを許さるる! エルサレムより始めよ』。

17 訣別

 イエスは彼らに聖語を授けられて後彼らをオリーブ山上に伴い、ベタニヤの近傍において『手を上げて祝福された。そして祝福しながら、彼らから離れて行かれた』〈ルカ24・50〜51〉。)

2022年12月26日月曜日

復活の主の愛(お弟子たちとペテロに)

ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。ですから行ってお弟子たちとペテロに、『・・・』とそう言いなさい。(マルコ16・7)

 呆然として空しい墓を眺めておった女らは直ちに活動を開始すべき注意を受けた。『納められた所』を見るのはよい。けれどもそれだけではいけない。『行って』この事実を『言う』必要がある。落胆せる弟子らに、特に主を否んで後悔しているペテロに、一刻も早くこの吉報を告げねばならない。

 斯く天使が女たちを急ぎ立てたのは私どもにとっても善き教訓である。過去の追憶もよい、『納められた所』を見るのもよい。けれども過去の追憶に立ち止まってはいけない。

 現在の事実に活きて動かなければいけない。復活は瞑想して楽しむべき思想ではない。これに即した活動をなずべき生命である。然り復活の信仰は現在の生活にも、日々小さい復活を与える。

祈祷
よみがえりの主イエス様、私たちはこの大いなる事実を持っていることを感謝申し上げます。私たちのこの大いなる望みは日々の生活をつよめ、力づけ、若やがせ、躍動せしめ、価値あらしめることを感謝申し上げます。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著360頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

以下、David Smithの『The Days』からの引用である。

9 十一人に顕現

 この重大の日にトマスのみは居合わせなかった。かねて彼はその兄弟のもとに加わって来たが、主の現れ給うたことを彼らから伝え聞いたけれども、その性質のしからしめるところ、彼は断じてこれを退けて信じなかった。しかもなお彼らが論証して、主に見えたのみならず、主が傷所を示されたことを主張するのを聞いて、彼は『私は、その手に釘の跡を見、私の指を釘のところに差し入れ、また私の手をそのわきに差し入れてみなければ、決して信じません』と言い放った。次の日曜日に弟子たちは同じく門を閉ざした室に集まっていた。この時にはトマスも彼らの中にいた。イエスはさらに現れ、彼らの間に立ってこれを祝された。イエスの来訪せられたのはこの懐疑家のためであって、牧羊者が一匹の迷える羊を尋ねると一般であった。『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしのわきに差し入れなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい』とイエスは宣うた。トマスは失望の深淵より、信仰の絶頂に一躍して『私の主。私の神。』と叫んだ。イエスは静かに答えて『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです』と仰られた。これ一人に言われた語であるけれども実はすべての使徒を戒められたものであって、彼らはイエスが三日目に死より復活せらるべき聖書の証明も、主の繰り返しての宣言も容易に信じないほど鈍い人たちであった。しかしこれはその当時の弟子にのみ限ったことではない。『今もなお「当時我もそこにいてキリストの驚くべき行動を見たらんには!」と言うものあり。斯くの如き人は「見ずに信ずるものは幸いなり」との教えを思わざるべからず』と聖クリソストムは言っている。

10 ガリラヤ湖畔の顕現

 復活の主は彼らに訣別して、天父の家庭に帰るにあたり、なお多くその使徒に教訓せねばならない事実があった。しかも敵意を挟むもの多き聖都は自らを表されるのに適した場所ではない〈マタイ26・32、マルコ14・28、マタイ28・16〉。すでに楼上の客室においてイエスはガリラヤにおいて彼らに会せられる約束を結ばれたが、彼らはその教訓のままに直ちにカペナウムの旧宅に帰った。斯くして彼らは主の顕現を待った。同時に彼らはその生計を営むべき業務に従事する必要があったので、ある日彼らの七人は、ペテロの家と思しく、一所に集まったが、常に一同の教導者で、熱情家のペテロは突然『私は漁に行く』と言った。その集まりたるものはトマス、タルマイの子ナタナエル、ヤコブとヨハネと他に二人であったが彼らも『私たちもいっしょに行きましょう』と同意した。

 即刻彼らは渚に降って小舟の纜を解いた。終夜漁ったけれども少しの獲物もなかった。しかるに暁天渚に一人の人物が佇んでいるのを見た。これイエスであったけれども、彼らは認めることができなかった。彼らは陸を去るわずかに五十間ばかりの所に来たとき、イエスは彼らに商売の交渉を試みる商人の如く『子どもたちよ。食べる物がありませんね』と声を掛けられた。『はい。ありません』と彼らが答えたので、イエスはさらに『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます』と命ぜられた。彼らはこの未知の人物は漁業に経験があるのか、あるいは魚群のいる何らかの兆候を見たものであろうと想像してその語に従った。しかるに網は曳くことができないほどに収穫があった。その命令によってヨハネの敏い心に記憶が閃いた〈ルカ5・1〜11〉彼はこの近傍において、三年以前ほとんどこれに等しい不思議の事実に接し、己はもちろん、その兄弟も、同業のペテロもアンデレもともにイエスにその運命を託したのを思い起こした。

 『主です』と彼はペテロに叫んだ。心は鈍いけれども、行動には敏捷なペテロは漁業の間に邪魔なので脱いでいた衣服を着け帯を結んで、彼のイエスが波上を歩んで来られた朝のように突然小舟から湖に飛び込んで陸に泳ぎ着いた〈マタイ14・28〜31〉。他の弟子たちは魚の充満した網を曳いて小舟で渚に漕ぎ寄せたのであった。

 彼らの陸に達するやすでに食事の用意が整えられていた。パンの塊や、炭火を焚いてその上に魚が焼いてあるのであった。イエスはなお現に彼らが漁った魚を持ち来れと命ぜられたので、ペテロは小舟に行って、網を渚に曳き上げた。その中に百五十三匹の魚があったのを発見した。これ異常の大漁であって、網が裂けないのが不思議であった。準備がことごとく整ったときイエスは『さあ来て、朝の食事をしなさい』と仰られた。而してイエスは彼らのよく知るもとのままの所作で、これを祝して後に食物を一同に分たれた。

11 ペテロとの問答

 イエスが、おそらくことごとく使徒であったと覚しきこの七人に顕現せられたのは、この世を去られる前に彼らと会合して、彼らの職分に関して協議されるためであった。食事が終わって、イエスはその計画を遂げんとしてペテロに語を掛けられたが、甚だ残酷と見える方法を取られたのであった。イエスは深くもこの弟子が楼上の客室において主張し、その舌の根も乾かないうちアンナスの邸内で暴戻にもこれを破った『たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません』〈マタイ26・33〉との大言壮語を思い廻らされた。ペテロはその不忠を深く悔恨し、復活の日にイエスに見えるや直ちにこれを告白して赦されたに相違はない〈ルカ24・34、1コリント15・5〉。

 しかるにイエスは再びこれを捕らえて、その同僚の眼前において彼の正面からこれを投げつけられた。すなわち『ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか』と問われた。『愛する』とはペテロの心に横溢する情熱を現わすものではなかった。しかし彼は謙遜に『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです』と答えた。『わたしの小羊を飼いなさい』とイエスは命ぜられ、重ねて『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか』と同じ問いを繰り返されたので、ペテロもその確信を披瀝して『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです』と重ねて答えた。『わたしの羊を牧しなさい』と再び命ぜられた。

 三度イエスは同じ問いを設けて『ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛しますか』と仰せられた。イエスはペテロの改善した告白を受けておられたけれども、彼にとってこの問いは、甚だしき悔恨を催さしめた。すなわち単にペテロの尊敬の念のみならず、その愛情を疑わられるものと思われた。しかも紙背に徹するその眼光は横溢する感情を読まれるべきはずであった。『主よ。あなたはいっさいのことをご存じです。あなたは、私があなたを愛することを知っておいでになります』と彼は叫んだ。イエスは同じく『わたしの羊を飼いなさい』と宣うた。

12 その目的

 ペテロの罪悪を殊に他人の眼前において彼の面に突きつけられるは余り無慈悲で、イエスに似つかわしからざるものではあるまいか。否、これは唯ペテロをのみ、他に勝って指摘されたものと、彼らには思われなかったことであろう。彼らはペテロに勝れるものとして免されたのであろうか。彼らは楼上の客室においてイエスとともに死なんと抗弁した。しかもゲッセマネの園においてはイエスを棄ててことごとく逃げ去った。むしろヨハネを除いたあとの者よりもペテロは勝れるものであって、直ちに勢力を鼓舞してアンナスの家までイエスを曳き行く兵卒に従って来た。故に斯く戒められたのはペテロであるけれども、皆その聖語の身に触れるを覚えた。イエスの目的は彼らの不忠実を譴責するためのみではなかった。如何にこれを訂正するべきかを教えられるものであった。

 彼らにしてもしペテロと等しくイエスを愛したりとせば、イエスの答えは一様である。曰く『わたしの羊を飼いなさい。わたしの羊を顧みなさい』と。彼らが牧羊者を棄てたときも、彼らをしてイエスの羊のためにその生命を擲ち、その悔恨とその愛とをもって試験せしめよ。またその責任を忘れることなからしめよ。後にいたりて聖ペテロは言う『あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを、牧しなさい。強制されてするのではなく、神に従って、自分から進んでそれをなし、卑しい利得を求める心からではなく、心を込めてそれをしなさい。あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。そうすれば、大牧者が現われるときに、あなたがたは、しぼむことのない栄光の冠を受けるのです。〈1ペテロ5・2〜3〉)

2022年12月25日日曜日

クリスマスと主のよみがえり

ギュスターヴ・ドレ 聖書画集から

墓の中にはいったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。・・・」(マルコ16・5〜6)

 クリスマスの意義は復活において完成される。復活ありてこそクリスマスも尊い。私たちはよみがえりのキリストを馬槽の中に見てその救いを讃美し感謝する者である。『真っ白な長い衣をまとった青年』の形において天使が現われたのも御復活の告知者として相応しいではないか。

 よみがえった人の姿が老人であるとは考えられない。私たちの霊界は永遠の若者によって住居せられ、私たちもまたよみがえりの後は永遠の若者となるであろう。イエスは三十三歳の屈強の若者として十字架につき同じ御姿でよみがえり給うたのも意味深く感ぜられる。イエスは嬰児としてこの世に生まれ、若者としてよみがえり給うた。

祈祷
永遠の生命永遠の若さの持ち主にして与え主なるイエス様。あなたのよみがえりを讃美し、同じ賜物を私たちに与え給うことを感謝申し上げます。今日このクリスマスの日に当たりて嬰児イエスを讃美し、若きいのちの主を讃美し申し上げます。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著359頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

以下は、David Smithの『The Days』の昨日に接続する続編である。

3 マリヤに現れる

 二人の弟子は墓を去って家に帰ったが、マリヤは泣きながら墓の入り口に佇んだ。彼女は間もなく内に入って墓穴を差し覗くや、彼女の驚駭は極点に達した。すなわち天使が、一人は屍の在った頭の所に、一人はその足の所に佇んで『なぜ泣いているのですか』と尋ねた。彼女は嗚咽しながら『だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです』と答えたが、天使の様子かあるいは手振りで、何人か彼女の後に入って来たものと思われたのであろうか、彼女は振り返ってそこに人あるを認めた。これぞすなわちイエスであった。しかし彼女はこれを認めることができなかった。『なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか』と問われたが、彼女はここにみだりに侵入したのを咎めに来た園丁であろうと想像すると共に、その園が墓に来るために蹂躙せられるのを憚って主の屍を他に移したものはこの人であろうとの思想が不意に起こった。『あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言って下さい。そうすれば私が引き取ります』と彼女は叫んだ。『マリヤ』とイエスは宣うた。この一語で充分であった。『ラボニ!』と彼女は叫んで身を巡らした。聖ベルナドは『愛は敬意を欠く』と言っている。彼女は聖足に飛びついて、これを擁しつつ接吻しようとした。彼女はイエスがもとの態に帰られて、直ちに従前のごとき師弟の情誼を再び結ばれるものと考えた。イエスはやさしくこれを遮って『わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに「わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る」と告げなさい』〈ヨハネ7・29参照〉と宣った。

4 エマオに現れる

 その午後二人の弟子がエルサレムより7、8マイルを距つるエマオに向かって旅立ちした。その一人の名はクレオパと言うのであって、他の一人の名は記録に残らない。二人とも使徒ではなかった。しかし主に随伴した一組に属するもので、万事すでに休するものとして深き失望に陥りつつエルサレムから帰り行く途上であった。彼らはその朝起こった不思議な事件を聞知して、ペテロとヨハネとが空虚な墓地を目撃したこと、婦人中のある人に天使が現れて、イエスの復活を示したことを聞いていたけれども、マリヤにイエスの現れたことは知らなかったので、ついにエルサレムを出発したのであろう。

5 途上にて

 これまことに当惑すべき問題であって、彼らは征く往くその意味を論じ合っていたのであった。彼らの性質には相違があって、クレオパはトマスの如く沮喪し易い傾向があったのに、一方の相手は多血質で、両人の間にいくらか論戦が熟して来たものであろう。その半ばに一人の旅客が彼らの連れに加わった。これはイエスであったけれども彼らはこれを悟らなかった。『ふたりの目はさえぎられていて、イエスだとはわからなかった』。イエスは彼らに言葉をかけて『歩きながらふたりで話し合っているその話は、何のことですか』と仰せられた。彼らは論争を聞かれたのを恥じて、頸を垂れて佇んだ。陰気なクレオパは、不意の妨害を快からず思うが如く、短気に答えて『エルサレムにいながら、近ごろそこで起こった事を、あなただけが知らなかったのですか』と詰め寄った。旅人はさらに『どんなことですか』と問うた。彼らは異口同音に。『ナザレ人イエスのことです。この方は、神とすべての民の前で
、行ないにもことばにも力のある預言者でした。それなのに、私たちの祭司長や指導者たちは、この方を引き渡して、死刑に定め、十字架につけたのです』と言い、クレオパは『しかし私たちは、この方こそイスラエルを贖ってくださるはずだ、と望みをかけていました』と嘆息した。『そうです』と他の一人はなお希望を失わざるを思いつつ『その事があってから三日目になりますが、また仲間の女たちが私たちを驚かせました。その女たちは朝早く墓に行ってみましたが、イエスのからだが見当たらないので、戻って来ました。そして御使いたちの幻を見たが、御使いたちがイエスは生きておられると告げた、と言うのです』と言った。しかも疑り深いクレオパは『しかしイエスさまは見当たらなかった』と言葉を添えた。『ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか』とイエスは叫んで、その苦難によりて始めて完成されるべき所以を示しつつモーセより預言者に及ぶ聖書中の句を一々引照せられた。

6 室内にて

 両人は聞きながら心の熟するのを覚えた。ついにエマオに着して、イエスは行き過ぎる様子をせられた。彼らはこの不思議な旅人と別れるのを厭いさらに話を聞かんとして『いっしょにお泊りください。そろそろ夕刻になりますし、日もおおかた傾きましたから』と引き留めた。聖ベルナルドは『おそらく彼らは斯く祈願したるものなるべし、「離れ給うなかれ、汝美しきものよ、ああ我らを離れ給うなかれ、なおナザレのイエスについて汝のことばを我らの耳に聞かしめよ。我ら願う、復活の歓喜を我らに告げ、今夕べに及び、日は暮れんとするが故に我らとともに宿れ、我らよもすがら語り明かさん、我らの耳には美しきイエスにつきて聞くをこの日中のみをもって満足せざればなり」と言えるものと思われる』と言った。

 イエスは彼らの懇願を許して共に宿られたが、やがて食卓は運ばれた。イエスは賓客であったけれども、主人役を務めて食に就く前に感謝を献げられた。これはユダヤの敬虔な家庭に行われる習慣であったが、イエスはそれを特別な態度で守られた。『イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡された』。斯くの如き方法はすでに二度行われた所であって、すなわち野において五千人を養われる時と、楼上の客室において晩餐の礼典を定められた時であった。クレオパ及びその連れは晩餐には列しなかったけれども奇蹟は目撃したところであった〈マタイ14・39、マルコ6・41、ルカ9・16、ヨハネ6・11、マタイ6・26、マルコ14・22、ルカ22・19〉。しかしこれを特別に回想したわけではあるまい。ただイエスの如き祈祷を献げたものは未だかつてなかったところで、祈祷によってそのイエスなることが明らかとなったものである。『それで、彼らの目が開かれ、イエスだとわかった』、彼らが何事をか語らんとするとき『するとイエスは、彼らには見えなくなった』。彼らは今始めて万事を悟った。而して『道々お話になっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか』と叫んだ。

7 エルサレムにて

 即刻彼らはエルサレムに帰って、而して彼らが聖都に着するや、その出発後に様々の事件の起こったことを知った。使徒たちはもはや意気消沈し失望して彼方此方に散乱するようなことはなかった。彼らの団結を強固にして市内の宿所に集合し、後年におけるが如く生気溌剌勇気凛然たる団体を組織した。斯くの如く猜疑に富む有司たちの勢力範囲内に会合するは彼らのために甚だ危険であったので、その安全を計らんがため彼らは堅く門戸を閉ざしていた。そこには主の就縛の大打撃に最も遠くへ逃げ去って未だ帰って来なかったらしいトマスの他はすべての使徒が集まっていた。クレオパとその連れとは集会の場所を発見して、その内に加わるを許されたが、彼らがまだその見聞したことを言い出さざる前に、一同は異口同音に熱心に『ほんとうに主はよみがえって、シモンにお姿を現わされた』〈ルカ24・34〉との挨拶を彼らに浴びせた。
〈シモン・ペテロに現る〉
 シモンに現れ給うたことは聖パウロも伝えて〈1コリント15・5〉いるけれど、その記事はどこにも見えないのである。おそらくペテロが卑劣にも、知らずと拒んだその慕い奉る主との会見は他に漏らすに忍びざるほど神聖なもので、彼は自分の心に深く秘めてしまったためであろう。

