夜が明けるとすぐに……イエスを縛って連れ出し、ピラトに引き渡した。ピラトはイエスに尋ねた。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」イエスは答えて言われた。「そのとおりです。」そこで、祭司長たちはイエスをきびしく訴えた。……それでも、イエスは何もお答えにならなかった。それにはピラトも驚いた。(マルコ15:1〜5)
何という立派な態度であろう。大祭司の前に立った時には自分の不利となるべき、神の子である証言を為した外、一切沈黙、総督ピラトの前においても同様に、カイザルに対する反逆と解釈されやすい一語『ユダヤ人の王ですか』との問いに対して『そのとおりです』と明らかに答えた外、何も言わない。
偉大なる沈黙、偉大なる言明。人は斯くありたい。実に『王』らしき威厳があり、『神』らしき尊さがある。御自身の何者であるかを言明することが御使命の重要な点であったから、この点は黙殺したまうことができなかったのである。
然り、イエスは御自身を神の子と言明し、王なりと言明したために、十字架は免れない羽目に陥ったのである。この点を忘れる人はイエスの十字架を無意義ならしめる人である。
祈祷
主よ、私はあなたが神の子であって、私たちの王であることを信じ申し上げます。あなたが命をかけて証したまいしこの信仰に立ってあなたのように鮮明なる生活を為させたまえ。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著344頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌127https://www.youtube.com/watch?v=nIlqKNVkeTw
以下は、クレッツマンの『聖書の黙想』36 死に渡された生命の主 から引用する〈同書237頁より〉。彼はマルコ15・1〜19を指して、そのような表題をつけているが、先ずは総論の部分からである。
私たちの目の前にあるこの場面ほど、あらゆる世代、あらゆる時代を越えて、人の想像力をあおる物語はないだろう。
磨かれた石の広間、エホバの民の最高の法廷は、多くの卑劣な犯罪者の罪を証しして来た。この同じ場所で、罪なき神の子が裁きを受け死刑を言い渡されなければならなかったとは・・・。当時の世界を制していたローマ帝国の総督の裁きの間こそは、ローマの支配者たちの、あの名高い正義感が、征服された民の血に飢えた指導者の不正に、打ち勝つものと期待された場所であった。しかし、この広間こそ、およそ、人の子の中で唯一人の聖なるおかたの血で染められることになったのである。御使いたちが歌を止めて、息を飲んで沈黙し、地獄の炎を解き放つことになった、あの判決はここで告げられたのだ。
「十字架につけよ」
以下、各論に移る。
聖金曜日として知られているあの日の朝早く、ユダヤの議会が召集され、特別に開かれたのは、あらゆる事柄に合法性と正義の権威を与えるためのものであり、しかも、単にうわべだけを装うためのものであった。判決はすでに、あらかじめ定められていたのである。
「彼は死刑に処すべきである」と。
一刻の猶予も与えられず、この自由を奪われたとらわれ人は、その偉大な父祖ダビデが、民の首都として建設したこの古代都市の、狭くて曲がりくねった通りを追い立てられて行くことになる。今や「大いなるダビデの、更に大いなる御子」は死ななければならない。この都の中でこの判決を確認し、執行しうる者は、唯一人、ローマ総督のほかには誰もいなかった。
さて、ここで、私たちの前には、イエスがピラトの前に立っておいでになる場面が展開する。いろいろの訴えが持ち出されるが、大部分はほとんど、考慮に値しないものである。しかし、一つだけ、いくらか重要な意味を持つらしく思われるものがあった。イエスがみずから、王であると称した、ということだ。これには何か、一応のいわれがあるかも知れなかった。もっとも、ピラトは自分の前に立っているつつましい囚われ人を見て、そんなことを考える余地がなかったのであるが・・・。
静かに、しかも威厳をもって、イエスは告白される。
「わたしは王である」。
しかし、イエスが、私は真理を知り、愛する者の王であると説いた時、この世俗的で皮肉屋の異教徒は肩をすくめて、これをみんな斥けてしまった。
その他の非難に対しては、主は、すべて、裁判官が言質をとらえようと、どんなに懸命に努めても、ただ一つの答え、すなわち、沈黙でお答えになるばかりだった。ピラトが怪しんだのも無理からぬことである。こんな囚人を前にしたことは、いまだかつてなかったからだ。彼はこの場の状況にあわてさせられ、時々刻々と焦りはじめ、明らかに罪のないおかたに罪を宣告するか、それともユダヤの有力な指導者たちの感情を損ねるか、どちらか一つを選ばなければならないジレンマから逃れる道を提案したあげく、ユダヤ人のもつ一つのならわしに思い至って、ほっと救われた。それは彼が祭りの時に、民衆の選んだ囚人を一人、赦してやることが認められているということだった。)
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