嘲弄したあげく、・・・イエスを十字架につけるために連れ出した。そこへ、アレキサンデルとルポスとの父で、シモンというクレネ人が、いなかから出てきて通りかかったので、彼らはイエスの十字架を、むりやりに彼に背負わせた。そして、彼らはイエスをゴルコタの場所へ連れて行った。(マルコ15・21、22)
『アレキサンデルとルポス』の二人はローマの教会で人に知られた人であったらしい。マルコはこの書をローマ人のために書いているのであるからこの二人を明記したのである。古い伝説によるとルポスはローマの殉教者の一人であると言う。
パウロはローマ書16章13節においてルポスの母は我が母なり、とまで言っている。孤独のパウロに慈母となったのはこのシモンの未亡人であった。シモンも十字架をイエスのために負うたのが機縁となって信仰に入ったとの説もある。使徒行伝第13章第1節を見ると『ニゲルと呼ばれるシメオン』と言う人がアンテオケの教会の重要な人でバルナバと並べられている。
ニゲルとは黒という意味で、シメオンはシモンと同じである。クレネはアフリカであるから、シモンの色は黒かったと想われる。さればこれは同一人であるとも考えられるが確実だとは言えない。彼は十字架全体を負うたのではない。二本の横木を負うて行くのが慣例である。イエスは過労のためそれすら出来なかった。
祈祷
十字架の重荷の下にその肉体を押し倒されるまでに罪のために苦しんで下さったことはありがとう存じます。もったいなく存じます。どうかこのご恩に対して心からの感謝を持ち、かつ喜んでこれに倣う者とならせて下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著347頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌255https://www.youtube.com/watch?v=qmSWnd6D0BE
David Smithの『The Days of His Flesh』第49章 十字架 は次の項目を立てている。1準備 2行列 3クレネのシモンの公役 4『エルサレムの娘』 5カルバリ 6十字架の刑 7麻酔薬 8『父よ、彼らを赦し給え』 9イエスの衣を頒つ 10 嘲弄 11盗賊の悔恨 12ヨハネに対するイエスの遺言 13正午の暗黒 14放棄 15二つの誤解 16神の来臨として放棄 17父の支仕の控除〈a withholding of the Father's ministration〉 18『我れ渇く』 19イエスの死 20幔幕裂く 21百人隊長の証言 22脛を折る 23血と水 24ヨセフ、ピラトに請う 25イエスの埋葬
以上のうち、2行列、3クレネのシモンの公役の部分を転写する。〈邦訳949頁、原書492頁〉
2 行列
イエスは独り刑場に赴かれたのではなかった。バラバの如き二人の強盗に宣告を下し、ピラトは一日に一事件のほか執行すべからざるユダヤの律法を無視して、その処刑を行わんがために彼らをもともに曳かしめたのである。プレトリアムを出た行列は市内の最も雑踏する通りを進んで、一般人民に刑罰の恐るべきを実物をもって示し、充分に印象せしめるのであった。罪人は百人隊長の率いる分隊の兵士が護衛していた。而して十字架の重さによろめき行く後ろから鞭と罵声とに追い立てられて行くのであった。彼らの犠牲が滅亡するのを親しく目撃せんと、祭司長たちは熱心の余り、その威儀すら忘れて行列の後ろから尾いて来た。悪徒の群衆はまたその後より、押し合いつつ好奇心に駆られて何の考えもなき賎民と共に従って来た。しかもイエスはこの悲痛の肯定を辿られる間も孤独ではなかった。その弟子中にも特別に愛されるヨハネは、行列が門を発したときそこにいて、その愛し奉る主がその肩に十字架を負われるのを目撃した。しかし行列には尾いてこなかったように思われる。彼はマリヤの許に駆けつけて、裁判の結果を報告し、その嘆き悲しむのを慰めたのであろう。やがてマリヤ並びに他のガリラヤの婦人の一団とともに十字架の下に来た。その死刑場の中途では弟子は一人も尾いていなかったが、ただ群衆の中に婦人が混じって、主の不遇を目撃しつつ慟哭せざるを得なかった。〈ルカ23・27〉その他には何の好意の象徴も、その死に赴かれる途上では受けられなかった。