8 使徒並びに他の弟子に現る

 彼らは一同の語るの終わるを待って、新たな驚嘆を加えつつ、その一部始終を物語った。不意に警告の声が一同の間に起こった。イエスは現れ給うた。その戸を叩かれるのを聞いたものはなかった。また戸を開いて迎えたものもなく、入られる聖姿を悟ったものもなかった。しかもイエスはここに佇まれた。平生の如く『平安があなたがたにあるように』〈ヨハネ20・19〉との挨拶を与えて一同の中央に進まれた。彼らは驚駭しまた恐怖して聖語をかけられるまでは、イエスなりや否やを疑い、霊を見たのであろうと考えた。イエスはその傷つけられた両手と脇腹とを彼らに示された。彼らは残酷な苦難の跡を見るに及んで、疑いは氷解し、歓喜に雀躍した。その歓喜に溢れたとき、楼上の客室において約束された『わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そしてその喜びをあなたがたから奪い去る者はありません』〈ヨハネ16・22〉の聖語を思い起こしたであろうか。斯くて新たに彼らを祝し、他の聖語を授けられた。曰く『父がわたしを遣わしたように、わたしもあなたがたを遣わします』と。而してユダヤ人に適合する象徴的な所作をもって、彼らに息を吹き掛けて『聖霊を受けなさい。あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります』と宣うた。これ彼らに使徒として嘱託を新たに付せられたものであって、イエスの目的と、彼らの職責とは間一髪も容るべからざるものなるを確実にせんと欲せられたのである〈マタイ18・18〉)

2022年12月24日土曜日

葬り(下)香料を携えた女たち

さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。(マルコ16・1〜2)

 ヨハネ伝には『朝早くまだ暗いうちに』とある(20章1節)。ほのぼのと夜の明けがたころと思われる。『まだ暗いうちに』女だけで墓場に往くのは、しかも死刑に処せられた人の墓場に往くのは、淋しいが、主の愛を憶い、主を愛するがためにそんなことは忘れている。

 一昨日夕ニコデモがヨセフとともに香料で御死体を包んだけれども、男の不器用な手、しかも貴族でそのようなことに慣れていないので不充分であった。彼らは粉末の香料で包んだけれども、香油を塗っていない。

 それを目撃して帰った女たちは『戻って来て、香料と香油を』準備しておいた(ルカ23・56)。今それを携えてお墓へと急いだのである。自分たちの手で愛しまつる主のおからだに最後のご奉仕をしたかったのであろう。

祈祷
主イエス様、願わくは私にも豊なる愛の香料をもってあなたのおからだに塗る心をお与えください。あなたのためには微細なることをも見落とさず、些細なることにも注意せざるを得ざる細かき愛を与えて奉仕できるようにして下さい。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著357頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。クリスマス讃美歌https://www.youtube.com/watch?v=oKEcUXIHu34 )

クレッツマンの『聖書の黙想』より

 弟子たちが男も女も、深い落胆の中に沈みこんで、戸を閉ざしていた時、あの安息日の一日がどんなに緩慢な時を運んで行ったことかは想像に難くない。

 突然の打撃はあまり激しいものだったので、ほとんど耐え難いほどだった。彼らの主であり、救い主であるおかたが死んでしまったのだ。女たちには、主のために何かしようと計画できただけでも、わずかながらの慰めとなったに違いない。彼らは主の体に油を塗りに行くことになった。そこで土曜日の夕方になると、さっそく出かけて行って、必要な香料を買い求めた。あくる日曜日、女たちの一行は朝まだき道を辿って、太陽がオリブ山の上に昇る頃には、墓の近くに到着した。彼女らは男たちが墓の入り口の前にころがして行った重い石のことを案じていた。女のか弱い手で、一体どうしてその石を入り口から取り除くことなど望めよう。

David Smithの『The Days』はその長い叙述をいよいよ最終章 第50章 復活 と題して 1 弟子の失望 2 空の墓 3 マリヤに現れる 4 エマオに現れる 5 途上にて 6室内にて 7 エルサレムにて シモンペテロに現れる 8 使徒並びに他の弟子に現れる 9 十一人に顕現 10 ガリラヤ湖畔の顕現 11 ペテロとの問答 12 その目的 13 ペテロの十字架の預言 14 ヨハネは不死なりとの妄想 15 ペテロとヨハネとに密かに顕現 16 以上の他の顕現 エルサレムにて最後の顕現 『エルサレムにおいて始む』 17 決別 18 主の肉体真に復活せり 19 復活せる肉体 (1)変貌 (2)普通の物的法則に従わず (3)肉眼には見る能わず 20 復活の主の不易の現在 と、以上20項目に分けて詳述している。この際、繁を厭わず、以下分載して行く。

1 弟子の失望

 イエスの死はその弟子のためには再び立つことのできない最大の打撃であった。彼らはイエスをメシヤと認識した。而して繰り返し力を込めて訂正される聖語を軽侮し、彼らのユダヤ的理想に頑迷に執着し、その父祖ダビデの王座を要求し、自由の民となり、新たな時代となったイスラエル国民をエルサレムのおいて統治せらるべき外形の壮大をもって、世に出現せられることと深くも信じて期待したのであった。しかるに十字架は彼らの夢を粉砕した。これ実に深刻な略奪なるのみならず、残酷な弁妄の試練であった。彼らは恥辱を被るほかはなかった。彼らは独り同胞の目に責むべきものと映ずるのみならず、自らの目にも愚かこの上なき妄想に魅せられていたものと見なされた。彼らにとっては昔の我が家に這い帰って、その知人の愚弄の只中に、天国を得んとしてかつて捨て去った職業を重ねて営むの他にとるべき道はなかった。彼らはその主の縛につかれるや恐怖に打たれて逃げ去った。而して彼らの心にまず起こった感覚はガリラヤに帰って凶悪な有司たちより距った地に逃れようと言うにあったに相違はない。しかるに彼らはにわかにその計画を変えた。彼らは自らその臆病を悔い、エルサレムの近郊に帰って来て、隠れ家を求めてそこに身を潜めたのであった。主がヨセフの園の中に安息に入られた時、安息日の前夜は既に尽きんとしていた。而して翌日は過越の祝いの安息日として最も重大の日であったけれども彼らは静かに隠れてその儀式にもあずからなかった。

2 空の墓

 死人を葬って三日の間、ユダヤ人は必ず、偶然にその霊魂がその土の旧家(肉体)に帰り来ることもやと墓地を訪れるのが常である。しかるに十一人中一人としてイエスの墓を訪れるものもなかった。訪れる勇気がなかったのである。勝ち誇った有司たちの憤慨の前にその身を晒すは狂気の沙汰と思われたのであろう。しかも愛に勝ち得る恐れは、人の心に起こることができない。マグダラのマリヤは律法に従って安息日が終わるまで静かに家に垂れこめていたが、夜の明けるのを待ちかねて、恐らくは薄明かりを便りに他の婦人たちとともにオリーブ山の坂を登って園のうちに訪ねて来た。しかるに驚くべし、洞窟の入り口を封じた重い石の戸が動かされているのが目に留まった。何人か外部からこれを開いて屍体を運び出して他に移したに相違ないものと彼らは判断した。ペテロとヨハネの隠れ家を知っているのでマリヤはそこに駆けつけて、その目撃した所と憶測とを彼らに語った。彼らもまた驚きながら墓地に駆けて来たがヨハネは歳が若いのと敏捷なのとで相手を追い抜いて第一に辿り着いた。開いた入り口から歩み込んで彼は左右に四キュビット掘削された床に立った。主の屍体はその奥の壁龕の裡に安置せられたのであった。彼は主の屍体のあるべきはずの所を覗き込んだが屍を巻いた布の他に何も見えなかった。彼は穢れるのを恐れたか、あるいは屍のなくなったことが充分に見えたためか、下にも降りず、また近づいて調べもしなかった。彼が斯く佇んで眺めている所にペテロがその後ろから墓の内に飛び込んだ。而してその過激の天性そのままに彼は墓の中に飛び降りてこれを調査した。実際に墓は空虚であったが、その様子はまた実に驚異すべきものであった。もし屍体が盗まれたものとすれば掠奪したものは布をも共に奪い行くべきはずである。しかるに突然屍は蒸発し尽くしたように布は平たく置かれ、その顔を覆うて頭を包んだ布〈ヨハネ11・44参照〉は折り目も正しい枕の布と離れて置かれたのであった。主の頭の動かされた時にその折り目は崩れなかったものである。その友人の驚いた声に促されてヨハネも降りて来てその様子を調べた。驚くべき事実が彼らの上に開けて来た。イエスは復活せられた。これ決して驚くに足らない。空虚の墓や、脱却した葬衣は実は調査の必要はなかった。しかもヨハネが慚愧の調子をもって告白する如く『彼らはイエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである』〈ヨハネ20・9〉と記している。)

2022年12月23日金曜日

葬り(中)岩を掘って造った墓

ギュスターヴ・ドレ 聖書画集より

そこで、ヨセフは亜麻布を買い、イエスを取りおろしてその亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納めた。(マルコ15・46)

 このヨセフという人についてはルカは『議員のひとりで、りっぱな、正しい人がいた。この人は、議員たちの計画や行動には同意しなかった』(23・50)と言っている。またヨハネは『イエスの弟子ではあったがユダヤ人を恐れてそのことを隠していたアリマタヤのヨセフ』(19・38)と言っている。

 『ユダヤ人を恐れ』とあるから卑怯な人だと笑ってはいけない。ペテロやヨハネと異なってエルサレムに住みかつ『議員』であったのだから、幾分世間を憚っていたのは諒とせねばなるまい。しかしイエスの死は彼及びかつて『夜イエスのところに来たニコデモ』(ヨハネ伝19・39)とを勇敢にした。

 ニコデモは『没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来』(同上)てイエスの死体を包んだ。斯く死体に触れたことによって二人とも一年一度の大切な祭りである過越の食にあずかる資格をも失った。ユダヤ人としては非常な犠牲である。議員の地位も、公民の権利も捨てて顧みなかったこの二人はイエスの死によって非常に感激したのであるに相違ない。

祈祷
イエス様、ヨセフとニコデモの二人は今、天にあってかつて丁寧に葬ったおからだを見上げつつどんなに喜んでいるでしょう。彼らの富めるかつ名誉ある生涯の中で、あの一日が最も善い日であったことを喜んでいるでしょう。私どもにも同じような喜びの種を、日々の中に播くことを得させて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著357頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌 171https://www.youtube.com/watch?v=3APvI0Dwok4

1 引き続いてクレッツマンの叙述から

 かくして、私たちの主の身体はヨセフの所有する、近くのきれいで新しい墓の中に安置され、復活の朝を待つことになる。少なくとも、ここまでは信仰深い女たちが立ち合って、イエスの体がどこに置かれたかを見届けた。安息日が暮れてから、愛情深い心遣いをこめて、主に十分油を注ぐためにやって来ようと思ったのである。

 さしあたって、彼らはその希望をイエスとともに葬ってしまった。死んだ救い主はもはや救い主ではない。しかし、程なくして、状況は一変したのである。

    祈り
 おお、信仰の礎は      死して、深く葬られ、
 やさしき言葉語りし唇は   今は静かに、閉じたまいぬ
 生きとし生けるもの     苦き涙もて、悲しみなげかん
 おお、永遠に、祝福あれ、  信仰もて、時に思い悩む者
 「何故、栄光ある生命の君は 彼方に葬られしか」と問う者よ。
 おお、聖なるイエスよ    救いと安きとを
 今、我涙もて        汝に願わん
 終わりまで、汝を愛さしめたまえ 
 御国にて、汝とあい見える、その日まで  アーメン

2 David Smith の『The Days』から

25 イエスの埋葬

 ヨセフはカルバリ山に駆け戻って来た。而して臆病の点において彼の同類たるとともにその悔恨においてもまたその同類である僚友ニコデモを伴って来た。両人はその葬儀に各々の分を尽くすのであった。彼らはともに傷おびただしき屍体を十字架よりおろして、麻の布を持ってこれを包んだ。ヨセフはこれらをことごとく用意し、また墓地をも提供した。彼は己が最後の休息所に当てんがため、近郊の園の中の巌を切って墓地を作っていた。彼はこれをイエスに献げた。ユダヤでは死体に香料を塗るの習慣があったが、その材料はニコデモが自ら用意して来た。彼は出来得る限り手厚い葬式を行わんとの忠義の精神より、自ら受け持った方面において没薬とアロエとを三十キロほどのおびただしきほど携えて来た〈1歴代誌16・14〉。

 斯くして彼らは主を休息所に臥さしめた。婦人たちは立って彼らが主を臥さしめる場所を眺めつつ、この悲しい務めを一同が終わるまで佇んでいた〈マタイ27・61、マルコ15・47、ルカ23・55〜56〉。

2022年12月22日木曜日

葬り(上)先頭に立った二人の男

アリマタヤのヨセフは、思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。ヨセフは有力な議員であり、みずからも神の国を待ち望んでいた人であった。ピラトは・・・イエスのからだをヨセフに与えた。(マルコ15・42〜45)

 神はヨセフを動かしてイエスの死体を丁寧に取り扱い給うた。ここに『からだ』の字が二度出ているが、ヨセフが乞うたのはソーマすなわち『からだ』であって、ピラトの与えたのはプトーマすなわち『死骸』である。二人の考え方の相違を示している。

 ソーマの本来の意味は生きた体である。もちろん死体をも指すのであるけれども、ヨセフは丁寧に『イエスのからだ』と言った。しかるにピラトはプトーマすなわち倒れたもの単なる『死骸』と言った。ヨセフがこの挙に出たのは実に『思い切って』と言われるほど大胆な行動であった。

 祭司長始め議会全体が死刑に定めた人の死体を斯くも丁寧に取り扱うのは議員である彼にとって、彼には失うべき地位と富とがあるだけ、それだけよほどの勇気を要したに相違ない。少なくともこの行動によって同僚の議員から憎まれるに至ったことは想像に難くない。伝説によれば議会はこの行動によって彼を獄に投じたとさえ言われている。

祈祷
神よ、あなたは腐った議会にもヨセフのような正義に勇敢な人を残されました。願わくは私たちにもこの腐った世にあって彼のように勇敢に行動させてください。彼のように自分の地位と名誉とを賭して正義を行う者とならせてください。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著356頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌180https://www.youtube.com/watch?v=v6k1jHqSoTo

1 クレッツマンの『聖書の黙想』はこのヨセフに触れて次のように描く。

 目立たない所に控えている者をさげすんだり、その信仰を軽んじたりしてはならない。試みの時にはあとの者が先になるだろう。

 そしてこの言葉は、イエスの葬りの時に、先頭に立った二人の男の場合、まさに真理だった!

 太陽はその創造主の悲惨な死の上に、一瞥をなげかけるとすぐ西に沈んで行った。これはキリストの葬りの準備が、急を要するものであることを物語っていた。まず最初に、十字架から、イエスのからだを引きとる許可を手に入れなければならない。ここで、アリマタヤのヨセフの有力な地位が役に立つ。彼は勇敢にピラトのところへ行って、主の体の引き取り方を依頼した。このおかたを、彼は救い主として、敬愛し始めていたのである。しかし、それを告白するほどの信仰の強さを、まだ持ってはいなかったようだ。

 ピラトは、イエスに罪を宣告した裁判所の一員がイエスの友人であったことを知って、全く驚いたに違いない。百人隊長がイエスの本当に死んでしまったことを確かめるや、許可はすぐに下りた。聖書の他の個所では、これまた衆議所の議員の一人であるパリサイ人のニコデモがヨセフに協力して、亜麻布や、その他ユダヤ人が葬りの時に用いるならわしの、香料や香油などをたくさん持ってきたという記事が記されている。

2 David Smithの『The Days』から

24 ヨセフ、ピラトに請う

 信仰篤き婦人と、一団体となってはるかに十字架の光景を眺めたイエスの知人のうちに、古のラマタイム・ゾヒムすなわちアリマタヤの住人にしてサンヒドリンの議員たるヨセフという人物があった。彼は敬虔なユダヤ人で『神の国を待ち望んでいた』のであったが、その同僚ニコデモと等しく心においては弟子であって、ただ『ユダヤ人を恐れてそのことを隠しておいた』のであった。彼はその朝サンヒドリンの判決の会議に加わらず、またこれに反対も試みなかった。恐らくは彼は集会に用心深くも欠席していた者であろう。彼が自ら取った手段の如何に重大な結果に至ったかを知ったときには既に遅かった。彼らは何らの手段も施す能わざりし悲劇を目撃して、悲痛、慚愧の情に胸をえぐられつつ佇んだ。過去ははや挽回することはできぬ。故に彼は直ちにイエスの党派たるを自ら宣言してできうる限りの償いを試みようと決心した。彼はその犠牲の死骸が如何に処分せられるものかを心得ていた。故に彼らを取りおろして、飢えた野犬や猛禽に荒らされるを防ぐのを口実として、少なくとも手厚い埋葬をもってせめて尽くすに由なかりし誠をイエスに献げたいと決心したのであった。由来十字架に釘づけられたものの友人はその屍を買って相当の葬式を行う習慣があった。ヨセフは富裕であったので、これを容易に支払い得た。『思い切ってピラトのところに行き、イエスのからだの下げ渡しを願った。』イエスの当時の威風は知事を覚醒せしめたが、彼の霊魂は今なお畏縮していた。イエスが斯く速やかに死なれたことを聞いて驚きつつ百人隊長を召してこれに尋ね、その事情を詳しく質して一層煩悶した。その苦悶の状態は所作に現れている。この不幸な代官は金銭に汚いので何時も悪名を負い、皇帝に訴えられたのも、その不行跡の最大カ条の一つは、収賄であった。しかもこの貪欲漢がヨセフの提供した代価をしりぞけて、その屍を無償をもって下げ渡したほどに彼の苦悶は甚だしかった。)

2022年12月21日水曜日

十字架(7)遠くから見ていた女たちの涙

また、遠くのほうから見ていた女たちもいた。・・・イエスがガリラヤにおられたとき、いつもつき従って仕えていた女たちである。(マルコ15・40〜41)

 四福音書がことごとく筆を揃えて『女たち』の十字架を見ていたことを書いている。何のためであろう。世の中には女の出られぬ幕がある。凶暴の手がイエスを十字架につけているときに女らには手が出せない。また手を出すべきときでもない。遠くから眺めるのが関の山である。

 けれどもその眺めている眼には涙が宿っていなかったであろうか。彼らの心は十字架の上まで行っていなかったであろうか。彼らのながめていたことがイエスにどう響いたであろうか。沈黙が言語や行動より深い意味のあることがある。

