2022年12月17日土曜日

十字架(3)刑場の下にいた人々

また、祭司長たちも同じようにして、律法学者たちといっしょになって、イエスをあざけって言った。「他人は救ったが、自分は救えない。キリスト、イスラエルの王さま。たった今、十字架から降りてもらおうか。われわれは、それを見たら信じるから。」(マルコ15・31〜32)

 民衆に和して無抵抗の人に悪罵を浴びせる紳士らしからぬ態度ではないか。彼らは社会の最高級に位を占めている人たちではなかったか。ピラトの見抜いた通り『嫉妬』の人を賊するや実に驚くべきものがある。

 従容(しょうよう)として十字架についたイエス。麻酔のぶどう酒をすら避けて、苦痛をどん底までかみしめて味わうイエス。彼を憎んで不法の叫びをもってイエスを十字架につけた祭司長、学者、すでに十字架上にあって全然無抵抗である者をまでわめき罵る彼ら、彼らの姿は如何にみじめな姿ではないか。彼らは今こそ勝ったと思っている。が、その姿こそ敗北の姿ではないだろうか。

 私どもは怒って大声を発し、人に言い勝つことがある。相手を沈黙させて勝ったと思っていることがある。焉(いづく)んぞ知らん、黙して負けている人の方が、立派な勝利の姿を見せているではないか。己を救わず、このように罵られてもその反証を示すために十字架から下りないところに、真に人を救う力が存する。

祈祷
主イエス様、私であったら直ぐ十字架から飛び下りて彼らを沈黙させたでありましょう。あああなたの忍びと謙りの大なるを感謝し賛美いたします。どうか私にも、黙して忍び得る底力を与えて下さい。アーメン

(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著351頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌507https://www.youtube.com/watch?v=vE25Dpy_bl4&t=2s

引き続いて、以下、David Smithの『The Days of His Flesh』の筆致に見る十字架刑の傍証

12 ヨハネに対するイエスの遺言

 この時ヨハネは聖母マリヤ及びその姉妹サロメ、クロパの妻マリヤ、マグダラのマリヤの三人を伴ってこの場所に来た。而してその悲痛を意とせず、彼らは十字架に近く寄って来たのであった。寡婦となれるその母の孤独のみが、死に際しイエスの有せられた地上の唯一の心残りであった。彼女にはもちろん傅〈かしづ〉くべき他の男児があった。しかし彼らは皆今なお不信者であって、悲しみを深める慰藉者たるに過ぎないのであった。故に彼らの手に聖母を任せるのは忍びないところであった。肉親の関係より、ヨハネはイエスの従弟で、最も愛された弟子であった〈※〉。彼はこの神聖な依託を受けるに足る人物であって、イエスは貴重な遺産としてマリヤをヨハネに譲られた。マリヤを見て『女の方。そこに、あなたの息子がいます』と仰せられ、またヨハネに対しては『そこに、あなたの母がいます』と仰せられた。忠誠を尽くしてこの弟子はその信任に背かなかった。この時以来マリヤは敬慕と栄誉とを献げられて彼の家に住まったのであった。而して彼がクレネのシモンの如く、否さらに遥か神聖な方法で『キリストの代理者』として主と同等の地位に置かれる特権を与えられたことは、彼にとって永劫不易の驚異と感謝との源となったことであろう。マリヤはまたイエスの温情に感激したことであろうと思われる。

 『ああ如何に悲しく心乱るるばかり
    神の一人子の祝すべき母は
      感じたりけん。
  彼女は悲痛、苦感のうちに、
    その栄光輝く聖子の苦難を見て
      身震いしたりけん』

 ヨハネはこの物凄い場所から優しく彼女を伴い帰った。『その時から、この弟子は彼女を自分の家に引き取った。』

※このDavid Smithの主張、ヨハネとイエスがいとこであるという関係は果たしてそうなのだろうかと思われる向きも多いと思うが、この件に関しては以前以下のブログで話題にしたことがあるので関心のある方はお読みいただきたい。https://straysheep-vine-branches.blogspot.com/2022/01/blog-post_17.html  なお、聖書辞典720頁には 母サロメ〈マタイ27・56、マルコ15・40〉。イエスの母マリヤの姉妹とも言われるが確実ではない。と記されている。