3 クレネのシモンの公役(The impressment of Simon of Cyrene)
食を絶たれ、刺激され、残忍な待遇を受けて衰え果てられたイエスは城門のあたりまではよろめきながら歩まれたが、ここに全く力が尽きられた。伝説ではイエスは倒れ給うたと言っている。ゆえにその十字架を取って、頑丈な人の肩を借りるより他に道はなかった。行列が城門から出た所で兵卒は公役を命ずべき人もがなと見回しつつ、市内に行こうとする一人の人物を捕らえた。彼はユダヤ人が大植民地を設けた北部アフリカの市街クレネから来たシモンと称するギリシヤ語を用いるユダヤ人であった。而して祝いのためにエルサレムに上った者であった。彼は市外の近郊に宿所を定めて、今朝の礼拝に出席せんがため神殿に向かう途中であった。思いもかけず、また意に全く反して、彼はさらに神聖な職分に召し出された。兵士は皇帝の名をもって彼を捕らえて、その肩にこの物凄き重荷を負わせ、市に背いて後ろに返り、彼らの恐ろしい残務に加わらさせた。シモンについてただその二人の子アレキサンデルルポスが〈マルコ15・21〉ローマにおける教会に関係を有する信徒であったという外には何も伝わらない。蓋しシモンもまた信仰を起こしたに相違はない。もし十字架を負うた人物が、その器具であり、象徴である救いを失ったと言うのならば、それは不思議な反語でなければならぬ。
クレッツマンの『聖書の黙想』を見てみよう。彼はマルコ15・20〜37を 37 キリストの十字架と死 と題し、次のように語り始める。〈同書245頁より〉
裁きの間で演じられた芝居は終幕へ向かう。この後に続いて来たものはきびしい現実だった。人々はイエスから紫の衣をはぎ取り、イエス自身の着物を着せて、十字架につけるために引き出したのだ。聖書記者の胸はこれを書いた時、血を流したに違いない。だが、彼はこの不気味な絵を描くにあたって、単なる人間的同情を呼ぶような、言葉の上でのかざりは用いていない。彼は私たちの前に事実を提示し、事実そのものに自らを語らせているのである。
私たちはヴィア・ドロロサ〈十字架の道〉に関して、物語や伝説を付け加えるには及ばない。主が世の罪に悩みながら、御自身の十字架を負って歩まれたということを知るだけで、十分である。精神的苦悩は言うに及ばず、眠らずに過ごしたあの夜の肉体的苦痛だけでも、人間の忍耐力の限界を越えていたということを知るだけで十分である。
ここへ、クレネ人のシモンが来合わせる。そしてその人々は、この男にイエスの十字架を負わせる。彼らは無理に背負わせたのである。シモンが頑強に反対したことは十分に想像できるが、結局彼は十字架を負わなければならなかった。こうして、それは彼にとって聖なる十字架となった。
血の流れている背中を仰ぎ、自分の前を行く黙したおかたのよろめきがちの歩みを見た時、この男の胸の中を、一体、どんな考えが満たしたことであろうか。それは神のみが知ろしめすところである。これが普通の犯罪者でないことを、彼、シモンは気づかなかっただろうか。彼はもちろん、その場にとどまって、カルバリの丘で起こる出来事を見たり、聞いたりしたのではなかったろうか。この事件によって彼が心をかえ、彼とその家族は、救い主の救いを知ることによって祝福されたと信じうる根拠は十分ある。
もし、私たちが主に従って十字架を負っていかなければならないとしても、それを恨んではならない。それは私たちにとって祝福にほかならないからだ。)
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