 福音書記者は四人とも、この沈黙を読まずにはおられなかったであろう。但しヨハネは補足の意味で『イエスの母と母の姉妹と、クロパの妻のマリヤとマグダラのマリヤ』が十字架のそばに立っていた書いている。

祈祷
あるいは十字架のそばに立ちて、あるいははるかに立ちて十字架を見上げし女らの心には百人隊長のように『実に神の子なり』との信仰が動いたでありましょう。どうか私どもも十字架のもとに立ち、心と涙を御許に注ぐ静思の時を味わせてください。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著355頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌307 https://www.youtube.com/watch?v=95C7Eqn2xVM

クレッツマンもその『聖書の黙想』で次のように記している。

 福音書記者は一群の女たちの信仰の深さについて、彼らの永遠の名誉のために、記している。この女たちは主の屈辱と死の際に、遠くに立っていることを余儀なくされてはいても、主を見捨てることはなかった。彼女たちが過ぎ去った幸福な日々を主に従い、主に仕えたのは、信仰による行いだった。その信仰はあの大いなる困難の時が訪れた時、弟子たちの信仰よりも、はるかに輝かしい光を放ったのである。

 目立たない所に控えている者をさげすんだり、その信仰を軽んじたりしてはならない。試みの時にはあとの者が先になるだろう。)

2022年12月20日火曜日

十字架(6)百人隊長 付ヨハネの証言

イエスの正面に立っていた百人隊長は、イエスがこのように息を引き取られたのを見て、「この方はまことに神の子であった」と言った。(マルコ15・39)

 嫉妬に燃えた祭司長らが見出すことの出来なかったイエスの死の尊さを、偏見のないこの異邦人は見出し得たのである。この百人隊長はイエスが自ら神の子だと承認したことが祭司長らに罪と認められた顛末を聞いていたであろう。

 さすれば今眼前に見せつけられた神々しいイエスの死を見て、思わず『実に神の子だと叫んだ』のであろう。単純な軍人の心はかえって真相を直感し信仰に入りやすいものと見えて、カペナウムの百人隊長(マタイ伝8・5〜13 )はその『篤き信仰』をイエスに賞賛され、カイザリヤの百人隊長(使徒行伝10章)コルネリオは「『ユダヤの人々に多くの施しをなし、いつも神に祈りをしていた』人であって、ついにペテロからバプテスマを受けた。

 彼らは異邦人の信者の初穂と言ってもよいであろう。パウロが異邦人の使徒となる前にイエスは既に異邦人を引きつけておられた。

祈祷
主よ、私たちの目より偏見を取り除いてください。私たちの目より罪の色眼鏡を取り除いてください。而して御姿をどまるのままに拝することができますように。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著354頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌205https://www.youtube.com/watch?v=9Ln7301-b70 

クレッツマンは昨日に引き続き、この個所について次のように語る。

 この聖なる記者、マルコは、イエスの死が百人隊長にどんな影響を及ぼしたかを、ここで、忘れずに語っている。この百人隊長は十字架の下に立っていたが、法廷での裁判にも、おそらく同席しただろうし、多分、園でイエスが捕えられるところまで目撃した者だったに違いない。確かに、彼が見たり、聞いたりしたことは彼に悔い改めをもたらすに十分なものだった。その胸の中を彼は率直に隠さず現わして、イエスこそ正しい人であり、神の子であると告白した。実に素晴らしい悔い改め、驚くべき告白ではないか。私たちは一人のぶこつな兵卒の口から、十字架の上で死んだおかたの、人となった神としての姿について、最初に公然と語られた証の言葉を聞くのだ。

一方、David Smithの『The Days of His Flesh』は全福音書を手掛かりに主イエス様の死に至るまでの一部始終を次のように描写する。私としては転写するだに、顔を背けたくなることの連続だが、まさにこれこそ『The Days』であり、日高氏の名訳『受肉者耶蘇』の真骨頂と言える。

21 百人隊長の証言

 イエスの死と起こった事実とが傍観者、殊に兵卒の指揮を司っていた百人隊長をして驚駭と畏怖とに撃たれしめた。彼はプレトリアムの審問の当時傍に在ったと思われる。ピラトが繰り返してその無罪を主張するのを聞き、また神の子なりとのイエスの宣言に彼が狼狽したのを目撃していた。これらの連想が今この恐ろしい時機にことごとく心に回転して来て、彼は『 この方はまことに神の子であった』〈ルカ23・47、マタイ27・54、マルコ15・39〉と叫んだ。イエスに対しては何らの悪感を抱かず、ただ好奇心から十字架の刑を見んとしてカルバリに集まって来た群衆もまた深く感激した。地震に脅迫せられ、威風に打たれた彼らはその胸を撃ちつつそこを出て市内へ思い思いに退散した。

22 脛を折る

 イエスが息を引き取られたのは三時であって、日は安息日の夕へと傾いて行った。ローマの習慣によれば、慈悲に囚徒の死期を早める場合の他は通常血の流失と飢餓とに従って静かに死ぬか、あるいは野獣や猛禽の餌を漁ってこれを寸断するかに任せておくのが普通であった。しかしユダヤの律法〈申命記21・23〉では夜を徹して十字架に掛けるを禁じ、特にイエスの場合は翌日が過ぎ越しの祝いの安息日に相当するのでなおこれを許すことが出来なかった。故にピラトは有司の要求によって三人の罪人を急に殺すべきを命じ、日の暮れざるうちに十字架より取り卸せと命じた。兵卒は重い木槌をもって撲殺するいわゆる『介錯の一撃』を加えた。彼らは二人の盗賊にはこの野蛮な手術を施したが、イエスの順に及んですでに事切れておられるのを見て手を控えた。しかしその中の一人で、伝説ではロンギナスという兵卒は、イエスが実際死なれたかどうかを確かめるためにその脇腹に槍を刺した。しかるに不思議な事実が起こった。すなわち槍を抜くと同時に血と水とが迸り出たのであった。

23 血と水

 聖ヨハネのみがこの事件を叙述しているのであって、彼には全く不可思議に考えられたに相違はない。実際には自ら目撃した彼にして始めて斯く厳粛に確言することを得るのであった。しかしこれは決して受け取り難いことではない。医学上から福音記者の証言を確かなりと認め得られるのである。而して我らの恩寵溢れる主の死と、その苦難の深刻なりし所以を幾分悟るに一道の光明を与える現象であった。イエスは文字のままに心臓破裂ーーすなわち『心の苦悶に心臓の破裂を来たす』ーーをもって死なれたのであった。イエスの天父より捨てられ給うたその恐るべき時節に、心臓は、悲痛と共に破裂するばかりに膨張した。而して血は『その膨大した心臓中に迸入して、同時に溢血症に普通見る如く二様の状態に分離したり、すなわち(一)血餅すなわち赤色凝塊と(二)水様血漿の二様となれり』。その膨張した心臓を下より刺したるがため『血の凝塊と水様血漿に分離したる内在物溢れ出てあたかも「ただちに血と水が出て来た」との福音の記事に報ずる適切なる状態を呈せるものなり』〈以上は医学博士ウイリアム、ストラウド並びにジェイ・ワイ・シンプソン医科大学教授の説〉)

2022年12月19日月曜日

十字架(5)神殿の幕、真っ二つに

神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。(マルコ15・38)

 これは神殿の至聖所と聖所とを隔てる長さ三十尺、高さ二十尺の大きな幕である。黄金の糸をもって鏤(ちりば)め、ケルビム(天使)の姿を織り出した厚みのある紫色の豪奢な緞帳(どんちょう)である。尋常のことで裂けたりするものではない。

 旧約の律法によると大祭司が一年に一回特に身を清め、贖罪の血を幕の前に注いだ後、始めてこの幕の中なる至聖所に入ることを許されるのである。

 これは罪に汚れた人間は仲保者なくして容易に神に近づくべからざるものであることを教えたのであるが、モーセ以来一千五百年の間、燔祭の儀式によって象徴的に示されて来た贖罪の事実がキリストの死によって成就されたから、もはや神と人との間の幕は取り除かれ、人は信仰によって自由に神の前に出ることが出来るということを具体的に教えられたのである。

祈祷
隔ての幕を神と私たちの中間より取り去り給いし主よ、あなたは死をもって私たちの罪を贖い私たちをして、自由に神に近づくことが出来るようにして下さったことを感謝申し上げます。願わくは、厳粛なる心をもってこの特権を行使し常に祈ることをお教え下さい。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著353頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌306https://www.youtube.com/watch?v=tbER5A4-F2U 

引き続いて、以下は、David Smithの『The Days of His Flesh』の筆致に見る十字架刑の傍証の続編である。

20 幔幕裂く

 イエスの聖音は突然身震いが起こったかのように地が慄き揺らいだとき驚き騒ぐ傍観者の耳になお響いていた。シリヤ地方は火山に富み、パレスタインの歴史を一貫して地震の災害を載せている。地震がカルヴァリイ山を揺るがしたと言うのは不思議でもなく、また先例のないことではなかった。最も近い時代にも地震が記録に残っている。すなわち紀元前三十一年ヘロデ王がアラビヤ人に対して軍隊を繰り出したときに起こった。ほとんど一万に近いユダヤの人民は家屋に圧せられて死んだ。軍隊は平野に露営していたのでわずかに危急を免れたのであった。この厳かな日に地を揺るがしたのは振動の種類であって、災害は少なかったけれどもなお決して軽いものではなかった。人家稠密な市内ではその結果が最も甚だしく、殊に異常の感激を生ぜしめた一変事が行われた。聖所と至聖所の間を距てる不思議な織物の幔幕が頂より裳裾まで二つに裂けて、祭司長のみが一年一回『贖罪の日』〈ヘブル9・7〉に内に入るを許される神聖な殿堂が公開されたのであった。弟子の眼にはこれは決して偶然出来事とは思われなかった。これカルバリ山上の犠牲によって完成された贖罪を、象徴をもって宣言される神の聖手に打ち破られたものであった。『こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。・・・そのようなわけで・・・全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。』。〈ヘブル10・19〜22〉

クレッツマンの『聖書の黙想』はマルコ15・38〜47をひとまとめにして38 父なる神のひとり子は今、彼方へと葬られる と表題をつけ、次のように述べる。

 イエスの死にともなって現われ、それに続いて起こった奇跡について、聖マルコはただ一つのことを記しているにすぎない。それは神殿の幕が裂けたことだ。記者はこの注目すべき出来事を象徴化することも、説明することもしていない。

 その時、夕方の捧げ物の用意をしていた祭司たちの、おそらく、まさに眼前で、神殿の聖所と至聖所との間に下がっている厚い幕が、突然に、まるで一つの見えない手によって裂かれたかのように、上から下まで引き裂かれ、至聖所がすべての者の視野にさらされた。そこは大祭司ですら年に一度しか入ることを許されない場所で、しかも、犠牲の供え物を捧げた場合のみ、大祭司は神と民衆との間をとりなす者としての意識を持って、神の御前に立つ用意をすることが、許される場所だった。この奇跡の意味は唯一つしかあり得なかった。それは犠牲を捧げる日が終わったということ、つまり、神の民の大いなる大祭司が訪れて、一切の犠牲を終わらせるために、一つの犠牲をささげられたということ、従って、今、すべての人々は彼を通じて自由に父の下に近づくことができるということだった、)

2022年12月18日日曜日

十字架(4)エリ、エリ、レマ、サバクタニ

さて、十二時になったとき、全地が暗くなって、午後三時まで続いた。そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。(マルコ15・33〜34)

 これは日食であり得ない。時は過越祭の満月である。私はこの大自然界も天父の心の痛みに共鳴し、贖罪の御苦痛に同感し、世の罪のために暗くなったのだと信ずる。人間の罪は天の父の心を暗くする、天父の心の暗さが無遠慮に現わさるれば天地は暗くなる、ということを如実に示されたのである。今キリストにおいて人間の罪と天父の愛とが正面衝突をしている刹那である。

 人の罪はその鋭刃を振るって天父の心臓を刺し、父の愛は刺し貫かれることによって罪に勝利しつつあるのである。これが犠牲であり、贖罪である。これが燔祭の羔(こひつじ)の真意義である。キリストは全然父の愛と同一であり、また人間と同一化してその罪をことごとく己が一身に引き受け給うた。この愛とこの罪とがキリストの心臓の中で戦っている。この戦いが三時間尖端的に続いた。第三時すなわち神殿の中では燔祭の羔が献げられるのと同じ時に人間と同一化し人間の罪を己が罪となし給うたイエスは神に見棄てられて、燔祭の羔となられた。

 而して燔祭の羔及びこれを信ずる者は神の愛の中に再び見出されるのである。そこで主は『大声をあげて、息を引き取られた』(37節)ヨハネ伝(19・30)によれば『完了した』であり、ルカ伝(23・46)によれば『父よ。わが霊を御手にゆだねます』である。贖罪の大業『完了し』安らかに『御手にゆだね』られたのである。

祈祷
私たちのために燔祭の羔となられた主イエス様、願わくは己が罪の深さをさとらせ、またあなたの愛の深さをさとらせ、懺悔と感謝の深みに導き入れて下さいませ。アーメン

 (以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著352頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌127https://www.youtube.com/watch?v=nIlqKNVkeTw 

引き続いて、以下は、David Smithの『The Days of His Flesh』の筆致に見る十字架刑の傍証の続編である。百年前の日高善一氏の邦訳は漢語が効果的に用いられているが、今の私たちには読みにくいところがあるが、忍耐して読み通していただく価値はあると思う。〈邦訳963頁、原書500頁〉

13 正午の黒暗

 今や時は真昼となった。而してイエスが三時間十字架上に掛かられて既に三時間を経た。前夜の例になき寒さ〈ヨハネ18・18〉は天候の変化を予報したのであったが、ついに暴風が襲って来た。而して時は正午であったけれども、地上一帯全く暗黒となった。これ熱風の砂漠より吹き起こるとき、シリヤ地方においては度々見る現象であって、大概は静かに過ぎ去って行くけれども、時として地震がこれに伴って生ずるときもあった。一旅行者は千八百三十七年一月1日にべイルートにおいて地震の予報のあった光景を叙して、「安息日の静なる夕べなりき。青白き靉靆〈あいたい〉たる朦気は太陽を覆い、その送られ行く日の名残に悲しき調べを与え、圧伏する如き陰鬱の気は沈みて千羅万象を包めり」と言っている。この物凄い正午に地を覆うた暗黒は斯くの如きものであった。この暑気の酷烈な時刻には不思議であったけれども傍観者たちは一向にこれに気づかなかった。彼らはこれをもって全く自然の現象で、たちまち消失するものと考えたことであろう。もちろんこれは自然の現象であったけれども、その間に神の御手の加わったものであった。天地の受造物がその主を慟哭する如く、また太陽は不敬虔な事実を見るを厭うてその面を隠した如くに思われた。後年に及んで人々は天地に現れた恐るべき意味を認めて、多くの不思議な事実を追加した。例えば、イエスが死なれたときに、世界に遍く緑の葉が萎んだと言うのである。福音記者はただその起こったことを単純に簡潔に記したのは、彼らが慎重にまた厳格であった有力な証拠で、これを奇蹟と称せず、また判断を要する意義に解すべきものとも言ってはいないのである。

14 放棄〈the dereliction〉

 暗黒は三時間以上に亘った。しかるのち十字架上から不意に声が聞こえた。これ『わが神、わが神、どうしてわたしをわたしをお見捨てになったのですか』〈詩篇22・1〉との聖語であった。これぞ古の師父が『キリストの苦難はことごとくこのうちに含まる』と言った驚くべき詩篇の一句であった。この物凄き時季に贖い主の霊魂に起こった感覚と、この極端な苦悶の叫びが、その聖唇から迸った所以は盲目にして鈍感な人には悟り得べくもないのである。福音記者はその幔幕を取り除こうとは企てなかった。而して我らもまた好奇心をもってこれを調査するよりもむしろ恐懼して頭を垂れるにしからざるを示すものである。もしイエスにして『その身を犠牲として罪を除かれる』神の永遠の独り子ならしめば、ここに我らが窺い知るべからざる神秘に到着したと告白しても、卑劣な遁辞ではあるまい。むしろ我ら人間としての限界を有する至当の理由と認めるべきであろう。しかももしその偉大なる事実を看取して、これに関し偏狭な思想に囚われる恐れなしとせば、不敬虔に陥るのを慎みつつ、この秘義にやや解釈を試みても差し支えはあるまい。

15 二つの誤解

 先づ第一に棄てざるベからざる二つの意見がある。一つは我らの恩寵深き主が畢竟弱き人性を有せられたその失望の声に過ぎないと言う説である。主の霊魂は、その肉体と精神とのはなはだしい苦悶のために朦朧となった。而してその身に転じ来る所をことごとく観察すれば、神はイエスを棄て給い、全くその敵である悪魔の手に任せられたかのように思し召され、今日まで勝利と感ぜられたその信仰をことごとく投げ捨てられたと言うのである。斯くの如き説明は決して完全なりとは言うことはできない。その耐え難き酷烈な苦痛さえも剛毅に忍ばれつつ、今や苦しみすら終わりに近からんとするとき、イエスがこれに辟易せられたと信ずることを得ようか。事実これはイエスの霊魂が斯くも恐ろしく戦慄し、その聖唇から絶望の聖音の迸った所以に、共鳴を有し、またこれを充分に悟り得た人の語ではない。これすなわち神の来臨せられたるものであった。

 さらにこれと相並んで誤りとすべき反対な意見は、イエスはこの物凄き時期に、罪人の地位から神の怒りを忍ばれたと言うのであって、神はイエスが己のために与えられた事業を究極の犠牲の行為によりて完成せられ、ついに死に至るまでに服従せられたのに十字架上に掛けられたその愛する子に対して憤られる道理はなかったと称するのである。しかるにこれに反してイエスは神に対して自ら親しまれず、また神が喜ばれる愛子であることを表されないのであったと言う。

