神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。(マルコ15・38)
これは神殿の至聖所と聖所とを隔てる長さ三十尺、高さ二十尺の大きな幕である。黄金の糸をもって鏤(ちりば)め、ケルビム(天使)の姿を織り出した厚みのある紫色の豪奢な緞帳(どんちょう)である。尋常のことで裂けたりするものではない。
旧約の律法によると大祭司が一年に一回特に身を清め、贖罪の血を幕の前に注いだ後、始めてこの幕の中なる至聖所に入ることを許されるのである。
これは罪に汚れた人間は仲保者なくして容易に神に近づくべからざるものであることを教えたのであるが、モーセ以来一千五百年の間、燔祭の儀式によって象徴的に示されて来た贖罪の事実がキリストの死によって成就されたから、もはや神と人との間の幕は取り除かれ、人は信仰によって自由に神の前に出ることが出来るということを具体的に教えられたのである。
祈祷
隔ての幕を神と私たちの中間より取り去り給いし主よ、あなたは死をもって私たちの罪を贖い私たちをして、自由に神に近づくことが出来るようにして下さったことを感謝申し上げます。願わくは、厳粛なる心をもってこの特権を行使し常に祈ることをお教え下さい。アーメン
(以上の文章は『一日一文マルコ伝霊解』青木澄十郎著353頁より参考引用し、題名は引用者が便宜的につけた。讃美歌306https://www.youtube.com/watch?v=tbER5A4-F2U
引き続いて、以下は、David Smithの『The Days of His Flesh』の筆致に見る十字架刑の傍証の続編である。
20 幔幕裂く
イエスの聖音は突然身震いが起こったかのように地が慄き揺らいだとき驚き騒ぐ傍観者の耳になお響いていた。シリヤ地方は火山に富み、パレスタインの歴史を一貫して地震の災害を載せている。地震がカルヴァリイ山を揺るがしたと言うのは不思議でもなく、また先例のないことではなかった。最も近い時代にも地震が記録に残っている。すなわち紀元前三十一年ヘロデ王がアラビヤ人に対して軍隊を繰り出したときに起こった。ほとんど一万に近いユダヤの人民は家屋に圧せられて死んだ。軍隊は平野に露営していたのでわずかに危急を免れたのであった。この厳かな日に地を揺るがしたのは振動の種類であって、災害は少なかったけれどもなお決して軽いものではなかった。人家稠密な市内ではその結果が最も甚だしく、殊に異常の感激を生ぜしめた一変事が行われた。聖所と至聖所の間を距てる不思議な織物の幔幕が頂より裳裾まで二つに裂けて、祭司長のみが一年一回『贖罪の日』〈ヘブル9・7〉に内に入るを許される神聖な殿堂が公開されたのであった。弟子の眼にはこれは決して偶然出来事とは思われなかった。これカルバリ山上の犠牲によって完成された贖罪を、象徴をもって宣言される神の聖手に打ち破られたものであった。『こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所にはいることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。・・・そのようなわけで・・・全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。』。〈ヘブル10・19〜22〉
クレッツマンの『聖書の黙想』はマルコ15・38〜47をひとまとめにして38 父なる神のひとり子は今、彼方へと葬られる と表題をつけ、次のように述べる。
イエスの死にともなって現われ、それに続いて起こった奇跡について、聖マルコはただ一つのことを記しているにすぎない。それは神殿の幕が裂けたことだ。記者はこの注目すべき出来事を象徴化することも、説明することもしていない。
その時、夕方の捧げ物の用意をしていた祭司たちの、おそらく、まさに眼前で、神殿の聖所と至聖所との間に下がっている厚い幕が、突然に、まるで一つの見えない手によって裂かれたかのように、上から下まで引き裂かれ、至聖所がすべての者の視野にさらされた。そこは大祭司ですら年に一度しか入ることを許されない場所で、しかも、犠牲の供え物を捧げた場合のみ、大祭司は神と民衆との間をとりなす者としての意識を持って、神の御前に立つ用意をすることが、許される場所だった。この奇跡の意味は唯一つしかあり得なかった。それは犠牲を捧げる日が終わったということ、つまり、神の民の大いなる大祭司が訪れて、一切の犠牲を終わらせるために、一つの犠牲をささげられたということ、従って、今、すべての人々は彼を通じて自由に父の下に近づくことができるということだった、)
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