一方、バウムゲルトナーは『十二使徒との出会い』の中で十字架の下にいたヨハネについて次のように書いている。念のため、転写する〈同書38頁より〉。

 わたしたちは、多くの事がらでヨハネをおぼえています。ヨハネがどのようにして十字架の下に立っており、イエスの母マリヤが彼のかたわらに立っていたかをおぼえています。これらの二つのことは、多くの方法でイエスに接近したほかのすべての使徒たちにもまさって、イエスに近づいている私の時間の中で、イエスの最後の苦悩の中で、イエスにもっとも親しみ深いものでありました。ほかの弟子たちは恐怖のあまり、心もからだもほとんど麻痺していました。しかし、自分の母であったために、ほかの者にもまさってイエスが愛された女と、イエスをもっとも理解していた弟子であったために、イエスが愛された弟子とは、十字架のすぐ近くに立っていて、イエスの語られることばを聞いたのであります。彼らふたりには、群衆の喧騒も遠い雷のようにしか、耳にはいりませんでした。彼らの痛める心は、イエスの痛める心に向けられていました。そしてこれは、イエスの命を失わせる血が、彼らの立っている地上にしたたり落ちているとき、直接イエスから聞いたことばであります。「ヨハネよ、わたしが世を去った後、この母の世話をしてください。母よ、あなたの子のように、彼を見てください」。

 彼らは、今日、善良で勇気のあるふるまいのために、また団体や人々への特別の奉仕のために、よい例証と裁定とを、わたしたちに与えています。彼らは偉大な人々を、感謝の晩餐に招いて礼遇します。否、人類の歴史においては、これ以上の偉大な栄誉は、だれにも与えられません。このヨハネには、死に臨まれたイエスが、特別の委託と、無類の責任とをお与えになりました。この死に臨まれた贖い主は、彼の愛しておられた弟子に、特別の愛の重荷を負わせになたほうがよかった』とのです。ヨハネはそのための人間でした。イエスは、ヨハネが決して自分を失望させないことを知っておられました。そのときに、ペテロはどこにいったのか、あとの弟子たちはどこに行ったのか、実際にはわかりません。わたしたちは、ただ、ヨハネがそこにいて、主を慰め、祝福し、彼の救い主から特別の重荷をとりあげていたことを知っているだけです。

 主がわたしたちを必要とされ、捜し求められるとき、この世の贖い主がわたしたちのために働かれるとき、主の教会と神の国の主張がわたしたちに要求するとき、わたしたちはしばしばその場にいないことがあります。わたしたちは、都合よく何かほかの仕事に忙しかったり、あるいは実際にキリストの近くにいても、わたしたちに求められる主の御声をきくことさえもないのです。

 わたしたちは、自分たちがおそらく長い間、キリストに近づいていたよりも、もっと近くキリストのそばにいることのできる、一つの方法を知っています。あなたがたは、日曜日に礼拝に行きます。そのため、ありがたいことに、キリストは彼の名において集まる人々に、キリストの生ける御臨在を約束されておられます。キリストはあなたがたを、恵みの礼典である聖餐において、近づくように招いておられます。キリストは十字架の下で、あなたがたに出会うことを欲しておられます。キリストは聖餐のパンとぶどう酒とともにそのからだと血、御自身そのものを、あなたがたに与えようと欲しておられます。あなたがたが、聖餐の祝福をうけて以来、どれほど長いこと、それにあずかってきたことでしょう。

 さらにまた、別の方法があります。今週は、おそらく、あなたがたの聖書のかたわらにあるキリストの絵画とともに、ヨハネが鉄ペンで書いてわたしたちに与えた、霊感の書を読むことでしょう。ご存知のように、ほかの三つの福音書とはかなりちがって、イエスの生涯を書いた、特殊の書である主の福音書があります。彼が書いた三つの手紙を読みなさい。あなたがたが、実際に理解できる翻訳で、それらの手紙を読みなさい。彼がパトモス島の流刑地で書いた最後の書、聖書がそのページを閉じる、注目すべき預言の書であるヨハネの黙示録を読みなさい。あなたがたは、そのすべてを理解しないでしょう。でもあなたがたは、その中に壮大な、慰めと希望の章句を見いだして、死の終わりまで、それらのみことばにすがりついて離れないことでしょう。

 ヨハネはエペソで生涯を終わりました。伝説によれば、彼はもはや、十分に説教することもできなくなり、わらの寝台に乗せられて、講壇に運ばれるようになってからも、人々の飢えを満たし、渇きをとどめ、不安な心を静める一つの使信をもっていました。「子供たちよ、互いに愛し合いなさい」。繰り返し「子供たちよ、互いに愛し合いなさい」と、すすめるのをつねとしていました。

 彼は、イエスがそのことをよく知っておられたように、実際に、それにまさるものはないことを、よく知っていました。「子供たちよ、互いに愛し合いなさい」。

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