16 神の来臨として放棄〈the dereliction a visitation of God〉

 しかもなおイエスの絶望は神の来臨のためであって、イエスは罪を負うものとしてこれを苦しまれたのである。その伝道の当初にバプテスマのヨハネが『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』とその使命を宣言したのを喜んで受けられた。而してその伝道中世の罪の重荷は常にイエスの負われた所であったが、十字架上においては、父の聖手より受けられる苦き盃の最後の滴を飲み尽くす、その恐ろしき混ぜ物に極端の苦痛を感ぜられたのであろう。この時刻の近づいたときイエスの霊魂には黒雲が集って来たのであった。『死の綱はこれを縛し、墓の苦痛はこれを捕えて、イエスは苦痛と悲愁に陥りたまえり』。而して今や恐るべき時刻が到来したのであった。

17 父の支仕の控除〈a withholding of the Father's ministration 〉

 イエスが我らを贖わんがため、我らと悲惨の状を共にし、自ら親しくこれに当たられるはイエスに必要なりしとの使徒の教理はこの不明な秘義に一道の光明を与えるものである。『キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました』〈ガラテヤ3・13〉『主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです』〈ヘブル2・18〉とイエスにしてもし『暗黒の谷に』降りてなお神の来臨により歓喜され、その祝福の聖手に支えられ給えりとせば、人類の最も物凄き経験を免れて、その同情も畢竟は我らの最も必要なところに欠如されることとなるのである。故にすべての点において我らと同情同感となられ、我らの身上に転じ来る災害をことごとく知らんがために、イエスはこの究極の危機に神より捨てられ給うたのであった。これ神が我らの負わざるべからざる怒りをイエスの無罪の頭に濯ぎ、イエスに対して憤られたのではない。むしろ十字架上に自ら好んで犠牲としてかかられたその時、イエスが神を喜び迎えることができなかったのである。これ父の現存の意識を失われるには神の不満は必要でないのである。その在世の日にイエスは終始一貫父に依り頼まれた。イエスの知恵はイエス自らの知恵ではなく、父の賜物であって、父の聖意を知られた所以は、父が啓示されたからであった。その事業は父の協同によって成就されたのである。〈ヨハネ7・16、5・20、30、6・37〉『このイエスは、神がともにおられたので、巡り歩いて良いわざをなし、また悪魔に制せられているすべての者を癒されました』〈使徒10・38〉。もし父にしてその援助をしばらくも中止され、イエスを孤独に放任されば、イエスは他の人の子と等しく弱く黒闇に陥れられるべきであった。これによって、イエスが神より捨てられ給うたとき、如何なる状態にあられたかを朦朧と考察し得るのである。我らの最大の災害のうちにイエスが我らと合一し得られんがために、父はその愛子の霊魂に交情温かな来臨を中止されたのであった。十一人の使徒がイエスを捨てて逃げ去った時にも、イエスは孤独にあらず、父のともに在すによって慰めを受け給うた〈ヨハネ16・32〉。しかるに今はその援助を奪われ給うたのであった。『わが神、わが神、。どうしてわたしをお見捨てになったのですか』。

18 『我れ渇く』

 イエスは詩篇の作者が記したそのままにヘブル語をもって『エリ、エリ、ラマ、サバクタニ』と仰せられた。その聖語はユダヤ人には悟られたけれども、兵卒の耳には不思議に聞こえた。彼らはエリという音を聞いて、エリヤに仰せられたのだと考えた。彼らは古の預言者のことは少しも知らなかった。しかしエリヤとはユダヤ人の間には普通の名であったので、彼らはイエスがその知人を呼んでいると想像した。熱風の暑さに体温の高まったイエスは一層の苦痛を加えられ、彼らがその聖語の意味を論じ合う間に『わたしは渇く』と呻吟された。彼らの一人はこれを憐んでポスカの盃の所に駆け寄って、海綿をその中に浸し、葦の端に貫して、イエスの乾燥した唇に押し着けた。その同僚は『私たちはエリヤが助けに来るかどうか見ることとしよう』と叫んだけれども、兵卒はその慈悲の奉仕をやめなかった。イエスはまた喜んでこれを受けられた。

19 イエスの死

 終局は近づいた。イエスは雀躍してこれを祝された。イエスが人間の苦悶の光景に眼を閉じられ、その霊魂を囲む暗黒が溶け去ったとき、始めて神の聖顔に接せられたのであった。ここにも詩篇の語を用いられたが、しかし従来いずれの作者も未だかつて用いたことのない親しい名を適用しつつ『父よ』と叫び『我が霊を御手にゆだねます』と宣うた。福音記者は『イエスは大声をあげて』〈詩篇31・5〉と言っている。これ勝利の凱歌であった。その戦闘は完成された。イエスは『違法を完成せしめ、罪悪に終わりを告げしめ不義に対する和解をなし、永遠の義に導き』給うたのである。すなわち愛の犠牲を全うして、その心臓の血をもって神と人との新たな契約に印を押された。その在世の日の間『人の子は枕する所』〈マタイ8・20、ルカ9・58〉を有せられなかったが、ついに事業が終わってその休憩に入られた。『イエスは・・・「完了した」と言われた。そして、頭をたれて、霊をお渡しになった』。〈ヨハネ19・30〉

さて、長いDavid Smithの叙述のあとに、クレッツマンの『聖書の黙想』の前々回『十字架(2)』の続きを記す。

 今やここで、神自らが語りたもう。正午から午後の最中に至るまでのあの暗黒は、神からのものであった。あのように暗くなったことには、何も自然現象上の原因は見当たらない。例えば日蝕のようなものは、過越の祭りの時のような、満月の際には絶対に起こらないものなのだからだ。いや、この闇は自然現象を示したのではない。人類の歴史における最も暗黒の時を記しているのだ。この時、キリストにおいて、すべての人が死んだのである。最初の人間の罪と、その全子孫に及ぶ罪は、聖なる神の正義から、復讐され続けて来たが、ついに、彼らの身代わりであり、救い主である神の愛するひとり子の上に復讐が及んだのである。私たちの罪に対して、神はなんと恐るべき代価を支払われたことだろう!彼のひとり子は叫ばなければならなかった。わが神、わが神、。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」

 このように地獄の苦痛と恐怖を味わわれながらも、イエスは神の子としての愛をもち続け、心からの従順さをもって死に臨み、不従順の贖いをされたのである。すべての人間を永遠の絶望の淵に投げ込むことになったであろうあの不従順に対する贖いをされたのである。

 イエスがエリヤに助けを求めているのではないかと考えた周囲の者どもの愚かしい嘲りは、この場面から栄光と祝福の意味を奪うものではない。私たちに対する贖いの技は、イエスがその魂を父の手にゆだねられ、首を垂れて、魂を渡された時に、全く完了した。)

2022年12月17日土曜日

十字架(3)刑場の下にいた人々

また、祭司長たちも同じようにして、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」(マルコ15・31〜32)

 民衆に和して無抵抗の人に悪罵を浴びせる紳士らしからぬ態度ではないか。彼らは社会の最高級に位を占めている人たちではなかったか。ピラトの見抜いた通り『嫉妬』の人を賊するや実に驚くべきものがある。

 従容(しょうよう)として十字架についたイエス。麻酔のぶどう酒をすら避けて、苦痛をどん底までかみしめて味わうイエス。彼を憎んで不法の叫びをもってイエスを十字架につけた祭司長、学者、すでに十字架上にあって全然無抵抗である者をまでわめき罵る彼ら、彼らの姿は如何にみじめな姿ではないか。彼らは今こそ勝ったと思っている。が、その姿こそ敗北の姿ではないだろうか。

 私どもは怒って大声を発し、人に言い勝つことがある。相手を沈黙させて勝ったと思っていることがある。焉(いづく)んぞ知らん、黙して負けている人の方が、立派な勝利の姿を見せているではないか。己を救わず、このように罵られてもその反証を示すために十字架から下りないところに、真に人を救う力が存する。

祈祷
主イエス様、私であったら直ぐ十字架から飛び下りて彼らを沈黙させたでありましょう。あああなたの忍びと謙りの大なるを感謝し賛美いたします。どうか私にも、黙して忍び得る底力を与えて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著351頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌507https://www.youtube.com/watch?v=vE25Dpy_bl4&t=2s

引き続いて、以下、David Smithの『The Days of His Flesh』の筆致に見る十字架刑の傍証

12 ヨハネに対するイエスの遺言

 この時ヨハネは聖母マリヤ及びその姉妹サロメ、クロパの妻マリヤ、マグダラのマリヤの三人を伴ってこの場所に来た。而してその悲痛を意とせず、彼らは十字架に近く寄って来たのであった。寡婦となれるその母の孤独のみが、死に際しイエスの有せられた地上の唯一の心残りであった。彼女にはもちろん傅〈かしづ〉くべき他の男児があった。しかし彼らは皆今なお不信者であって、悲しみを深める慰藉者たるに過ぎないのであった。故に彼らの手に聖母を任せるのは忍びないところであった。肉親の関係より、ヨハネはイエスの従弟で、最も愛された弟子であった〈※〉。彼はこの神聖な依託を受けるに足る人物であって、イエスは貴重な遺産としてマリヤをヨハネに譲られた。マリヤを見て『女の方。そこに、あなたの息子がいます』と仰せられ、またヨハネに対しては『そこに、あなたの母がいます』と仰せられた。忠誠を尽くしてこの弟子はその信任に背かなかった。この時以来マリヤは敬慕と栄誉とを献げられて彼の家に住まったのであった。而して彼がクレネのシモンの如く、否さらに遥か神聖な方法で『キリストの代理者』として主と同等の地位に置かれる特権を与えられたことは、彼にとって永劫不易の驚異と感謝との源となったことであろう。マリヤはまたイエスの温情に感激したことであろうと思われる。

 『ああ如何に悲しく心乱るるばかり
    神の一人子の祝すべき母は
      感じたりけん。
  彼女は悲痛、苦感のうちに、
    その栄光輝く聖子の苦難を見て
      身震いしたりけん』

 ヨハネはこの物凄い場所から優しく彼女を伴い帰った。『その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。』

※このDavid Smithの主張、ヨハネとイエスがいとこであるという関係は果たしてそうなのだろうかと思われる向きも多いと思うが、この件に関しては以前以下のブログで話題にしたことがあるので関心のある方はお読みいただきたい。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2022/01/blog-post_17.html  なお、聖書辞典720頁には 母サロメ〈マタイ27・56、マルコ15・40〉。イエスの母マリヤの姉妹とも言われるが確実ではない。と記されている。

一方、バウムゲルトナーは『十二使徒との出会い』の中で十字架の下にいたヨハネについて次のように書いている。念のため、転写する〈同書38頁より〉。

 わたしたちは、多くの事がらでヨハネをおぼえています。ヨハネがどのようにして十字架の下に立っており、イエスの母マリヤが彼のかたわらに立っていたかをおぼえています。これらの二つのことは、多くの方法でイエスに接近したほかのすべての使徒たちにもまさって、イエスに近づいている私の時間の中で、イエスの最後の苦悩の中で、イエスにもっとも親しみ深いものでありました。ほかの弟子たちは恐怖のあまり、心もからだもほとんど麻痺していました。しかし、自分の母であったために、ほかの者にもまさってイエスが愛された女と、イエスをもっとも理解していた弟子であったために、イエスが愛された弟子とは、十字架のすぐ近くに立っていて、イエスの語られることばを聞いたのであります。彼らふたりには、群衆の喧騒も遠い雷のようにしか、耳にはいりませんでした。彼らの痛める心は、イエスの痛める心に向けられていました。そしてこれは、イエスの命を失わせる血が、彼らの立っている地上にしたたり落ちているとき、直接イエスから聞いたことばであります。「ヨハネよ、わたしが世を去った後、この母の世話をしてください。母よ、あなたの子のように、彼を見てください」。

 彼らは、今日、善良で勇気のあるふるまいのために、また団体や人々への特別の奉仕のために、よい例証と裁定とを、わたしたちに与えています。彼らは偉大な人々を、感謝の晩餐に招いて礼遇します。否、人類の歴史においては、これ以上の偉大な栄誉は、だれにも与えられません。このヨハネには、死に臨まれたイエスが、特別の委託と、無類の責任とをお与えになりました。この死に臨まれた贖い主は、彼の愛しておられた弟子に、特別の愛の重荷を負わせになたほうがよかった』とのです。ヨハネはそのための人間でした。イエスは、ヨハネが決して自分を失望させないことを知っておられました。そのときに、ペテロはどこにいったのか、あとの弟子たちはどこに行ったのか、実際にはわかりません。わたしたちは、ただ、ヨハネがそこにいて、主を慰め、祝福し、彼の救い主から特別の重荷をとりあげていたことを知っているだけです。

 主がわたしたちを必要とされ、捜し求められるとき、この世の贖い主がわたしたちのために働かれるとき、主の教会と神の国の主張がわたしたちに要求するとき、わたしたちはしばしばその場にいないことがあります。わたしたちは、都合よく何かほかの仕事に忙しかったり、あるいは実際にキリストの近くにいても、わたしたちに求められる主の御声をきくことさえもないのです。

 わたしたちは、自分たちがおそらく長い間、キリストに近づいていたよりも、もっと近くキリストのそばにいることのできる、一つの方法を知っています。あなたがたは、日曜日に礼拝に行きます。そのため、ありがたいことに、キリストは彼の名において集まる人々に、キリストの生ける御臨在を約束されておられます。キリストはあなたがたを、恵みの礼典である聖餐において、近づくように招いておられます。キリストは十字架の下で、あなたがたに出会うことを欲しておられます。キリストは聖餐のパンとぶどう酒とともにそのからだと血、御自身そのものを、あなたがたに与えようと欲しておられます。あなたがたが、聖餐の祝福をうけて以来、どれほど長いこと、それにあずかってきたことでしょう。

 さらにまた、別の方法があります。今週は、おそらく、あなたがたの聖書のかたわらにあるキリストの絵画とともに、ヨハネが鉄ペンで書いてわたしたちに与えた、霊感の書を読むことでしょう。ご存知のように、ほかの三つの福音書とはかなりちがって、イエスの生涯を書いた、特殊の書である主の福音書があります。彼が書いた三つの手紙を読みなさい。あなたがたが、実際に理解できる翻訳で、それらの手紙を読みなさい。彼がパトモス島の流刑地で書いた最後の書、聖書がそのページを閉じる、注目すべき預言の書であるヨハネの黙示録を読みなさい。あなたがたは、そのすべてを理解しないでしょう。でもあなたがたは、その中に壮大な、慰めと希望の章句を見いだして、死の終わりまで、それらのみことばにすがりついて離れないことでしょう。

 ヨハネはエペソで生涯を終わりました。伝説によれば、彼はもはや、十分に説教することもできなくなり、わらの寝台に乗せられて、講壇に運ばれるようになってからも、人々の飢えを満たし、渇きをとどめ、不安な心を静める一つの使信をもっていました。「子供たちよ、互いに愛し合いなさい」。繰り返し「子供たちよ、互いに愛し合いなさい」と、すすめるのをつねとしていました。

 彼は、イエスがそのことをよく知っておられたように、実際に、それにまさるものはないことを、よく知っていました。「子供たちよ、互いに愛し合いなさい」。

2022年12月16日金曜日

十字架(2)不幸な人に嘲弄濯がる

三つの十字架 レンブラント 1653年

「おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て自分を救ってみろ」(マルコ15・30)

 神殿を打ちこわすという言葉が祭司らに如何に逆用されたか。民衆には『神殿』と宗教とが一つに思われていたし、エルサレム人には神殿の存在が彼らの生活の資料となっていたのであるから、イエスを陥れる好材料となったのであろう。

 さればイエスが十字架につけられた時も、エルサレム人はこの語をもってイエスを罵ったのである。もちろんイエスはご自身の肉体を指して『神殿』と言ったのであるけれども、それは彼らの関心するところではなかった。いつの時代でも宗教の形骸と宗教そのものとを混同する者が多い。また宗教によって衣食する者に、宗教を解する者は少ない。

祈祷
手にて造れる宮に住まれず、人の心の宮に住まれる主よ、願わくは私たちを形骸的宗教より救って、霊とまことをもってあなたを拝させて下さい。アーメン 

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著350頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌60https://www.youtube.com/watch?v=JEaS87zG3dc 歌詞が今日の青木さんの勧めにぴったりだ。

引き続いて、以下、David Smithの『The Days of His Flesh』の筆致に見る十字架刑の傍証

10 嘲弄

 この時イエスは十字架上に苦悶しておられた。二人の盗賊もまたその左右に十字架にかかっていたけれども、中央の十字架のみが人の眼を引いたのであった。祭司長たちは、その下に集まって、権謀術数の成功に雀躍しつつ、無知な賎民を扇動し、首を振ってイエスを罵詈した。嘲弄また嘲弄は柔和な不幸の人にそそがれた〈2列王19・21、詩篇22・8、109・25、哀歌2・15〉。『おお、神殿を打ちこわして三日で建てる人よ。十字架から降りて来て、自分を救ってみろ』『他人は救ったが、自分は救えない』『イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれはそれを見たら信じるから』『彼は神により頼んでいる。もし神のお気に入りなら、いま救っていただくがいい。「わたしは神の子だ。」と言っているんだから』と罵るのであった〈マタイ27・26、ヨハネ19・29〉。兵卒は近く座して、救助がどこから出て来るかと十字架を注視していた。彼らは労働の時に奴隷や兵卒が飲料に用い、汗ばんで渇く場合に、これを飲むためにポスカすなわち酢の水の盃を持っていた。彼らがこれを飲んでいるとき、祭司や賎民が『王』と嘲るのを聞いて、十字架の下に来てその盃を差し上げ諧謔に『陛下』を祝しつつ飲んだ〈ルカ23・36〜37〉。

11 盗賊の悔恨

 その間イエスの耳に留められるべき一語も聞こえなかった。二人の盗賊は苦痛のために心乱れて司刑官の甘心を得て、その慈悲に預からんと考えたものか、同じくその嘲弄の語に合わせて同列の不幸の人を罵った。しかし不意にその一人は態度を変じた。彼は恐らくこの恐ろしい日の来るまでに、イエスに見〈まみ〉えたことはなかったのであろうけれども、この不思議な預言者の噂は山間の荒地に在る無頼の徒の耳にも達したに相違なく、また彼は『父よ。彼らをお赦しください』との祈祷を聞き、その柔和な顔に宿る威厳をも見たことであろう。彼の霊魂は畏敬の念に首垂れて罵ることをやめた。しかし頑迷な彼の相手はなお瀆神の語を続いて叫んでいた。『あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え』と。この語を聞いて悔恨した賊は反駁して『おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ』と窘〈たしな〉めた。

 而して後に『イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください』と祈った。これは無知と信仰とを接合した不思議な祈祷である。彼はイエスがユダヤ人の王メシヤなりと宣言されたということのみを知っていた。これその頭の上の板に記されているところであった。しかもなおその恩寵溢れる王者の威風ある不幸の人は渾身の信頼と尊敬とを奉るべき人物なるを認めたのであった。しかるにこの暗黒な手探るような信仰に、たちまち寛大な応答が与えられた。『まことに、あなたに告げます・・・・』とイエスはその憐れな暗い霊魂もなお悟り得るようなユダヤの語を用いつつ、慈悲滴る厚い待遇を与えて『あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます』と彼の思いも掛けない恩恵を彼に授けられた。伝説によればこの強盗はその名を一人はテトスと言い、一人はダマスカスと言い、ヘロデ王の手から聖なる一家がエジプトに逃れられる途上で、これに会ったと称せられる。而してダマスカスは掠奪しようとしたけれどもテトスがこれを遮ったと言うのである。彼は聖母の腕に抱かれた驚くべき嬰児〈おさなご〉を見て、それを自ら抱き取って、懐かしげに『ああ、幸いなる小児よ、我れ恩恵を願う日来たらば、我を記憶せよ、この日ありしを忘れるなかれと』言ったと伝えられる。

一方、クレッツマンは『聖書の黙想』で、刑場に立たせられた主について、次のように記す。

 さて、私たちはイエスの処刑の理由として、十字架に記された文字を看過してはならない。それはだれにでも読めて、よく考えることができるように、三つの国の言葉で記されていた。

 「ユダヤの王、ナザレ人イエス」

 これが果たして罪なのか?

 頑強な反対に逢いながらも、その罪状書きは、そこに立てられ、今日もなお、彼が当然持つべき名誉ある称号として立っている。〈ヨハネ19・19〜22参照〉

 もし、イエスが左右を犯罪者にかこまれて「罪人たちのひとりに数えられた」としても、それは問題ではない。彼が神の御心に従っていつの日か、神の国で彼の右に座することのできるように、私たちの身代わりとなって立ってくださった場所がそこなのだ。人々が主を罵り、嘲ったという事実は、いったい、どれだけの意味があったろうか。詩篇22篇の預言の言葉によると、民衆や祭司や、少なくとも、十字架上の強盗の一人でさえも、いにしえの預言者が描いた絵の画面を完成させる一つの背景に過ぎなかったのである。)

2022年12月15日木曜日

十字架(1)イエスの着物を分けた

それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかをくじ引きで決めたうえで、イエスの着物を分けた。(マルコ15・24)

 人間の世界の縮図ではないか。十字架の下に坐しながら、十字架を見ないで『だれが何をとるか』とわずかばかりの分配に『くじを引いた』りしている。ローマの兵卒としては無理ではないだろう。罪人を十字架につけてしまえば役目は済んだのであるから、役得として少しでも多い分配にあづかろうとしたまでであった。

 けれども頭上で三人の人が苦しんでいるのに、その下でその衣服の分配をしているのは如何にも無情である。人の心は斯くも容易に硬化するものであろうか。それは利益の分配のためであった。太陽は大きく輝いているが、銅貨一枚を眼に当てればその光はかくれてしまう。欲が目をくらまし、人情をくらませるのはこれら兵卒の場合のみではない。

祈祷
主イエス様、私たちに常にあなたの十字架を仰がせて下さい。この世の富貴で私たちの目を遮らせることがないようにしてください。私たちが十字架の下に座っていながら、衣を分かつ愚に陥ることのないようにして下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著349頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌261https://www.youtube.com/watch?v=RO3Wh8KTRc0  

引き続いて、クレッツマンの『聖書の黙想』より引用。

 かくして、主は昼のさなかに、そこで十字架につけられる。人々は彼のわずかばかりの着物までも奪い取って、分けられるものは分け、残りはくじ引きにするのであった。これは記すにもあたらない無意味な末梢事だろうか。しかし詩篇22・18には、ここまで預言されていたのである。

David Smithの『The Days of His Flesh』

8 『父よ彼らを赦し給え』

 四人の兵士はその残忍な十字架の処刑を行わんことを命ぜられた。普通十字架に刑するにあたってどまるの恐るべき運命を負うた大罪人は苦痛に乱心し、号叫し、懇願し、果てはど詛呪して傍観者に唾するのが常であった。しかるに悲痛の声も詛呪の語もイエスの口からは漏れなかった〈ヨハネ19・23参照〉。その苦難のうちにイエスの口から出た語は祈祷の句であったーー己を赦せと司刑官に懇願されるにあらずして、彼らが為すところを知らざるが故にその悪虐を赦されんことを神に哀祷せられるのであった。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』と叫ばれた。この粗野な兵士らはイエスとは何の面識もなかった。彼らの眼にはイエスはただ自ら斯くの如き運命に陥った謀反人のユダヤ人に過ぎなかった。彼らがイエスの衣服を剥いで、釘をもって十字架に打ち付けるのも、ただ命令に服して行ったまでであった。これもちろん残忍な所為であったけれdも、慣いとなっているので、平然としてこれを執行したのであった。これ実に未だかつて地上に犯されたことなきほどの重罪犯であるけれども、彼らは自分の為すところを知らないのであった。

9 イエスの衣を頒つ

 縦木に横木を引き上げて彼らはイエスの聖足は釘を用いず重ねて縄で結びつけた。なおイエスの頭の上に、ピラトが嘲って書いた札を、道路を通るものの、イエスが何人で、何故に刑せられ給うたかを読み得るように打ち付けた。仕事が全く整ってから彼らはイエスの衣服を取り出してこれを分配した。一人はその外衣を、一人はその帯、一人はサンダル〈革のゾウリ〉を一人はタアバン〈頭に巻く長い布〉を取った。けれどもまだ下衣すなわちチウニックが残っていた。彼らはその下布を四つに分けるのが自然であったが、これには彼らの眼を捕らえて、その手を留めた特徴があった。すなわち一枚に織り出した縫い目のないものであったからであたほうがよかった』と。斯くの如きはガリラヤの農夫の間に好んで用いられたもので、古よりの伝説によればマリヤがその愛子のために誠心心をこめて織ったものであったと言う。蓋し貧しい人の下衣であって、ユダヤ人ならばさらに目を留めないのであるが、兵士たちには珍しく思われた。彼らはこれを割くのを惜しんで、鬮をもってこれを分けようと相談した。これが意識せずして聖書の句『彼らは私の着物を互いに分け合い、私の一つの着物を、くじ引きにします』〈十字架〉と言うに相応じたのであった。)

2022年12月14日水曜日

カルバリの丘

そして、彼らはイエスをゴルゴタの場所(訳すと、「どくろ」の場所)へ連れて行った。そして彼らは、没薬を混ぜたぶどう酒をイエスに与えようとしたが、イエスはお飲みにならなかった。(マルコ15・23)

 エルサレムの貴婦人たちが一種の慈善として死刑囚のために特に調合する習慣となっている強い香気ある麻酔剤である。他の二人の強盗はこれを飲んで苦痛から逃れたのであろうが、イエスは断然これを避けた。

 明瞭な意識をもって最後の一滴まで苦痛を味わいつつ死ぬ御決心である。ハッキリと父なる御神を見上げつつこの重大な御使命を果たし給うたのである。二人の盗賊は死んで行くのであるが。主は死を滅ぼしつつあり給うのである。

祈祷
死に勝ち給いし主よ、願わくは、私にこの勇気をお与え下さい。没薬を飲むことを避けて、苦痛の真髄を味わう勇気をお与え下さい。与えられた苦痛をごまかすことなく、回避することなく、杯の底の滓まで飲み干す勇気を私にお与え下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著348頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌131https://www.youtube.com/watch?v=Goim6F0PTC0

今日は、先ず、クレッマン『聖書の黙想』から覗いて見よう。

 ついに運命の丘に達した。これ以上、名高い場所は二つとない。ゴルゴタ、つまり、「されこうべ」という所である。ここは都の門の外にあって、もちろん、処刑の場所として、よく知られていた。

 処刑される犯罪者には、はりつけの際のほとんど耐え難い苦痛を幾分か和らげるために、「没薬を混ぜたぶどう酒」と呼ばれる一種の麻酔薬を与えるならわしがあったが、イエスはそれを受けようとはされなかった。それは父が、飲むように授けたもうた杯ではなかった体。彼にとって苦難の杯を一滴も余さず、最後まで、ことごとく飲み干す以外に道はなかった。

一方、David Smithの『The Days of His Flesh』は以下のように語っている。引き続き引用する。〈同書邦訳〉

4 『エルサレムの娘』

 兵卒がシモンと交渉している間に、婦人らは、死刑の宣告を受けたもののため公然働くを禁じた律法を無視して、胸を撃ち、悲歌を歌ってイエスのために悲しんだ〈マタイ11・17、ルカ7・32〉。彼らの同情はイエスの聖意には美わしく思し召され、また慰めとなったことであろう。しかもこの究極の衰弱に陥られてもなおイエスはその当然の忠誠の心を失われなかった。その来るべき事件を予知して、彼らに『エルサレムの娘たち。わたしのことで泣いてはいけない。むしろ自分自身と、自分の子どもたちのために泣きなさい。なぜなら人々が「不妊の女、子を産んだことのない胎、飲ませたことのない乳房は幸いだ。」と言う日が来るのですから〈ルカ11・27〜28、21・23〉』と仰せられた。

5 カルバリ

 行列はその進行を再び始めた。すでに十字架の重荷は取り去られても、衰弱されたイエスは独り自ら立たれることは不可能で、刑場に達せられるまで、負われて行かれる必要があった。この地上において最も悲惨にして、しかも最も神聖な場所はどこであったろうか。コンスタンティヌス大帝の『聖なる墓』の発見に伴って、伝説ではエルサレムの西部の地域と定められている。しかしその発見ははなはだ薄弱で、場所は市街の北部にあったものに相違はない。その名をゴルゴタ、すなわちラテン語ではカルバリと言い、されこうべという意味であった。而してその名には種々の註釈がある。ごく古い物語によればここにアダムが死んで葬られたからだと言っている。すなわち『死のこれを支配する地にイエスは勝利の記念碑を建てられたり』と聖ジェロームはこの古の物語を否定して、ゴルゴタとは処刑の場所としてこの所で髑髏の生ずるがためにその名があると主張している。しかし当今最も勢力を有する説は地形からその名が生じたと言うのであって、ゴルゴタは髑髏の形の丘であった。福音書の記事によって市外にあったことは明らかで、また市より程遠くはなかったと思われる。而してその場所は遠方からよく見えるので有名であって、かつその麓に街道が通じていた。現在ダマスコ門外に、以上の条件によく適った丘があってエレミヤの窟と称されている。

6 十字架の刑

 彼らがその刑場に達して、野蛮な事業に取りかかったのは九時であった〈マルコ15・25〉。十字架は最も恐ろしい刑罰である。元来は東洋の刑具であってローマ人はその敵であるカルタゴ移住者から学んだもので、ローマ市民を笞刑や十字架刑に処するのは、これを侮辱するものとして、ただ奴隷と属国の民にのみこれを適用した。この公然羞恥この上なき暴虐な侮辱が、この刑の恐れられる重大の理由であったけれども、ユダヤ人の眼にはこの拷問が苦痛の究極と思われ、またローマ人は苦悶の絶頂を言い表す場合に、Crux〈十字架〉から語を作ったCruciatus〈憂悶〉と言う字を用いるに至り、この語より英語のexcruciating〈同意〉が生じたほどにはなはだしいものであった。実に十字架は物凄い刑具である。

 Crux Simplexと言うのは棒杭に罪人を縛り着けて置く一本の柱で、Crux Conpacta と言うのには三つの形があった。すなわちXと英語のエックスなる文字の形を為せるをCrux Decussataと言い、聖アンデレがパトれにおいて斯くの如き十字架に釘いて殺されたと言うので『聖アンデレの十字架』と称せられる。Tと英語のテイの字の形をなせるはCrux Comissaと言い、聖アントニーの十字架と称せられる。第三は十すなわち日本字の十の形でCrux Imusissaと称せられ、横木の上に縦の頭が出ているのである。この第三の十字架が最も普通に行われたものと見える。

 而して刑囚はCruciarus(十字架に釘くものと)称せられ、まず第一にその衣服を剥がされて裸とされ、その衣服は役得として執行人の所得とせられた。次いで両手を広げ、横木に寄せて、その手は堅く両方の端に掌かあるいは手首の所で釘で打ち付けられた。しかし時にはその苦痛の時を伸ばすために縄で結んだこともあった。しかる後、その横木は戦慄する罪人を付けたまま縦木に引き揚げるのであって、体の重量で手の裂けるのを避けんがため、鞍のように足を載せて支えることとなっていた。時として手の如く足もまたただ縄で結びつけ、あるいは左右別に二本の釘で、あるいは左右重ねて踝の所を一本の釘で打ち止めることもあった。斯くして犠牲者は死生の間に彷徨しつつ苦悶するのであって、ことさらにその死期を早めなければ二日の間も生きているものもあった。

7 麻酔薬

 イエスは十字架の刑具に掛けられ給うたものと思われる。ユダヤには聖書の句に従って罪人が処刑を受けるにあたり、その感覚を鈍らすために薬品を調合したぶどう酒の贈り物を飲ます慈悲深き習慣があった。すなわち『強い酒は滅びようとしている者に与え、ぶどう酒は心の痛んでいる者に与えよ』〈箴言31・6〉と。かつエルサレムにはこの慈悲の贈り物を供えるためにその資金を寄付する上流社会の婦人の団体があった。聖手に釘を打つ前にその薬酒をイエスに勧めた。渇きに喉の焦げつくよう思し召されたイエスは、これを唇に付けられたけれども、それを味われるや、酒の種類を悟ってこれを排〈の〉け給うた。その単に苦痛を受けられる所に功績のあるかのようにこれを免れるのを拒まれたのでなく、また彼の『曇りなく神にその霊魂を託せんがため』眼を開いて死に会せんと欲せられたのみでもなかった。イエスはまだこの世になすべきことを有せられたからではあるまいか。その消え行く息で、罪人に赦しを与え、父の栄光を顕さんと欲せられたのであった。)

2022年12月13日火曜日

ヴィア・ドロロサ(十字架の道)

嘲弄したあげく、・・・イエスを十字架につけるために連れ出した。そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出てきて通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。そして、彼らはイエスをゴルコタの場所へ連れて行った。(マルコ15・21、22)

 『アレキサンデルとルポス』の二人はローマの教会で人に知られた人であったらしい。マルコはこの書をローマ人のために書いているのであるからこの二人を明記したのである。古い伝説によるとルポスはローマの殉教者の一人であると言う。

 パウロはローマ書16章13節においてルポスの母は我が母なり、とまで言っている。孤独のパウロに慈母となったのはこのシモンの未亡人であった。シモンも十字架をイエスのために負うたのが機縁となって信仰に入ったとの説もある。使徒行伝第13章第1節を見ると『ニゲルと呼ばれるシメオン』と言う人がアンテオケの教会の重要な人でバルナバと並べられている。

 ニゲルとは黒という意味で、シメオンはシモンと同じである。クレネはアフリカであるから、シモンの色は黒かったと想われる。さればこれは同一人であるとも考えられるが確実だとは言えない。彼は十字架全体を負うたのではない。二本の横木を負うて行くのが慣例である。イエスは過労のためそれすら出来なかった。

祈祷
十字架の重荷の下にその肉体を押し倒されるまでに罪のために苦しんで下さったことはありがとう存じます。もったいなく存じます。どうかこのご恩に対して心からの感謝を持ち、かつ喜んでこれに倣う者とならせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著347頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌255https://www.youtube.com/watch?v=qmSWnd6D0BE

David Smithの『The Days of His Flesh』第49章 十字架 は次の項目を立てている。1準備 2行列 3クレネのシモンの公役 4『エルサレムの娘』 5カルバリ 6十字架の刑 7麻酔薬 8『父よ、彼らを赦し給え』 9イエスの衣を頒つ 10 嘲弄 11盗賊の悔恨 12ヨハネに対するイエスの遺言 13正午の暗黒 14放棄 15二つの誤解 16神の来臨として放棄 17父の支仕の控除〈a withholding of the Father's ministration〉 18『我れ渇く』 19イエスの死 20幔幕裂く 21百人隊長の証言 22脛を折る 23血と水 24ヨセフ、ピラトに請う 25イエスの埋葬

以上のうち、2行列、3クレネのシモンの公役の部分を転写する。〈邦訳949頁、原書492頁〉

2 行列

 イエスは独り刑場に赴かれたのではなかった。バラバの如き二人の強盗に宣告を下し、ピラトは一日に一事件のほか執行すべからざるユダヤの律法を無視して、その処刑を行わんがために彼らをもともに曳かしめたのである。プレトリアムを出た行列は市内の最も雑踏する通りを進んで、一般人民に刑罰の恐るべきを実物をもって示し、充分に印象せしめるのであった。罪人は百人隊長の率いる分隊の兵士が護衛していた。而して十字架の重さによろめき行く後ろから鞭と罵声とに追い立てられて行くのであった。彼らの犠牲が滅亡するのを親しく目撃せんと、祭司長たちは熱心の余り、その威儀すら忘れて行列の後ろから尾いて来た。悪徒の群衆はまたその後より、押し合いつつ好奇心に駆られて何の考えもなき賎民と共に従って来た。しかもイエスはこの悲痛の肯定を辿られる間も孤独ではなかった。その弟子中にも特別に愛されるヨハネは、行列が門を発したときそこにいて、その愛し奉る主がその肩に十字架を負われるのを目撃した。しかし行列には尾いてこなかったように思われる。彼はマリヤの許に駆けつけて、裁判の結果を報告し、その嘆き悲しむのを慰めたのであろう。やがてマリヤ並びに他のガリラヤの婦人の一団とともに十字架の下に来た。その死刑場の中途では弟子は一人も尾いていなかったが、ただ群衆の中に婦人が混じって、主の不遇を目撃しつつ慟哭せざるを得なかった。〈ルカ23・27〉その他には何の好意の象徴も、その死に赴かれる途上では受けられなかった。

3 クレネのシモンの公役(The impressment of Simon of Cyrene)

 食を絶たれ、刺激され、残忍な待遇を受けて衰え果てられたイエスは城門のあたりまではよろめきながら歩まれたが、ここに全く力が尽きられた。伝説ではイエスは倒れ給うたと言っている。ゆえにその十字架を取って、頑丈な人の肩を借りるより他に道はなかった。行列が城門から出た所で兵卒は公役を命ずべき人もがなと見回しつつ、市内に行こうとする一人の人物を捕らえた。彼はユダヤ人が大植民地を設けた北部アフリカの市街クレネから来たシモンと称するギリシヤ語を用いるユダヤ人であった。而して祝いのためにエルサレムに上った者であった。彼は市外の近郊に宿所を定めて、今朝の礼拝に出席せんがため神殿に向かう途中であった。思いもかけず、また意に全く反して、彼はさらに神聖な職分に召し出された。兵士は皇帝の名をもって彼を捕らえて、その肩にこの物凄き重荷を負わせ、市に背いて後ろに返り、彼らの恐ろしい残務に加わらさせた。シモンについてただその二人の子アレキサンデルルポスが〈マルコ15・21〉ローマにおける教会に関係を有する信徒であったという外には何も伝わらない。蓋しシモンもまた信仰を起こしたに相違はない。もし十字架を負うた人物が、その器具であり、象徴である救いを失ったと言うのならば、それは不思議な反語でなければならぬ。

クレッツマンの『聖書の黙想』を見てみよう。彼はマルコ15・20〜37を 37 キリストの十字架と死 と題し、次のように語り始める。〈同書245頁より〉

 裁きの間で演じられた芝居は終幕へ向かう。この後に続いて来たものはきびしい現実だった。人々はイエスから紫の衣をはぎ取り、イエス自身の着物を着せて、十字架につけるために引き出したのだ。聖書記者の胸はこれを書いた時、血を流したに違いない。だが、彼はこの不気味な絵を描くにあたって、単なる人間的同情を呼ぶような、言葉の上でのかざりは用いていない。彼は私たちの前に事実を提示し、事実そのものに自らを語らせているのである。

 私たちはヴィア・ドロロサ〈十字架の道〉に関して、物語や伝説を付け加えるには及ばない。主が世の罪に悩みながら、御自身の十字架を負って歩まれたということを知るだけで、十分である。精神的苦悩は言うに及ばず、眠らずに過ごしたあの夜の肉体的苦痛だけでも、人間の忍耐力の限界を越えていたということを知るだけで十分である。

 ここへ、クレネ人のシモンが来合わせる。そしてその人々は、この男にイエスの十字架を負わせる。彼らは無理に背負わせたのである。シモンが頑強に反対したことは十分に想像できるが、結局彼は十字架を負わなければならなかった。こうして、それは彼にとって聖なる十字架となった。

 血の流れている背中を仰ぎ、自分の前を行く黙したおかたのよろめきがちの歩みを見た時、この男の胸の中を、一体、どんな考えが満たしたことであろうか。それは神のみが知ろしめすところである。これが普通の犯罪者でないことを、彼、シモンは気づかなかっただろうか。彼はもちろん、その場にとどまって、カルバリの丘で起こる出来事を見たり、聞いたりしたのではなかったろうか。この事件によって彼が心をかえ、彼とその家族は、救い主の救いを知ることによって祝福されたと信じうる根拠は十分ある。

 もし、私たちが主に従って十字架を負っていかなければならないとしても、それを恨んではならない。それは私たちにとって祝福にほかならないからだ。)

2022年12月12日月曜日

兵士たちによる嘲笑

兵士たちはイエスを、邸宅、すなわち総督官邸の中に連れて行き、全部隊を呼び集めた。そしてイエスに紫の衣を着せ、いばらの冠を編んでかぶらせ、・・・また、葦の棒でイエスの頭をたたいた(マルコ15・16〜19)

 過越祭りの間は騒動が起こり易いので『官邸』の一部である兵営にはローマ兵が平素よりも多く屯していた。『全隊』では一レギオンの十分の一すなわち六百人とも言い、あるいは二百人とも言われているが、とにかくたくさんの荒武者が面白がって、代わる代わるイエスを打ったのである。

 『イエスの頭をたたいた』の字は繰り返し繰り返して打つとの意味である。『いばらの冠』はローマ皇帝が冠る月桂冠を真似たので、紫色の衣とともにイエスが『ユダヤ人の王』だと自称したのを嘲弄したのである。イエスの人格の如きは彼らの目には三文の価値も無かった。

 十字架を忍ぶとは斯かる侮辱を受けることをも含んでいるのである。主は幾度も『異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します』(マルコ1 ・33、34)と預言し給うたが、今文字通り成就しつつあるのである。自国民に棄てられ、異邦人に嘲弄されるのは御一生涯のプログラムの重要な一つであった。これは世界万民の罪を負い給う記号となったのである。

祈祷
私のために『長老され、つばきされ、打たれ』給いし主よ。私はあなたが打たれたことによって生かされたことを感謝申し上げます。願わくは私にあなたの心を与えて、打たれ罵られつばきされて、なお彼らを愛し彼らのために祈る心をもたせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著346頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌124https://www.youtube.com/watch?v=Bu6g9FCM7rs 

David Smithは『The Days of His Flesh 』の中でその第48章 ポンテオ・ピラトの前にて と題して邦文にして26頁にわたる詳細な文章を認めているが、先ずその項目だけを記す。〈邦訳920頁、原書477頁〉

1知事の許に 2ポンテオ・ピラト 3軍旗をもって凌辱 4神殿の宝物を穢す 5憎悪の増加 皇帝の譴責 6ピラトの難局 7駐在所『プレトリアム』にて 8ピラト余儀なく事件を受理す 9イエスの調査 10ピラト無罪と宣告す ピラトの避棄事件ヘロデに移さる 11ヘロデ・アンテパスの前にて 12クラデヤよりの使者 13バラバを選ぶ 14イエスの判決 15鞭撻と罵詈 16四回目の忌避 ピラト憐みを訴う 17ピラトの煩悩 18イエスとの会見 19イエスを釈放せんとする決心 五回目の忌避理論と愛国心 20群衆の喧騒 21十字架刑の宣告

その中の15鞭撻と罵詈 が本日の引用聖書個所の叙述に沿っていると思うので転写する。

 ローマ人は囚人を十字架に掛ける前に必ず鞭で擲った。その鞭は実に物凄い道具であって、数條の革紐を結び、その紐へは何れも鉛の尖端の鋭い球と、骨の鋭い片とが取りつけられたものである。六人の司刑官が罪囚を捕らえ、これを裸にして柱に縛し、残忍な鞭撻を加えるのであって、一撃ごとに戦慄する肉が切れて、血管や、時としては内臓までも露出し、往々にして歯や眼が抜けて飛ぶのであった。斯くして囚人がその拷問のために息の絶えることも珍しくなかったのは不思議でない。兵士たちはイエスを曳き出してこれを鞭打ち、その気衰え出血甚だしきイエスの周囲に集まって、野鄙な嘲弄を浴びせた。その裂けた背にヘロデの紫の上着をかけ、荊を編んでそれをイエスの頭に被らしめ、王笏の代わりとして葦を右の手に持しめた。然る後嘲弄的に臣民の礼を装い、その前に跪いて『ユダヤ人の王、安かれ』と挨拶した。次に彼らはイエスの顔につばきし、手から葦を奪ってその頭を殴った。殴るごとに荊の針は額に食い込むのであった。

2022年12月11日日曜日

ピラトの前での審問(下)

1655年 レンブラント絵 エッチング・素描作品集より

ところでピラトは、その祭りには、人々の願う囚人をひとりだけ赦免するのを例としていた。……ピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」と言った。ピラトは祭司長たちが、ねたみからイエスを引き渡したことに、気づいていたからである。……ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか」と言った。すると彼らはまたも「十字架につけろ。と叫んだ。だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪い事をしたというのか。」と言った。……それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、……イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。(マルコ15:6〜15)

 さすがにピラトは老朽の政治家である。一見してイエスの無罪と祭司長らの嫉妬を見抜いた。恐ろしい罪状を並べての告訴に対する神々しい沈黙。王なるかとの問いに対する簡明大胆な答、などはピラトの訓練された眼に、直ちにイエスの無罪を反映した。

 だから彼は極力イエスを救わんと欲した。が、ついに敗れた。彼が一歩ずつ祭司らの要求に歩を譲ってついに全く譲歩してしまった道程は人が誘惑にまける道程の好適な見本である。最初に寸を譲る者は次に尺を譲り、終わりにすべてを譲る者である。

祈祷
ピラトは寸を譲って尺を失い、悪名を萬世に残して怯懦(きょうだ)の見本となるに至りました。神様どうか誘惑の第一歩において先ず勝利する者とならせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著345頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下は、クレッツマンの『聖書の黙想』36 死に渡された生命の主 からの昨日の引用の続きの文章である。

 彼(ピラト)はその時、一人のかくれもない、つまり悪名高い囚人を獄舎に入れてあることを思い出した。これはバラバとかいう男で、先だっての暴動では首謀者となって、殺人を犯したのである。この卑劣な犯罪者と、明らかに罪のない無害なイエスとの間にある対照以上にはなはだしい対象をピラトは他に考えつくことができなかった。何故、この二人の者を並べて立たせなかったのだろう。もしそうしていたら、民衆の中には、イエスの方を選ぶだけの正義感と節度がきっとあった筈である。ピラトはイエスを審問したが、何の責めも見出せなかったので、これを民衆自らの選択にゆだねることをほのめかした。しかし、祭司長たちは群衆心理の機微に通じていた。彼らは民衆をけしかけて、何が何でもバラバを選ばせるように仕向けたのである。そこで、ピラトは望み尽きて、力なく尋ねた。

「おまえたちがユダヤ人の王と呼んでいるあの人はどうしたらよいのか」。

 これに対する運命の答えは、苦々しい憎しみの情から生まれた、あの執拗な叫びだった。

「十字架につけよ!」

 迷わされた民衆は野性の獣のように、王の血に渇いていた。彼らは恵みの注がれている日に、イエスを迎え入れなかった。そして、結局はこれを拒否することしかできなかったのである。

 私たちは主を全く拒絶することで終わってしまってしまわないように、主が恵みと真理とをもって私たちを訪れる時は、つまずくことなく、これを迎え入れようではないか。

 ところで、ピラトは何としたものだろう。彼は、イエスは潔白であり、バラバは罪があると知っており、またその通り断言したのである。にもかかわらず、彼は罪人を赦して、罪のない者に罪を申し渡したのである。

 だが、ここには慰めとなる一つの意味深い教えが含まれている。バラバは人類を代表しているのだ。罪なき神のひとり子は私たちの身代わりとなって、罪を宣告された。それは、もし私たちが、神を畏れた者のために死に渡されたおかたを信ずるならば、ただその信仰の身によって、罪なき者とされ、あらゆる罪のとがめから解放される、というおはからいなのである。

 しかし、私たちは、主が十字架の運命に定められ、卑劣な兵卒や僕たちから、さげすまれ、嘲られ、その神聖さや汚れなさまでが笑いものにされ、王であると言われたあの正当な主張さえも、けがらわしい戯れの種にされたのを見る時、恥ずかしさと自責の念で、どんなに、胸がつまることだろう!

 私たちはひざまずいて、主をたたえ、私たちの主であり、神であるおかたを歓迎することを誇りとしよう。

  祈り
 無情なる嘲り人は汝をかこみ、
  いとわしき言葉もて、汝を迎え、
 刺痛き茨もて、汝に冠せり。
  主よ、汝はすべてのはずかしめを忍びたまい、
 汝のものとて、我を認め、
  栄光もて、我をよそおいたまいぬ。
 おお、親しきイエスよ、
  限りなき、限りなき感謝こそは
 汝に捧ぐるものなれ。
       アァメン
 )

2022年12月10日土曜日

ピラトの前での審問(上)

夜が明けるとすぐに……イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。……それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。(マルコ15:1〜5)

    何という立派な態度であろう。大祭司の前に立った時には自分の不利となるべき、神の子である証言を為した外、一切沈黙、総督ピラトの前においても同様に、カイザルに対する反逆と解釈されやすい一語『ユダヤ人の王ですか』との問いに対して『そのとおりです』と明らかに答えた外、何も言わない。

    偉大なる沈黙、偉大なる言明。人は斯くありたい。実に『王』らしき威厳があり、『神』らしき尊さがある。御自身の何者であるかを言明することが御使命の重要な点であったから、この点は黙殺したまうことができなかったのである。

    然り、イエスは御自身を神の子と言明し、王なりと言明したために、十字架は免れない羽目に陥ったのである。この点を忘れる人はイエスの十字架を無意義ならしめる人である。

祈祷
主よ、私はあなたが神の子であって、私たちの王であることを信じ申し上げます。あなたが命をかけて証したまいしこの信仰に立ってあなたのように鮮明なる生活を為させたまえ。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著344頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌127https://www.youtube.com/watch?v=nIlqKNVkeTw

以下は、クレッツマンの『聖書の黙想』36 死に渡された生命の主 から引用する〈同書237頁より〉。彼はマルコ15・1〜19を指して、そのような表題をつけているが、先ずは総論の部分からである。

 私たちの目の前にあるこの場面ほど、あらゆる世代、あらゆる時代を越えて、人の想像力をあおる物語はないだろう。

 磨かれた石の広間、エホバの民の最高の法廷は、多くの卑劣な犯罪者の罪を証しして来た。この同じ場所で、罪なき神の子が裁きを受け死刑を言い渡されなければならなかったとは・・・。当時の世界を制していたローマ帝国の総督の裁きの間こそは、ローマの支配者たちの、あの名高い正義感が、征服された民の血に飢えた指導者の不正に、打ち勝つものと期待された場所であった。しかし、この広間こそ、およそ、人の子の中で唯一人の聖なるおかたの血で染められることになったのである。御使いたちが歌を止めて、息を飲んで沈黙し、地獄の炎を解き放つことになった、あの判決はここで告げられたのだ。

 「十字架につけよ」

以下、各論に移る。

 聖金曜日として知られているあの日の朝早く、ユダヤの議会が召集され、特別に開かれたのは、あらゆる事柄に合法性と正義の権威を与えるためのものであり、しかも、単にうわべだけを装うためのものであった。判決はすでに、あらかじめ定められていたのである。

 「彼は死刑に処すべきである」と。

 一刻の猶予も与えられず、この自由を奪われたとらわれ人は、その偉大な父祖ダビデが、民の首都として建設したこの古代都市の、狭くて曲がりくねった通りを追い立てられて行くことになる。今や「大いなるダビデの、更に大いなる御子」は死ななければならない。この都の中でこの判決を確認し、執行しうる者は、唯一人、ローマ総督のほかには誰もいなかった。

 さて、ここで、私たちの前には、イエスがピラトの前に立っておいでになる場面が展開する。いろいろの訴えが持ち出されるが、大部分はほとんど、考慮に値しないものである。しかし、一つだけ、いくらか重要な意味を持つらしく思われるものがあった。イエスがみずから、王であると称した、ということだ。これには何か、一応のいわれがあるかも知れなかった。もっとも、ピラトは自分の前に立っているつつましい囚われ人を見て、そんなことを考える余地がなかったのであるが・・・。

 静かに、しかも威厳をもって、イエスは告白される。

 「わたしは王である」。

 しかし、イエスが、私は真理を知り、愛する者の王であると説いた時、この世俗的で皮肉屋の異教徒は肩をすくめて、これをみんな斥けてしまった。

 その他の非難に対しては、主は、すべて、裁判官が言質をとらえようと、どんなに懸命に努めても、ただ一つの答え、すなわち、沈黙でお答えになるばかりだった。ピラトが怪しんだのも無理からぬことである。こんな囚人を前にしたことは、いまだかつてなかったからだ。彼はこの場の状況にあわてさせられ、時々刻々と焦りはじめ、明らかに罪のないおかたに罪を宣告するか、それともユダヤの有力な指導者たちの感情を損ねるか、どちらか一つを選ばなければならないジレンマから逃れる道を提案したあげく、ユダヤ人のもつ一つのならわしに思い至って、ほっと救われた。それは彼が祭りの時に、民衆の選んだ囚人を一人、赦してやることが認められているということだった。)

2022年12月9日金曜日

主を傷つけたのは何か

ぺテロが火にあたっているのを見かけ、彼をじっと見つめて、言った。「あなたも、あのナザレ人、あのイエスといっしょにいましたね。」しかし、ペテロはそれを打ち消して、「何を言っているのか、わからない。見当もつかない」と言って……(マルコ14:67〜68)  

    この時のペテロの行動を臆病の見本の如くに考える人があれば、その人は人情を知らずまた己を知らない浅薄な人である。他の弟子は皆逃げてしまったのに(ヨハネは祭司を知っていたから、ついて行っても危険は無かった)ペテロ一人大祭司の中庭までもついて行ったのは一通りの勇気ではない。大胆過ぎたのが禍したのである。暗い物かげに居れば良かったのに『役人たち』の中に入り込んで火に暖まったのが悪かった。 

    火はペテロの顔をハッキリと照らした。つい先刻『剣を抜いて大祭司のしもべに撃ちかかり、その耳を切り落とした』彼が見出されぬはずはない。思慮は足りなかったが勇気は到底私たちの及ぶところではない。いかにもペテロらしい可愛さがある。『主のおことばを思い出した。それに思い当たったとき、彼は泣き出した』の句に貰い泣きをしない人はあるまい。

祈祷

主イエス様、私にペテロの勇気はありませんが、『主のおことばを思い出した。それに思い当たる』心をお与えください』この反省が殉教者ペテロを造り出したる如く私にも過ぎし罪に『泣く』ことを教えて、十字架の道を進み行かせて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著343主を頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下はクレッツマンの『聖書の黙想』の続きである。

   ここで取り上げている言葉に思いをめぐらすにあたり、私たちは今一つ、別の悲しむべき場面を避けることができない。その役割を演じる人物は私たちの、あの「勇敢な」友、ペテロである。あんな恥ずかし気もなく主を見棄ててしまってから、しばらくたって、彼は闇の中にぼんやりとその姿を現わす。「遠くから」ついて来たのである。以前の情熱と勇気を幾分か取りもどした彼が、自分自身の胸の中を本当に知ることができず、まして、はっきり目覚めて祈ることなどできないままに、大祭司の中庭の中へ、まんまと入りこんでしまったのだ。今更、何をしようというのだろう。彼はあんなに向こう見ずに約束したように、主と獄舎や死を共にする覚悟で、勇敢に主を自分の主として告白するのだろうか。いや、それどころではなかったのだ。彼は主の敵の中にまじって、自分を彼らの仲間の一人に見せようとふるまったに過ぎない。ちょうど、今日、多くの人々がそうするように。

    彼らの仲間の一人に数えてもらいたいという熱望のあまり、ペテロは求められもせぬうちに、ナザレのイエスと自分は無関係だと誇らし気に語って、彼らを一歩出し抜いたのである。門番をしていた一人の女の罵りの言葉は、彼にまず最初に主を否定させるものとして十分だった。ニワトリの最初の鳴き声も彼の心に、主の警告を呼び起こして我に返してくれるものではなかった。僕たちから執拗に罵られ、いためつけられて、彼はうろたえたあまり、神を汚す悪口雑言を吐いて、二度ならず三度までも主を否定したのである。彼が豪語したあの勇気はどこへ行ってしまったのだろう。あの信仰さえもどこかへ行ってしまったのではないか。

    常に油断なく、目を覚まして祈ることがなかったら、私たちの持つ、わずかばかりの信仰の火はなんとたやすく消えてしまうことだろう。私たちの救い主の限りのない憐れみのみがーーその夜、キリストのきびしくはあるが慈愛に満ちたまなざしの中にペテロが認めたようにーーつまずいた弟子を、悲しみにみちた、しかし、救いをもたらす悔い改めへと導くことができるのである。)

2022年12月8日木曜日

大祭司の前での審問(結)

彼らは全員で、イエスには死刑に当たる罪があると決めた。そうして、ある人々は、イエスにつばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ、「言い当ててみろ。」などと言ったりし始めた。(マルコ14:64、65)

    私怨の爆発である。議会の決議としてイエスを処刑するという形式をとったけれども、彼らの真相はこれらの非紳士的行動によって暴露された。はるかにこれを見ていたペテロはどんな心地がしたであろう。私どもも彼らのこの行為に対して憤慨の念を禁じ得ない。

    しかしつくづくと自分の心を眺めて見ると同じようなものの潜在することを見出さないであろうか。自分と同輩または後輩であると思っていた人が余り立派であることを見出した時に、ナザレの大工が神の子であることを見せられた時のように、これに『つばきをかけ、御顔をおおい、こぶしでなぐりつけ』るような気持ちにならないとの保証ができる人がたくさんはあるまい。

祈祷

神様、私に隣人を尊ぶ心をお与えください。隣人の善を見て喜ぶ心より、これを尊ぶ心をお与えください。隣人の善が私が足りないことを証する機会となる時も、喜んで彼を尊ぶ者とならせてください、アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著342頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。以下はクレッツマンの『聖書の黙想』の続きである。

    それは人間性を最悪の面において示しているからである。主人同様に腹黒く、口に毒をもつ、残忍な僕たちは、獄舎につながれた者の弱身に乗じて、このおかたの上には、どんな罪もなかったにもかかわらず、嘲ったり、打ったり、意地悪くも、手荒なことをするのだった。 これは人間の本性が沈みうる限りの堕落の海の深さを、何と見事に描いたものではないだろうか!

   一方、汚れないおかた、つまり、神の聖なるひとり子であるおかたに目を転ずれば、彼は打つ者には喜んでそのほほを向け、悪口を返したりはなさらなかったのである。これこそ、私たちの罪の全き贖いを示すものではないだろうか!)

2022年12月7日水曜日

大祭司の前での審問(転)

イエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。」(マルコ14:62)

    ダニエル書七章のメシヤに関する預言をそのまま御自身にあてたのであるから、その解釈は祭司らにはもっとも明瞭である。イエスは度々これと同じような言葉をもって弟子らに御再臨の予告をなさったが、ここでこれを言明されたのは特に面白い。大祭司は今審判者の位置に立って、イエスに死刑を宣している。が御再臨の時にはその位置が転倒して、イエスが審判の位置に立って彼らを審判し給うとの意味が言外に仄めかされてあることを彼らは気づかなかったらしい。罪の途に焦るときは大真理にぶつかっても耳に入らず目に見えない。

祈祷

神よ、私たちを罪の焦燥より、救い給え。たとい自ら真理たる能わずとも、これに直面したる時、これを見ることを得る余裕を与え給え。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著341頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。 以下はクレッツマンの『聖書の黙想』の昨日の続きである。

    最後に、いくらか重要な意味が持てそうな訴えを用意しているように見える二人の男が現われた。彼らはイエスの言葉を引き合いに出した。それはイエスの伝道生活の初めの頃のことで、その時、イエスは自身の体を意味する「この宮」をこわして、三日の中に建てて見せると公言してユダヤ人に挑んだというのである。しかし、この男たちはみじめにも、イエスがエルサレムの聖なる宮を破壊するように嚇したとか、命じたとかいう非難に、言葉をしめし合わせることに失敗した。

    イエスは大祭司から返答を要求された時でさえも、気高く、汚れない沈黙をじっと守られて、このつじつまの合わないたどたどしい偽証に応じらたので、議会の議長は全く絶望して、憤りのあまり、イエスに厳かな誓いをたてさせ、次の質問に答えるように命じた。

「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか」

    これはまた問題が別であった。この場合、沈黙を守ることは問いを否定するに等しかった。すばやく、しかも、はっきりとイエスは断言された。

「わたしはそれである」。

    私たちの救いが、すべてかけられている真理を、このように厳かに証してくださったことに対して、神に感謝しなければならない。ところで、主は更に意味深い言葉を加えて次のように語られた。ーー神の議会の議事が遂行されなければならない以上、今は、あなたがたの裁きに従っているが、やがて、私自身の裁きの前にあなたがたが立つことになる時が来るだろう。その時、私は「力ある方の右の座に着き天の雲に乗って来る」と。

    これはごまかしてかたづけてしまう訳にはゆかないことだった。主の敵たちは口にあらわせない恐怖に包まれて、生きている者と死んだ者の裁きについて語られたこれらの言葉が成就されるのを見るだろう。この言葉を神の冒瀆と呼び、主を死罪に値すると断じて、不当にも憤った大祭司や他の議員たちのものものしい様子は空しいものだったのである。私たちは、これに続く次のような場面を、むしろ知りたくない気持ちだ。)

2022年12月6日火曜日

大祭司の前での審問(承)

 しかし、この点でも証言は一致しなかった。…大祭司は、さらにイエスに尋ねて言った。「あなたは、ほむべき方の子、キリストですか。」そこでイエスは言われた。「わたしは、それです。人の子が、力ある方の右の座に着き天の雲に乗って来るのを、あなたがたは見るはずです。すると大祭司は、自分の衣を引き裂いて言った。「これでもまだ、証人が必要でしょうか。あなたがたは、神をけがすこのことばを聞いたのです。どう考えますか。」(マルコ14:59、61〜64) 

    モーセの法律で、二人以上の証人の言葉が合致せねば有効にならぬこととなっている。それが出来なかったので、大祭司は狼狽したのである。夜が明けて罪状がきまらないと民衆がどんなことを仕出かすかわからぬ。そこで大祭司自身が斯かる問いを発した。 

   今まで全く沈黙していたイエスは口を開いて大胆にご自身の神の子キリストなることを明言された。今少し沈黙しておられたならば彼らは遂に何らの罪科を見出すことができなかったのに、惜しいことをしたとも思われる。 

    しかし場合によっては沈黙が虚言となる。イエスは死を賭しても最も明白にご自身の神の子たることを立証されたのである。イエスの神の子たることを否定する近代人は大祭司に同意して死罪の判決を下す人であらねばならぬ。

祈祷

天の雲の中にありて来たらんとまで公言されたことにより死に定められた主イエスさま。私たちはあなたの大胆に驚きます。願わくは、私たちに沈黙すべき時にはあなたのように沈黙し、真理を証しするためには死をも辞さざる大胆さをお与え下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著340頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。引き続いてクレッツマンの述べる各論を以下に記す。   

    園でイエスが捕らえられたという知らせは、あまりうますぎる話だったので、ユダヤ人の指導者たちにはほとんど信じられない程のものであったに違いない。しかし、もし、これが明らかな勝利だとしても、彼らはこの勝利に満足する訳にゆかなかったのだ。この間、使者は暗い夜道を急いで、大祭司の中庭で非公式の会合を開くために、サンヘドリンの議員を呼び集めた。世界のどこであろうと、いやしくも、神によって選ばれた民の、この最高の法廷に立つ限り、公正な裁判や審問を期待すべきことは当然である。しかし、現実はこれと、あまりにもかけ離れたものであった。起訴の理由が貧弱である。いや、理由など全然ないのだということに気づいた時、これら上層階級の人々は卑劣にも、ある程度正義を装って、死刑を宣告する必要から罪らしく見えるものをイエスの上に課するために、最初から偽証を探したのである。しかし、すべては無駄で、役に立つものは何も見つからなかった。

2022年12月5日月曜日

大祭司の前での審問(起)

彼らがイエスを大祭司のところに連れて行くと、祭司長、長老、律法学者たちがみな、集まって来た。・・・さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、イエスを訴える証拠をつかもうと努めたが、何も見つからなかった。(マルコ14・53、55)

 『大祭司』とは多分蛇の如く狡猾なアンナスであろう。『連れて行く』の文字は罪人を獄に投ずべく『引っ立てて行く』という有様を如実に示している。随分手荒く取り扱ったのであろう。これは木曜日の深夜であったにかかわらず、『祭司長、長老、律法学者たち』すなわち『議会』の議員らは皆集まって来たのである。

 深夜に議会を開くのは合法でない。彼らが如何に速やかにイエスを処分せんと欲したかがわかる。民衆を憚ったのであろう。私怨が人を駆って公法を濫用せしめたのである。これは恐ろしい曲事であるが、私たちにも、私怨に正義の仮面を被らせたい心が無いだろうか。嫌いな人は悪人に見えるのは彼らと共通なものを持っている証拠ではあるまいか。

祈祷
主イエス様、私たちはあなたを罪人扱いにせる祭司大祭司らを憎しみかつ卑しみます。しかし自ら顧みて、彼らの持っているものが私の衷ににあることを否定できないことを悲しみます。主よ、願わくは私怨を忘れて、仇である人の善を見出す心を私たちにお与え下さい。アーメン 

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著339頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。

クレッツマンは、マルコ14:53〜72をまとめて、35 主を傷つけたのは何か と題して以下のことを記している。まずは総論の部分である。『聖書の黙想』229頁より引用

    キリストの偉大な受難についての瞑想に入るに際して、わたしたちは次のことを心に銘記しておこうではないか。

    神の民、神によって選ばれた民の手で、神の汚れない仔羊の上にもたらされた苦難は、偉大なものであった。筆舌に尽くせない程に、偉大なものであった、しかし、キリストの愛する友の不信と、神の子らであるべき者ーーこの者のためにこそ、彼、神の罪なき独り子は、恥と悲しみと死を忍ばなければならなかったのであるがーーの罪の故に、キリストが心に受けたかなしみと痛手は更に更に深いものであったのである。)

2022年12月4日日曜日

イエスの逮捕(下)

そのとき、イエスのそばに立っていたひとりが、剣を抜いて大祭司のしもべに撃ちかかり、その耳を切り落とした。・・・数党与と、みながイエスを見捨てて、逃げてしまった。(マルコ14・47〜50)

 ヨハネ伝によるとこれはペテロであった。ルカ伝に見ると他の弟子らが『主よ。剣で撃ちましょうか』とたづねている間にペテロがやったのである。何のために持っていたのか知らぬが、弟子らの間に二本の剣があった。(ルカ22章38節)十一弟子らは二本の剣と棒ぎれとでイエスを守って戦うつもりであったらしい。

 私は思う、もしイエスがこれを赦したならば彼らは勇敢に戦って数刻前に『たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません』(マルコ14章31節)と言った決心を実行したであろう。

 けれどもイエスが従容として捕われて行くのを見たときに、一人も残らず逃げてしまった。亜麻布を着ていたある若者は衣をつかまれて、裸で逃げたとさえ付記してある。(51せつ)一説にこれはマルコ自身であるとも言う。(亜麻布を着るのは相当の資産家である、)本当の勇気を興奮状態にある元気とはここで分かれる。

祈祷
主イエス様、願わくは私を浮き草のような興奮と消沈との交錯より救い、いかなる危険にも分別を失わず、また臆することのないあなたの勇気とあんたの思慮とを私にも分かち与えてくださいますように。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著338頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌320https://www.youtube.com/watch?v=OyFexSU11S8

以下は、A.B.ブルースの『十二使徒の訓練』下巻所収の第23章 イスカリオテ・ユダの昨日に続く後半部である。
 
 これは答えるのに困難な質問である。イスカリオテが犯した罪は、彼の「悪名」をとどろかせることになったが、この主題を巡ってあらゆる論議が戦わされたにもかかわらず、なおそれは神秘のベールに包まれていて説明がつかずにいる。この極悪な行為の動機を探り当てようと多くの試みがなされてきた。ある者は行為者を弁護しようとし、また、ある者はその罪を激しく攻撃した。どれも皆多かれ少なかれ推測を交えたもので、完全には満足を与えてくれない。福音書の各物語を見ても、ユダの悪事を記録するだけで、説明は加えていない。共観福音書の記者たちは、その裏切り者が祭司たちと取引をし、主を売り渡す報酬としてある金額を受け取ったことを伝えている。ヨハネは、ベタニヤにおける香油注ぎの物語で、あら捜しの好きな弟子〔ユダ〕が盗人で、自分が預かっていた会計の中から着服していた事実を述べている。
 
 もちろん、これらの事実はイスカリオテが貪欲な者であったことを示している。強欲で貪欲な心を持った者でなければ、そのような仕事で金銭を受け取るようなことはできなかったのだが、復讐心の強い人は、その虚栄心が傷つけられたり、ある点で自分が不当に扱われたと思い込むと、報復を求めて裏切り者になるであろう。しかし、彼はそのために支払われる報酬を潔しとしないものである。財布からこそどろを働くのは、間違いなくさもしい心の証拠でもあった。おそらく、イエスの仲間の会計係であったということは、彼の心が貪欲にあこがれていたことを示すものと見なされよう。想像するに、彼が会計の財布を持ち歩いたのは、ほかの弟子たちが金銭問題に全くむとんちゃくであった一方、彼がはっきりした財務向きの素質をもっていて、進んで余った資金の管理をしたからである。ほかの弟子たちは皆、この面倒な仕事を進んで引き受けてくれる兄弟を得たことで、非常に喜んでいたであろう。彼らは、「あすのための心配は無用です」との主の教えの精神を汲み取っていたので、会計係の対立候補になろうとは誰も考えなかったに違いない。

 そういうわけで、福音書記者たちは、非常にはっきりとユダを貪欲な者として描いている。しかし、彼らは、貪欲が彼の犯罪の唯一の動機であるとも、必要な動機であるとも述べていない。実際、そんなことはほとんどあり得なかった。というのは、第一に、せいぜい銀貨三十枚で自分の師を売り渡すよりも、その中味を楽にくすねられる会計係でいた方が、よい考えではなかっただろうか。

 次に、その望みが蓄財であったような者が、いったい何が原因でイエスの弟子となったのであろうか。枕する所もない方に従うことは、確かに、有望な金もうけの方法ではなかった。そして最後に、彼の唯一の目的がわずかの銀貨を得ることであったと仮定すれば、裏切り者の激しい後悔をーーそれが最も聖ならざる性質のものであるとしてもーーどのように説明できるだろうか。かの有名なモールバロ公爵に起こったと言われることだが、貪欲は、輝かしい才能の持ち主を、全く、金銭ずくで働く破廉恥な人にすることがある。しかし、実際、貪欲な習慣にふけっている人が、その感化を受けて犯した罪を真剣に心に留めることはまれである。良心を麻痺させ、どんなに神聖なものであろうと、あらゆるものを金銭で自由にできると考えるのが、貪欲の本性である。ユダの胸のうちの大きく激しい変動は、どこからきたのだろうか。確かに、ユダが主を売り渡した時、彼の心に働いていた感情は、冷たく無情な金もうけ主義以外のものであった。

 この問題に手こずって、ある人々は、ユダはイエスを裏切るとき、主として、内的なあつれきや被害妄想から生じる嫉妬や怨恨に動かされて行動したのだ、という説を立ててきた。この説は、ありそうもないことではない。つまずきはどこからでも容易に生じる。
 
 ユダがガリラヤ出身ではなく、ほかの地方の出身であったという事実も、誤解を生じる元になったかもしれない。人間の共感と反感は、ほんのささいなことに左右される。親戚、同姓、あるいは同郷であることは、私たちを民族全体と結びつける大きな絆よりもはるかに強力である。宗教においても、同じことが見られる。同じ主、同じ望み、同じ霊的生活の絆は、教派や教派の慣習や意見のそれと比較すると弱い。誰が御国で一番偉いかという弟子たちの間の議論から生じたつまずきを、誰が知っていよう。誰が一番偉いとしても、少なくともガリラヤ出身ではない自分にはチャンスがないということを、カリオテの人〔ユダ〕が感じ取っていたならばどうだろう。

 会計係としてのユダのけちな、金銭に細かい習性は、使徒団において反感を招く第三の原因となったであろう。彼の不正が監視を免れていたとしても、資金の割り当てられる対象よりも会計の利害に身を入れ、仲間や貧しい人々のための支出にしぶしぶ応じていた彼の性向は、間違いなく認められたであろう。

 以上の省察は、ユダと仲間の弟子たちとの間にどのような悪感情が生じていたかを示している。だが、私たちが説明を求められているのは、この偽りの弟子が師に対して抱いた憎悪のことである。イエスは、ご自身を裏切った者〔ユダ〕に何かつまずかせるようなことをなさったのだろうか。そのとおり! イエスは彼を見通しておられた。それは彼をつまずかせるに充分であった。もちろん、ユダは自分が見通されていることを知っていた。人々は、どんな感情で互いに見られているかを知るようにならなければ、親密な交わりを長く続けることはできない。もし、私が一人の兄弟に不信感を抱いているなら、幾ら私がそれを隠そうとしても、彼は気づくだろう。実際、イエスはユダにわかるようにご自分の不信感を攻撃的に見せることも、故意に隠すこともなさらず、両者の間が円滑にいくように努められただろう。

 ほかの弟子たちの欠点を誠意をもって矯正してこられたイエスは、この弟子に対してもその義務を果たし、彼にその悪い心や習慣を気づかせ、彼を悔い改めに導こうとされたであろう。そういう態度の効果がどうであったかは、想像に難くない。ペテロの場合、矯正は非常に健全な影響を及ぼし、彼を直ちに正しい考えに引き戻した。ユダの橋には、結果は非常に難しかった。イエスが自分のことを良く思っておられないという意識だけでも、それに公然と非難されているという恥辱感があればなおさら、隠にこもった敵意を生み、心の離間をいよいよ深めることになったであろう。っして、ついに愛は憎しみに変わり、この悔い改めない弟子は復讐心を抱き始めるに至った。

 その裏切り行為が進められていく様子を見ると、ユダは悪意のある、復讐心に燃えた感情に動かされていたという考えが支持される。彼は、ユダヤ教当局者たちが獲物〔イエス〕を手に入れることのできるようにする情報を提供するだけで満足せず、自分の師を逮捕するために派遣された一隊を案内し、愛情をこめた挨拶〔口づけ〕をすることによって、彼らにイエスを指し示すことまでした。復讐心を持っている者にとって、そのような口づけは甘美なものであったろう。だがほかの気持ちでいる者にとっては、たとい裏切り者であったとしても、それは何と忌まわしいものであったろう! その挨拶は全く必要のないものであった。計略の成功に必要ではなかった。派遣された一隊はたいまつを持っていたので、ユダは彼らの背後に身を隠しながら、彼らにイエスを指し示すことができたのである。しかし、そんなやり方は、もはや不倶戴天の敵と変わった親友を満足させなかったのである。

 敵意と貪欲に加えて、自衛本能がユダの動機の中に位置を占めていたかもしれない。利己的な抜け目のなさが背信を促したことであろう。この裏切り者〔ユダ〕は利口な人物で、破局が近いと考えた。彼は、誠実なほかの兄弟たちよりも事態を理解していた。この世の子らは光の子らよりも抜け目がないからである。偏見のない熱狂と愛国的希望に取りつかれていたほかの弟子たちは、時のしるしに対して盲目であった。ところが、偽りの弟子は、まさしく気高さに劣っていたがゆえに、より明敏であった。炎が目前に迫っているこの時、どうしたらよかったのか。それは、キリストの損が自分の得となるように、事態をうまく自分の利に転換するほかないだろう。もし、この卑劣極まることが、誘発されたとの口実のもとに行われるなら、かえってよいであろう!

 以上の観察から、イスカリオテ・ユダの犯罪は、誰もが経験する可能性のあるものであったことを教えられる。このため、私たちが観察しただけの価値があった。というのも、その裏切り者〔ユダ〕を全く特異な人物、唯一の完全なサタン的悪の権化と考えることは望ましくないからである。むしろ、弟子たちが「まさか私のことではないでしょう」と言ったように、ユダの犯罪を私たちが心に留めて考えると、自分にも思い当たる節があるようなものと考えるべきである。「だれが自分の数々のあやまちをさとることができましょう。あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。」ユダのほかにも、敵意から、あるいは利益のために、偽って気高い人物になりすまし、高尚な理想を主張してみせた多くの裏切り者がいた。その中には、ユダよりも悪質と思われる者もいる。すべての犠牲者のうちで最も好奇な方〔イエス〕を裏切ることは、彼の羨むに足らない特質であった。しかし、ユダと同じような罪を犯した多くの者は、そのことをそれほど気にもかけず、悪事を働いた後も幸福に暮らすことができたのである。

 がしかし、ユダをただ一人の罪人と考えてはいけないということは私たちへの警告として重要であるが、彼の犯罪を測り知ることのできない罪悪の神秘と見なすこともまた非常に望ましい。第四福音書記者は、この光に照らして、ユダの犯罪を見るようにさせた。彼は、ユダの行為を説明するのに役立っているユダとイエスの互いの関係について、多くのことを私たちに報告できたであろう。しかし、彼はそうする道を選ばなかった。彼が裏切り者の犯罪について述べている唯一の説明は、サタンが彼を我が物にしたということである。この記者は自分の恐怖を表し、同様の恐怖を読者にも起こさせるかのように、その説明を一つの章に二度も繰り返している。そして、その印象を深くするために、ユダが出て行ったことを告げた後、それが起こったのは夜であったという暗示的なことばを添えている。「ユダは、パン切れを受けるとすぐ、外に出て行った。すでに夜であった。」裏切りの用向きには格好の時であった!

 ユダは出て行き、主を裏切って死に渡した。それから、彼は自殺した。十字架に伴うものが自殺であったとは、何たる悲劇であろう! 二心を持つ悪人を何と印象的に例証していることか! 幾らかでも幸福であるためには、ユダはもっと善人であるか、もっと悪人であるべきだった。もっと善良であったら、彼は罪から救い出されたことだろう。もっと邪悪であったら、そんなことになる前に苦悩を逃れていたことだろう。事実は、彼はその不名誉な行為を行うだけ邪悪であったが、その罪の重荷に耐えられないほどに善良であったのである。災なるかな、そのような者は。まことに、生まれなかった方がよかったのだ!

 幸先のよさに比べて、ユダの結末は何と陰うつなものであったろう。人の子〔イエス〕の仲間、イエスの働きの目と耳の証人に選ばれ、一度は福音を宣べ伝え悪霊を追い出すことに従事した。それが今は、悪霊そのものを所有し、その忌まわしいわざに引き込まれ、ついに、摂理によって、彼自身の罪に報復する手段として用いられた。彼の生涯を見る時、人々の間のあらゆる道徳的相違を環境のせいにする説は、いかに浅薄なものであろう。ユダ以上に、立派になるのに適した環境にいた者があっただろうか。しかし、善を育てるべきであったその感化は、潜在的な悪をそそのかして活動させることにのみ役立ったのである。

 ユダのような者がいつも一緒にいたことは、イエスの純粋な愛の心にとって、苦しい十字架であったに違いない。いかに忍耐強く、幾年もそれを負われたことだろう。イエスはこのことにおいて、ご自分に従う真の弟子たちの模範であり、慰めである。なかんずくこの目的のために、イエスはその十字架を負わなければならなかった。人々の贖い主は、ご自分に向かってかかとを上げる一人の仲間を持った。それは、他のすべての点におけると同様に、この点においても、ご自分の兄弟たちのようになって、彼らを助けることができるためであった。キリストの忠実なしもべたる者が、彼の愛が憎しみによって報いられたとか、彼の真実に報いるに不信をもってされたとか、あるいは、彼が偽善者ではないかと思っている者まで真のキリスト者として扱わねばならないとか、と不平を言うべきであろうか。それはつらい試練であるが、イエスを見つめて、耐え忍ぶべきである。)

2022年12月3日土曜日

イエスの逮捕(中)

イエスを裏切るものは、、彼らと前もって次のような合図を決めておいた。「私が口づけをするのがその人だ。その人を捕まえて、しっかりと引いて行くのだ。」それで、彼はやって来るとすぐに、イエスに近寄って、「先生」と言って、口づけした。すると人々は、イエスに手をかけて捕えた。(マルコ14・44〜46)

 何と言う情けない心であろう。堂々イエスの敵になったのなら、まだ男らしい。空々しい『口づけ』をもって師を売るとは見下げ果てた心ではないか。しかも『先生と言って口づけした』ある文字は『幾度も口づけし』という文字である。

 表面には心のこもった愛情を示し、実際には捕らえる『合図』を確実にするためであった。表面の口づけ、裏面の反逆。彼は如何にイエスを愛することを装っても、彼は『先生』とだけしか言い得なかった。マタイ伝26章23と25とに彼の心理を示す面白い句がある。

 最後の御食卓で主が売られることを預言した時に、十一の弟子は各々『主よ。まさか私のことではないでしょう』と言ったのにユダは『先生、まさか私のことではないでしょう』と言っている。十一人にとってはイエスは実に『主』であったが、ユダの心はもう離れていた。イエスは一個のラビに過ぎなかった。イエスを主と仰がずして、ただ師と見る人の心は、彼を売る途上にある。

祈祷
主イエス様、願わくはあなたをただ一個の教師と見る現代人の宗教より私をお救いください。願わくはあなたを私の主と崇めて信じ従う弟子として下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著335頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌258https://www.youtube.com/watch?v=oUYChNGS-hA  なおこの讃美歌作詞はルター1523、作曲はJohann Walther's Gesangbuchlein,Wittenberg 1524とある。

さて、長文になるが、A.B.ブルースの『十二使徒の訓練』下巻所収の第23章 イスカリオテ・ユダ から今日と明日に分けて連載する。重苦しいテーマであるが、一度は考え抜きたいテーマに違いない。まずは前半部である。〈同書200頁より引用〉

 洗足と聖晩餐の制定に加えて、主の死の前夜、もう一つ別の情景が見られた。それは、その死をいつまでも覚えるようにしてくれる。その夜、夕食の間に、イエスは偽りの弟子を摘発し、追放された。その弟子は、自分の師のいのちをねらう人々の手に、師を引き渡すことを約束していた。すでに、弟子たちの足を洗っておられた時、イエスは十二弟子の間に裏切り者がいる事実を予告的に示唆し、彼らがすべてきよいのではないことをほのめかし、彼らのうちの一人は知っていても行わない者であることをそれとなく言っておられた。謙遜な愛の奉仕を終え、その解説をした後、イエスは、弟子たちの誰のことを言っていたのかをはっきり指摘するという、心の重い、仕事に移っていかれた。苦痛な任務を考えて思い悩み、このような悪魔的な悪事の存在に身震いを覚えながら、イエスは次のような一般的告知でこの問題を切り出されたーー「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります」。その後、弟子たちの不安そうな質問に答えて、イエスは特定の個人を示すように、「わたしがパン切れを浸して与える者」が裏切り者であると言われた。

 このとき告げられた事実は、弟子たちには初耳であっても、彼らの師にとっては新しいことではなかった。イエスは初めからずっと、同志の中に裏切り者がいることを知っておられた。すでにまる一年以上も前に、そのことを示唆されていた。しかし、その一回を除けば、これまでそのことには触れず、秘めた重荷としてご自分の胸の中にそれをじっとこらえてこられた。しかしながら、もはや、秘密はこれ以上隠されなくてもよい。人の子が栄光を受ける時がきた。ユダとしても、主を死に売り渡す手先となることを決心した。このような悪業は、いったん決心がついたら、ためらわず是が非でも実行に移される。

 それでイエスは、偽りの弟子を交わりから除こうとされた。イエスは、ご自分の生涯の最後の数時間を、いまだ正体を現わしていない恐ろしい敵の存在によって、いらだったり気が散ったりすることなく、忠実な人々との、思いやりのある、信頼に満ちた交わりに費やしたいと願われた。それでイエスは、ユダが自ら進んで去って行くまで待つことなく、彼がご自分への忠誠を放棄して悪魔の務めに身を任せた後も彼の上に権威を主張される方として、行けと彼に命じられた。パン切れを渡すと、イエスは彼に次のように言われたーー「ユダ。わたしはあなたを知っています。あなたは、わたしを裏切る決心をしました。さあ、出て行って、そうするがよいでしょう」。それから、はっきり「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい」と言われた。それは「今すぐ行け」との命令である。

 ユダはその意を悟った。彼は「すぐ、外に出て行った」。こうして彼はこれまで分不相応な一員として属していた社会から完全に離れた。ある人は、どうしてそのような人間がこれまでその中にいたのかーーどうして彼がそのような聖なる交わりに入ることを認められたのかーーどうして十二弟子の一人に選ばれたのか、不思議に思う。イエスは、ユダを選んだ時、この人物の本性を知らなかったのであろうか。少し前に語られた主のことばは、私たちがそう考えることを許さない。イエスは洗足について解説する中で、「わたしは、わたしが選んだ者を知っています」と言われた。それは明らかに、イエスが十二弟子を選んだ時に、ユダを含めて彼ら全員のことを知っていると言われたことを示す。

 イエスがその正体を知りながらユダを選んだのは。十二弟子の中にご自分を裏切る者を抱え、そのことに関する聖書〔旧約聖書の預言〕を成就させるためであったのだろうか。いま言及したことばにも、このことが示唆されているように思われる。なぜなら、イエスはさらに続けて、「しかし聖書に『わたしのパンを食べている者が、わたしに向かってかかとを上げた。』と書いてあることは成就するのです」と言われているからである。

 だが、ある俳優が舞台監督から選ばれてイアーゴー〔シェークスピアの『オセロ』に登場する陰険邪悪な人物〕役を演じるように、イスカリオテも裏切り者となるためにだけ選ばれたということは信じられない。引用された聖句において指し示された目的は、彼が選ばれることによって、結局、果たされるであろう。しかし、その目的は彼を選んだ要因ではなかった。私たちはこの二点を確認することができよう。一つは、ユダは裏切るためにイエスの弟子になったのではない。もう一つは、イエスがユダを十二弟子の一人に選ばれたのは、彼が最後に裏切り者になることを前もって知っておられたからではない。

 もし偽りの弟子の選びが無知によるものでも予知によるものでもないとしたら、それはどのように説明さレようか。可能な唯一の説明は、神秘的な洞察力は別にして、ユダがどこから見ても弟子として選ばれる資格のある者であり、普通の観察によるなら、いかなる点でも選にもれるはずはなかったということになる。ユダの特性はそのようなものだったに違いないので、全知の目を持たない人は、彼を見て、サムエルがエリアブに言ったのと同じことを彼に言いたい気がしたであろうーー「確かに、主の前で油をそそがれる者だ」と。その場合、イエスによるユダの選びは充分理解できる。教会のかしらは、教会が同じような場面に直面して行わねばならないことを行われたにすぎない。教会は、知識・熱心・見かけの敬虔・外見的に正しい行為といった表面的資格を結び合わせてみて、聖務に当たる人々を選ぶ。そうすることによって、教会は時に不幸な人選をし、その地位を汚すユダのような人物に高位を与える。そこから生じる害は甚大である。しかし、キリストは、ユダを選ぶという実例によって、また毒麦のたとえによっても、私たちが悪を甘受し、その救済を高い御手〔神〕にゆだねなければならないことを教えられた。神はしばしば悪から善を導き出されるーー裏切り者〔ユダ〕の場合にもそうであったように。

 ユダが外見上適当であるということによって使徒に選ばれたと仮定すると、そこに浮かび上がるのはいかなる種類の人間であろうか。高いものを目指していると公言しながらも、卑しい下心を抱いている俗悪な偽善者であろうか。必ずしもそうではなく、恐らくそうではないだろう。むしろ、イエスが「あなたがたがこれらのことを知っているのなら、それを行うときに、あなたがたは祝福されるのです〈ヨハネ13・17〉」と言われた時、遠回しにユダのあるべき姿をも描いておられた、そのような人物であろう。この偽りの弟子は、意識してそれを行わないが、何が善であるかを知り、認めている、感傷的で自己欺瞞的な敬虔主義者であった。彼は、その意志と行為では卑俗な利己的情欲の奴隷であるのに、その美的感情や空想や知性においては気高いもの・聖なるものへ心を引かれていた。彼は土壇場ではいつも自分を最優先させるが、個人的利益が危うくされない限り熱心に善行に専心することができた。要するに、彼は使徒ヤコブが二心のある人と呼んでいる人間であった。

 このようにユダを述べることによって、孤独な怪物の絵を描いているのではない。そのようなタイプの人間は、ある人々が想像するように決してまれではない。聖なる歴史も世俗の歴史も、そのような人物の多くの例を示している。人間的な事件で重要な役割を演じるのは彼らなのである。預言者の幻と貪欲な心とを持ったバラムはそのような人物であった。フランス革命の悪魔ロベスピエールもその一人であった。幾千の人を断頭台に送ったこの人物は、その若き日に、重大な犯罪で有罪となった一人の刑事被告人に自己の良心に反して死刑の判決を下したことで、地方裁判所の判事の職を辞したのである。

 そのどちらよりも顕著な第三の例は、有名なギリシヤ人アルキビアデスに見られよう。彼の際限のない野心と無節操と放蕩は、最大・最善のギリシヤ人への熱烈な思慕と結びついていた。後に、彼は自分の生まれた町〔アテネ〕を裏切って敵側に走ったが、若い頃にはソクラテスの熱烈な崇拝者であり弟子であった。彼がこのアテネの哲人〔ソクラテス〕に対してどのような感情を抱いていたかは、プラトンがその対話篇の一つで彼に語らせていることばーー語り手〔アルキビアデス〕とソクラテスよりも偉大な方〔イエス〕の不相応の徒〔ユダ〕の間の類似を図らずも示唆していることばーーから推測できる。「この人(ソクラテス)にだけは、恐らく誰も私がそうであるとは信じまいこと、つまり、恥じるということを経験したのだ。とにかく、この人に反駁したり、その命じることを行うのを断ったりできないことを知っているのだ。この人から離れると、私は大衆の名声を博そうとする欲望に負けてしまうように思うのだよ。それで私はこの人から逃げ出し、この人に会わないようにしている。だが、この人を見ると、私は自分がしていることが恥ずかしくなるのだ。この人がこの世から消えてしまったら、どんなに喜ばしいだろうと思うことがしばしばある、と言っても、もしそのようなことが起こったら、私はもっと悲しむようになるだろう、ということをよく知っているのだよ。」

 ユダの性格が以上に述べたようなものであるなら、少なくとも彼が裏切り者になる可能性は理解できるようになる。どれほど善良であっても、誰よりも自分を愛する者は、あるいは、どれほどきよくとも、どんな大義よりも自分を愛する者は、常に、多かれ少なかれ憎むべき不信仰者になりかねない。彼は、心の底では最初から裏切り者であった。求められているものは、彼の本性に宿る悪の要素を活用しそうな一連の環境だけである。そこで、このような質問が起こるーーユダを裏切り者の候補から現実の裏切り者に変えた環境とは何だったのだろうか。)